グレイトフル・ショコラ 〜オルティーナ様の甘さとほろ苦さの楽しい日常〜 クレープの日編
私こと、オルティーナ・ラグランジュには、得意料理が三つある。
一つは、牛乳を使ったシチュー。
もう一つは、リンゴのコンポート。
そして、最後の一つは……。
その日、ショコラ駄菓子店は、来客も少なくて、驚くほど暇だった。
ハロウィンも近いのに、誰もお菓子を買いに来ない。
まあ、それは、そういう日だってあるだろうけれど、流石に一人も来ないとなると。
「暇ですわ……」
ぼやきながら会計台の上に上半身を寝そべさせる。
ああ、今日は叔父さんも用事で半日はいないし。
「暇だ……ですわ」
思わず口調が崩れかけるほどに、今の私は退屈していた。
何か、何かないか……最近流行りの恋愛小説……はもう最新刊まで読んだ。
なら、ハロウィンの装飾……も、おじさんやグレイと一緒に作って、後は当日飾るだけの状態にしてあるし。
チェス……いや、する相手がいない。
正確にはいるけど、面白いゲームができるかと言えば、そうでもない。
私が一方的に負けるだけで、面白みもへったくれもあったもんじゃない。
「暇ですわ……」
「じゃあ、勉強する?」
「しませんわー……ってあら」
顔を上げると、マリーナが顔を覗き込んできていた。
ちょっと驚いたけれど、本日初のお客様である幼馴染で親友の来店はありがたかった。
「やっほ〜、オルテちゃん」
「マリーナ、いらっしゃい」
「うん。で、勉強する?」
「ですから、しませんわ。そもそも、私も貴女も、学校はすでに卒業しているじゃない」
「人生は勉強の連続だよ、オルテちゃん! 私も、まだまだ学び足りないって思うこと、いっぱいあるんだから!」
目を輝かせて正論をのたまうマリーナの眩しさに、少し目を細めてしまう。
確かに、私も色々と勉強している最中ではある。
けれど、マリーナの手の中にある、算数とか科学とか外国語の教科書は……って。
「それ、マルセルの教科書ではありませんわね。どうしましたの?」
「ああ、これ? ふふん、ミランダちゃんが貸してくれたんだ〜」
「ああ」
少し前に村へ旅行でやってきたちりめん問屋の娘ミランダと、そのお目付け役のフレン。
二人は、私とマリーナの友人だ。
明るく人懐っこいところもあるミランダと、似たところのあるマリーナは気が合うのか、よくお互いの持ち本を貸し合ってる。
とはいえ、旅行中の持ち物に教科書を忍ばせているとは……。
「ねえ、面白いよ! 特に科学! 私たちがマルセルくらいの時にはなかったもんね!」
「卒業する年に、新しく入ったんですものねぇ。それまでは、高等学校から学ぶものでしたのに」
科学は、学者などが学ぶ学問だ。
だから、普通は中等学校で学校教育を卒業する私たち一般庶民には関係がなく、仮に高等学校へ進学できる幸運があったとしても、決して取ることはない科目だろう。
それを、今や、初等学校から学ぶのだ。
いや、学べる、か。
この数年で、色々と世間は変わった。
良い方向に。
そんな内心のセンチメンタルさは表に出さず、私はマリーナの持ってる本たちを、それとなく見た。
と、そのうちの一冊のタイトルが目に留まった。
「最新料理レシピ?」
「おっ、流石はオルテちゃん! これ、料理専門学校でも使われてる本で、都会だと、私たちくらいの女の子はほとんどが持ってるんだって〜」
まあ、ウチは小さな村だし。
都会の流行本などが届くのが月単位で遅れるなんて、珍しいことではない。
それでも、手に入る、読むことができる。
お母さんや叔父さんたちのお母さんやお父さん。
つまりお婆ちゃんやお祖父ちゃんたちが子どもの時には貴重品だった本も、今では庶民でも気軽に手が届くようになった。
これも科学の影響らしいけれど、詳しくは知らない。
魔法でできないことも、科学ではできることもあるらしい。
それは置いておくとして。
仮にも駄菓子店の娘ではあるし、料理に興味がないわけでもない。
それに、最新の料理のレシピ。
都会の流行りを知っておくのも、大事なことだ。
でも、あの本は、マリーナがミランダから借りているもの。
勝手に読ませてもらうわけにはいかない。
そう思ってたら、マリーナがいそいそとカウンター内に入ってきて、予備の椅子を私の横に置いて座った。
「一緒に読む?」
「いいんですの?」
「うん!」
マリーナの優しさに感動しながら、感謝もした。
「ありがとう、マリーナ」
「ううん! じゃ、開くよ」
ああ、最新の料理レシピ。
一体、どんな素晴らしい料理が……。
そう思ってたら、ドゴンッと音が、外から聞こえてきたのと同時に、店が微かに揺れた。
今の音、それからこの揺れ……覚えがある。
「今のって……」
「マリーナは家に戻って!」
マリーナへ言いながら立ち上がり、店の奥へ振ろうとした途中、幽霊のように壁の向こうから顔を出してる彼を見つけて、声をかけた。
少し風変わりな全身鎧のような姿をしている彼は、壁をすり抜け、宙に少し浮いた状態で、私の隣へとやってきた。
どうやら、彼もこの揺れの正体に気づいているらしい。
「グレイ、行きますわよ!」
「気をつけてねー! 二人ともー!」
マリーナの声援を背に受けながら、私とグレイと共に店の外へと飛び出した。
その直後にも、地響きと揺れが起きた。
行き先は、音が聞こえた方角……山の方だ。
山へ向かう道中、村の人たちは皆、揺れに関して話し合ったり、山の方を見て不安そうにしてた。
でも、私とグレイの姿を見ると、安堵した顔になって、声をかけてくれたり、手を振ったりしてくれた。
その途中で、おばさまこと、マリーナのお母さんとマルセルとも会った。
「オルテちゃん、グレイ君。山の方へ行くのかい?」
「ええ、もちろんですわっ」
「気をつけて行くんだよ。アンタみたいな若い子に、こういうことしか言えないけれど……」
「ノブレス・オブリージュ、ですわ。おばさま」
力ある者はその力を、力なき者たちのために、正しく振るう義務がある。
私はおばさまたちからすれば、まだまだ子どもなのだろうけれども。
それでも、私は自分ができることを、しっかりと果たしたい。
でも、それを誰かに言い聞かせたりはしない。
私は、当たり前のように毅然とした態度で、おばさまたちに笑みを向けるだけだ。
その際に、私は、わたくしへと意識を切り替えた。
駄菓子屋の一人娘である、ロゼッタ・ショコラの部分が残っていた私から、わたくし、オルティーナ・ラグランジュへと。
「揺れの原因は、このオルティーナ・ラグランジュとグレイが、すぐに解決してご覧にいれますわ!」
「アンタって子は……いや、皆まで言わないよ。無事に帰ってくるんだよ。グレイ君も一緒にね」
「いってらっしゃーい!」
おばさまとマルセルに、わたくしとグレイは頷いてみせてから山へ向けて、再び走り出した。
音と揺れの原因は、十中八九、あの子。
でも、あの子は今、暴れたりなんかすることはないはず。
何か、あったに違いない。
早る気持ちを抑えながら、先を急いだ。
山の麓へ着くと、すでに先客がいた。
肩口まで伸びた綺麗な金髪を、水色のリボンでひとまとめにした、年若い青年。
その左腰には剣が下げられて、服装も私たちが着ているものよりも上質だ。
何を隠そう、彼はわたくしたちの村も含め、この近辺を治めている領主ライリー・バートンその人だ。
気さくなお人柄で、庶民のあたくしたちにも分け隔てなく優しく接してくれる。
容姿端麗なこともあって、領民たちから絶大な支持を得ているお方だ。
さらに、武芸にも秀でていらっしゃり、わたくしたちと共闘してくださったこともある。
ただ、護衛の一人もお連れせずに外出なさることが多いらしく、バートン様と友人である叔父様が肩を竦めることも少なくない。
そして今日もお一人でやってきたらしいバートン様が振り返ってきて、また前を向いた。
「やはり来たな、二人とも」
「はい。オルティーナ・ラグランジュ、グレイ。参上いたしましたわ」
隣に並びながら、彼の視線の先、山の方を見る。
そこには、案の定、知ってる巨大な影があった。
マウンテンドラゴン。
山龍とも呼ばれる、本当に山みたいに巨大なドラゴンの一種だ。
大型に分類される四足歩行のドラゴンで、人間の住む領域に現れることは稀だけれど、現れれば非常事態宣言が発令される。
なにせ、各国の軍が全力で立ち向かって、それでも撃退できるかどうかの相手だ。
そんな恐るべきドラゴンがこちらへ顔だけ振り向いて来た。
「メルクリオ!」
『あ、オルテ!』
お腹の底へ響くような声で私を呼んだメルクリオは、顔を前に戻しながら、前足で何かを殴った。
すると、その巨体の向こうで、大きな硬い者同士がぶつかる轟音が発生。
さらに、地面が大きく揺れた。
腕を組んだままその様子を見てるバートン様の隣で、バランスを取りながら揺れに耐えていると、ようやくそれが見えた。
三本の角を頭から生やした、巨大なドラゴンだ。
「トライデントドラゴン?!」
実物を見たのは初めてだけれど、本でその存在は知っていた。
マウンテンドラゴン同様、大型のドラゴンに分類され、人里近くに現れるのは稀。
けれども、とても好戦的で、近づく存在はドラゴンだろうと魔物だろうと人間だろうと、関係なく攻撃を加えてくる。
三本の角は強靭かつ鋭利で、ただでさえ近づいて戦うことも難しい大型ドラゴンの中でも、特に近づけないことで有名だ。
そんな凶暴なドラゴンが、どうして村の近くに、それもメルクリオの縄張りにいるのか。
非常事態宣言も、ドラゴン発見の知らせもなかったということは、あのトライデントドラゴンは、地中を移動してきたのかもしれない。
余計な詮索は後回しだ。
今はそれよりも、メルクリオを援護しないと、彼女も、村も危ない!
「グレイ! メルクリオを助けますわよ!」
「Gooo!」
独特の響きのある声でグレイが返事をした直後、私の意識が一瞬、真っ白に染まる。
そして、次に目を開いた瞬間には、巨人のようになったバートン様の横顔や、さらに巨大になったメルクリオが見える世界にいた。
わたくしは、その世界の中心に浮かぶ椅子に座っている。
同時に、普段よりも高い視線で直接見ている感覚もあった。
グレイと一体化して、彼の中に入った証拠だ。
それを確認した次の瞬間には、グレイと一体化視界が一気に高くなって、気がつけば、メルクリオたちを見下ろせるくらいまでになっていた。
グレイは本来、巨人の姿をしており、その大きさに戻ったのだ。
わたくしはその中で、特に巨大化することもなく、椅子に座ったまま、彼の視界と、体の感覚を共有した状態で座っている。
わたくしが右手を動かせば、視界の中、鋼鉄に覆われた右手で同じように、寸分も違わずに動く。
足は特に動かす必要はないけれど、走ろうと思えば、どこまでも速く走ることができるのだ。
だから、メルクリオを助けるためにジャンプして、トライデントドラゴンの隣に着地することも、その巨体を抱えて抑え込むことも可能だ。
『GAAAAA?!』
トライデントドラゴンが、突然現れて抑え込んだ私たちに驚きの声を上げながら暴れる。
けれども、剛腕にして怪力のグレイを振りほどけはしない。
「メルクリオのお家に勝手に踏み込むなんて、お仕置きが必要ですわね! メルクリオ!」
『おーりゃー!』
メルクリオが雄叫びを上げながらトライデントドラゴンに、強烈な前足のパンチを浴びせる。
すると、トライデントドラゴンが自分の前足のパンチでそれを撃ち落としながら、その角でメルクリオを威嚇した。
「このっ、おとなしくしなさいな!」
『ラグランジュ! グレイの鎧を、サーコート風に変えてみてはどうか?』
「それですわ!」
バートン様の助言を受けて、わたくしはトライデントドラゴンを抑え続けてくれているグレイに呼びかけた。
「グレイ! パワースタイルですの!」
『Gooo!』
椅子に座る、わたくしの視界に、『Sweater』という文字が浮かび上がると、それが『Coat』へと変わった。
その瞬間、グレイの鎧も変化した。
きっとバートン様から見たグレイの鎧は、意匠のない滑らかな灰色のものから、騎士様が纏うような、裾の長いコートのような外見へと変化しているはずだ。
マリーナから「クロージング・アーマー」と名付けられた力の一つで、グレイは鎧を変化させることで、色々な能力を発揮することができる。
今回のパワースタイルは、言葉の通り、力を上げるものだ。
普段から力持ちで、メルクリオを軽々と持ち上げて放り投げることができるグレイだけれど、このパワースタイルになれば、片手でメルクリオを掬い投げることができるようになる。
そんな今のグレイが抑え込めば、トライデントドラゴンも増した痛みにより動きが鈍り、徐々に大人しくなっていく。
メルクリオが前足を上げて殴ろうとしたけれど、その動きが途中で止まった。
トライデントドラゴンが顎を地面に付けて、力を抜いたのだ。
ちゃんと生きている。意識もあるようだけれど、その目は、先ほどまでの好戦的な色はなくて、諦めのようなものが浮かんでいるようだった。
『オレの勝ち!』
メルクリオは嬉しそうに言うと、大きく空に向かって吠えた。
私はグレイとの一体化を解かず、おとなしくなったトライデントドラゴンを開放して、バートン様の近くまで下がった。
『ご苦労だったな、二人とも』
「いいえ」
それよりも、これからどうなるのか。
ドラゴンの生態について、それほど多くのことはわかっていない。
縄張り争いについても、詳しく知られていない。
大抵はどちらかが力尽きて倒れる前に、負けを認めた方が引き下がる、というのが多くの本に書かれている内容だ。
果たして、敗北を認めたトライデントドラゴンは、引き下がるのかと思えば、その場に留まっている。
どうやら、先程からメルクリオとトライデントドラゴンは、ドラゴンの言葉で会話しているらしい。
グレイが椅子に座るわたくしの視界に、メルクリオとトライデントドラゴンが唸り声を漏らすたびに揺れる、波打つ細い紐のような図を二つだして、それを教えてくれた。
空絵という、グレイのコミュニケーション能力の一つだ。
わたくしたちと同じ言葉を発するのが難しいらしいグレイが、普段は目から出した光で、一体化している時は直接、こうして絵図を宙に浮かべて、自分の考えを伝えてくれる。
やがて、メルクリオたちの会話が終わったらしく、メルクリオがわたくしたちへ振り返ってきた。
『こいつ、自分の家、ないんだって』
「どういうことですの?」
『何か、起きたら、家だった山が消えてて、慌ててるところに他のドラゴンが来て、追い払われたんだって』
『縄張り争いに負けたのか。しかし、山崩れか……恐らく、夏にあった大嵐で起きた大雨によって発生したのだろう』
『うん。みたいだ』
ということは、数ヶ月の間、このトライデントドラゴンは家を求めて彷徨っていたのか。
それで、今日たまたま、住みやすそうな山を見つけて、それがメルクリオのお家になった場所だったため、争いが起きた、ということか。
「お気持ちは察しますけれど、だからと言って、人様のお家に勝手に上がるだけではなく、奪い取ろうとするのは言語道断ですわ」
『ラグランジュ、それは僕たち人間の価値観だ。メルクリオたちからすれば、ならばこそ奪い取られないように守り、さもなければ奪われても仕方のない、そんな価値観なのだろう』
『ライリーの言う通りだよ。でも、最近はオレも、オルテたちの価値観に、染まりつつあるかも』
そう言ったメルクリオの山のような巨体が一瞬だけ輝いた直後、私たちとそう変わらない年頃の、人間の女の子の姿に変わった。
ドラゴンの秘伝、人化の術を使って、彼女が変身した姿だ。
緑がかった黒髪の目麗しい乙女で、マリーナが自作した上下の服を着た彼女は、妖精のように愛くるしい。
わたくしたちの店へ来る時にはいつもこの姿で、村の人たちからは、妖精さんと呼ばれている。
中身はドラゴンなのだけれど。
『さて、と』
人間姿になったメルクリオは、目を丸くするトライデントドラゴンを見上げた。
『お前も、人間に変身しろ』
「何を言っているんですの?」
『そうか。そうすれば、山でなくても生活できる、ということか』
『Gooo!』
『やり方はさっき教えた。後は、この子次第』
メルクリオはトライデントドラゴンに背を向けて、すぐにちらっと振り返った。
『たまになら、ここに来て、元の姿に戻ってもいい。それくらいなら許してやる。もし、奪えると思ったなら、また挑戦しにこい。相手になってやる』
挑発的で、でもきっと、ドラゴンの文化の中では優しい言葉だったのかもしれない。
そう感じられたのは、メルクリオと接してきたからなのだろうか。
『さあ、どうする?』
再度の問いかけに、トライデントドラゴンが、小さな唸り声を漏らした。
その次の瞬間、その巨体が輝いて縮んだ。
そして現れたのは、生まれたままの姿をした、青みがかったショートヘアの、可愛らしくも幼い女の子だった。
『……あたち、お家、ほしい』
舌っ足らずな言葉遣いで、目を潤ませるトライデントドラゴンに、メルクリオが鼻を鳴らした。
『なら、掴んでみせろ。って言いたいところだけれど』
それから、彼女はグレイ=わたくしを見上げてきた。
『人間の価値観なら、違うんでしょ?』
その日のおやつ時。
ショコラ駄菓子店には、四人のお客様の姿があった。
一人はマリーナ。
あのまま家に帰らず、残ってたのだ。
それから、人間姿のメルクリオに、バートン様。
バートン様も、稀に村へ立ち寄ることがあるし、ショコラ駄菓子店へ足をお運びになって、さらにお買い物をしてくださることもあるから、驚くようなことはない。
そして、もう一人。
こちらは、新規のお客様だ。
青みがかったショートヘアの、見た目麗しい、初等学校に入ったばかりくらいに見える女の子。
私が小さい時の服を緊急で着ている、人間姿のトライデントドラゴンだ。
彼女は、バートン様に手を繋がれた状態で、キョロキョロと興味深げに店内を見回している。
「ねえライリー、ここ、すごく良ーにおいがする」
「ここはお菓子屋さんだからね」
「おかし?」
首を傾げるトライデントドラゴンに、バートン様は微笑みを向けた。
「ああ。きっと、アルペジオも気にいると思うよ」
あの後、グレイと分離して、わたくしから私へと思考を戻した私の目の前で、人間姿になったトライデントドラゴンに、バートン様はすかさずお召しになっていたマントを脱いで着せていた。
そうしたら、メルクリオがバートン様に、
「お前がそいつの面倒を見ろ」
と言い放った。
人間なら不敬極まりない言動だけれど、ドラゴンの彼女には関係ない。
実際に、バートン様はメルクリオの言葉遣いを気にせず、それよりも中身の方を気にしていらした。
「僕が、この子の面倒を見るのか?」
「ああ」
「しかし、人間の僕が面倒を見るというのは、君たちからすれば気に入らないのではないのか?」
「そいつは、お前のこと、気に入ってるみたいだけれど?」
確かに、バートン様にマントを着せられたトライデントドラゴンは暴れもせず、じーっとバートン様のことを見上げていた。
それから、鼻をくんくんと鳴らして、小首を傾げていた。
「……バートン?」
「ああ、僕の家の名前だよ。僕は、ライリー・バートンだ」
「……ライリー?」
「そう。ライリーだ。君の名前は?」
「アルペジオ」
「アルペジオ。いい響きの名前だね」
バートン様が褒めると、アルペジオの目が、キラリと輝いた。
「ライリー」
「何だい?」
「あたち、ライリーのお家、住みたい」
「ん?」
「ほらな、気に入っているだろう?」
メルクリオは笑った後、バートン様に手を振った。
「確か、人間には、同族の子どもを助けて育てるって文化があるって聞いたことがあるぞ。オレたちにもないことはないが、滅多にない」
「間違ってはいないけれど、僕の場合、それは難しいかな」
また難しい顔をするバートン様の言葉に、私もグレイも、何も言えない。
バートン様は貴族だ。
しかも、理由あって、若くして伯爵という大きな位を得て、領主を引き継いだ、まさに超人というべきお方。
領主になる前は、都市の大学院で、薬学の研究をなさっていたらしい。
きっと、領主になるのがもう少し遅かったら、もしくはご兄弟がいらしたら、そちらの方面で名を挙げたかもしれない。
そんなバートン様だけれど、私たち領民に対する愛情は本物で、分け隔てない。
そして、別け隔てなく接してくれるということは、誰かを特別扱いしないということでもある。
だから、アルペジオを引き取って育てる、とは簡単に言えない。
きっと、アルペジオはこのままだと孤児院に入れられるだろう。
さもなくば、ウチで……いや、グレイは何も食べないから、一人増えてもまだ問題ない……か。
そんなことを考えていると、アルペジオが、バートン様の顔に、小さな両手で触れた。
「ライリー、あたち、嫌い?」
「嫌いではないよ。でも、まだ好きかどうかもわからない。君とは会ったばかりだからね」
「あたちは、ライリー、好き」
「光栄だね。よければ、理由を聞いても?」
「ライリー、あたちたちから、逃げなかった。メルクリオに負けたあたちを、助けてくれた」
そう言って、アルペジオは自分にかけられたマントに触れた。
「僕は、当たり前のことをしただけだよ」
「ううん。当たり前じゃない。あたちも、少しだけ、人間たちのこと、見てきた。バートンの当たり前は、人間たちの間だと、当たり前じゃない」
幼い容姿だけど、ドラゴンの価値観と、実際に見てきた人間の世界の様子から来るアルペジオの説得力の強さに、バートン様は口を閉じて、難しそうに小さく唸った。
「だから、あたち、ライリーのこと、好き。ライリーが何を考えて助けてくれたのかわからないけれど、好き」
まっすぐに言われたバートン様のお顔が、ほんの僅かだけれど、驚きに染まった。
アルペジオを見ている目を見開いて、呆然とした様子で、口を開いた。
「……君は、純粋なんだね」
「うん?」
小首を傾げるアルペジオ。
バートン様は少しの間、目を閉じた後、息を吐いて、メルクリオの方を見た。
「トライデントドラゴンは、どれくらい生きるんだ?」
「千年ってところだ。オレたちは千五百年。寿命の差は、そいつらの好戦的な縄張り意識のせいだな」
「そうか。ならば、戦いがなければ、残り五百年も生きられるのか」
「恐らくな」
「ありがとう」
メルクリオにお礼の言葉を送った後、バートン様は、アルペジオの方へ顔を戻した。
「アルペジオ、失礼だけれど、君は今、一体何年生きているんだい?」
「わかんない」
「横から口を挟んで悪いが、多分、百年も経ってないぞ。人間換算で、五歳から七歳の間ってところか」
メルクリオの補足を聞いて、バートン様が頷いた。
「しかし、本来の体の大きさは、君と変わらないように見えたが……あれで幼龍なのか」
「言っただろう、縄張り意識が強いって。つまり、それだけ戦う。戦いは、体がデカい奴の方が有利だ。人間も、動物も、ドラゴンもそれは変わらない」
「つまり、外見だけは素早く成長するように、進化してきたというわけか」
納得した様子のバートン様だけど、私はあんまり意味がわかっていなかった。
何となく、アルペジオのドラゴンとしての姿は大人だけれど、実年齢が一致していないということだけはわかった。
そして、変身した姿は、実年齢を人間換算で反映したものなのだろう。
「んで、どうするんだ?」
「ライリー……」
ドラゴン二人に、それぞれ意味の違う視線を向けられたバートン様は、両手を小さく挙げて苦笑を漏らした。
そんなことがあって、バートン様はアルペジオと一緒にいる。
詳しい話は屋敷に戻ってからになるって仰ってたけど、十中八九、養女になさるだろう。
バートン様が数々の縁談を断っておいでなのは有名だ。
なので、後継者として、養子を取るだろうと、前から言われていた。
そこに、アルペジオが現れた。
巨大なドラゴンで、千年も生きる彼女を育ててみて、後継者にしようとお考えなのかもしれない。
バートン様は、グレイのことも認めてくださったお方だ。
アルペジオが乗り気で、領主に相応しい力を身につけるのであれば、きっと後継者にお選びになるだろう。
でも今は、そんなことは関係なしに、新しくできたばかりの家族に、バートン様は手探りで接している。
私も、駄菓子店の娘として、そのお手伝いをしよう。
「アルペジオは、何か食べられないものってありますの?」
「ない。でも、お肉は苦手」
「あれ? ドラゴンって、肉食じゃないの?」
マリーナだけじゃなくて、私もグレイもバートン様もそれぞれ驚きを顕わにした。
ドラゴンは皆、お肉大好きなんだと勝手に思い込んでいた。
事あるごとに焼いた肉を美味しそうに頬張ってた、最も身近なドラゴンに目を向ける。
「そこは種族と個龍差によるかもね。オレたちは肉も食べるし、オレも肉好きだし。トライデントドラゴンは肉も食べるが、基本は木々の葉とか、果実が主食だな」
なるほど。それは、本にも載っていなかった新事実だ。
ドラゴンの知られざる生態を知ってはしゃぐマリーナや、論文がどうたらとぶつぶつ言い始めたバートン様を尻目に、アルペジオに食べてもらえそうなお菓子を考える。
ドライフルーツや、それを使ったクッキーがいいか。
それとも、台所にある果物をカットして出すか。
もう少し、ヒアリングしてみよう。
「アルペジオは、人間が作った食べ物を食べたことがありますの?」
「ない。でも、見ていて、美味しそうだなって思ったものは、いっぱいある」
「例えば、どんな物ですの?」
「焼けた小麦のパン! 焼いた卵! 焼いたお肉!」
アルペジオが、目と口端から見えかけてる涎を輝かせる。
バートン様がさっそくハンカチを出して、口元を拭ってさしあげていた。
「肉は苦手じゃなかったのかい?」
「生のお肉は苦手。でも、焼いたお肉のあの匂い、好き! きっと食べたら、もっと美味しい!」
「今まで、自分で焼かなかったの?」
「あたち、魔法使えない。火が起こせないから、焼けなかった」
「それは、仕方がありませんわね……」
お肉は苦手でも、食べられないわけでもなく、加工したものには興味がある、と。
「グレイ、アルペジオに、食べられない物の反応はありまして?」
「Gooo」
グレイが首を横に振った。
彼は、触れた相手が食べられない物、もしくは食べるのを控えた方がいい物を判別できる力もある。
アルペジオは、メルクリオ同様に、何を食べても問題ないらしい。
じゃあ、初めての人間世界の料理を食べてもらうなら、折角だし、アレを作ろう。
というわけで、早速、グレイと一緒に台所へ。
ショコラ駄菓子店では、その場でお菓子を作って出すサービスもしている。
普段は、叔父さんがいる時にしかしていないけれど、私しかいない時にやっちゃいけないって決まりはない。
それに、今はグレイもいる。
「グレイ、クリームの方はお任せいたしますわ」
「Gooo」
さて、それじゃあ、気合を入れて作りますか!
「いい匂いがしゅる……」
「ああ。とてもいい香りだね」
完成間近、店の方から、アルペジオとバートン様の会話が聞こえてきた。
それだけではなくて。
「人間は食べる前に、余裕があれば儀式を行う」
「儀式?」
早速、メルクリオが先輩ドラゴンとして、アルペジオに指導をしていた。
余裕があれば……という言葉選びに、人間の美醜やら何やらをちょっと考えさせられたけれど、胸の内にしまっておく。
それはさておき、和やかな雰囲気だ。
とても、さっきまで、地面を揺らして地響きを立てるような喧嘩があったなんて、想像できないくらい。
そんなことを考えながら、ふと、何の気もなしに、グレイの方を見た。
彼は、ボウルをしっかり持って、丁寧に、それでいて文字通り、目に見えない速度で中身をかき混ぜている。
でも、その顔が、少しだけ店の方へ向けられていた。
「そうだね。いただきます、というのさ」
「いただきます?」
「ああ。食べ物や、作ってくれた人たちへの感謝を表すんだ」
「人間世界で生きるなら、覚えておいた方がいいぜ」
「うん!」
バートン様とメルクリオ、アルペジオの会話を聞いている彼の視線が、遠い何処かを見ているように感じられた。
「お待たせいたしましたわ」
出来上がったお菓子をトレーに乗せてお店に戻ると、皆、椅子に座って待っていた。
マリーナが出してくれたんだろう。
アルペジオは、バートン様の膝の上に乗っていた。
まずは、そわそわしているアルペジオと、彼女が落ちないように見ているバートン様に、お菓子をお出しした。
「落とさないように持つんですのよ」
「うん! ねぇ、オルテ! それなぁに?」
「ふふふ、クレープですわ!」
「クレープ?」
小麦粉を水で溶いたものを薄く焼いて、お好みの具材を巻く、定番のお菓子。
そして、私の得意料理の一つだ。
今回のトッピングは、生クリーム、チョコレートソース、それからバナナの、シンプルかつオーソドックスな物だけれど、最後まで中身はしっかり入れてある。
「さあ、召し上がれ」
「うん! いただきます……!」
アルペジオは挨拶をしてから、恐る恐る、クレープに口を付けた。
その瞬間、彼女は目を大きく見開いた。
かと思えば、パクパクもぐもぐと食べていった。
感想は、聞くまでもなさそうだ。
バートン様たちも、アルペジオの様子を暖かく見守りながら、それぞれクレープを口に運ぶ。
「ライリー! 人間の食べ物、美味しい!」
「気に入ったようで、何よりだよ。ありがとう、ラグランジュ、グレイ」
満面の笑みのアルペジオと、穏やかな微笑みを浮かべるバートン様に、私はカーテシーで応えた。
隣では、グレイがいつも通り、静かに頷いていた。
でも、その雰囲気は、普段よりも優しいのに、どこか淋しげだった。
彼の宝石のような目は、アルペジオとバートン様に向けられている。
ああ、そういうことか。
グレイの雰囲気の理由を察した。
「今度、ゴルディアス様とフローラ様がいらしたら、また作りましょう」
「Gooo」
こっそりと耳打ちしたら、グレイは少しだけ元気よく返事をしてくれたのだった。
アルペジオは、すぐにバートン様の養子になった。
私たちを除いた世間一般や貴族界隈には、アルペジオの正体は隠していて、バートン家の遠縁の娘として伝わっている。
それなのに、ミランダとフレンには、アルペジオの正体が知られていた。
マリーナも、家族を含めて誰にも話していないのに。
一体、どんな情報網を持っているんだろうか。
来店時にそれとなくミランダに尋ねてみたところ、
「ウェイ様曰く、壁に耳あり、ショージにメアリー、だそうです」
と返ってきた。
壁に耳ありというのは、なるほど、と納得させられたけれど、ショージにメアリーとは何だろう……。
ショージという何かにメアリーさんが関係すると、情報が広まるのだろうか。
異国の諺らしいけれど、さっぱり意味がわからなかった。
でも、それ以上は、アルペジオの情報は広まっていないらしい。
本当だろうか……。
まあ、バートン様なら、大丈夫だろう。多分。
私は、私のやりたいこと、やらなくてはいけないことをやろう。
そんなわけで、ミランダから借りることができた「最新料理レシピ」を読んで、作れそうな物、お店に出せそうな物を試しにつくっている。
「まあ、これならすぐにでも作れますわ! グレイ、手伝ってもらえます?」
「Gooo!」
ハロウィンまでに、レパートリーを増やしておこう。
それが、今の私にできることだと思うから。
次にアルペジオとバートン様が来たのは、ハロウィン当日だった。
その前後も含めて、ちょっとした騒動があったけれど、無事に解決できた。
それから、アルペジオとバートン様のことについても、上を下への大騒動があった。
その時々のことは、また別の機会に。
「ドラゴンの娘さんですか。なるほど。ええ、俺も何人か知り合いがいますよ。あはは、ええ。妹みたいな子です。しかし、以前お話いただいたものよりも、過去の内容ですね。……それは楽しみだ。ええ。では、香織ちゃんによろしくお伝えください。
…………アルペジオ嬢の話を二人に教えたのは十中八九……いや、憶測で物事を考えるのはやめておくか。
壁に耳あり、障子に目あり、だもんな」
ガラウェイガ「壁に耳あり障子に目あり。そして次元の彼方にウェイちゃんあり!」
葵「どうしたん、急に」
文睦「(まーた盗み聞きしてたな……」
時子「(晴っちのとこかー……」
お読みいただきありがとうございます。
クレープの日用に考えていたお話です。間に合いませんでしたが投稿!




