プロローグ
“拝啓母さん”
お元気ですか?
私はまだ元気に生きています。
―*―*―*―*―
「母さん、母さん!」
金髪の少女は開け放たれた窓から上半身を乗り出して叫んだ。
その声に答えて振り返ったのは、少女より少し薄い金色の髪を長くのばしてゆるく1つにまとめた女性。
「あのね、父さんが帰ってきたよ!」
「あら…今回は早かったのね!」
いつになく嬉しそうな様子の母さんは急いで玄関から出てきた。
私の父さんはいつも仕事で家に居ない。それで、たまに思い出したように帰って来る。母さんにいつ帰って来るか尋ねてもさぁね、とはぐらかされるけど、実際母さんもいつ帰ってくるかは知らないんだって。
でも、母さんはある日突然、大きな旅行鞄とプレゼントの包みを持って帰って来る父さんが好きだからいいんだって言ってた。
私も、疲れた顔にひまわりみたいな笑顔を浮かべて帰ってくる父さんが大好きだけど、会えないのはやっぱりさびしい。
「お帰りっ!」
「お帰りなさい!」
「あぁ…ただいま」
…あれ?今日の父さんにはそのひまわりの面影がない。
母さんも気づいて一瞬ちょっと不思議そうな顔をしたけど、すぐにさっきの笑顔に戻ると父さんの鞄を持って家に引っ込んだ。
首を傾げたままの私に父さんは困ったように微笑んで母さんの後を追って家に入った。
根が生えたように突っ立ったままの私は冷たい風が吹いたような気がして身震いし、すぐに両親を追って玄関に向かった。
その日の夜、父さんは母さんとずいぶん長い間話し込んでいた。
それから何日か経って、父さんがまた”仕事”に出る日が来た。今回はいつもより長くいてくれたし、たくさん遊んでくれた。
父さんは今日はいつもの厚手のコートじゃなくて、見たことのない服をきて、いつもの旅行鞄よりずっと小さなショルダーバッグを持っていた。おかしい、って思ったけど何んとなくしか分らなかった。
母さんもいつもなら潔く送り出すのに、今日だけはどうにか引き留めようとしていて。困った顔で首を横に振り続ける父さんもなんだか辛そうで。最後に母さんがいつ、じゃなくてどこに、って聞くと「西に」とだけ答えて父さんは家を後にした。父さんは、私たちが見えなくなるまで振り返らなかった。
それから父さんは半年経っても、1年たっても、2年たっても帰ってこなかった。その時には私も、もう父さんが帰ってこないんだな、って分ってたけど母さんも私も何も言わなかった。
それから、数か月たったある日。
「話があるの」
真面目な顔でいう母さんから正直逃げたかった。
聞きたくなかった。
でも、聞かされた話は私が思ってのとは違う話で、もっと聞きたくない話だった。
「あのね、父さんが残してくれた貯金がもう底をつくの」
まるで、もう父さんが…って言いかけて言えなかった。
母さんの目元から一粒の滴がこぼれたから。
私は見てなかったふりをして続きを促した。
「それで、母さんも…仕事に行かなくちゃいけないの」
「…うん」
そしてその日はあっさりと来てしまった。
朝に行って夜に帰って来れるとは思ってはいない。でも私たちの別れはそれくらい軽い挨拶だった。
「…行って来るね」
「…うん、いってらっしゃい」
母さんも、父さんみたいに振り返らなかった。
その後ろ姿に私は叫んだ。
「どこに行くの!?」
答えは分かり切っていた。
ややあって母さんは振り返らずに叫び返した。
「西に」
それが、私たちが最後に交わした言葉だった。
―*―*―*―*―
―追伸
父さんは見つかった?
レイア・---
私が自分の名字を失ってから8年になる。
短いな…まぁ、人生初だからよしとしよう。