第1話「便利屋リーネの日常」
「なんで……なんで私ばっかり!?」
リーネ・アルトハイムは必死に走っていた。背後から迫る魔物の群れ――灰色の毛並みをした狼型の魔物、グレイウルフが五匹。
本来なら人里離れた森にしか出没しないはずの魔物が、何故か街道でリーネを執拗に追いかけている。
息が切れる。足が重い。魔法は使えない所詮魔術師なリーネに戦闘能力はない。
「くそぉ、このままじゃ……!」
振り返ると、魔物たちはリーネだけを狙って一直線に迫ってくる。まるで何かに引き寄せられているかのように。
これで何度目だろう。この世界に転生してから五年、リーネは異常なまでに魔物に遭遇し、襲われてきた。
最初は偶然だと思っていた。でも、あまりにも頻度が高すぎる。
「もう、限界……」
足がもつれて転倒しかけると背後の気配が一気に近づいた。
あぁ私死ぬんだな、次は転生とかさせないで欲しいな――そう思ってリーネが目を閉じた、その瞬間。
「にゃー!」
甲高い猫の鳴き声が響き、魔物たちが一斉に悲鳴を上げて散り散りに逃げ出していく。
まるで何か恐ろしいものに遭遇したかのように、尻尾を巻いて森の奥へと消えていったのだ。
「え……?」
リーネは呆然と立ち尽くした。何が起こったのか理解できない。
周囲を見回すと、道端の茂みから小さな三毛猫が顔を出す。
「にゃー」
その猫――はなまるは、何事もなかったように鳴いた。
「はなまる……あなた、ここにいたの?」
はなまるはリーネの足元に擦り寄ってきて甘えた声で鳴いた。
まるで「心配したんだよ」とでも言いたげに。
リーネははなまるを抱き上げた。柔らかい毛並み、猫特有の匂い。
はなまるはリーネがこの世界に来て最初に仲良くなった友達だ。まぁ、猫なのだが。
「……まさかね」
一瞬はなまるがやったのかと思ったが、そんなわけはない。
見るからに非力な猫があの魔物たちを追い払ったのだとしたらきっと明日は太陽が夜を照らしている。それくらいありえないことだ。
はなまるは目を細めてリーネの顔を見上げる。
相変わらず愛くるしいその姿に、リーネは「かわい~」と頬ずりをした。
それから一時間後、リーネは自分の『便利屋アルトハイム』に戻っていた。
店はブロンハイム王国の王都エルデンシュタットの下町にある。
三階建ての古い建物の一階部分を改装した小さな店で、看板には「困りごと、なんでも承ります」と書かれている。
「ただいまー……」
店内に入ると、はなまるはリーネの腕から飛び降りて奥の居住スペースへと駆けていった。
「はぁ……疲れた」
リーネは椅子に座り込んだ。
今日の依頼は郊外の農家での魔術具の修理だった。冷蔵庫のような機能を持つ『冷却保存箱』が故障したので直してほしいという依頼。リーネは前世――現代日本での知識を活かして魔術回路を再構築し、無事に修理を完了させた。
リーネも最初戸惑ったが、この世界に科学は存在しない。
その代わり、人の体や大気に存在する魔力を利用した魔術というものが一般的に広まっている。
(まぁ、といっても結局知識頼りなんだよね。そのおかげで前世での知識を活かしてそこそこいい商売ができてるし儲けもんだよ。魔法とか使ってみたかったけど、それは才能なさそうだしなー。)
魔法は才能だ。全人類の中でも一パーセントの人間しか使えない、理を超越したもの。
その点リーネは魔法の才能はからっきしだったので、魔法を使うことは早々に諦めて前世の知識を活かした魔術師として生きている。
「さてと、報酬の確認確認!」
報酬は銀貨三枚。この世界の貨幣は、銅貨・銀貨・金貨の三種類。銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚に相当する。銀貨三枚あれば一週間は暮らせる。
「まぁまぁの収入……でも、はなまるの食費を考えると……」
居住スペースからガツガツと何かを食べる音が聞こえてくる。
「って、もう食べてる!?さっき出かける前にご飯あげたばっかりなのに!」
リーネが奥に駆け込むと、はなまるは器に盛られた魚を夢中で食べていた。その食べっぷりはまるで一週間何も食べていなかったかのようだ。
「はなまる……あなた、本当に猫?食べすぎじゃない?」
「にゃー」
はなまるは一瞬だけリーネを見上げたが、すぐに食事に戻った。
リーネはため息をついた。はなまるを拾ってから三ヶ月。最初は普通の食事量だったのに最近は驚くほど食べるようになった。そして、確実に太ってきている。
「獣医さんに診てもらった方がいいかな……」
リーネがはなまるの頭を撫でると、はなまるは満足そうに喉を鳴らした。
その日の夕方、店に一人の客が訪れた。
「こんにちは」
爽やかな声と共に入ってきたのは、二十代前半と思われる青年だった。
銀色がかった金髪、整った顔立ち、洗練された服装。一目で上流階級の人間だとわかる。
「あ、アシュレイさん。いらっしゃい」
リーネは笑顔で迎えた。アシュレイ・フォン・ヴァイスハイトは、便利屋アルトハイムの常連客だ。
二ヶ月ほど前から週に一、二回は店に顔を出してくれている。
「まだやっていますか?」
「えぇ、どうぞ!ちょうどさっき郊外から帰ってきたところです」
「そうですか。お疲れ様です」
アシュレイは優雅な動作で椅子に座った。その立ち振る舞いは完璧で、まるで絵画から抜け出してきたような美しささえある。
(さながら王子様だよな〜……。街の人たちがお貴族様って噂するのも分かる。)
「今日は依頼ですか?それとも……」
「すみません、今日は特に依頼があるわけではないんです。ただ少し時間があったので寄らせていただきました。……ご迷惑でしたか?」
「いえそんな!いつでも寄ってください」
「嬉しいです。ありがとうございます」
アシュレイはやはり綺麗な顔で微笑む。
実のところ、リーネはアシュレイのことをあまりよく知らない。最初に店に来たのは簡単な魔術具の修理依頼だった。
それ以来、なぜか頻繁に訪れるようになった。依頼を持ってくることもあれば、今日のようにただ話をしに来ることもある。
「アシュレイさんって、お仕事は何を?」
リーネが聞くと、アシュレイは少し考えるような仕草をした。
「そうですね……色々と、家の手伝いなどを」
曖昧な返答。いつものことだ。アシュレイは自分のことをあまり話したがらない。
「でも、街の人たちは『お貴族様』って呼んでますよ」
「ああ、それは……まぁ、家柄がそれなりなものですから」
アシュレイは少し照れたように笑った。その笑顔は完璧で、隙がない。
会話は弾んだ。
アシュレイは聞き上手で、リーネの話を興味深そうに聞いてくれる。今日あった魔物の襲撃のことも話した――ただし、はなまるが何かをしたかもしれない、というありえない憶測は省いて。
「災難でしたね。怪我はありませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。なぜか急に逃げていったので……」
「それは幸運ですね」
アシュレイの表情は本当に安堵しているように見えた。でも、その目の奥に一瞬、何か別の感情が見えた気がする。
リーネが首を傾げるとアシュレイはすぐにいつもの笑顔に戻った。
「そろそろお暇します。今日はただ寄っただけなので。また近いうちにお邪魔しますね」
「はい、いつでもどうぞ」
アシュレイが店を出た後リーネは首を傾げた。
「いい人なんだけど……何か、謎が多いんだよな」
はなまるが足元に擦り寄ってきた。
リーネはしゃがんではなまるを抱き上げる。
「はなまる。あなたはアシュレイさんのことどう思う?」
「ふにゃぁ……」
はなまるは興味がなさそうにあくびをしていた。
夜、リーネはベッドに横になりながらこの五年間のことを考えていた。
リーネ・アルトハイムは、異世界転生者だ。前世では平凡な大学生だった。専攻は工学部。機械や電気のことを学んでいた。
ある日、気がついたらこの世界にいた。赤ん坊として。
最初は混乱したが次第に状況を理解した。ここは魔法が存在する異世界。そして、自分は前世の記憶を持ったまま転生したのだと。
両親は優しかったが、リーネが十五歳の時に疫病で亡くなった。天涯孤独となったリーネは前世の知識を活かして魔術師として生計を立てることにした。
この世界では、魔法を使える人間は全人口の約一パーセント。彼らは『魔法使い』と呼ばれ、貴族階級に属することが多い。一方、魔法は使えないが魔術的な技術――魔術具の製作や修理、魔術回路の設計などができる人間は『魔術師』と呼ばれる。
リーネは魔法使いではない。魔力はあるが、魔法を発動させることはできない。でも、前世の科学知識を応用すればこの世界の魔術具を理解し、改良することができた。
だから便利屋を開いた。需要はあった。
下町の人々にとって貴族の魔法使いに頼むのは敷居が高い。でも魔術師の便利屋なら気軽に相談できる。
この五年間、何とか生きてきた。帰る方法を探すことはとっくに諦めた。どうせ前世では天涯孤独だったし、この世界で新しい人生を築く方が建設的だと思ったからだ。
「もーっと事業を拡大して、誰もが魔術を使えるようになればいいのにな〜。そのためには人脈を広げないとか……」
リーネは呟く。
この世界は前世に比べて貧富の差も能力の差も激しい。神に与えられた、生まれ持ったものだけで勝負しなければいけない場面が多すぎる。でも、魔術なら――少しは誰もが生きやすい世界に近づけてられるかもしれない。
それはリーネの密かな野望だ。
それに人脈ができてもっと繁盛すれば、アシュレイのような常連客も増えて収入も安定する。
とはいえ、リーネが魔物に襲われる頻度は異常だ。
人脈よりも先にそちらを解決するべきかもしれない。
「何で私ばっかり狙われるんだろう……?魔物とかって人を食べるけど人に無関心って言うのに。……もしかして私が異世界転生者だから……?」
魔物は人の肉を狙っているのではなく、その体に流れる魔力を狙っていると聞く。詳しくはないがきっとそれが魔物や魔族の食事なのだろう。
となれば、リーネの体に流れる魔力はどこか他とは違うのか――。そこまで考えて、面倒になったリーネは布団を口元まで引き上げた。
「寝よう寝よう。厄介なことは考えないに限る!」
その声に反応したのかはなまるがベッドに飛び乗ってきて、リーネの隣に丸くなる。
「……はなまる。あなたも中々謎な子だね」
はなまるは目を開けてじっとリーネを見つめた。
その瞳はまるですべてを知っているかのように深く、神秘的だ。
「まぁ、いいや。はなまるは私の癒しで最高の友達だからねっ」
リーネがはなまるを抱き寄せれば、はなまるは抵抗せずにリーネの腕の中で喉を鳴らした。
「ふわ〜〜……ねむい。明日も早いしもう寝なきゃ……」
目を閉じたリーネの耳に、昼間に比べて控えめな街の喧騒が聞こえる。
ブロンハイム王国の王都エルデンシュタット。人口約五十万人を誇るこの大都市は、決して眠らない。
貴族たちは豪華な邸宅で夜会を開き、下町の酒場では労働者たちが一日の疲れを癒す。そして、最下層の賤民街では、明日を生きるために必死な人々が身を寄せ合っている。
賤民街。それは、リーネが転生して最も驚いたことの一つだった。
この国には等級制度がある。一等級から五等級まで。
一等級は王族。二等級は特選魔法使いと呼ばれる、魔法使いの中でも特に優秀な者たち。三等級は一般の魔法使いと貴族。四等級は一般国民。そして五等級は賤民――外国人、孤児、戦争で障害を負い働けなくなった者たちだ。
リーネは四等級。一般国民としてそこそこの生活ができている。でも、五等級の人々の現状は悲惨だ。
「…………みんな、びょうどうになればいいのにね……」
それは寝言だったのか、次の瞬間には穏やかな寝息が聞こえていた。
はなまるは、リーネが完全に寝入ったのを確認すると静かにベッドから降りる。
窓辺に移動し月を見上げるはなまるの瞳が一瞬金色に煌めいた。
翌朝、リーネは店の掃除をしながら今日の予定を確認していた。
「午前中は特に予定なし。午後は下町のミラさんの家で洗濯魔術具の点検……」
その時、店のドアが開いた。
「おはようございます!」
元気な声と共に入ってきたのは十歳くらいの少年だった。
茶色の髪、日焼けした肌。下町の子供だ。
「あ、トーマスくん。おはよう」
トーマス・ブラウンは、時々簡単な配達の手伝いなどをしてくれる近所の少年だ。
「リーネさん、これ!」
トーマスは紙を差し出した。
リーネが受け取ったそれは、街の掲示板に貼られていた告知だった。
「『大規模魔獣討伐作戦への協力要請。魔法使い及び魔術師は参加すること』……え、強制参加?」
リーネは顔をしかめた。魔獣討伐は危険だ。しかも、魔術師は戦闘向きではない。
「街の外で魔獣が増えてるんだって。だから人手が足りないらしいよ」
「そっか……」
リーネは告知を読み返した。集合場所は王都の北門。日時は明日の朝。
「行かなきゃダメかな……」
「リーネさん、頑張って!」
トーマスは無邪気に応援してくれるがリーネは苦笑いを隠せない。
「ありがとう、トーマスくん」
トーマスが帰った後リーネはため息をつく。
「魔獣討伐か……嫌な予感しかしない」
はなまるが足元に擦り寄ってきた。
「はなまる、あなたも一緒に来る?」
「にゃー」
はなまるは首を傾げる。
「冗談だよ。危険だからお留守番してて」
でも、はなまるがならもしかしたら自分より戦力になるんじゃ――なんてバカな考えはさっさと忘れよう。




