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水は命を巡らせる

作者: 青篝
掲載日:2026/01/19

湖畔に並んだ二つの背丈は子どものものだ。

じんわりと照らされる太陽の下、

柔らかく繋いだ手は少しだけ冷たく感じる。

綺麗な白いドレスを着た女の子と

薄汚れた帽子を被る男の子。

森から吹いてくる風が

彼女の髪を優しく撫でると、

隣りにいる彼の鼻に甘い香りが漂ってくる。

そのせいで心臓がざわついて

何を言おうとしたのか忘れかけた彼だが、

目の前に広がっている湖が

それを思い出させてくれた。


「この湖はね、願いを叶えてくれるんだよ。」


彼は突然、そんなスピリチュアルなことを

まるで自分が経験したかのように言った。


「どんなお願いでも叶えてくれるの?」


彼女は彼の言葉を疑わない。

彼女の中で彼という人間は

自分の親よりも信頼できる存在だった。

その理由はとても簡単で、

彼がいつも彼女の手を引いてくれるから。

人間でも神でもないただの湖が

願いを叶えてくれるだなんて

突拍子もないことを言われたとしても、

彼を疑うという選択肢を彼女は持たない。

握ったままの彼の手を離さないのがその証だ。

彼女は彼の方へ顔を向けるが、

その横顔が今どんな気持ちを抱いているのか

彼女には分からなかった。


「そうだよ。どんな願いだって叶えてくれる。

でも、願いを叶えてもらうには

それに見合った代償が必要なんだ。」


「代償?」


代償と聞くとまるで悪魔との契約のようだが、

彼の語る話には悪魔も天使も関係ない。

それは今から遠い過去のおとぎ話で、

にわかには信じがたい奇跡の物語だ。



───水は全てを包み、巡らせる。

どこで聞いた話だったのかは覚えていないが、

ある男は水に願えばどんな願いでも叶うという

子どもの頃に聞いた話を覚えていた。

その男には将来を誓い合った女がいたのだが、

不運にもその女は馬車の事故に巻き込まれて

瀕死の重傷を負ってしまう。

このままでは明日はないと

医者からは覚悟するように言われ、

すでに周囲の人間には同情の目を向けられた。

しかし、男は諦めなかった。諦められなかった。

眉唾物もいいところで、

信じる価値などないと思っていたあの言葉が

男の脳裏に浮かんできたのだ。

水に願えば、助かるかもしれないと。

ただ、水と一言に言っても

具体的に何をどうすればいいのか分からない。

桶や樽に水を溜めればそれでいいのか、

それとも水に飛び込むべきなのか。

男は思いつく限りの方法で

女を助けるようにと水に願ったが、

心が虚しくなっていくだけだった。

そして、もういよいよ試す方法がなく

途方に暮れていた男の頭上に、

空からそれが降ってきた。

ポツリ、ポツリと。小さな粒だった。

最初はそれが自分の涙だと思った。

しかし、粒が次第に大きくなって

男の全身を濡らすようになると、

嘆くように男は天に向かって叫んだ。


「俺の命ならくれてやる…!

だから、妻の命を救ってくれ……!

お願いだ…どうか、どうか妻を……!」


やがて朝日が男の体を照らし、

男が力のない足取りで病院へ行くと、

男は崩れ落ちるように膝をついた。

意識を失い、包帯を全身に巻かれていた女が

ベッドで上体を起こしていただけでなく、

男の顔を見て笑みを浮かべたのだから。

確かに男は願った。

女を助けてくれるように。

しかし、まさか本当に叶うなんて。

色々な方法を試しすぎたせいで

どれが効いたのか分からなかったが、

男にとってそんなことはどうでも良かった。

とにかく女は助かり、男は女を愛し続けた。



───彼が話を終える頃には

彼女の手には力が入っていた。

感動的な話に弱い彼女にとって、

彼の話には心から惹かれてしまった。

しかし、彼女は同時に思う。


「どうして、この湖なの?」


少なくとも彼の語った内容に

湖という言葉は出てこなかった。

海はおろか川も出てきていない。

それなのになぜ、この湖には願いを

叶える力があると断言できるのか。


「それはね───」


彼に引っ張られて立ち上がる。

そこから何歩か歩いた後で

彼女の顔に巻かれた包帯が落ちる。

そして、彼女は産まれて初めて目を開けた。


「君の目が見えるようにして欲しいって、

僕がここで願ったからだよ。」


目を開けた瞬間、視界が光に染まる。

産まれたばかりの目ではまだ何も見えない。

ぼんやりとした真っ白な世界の中で、

探るように必死に目を動かした。


「綺麗……。」


目の前に広がる美しい湖。

やっとそれを目で認識することができた。

湖は穏やかな風を浴びて水面を揺らし、

空から降り注ぐ太陽の光を反射して

キラキラと輝いていた。

しかし、もうそこには彼女しかいなかった。

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― 新着の感想 ―
湖畔で手を繋ぐ二人の静かな空気感から一転して最後の一文で突き落とされるような衝撃を受けました。願いが叶う代償として彼が消えてしまったのだと気づいた瞬間は胸が締め付けられる思いでしたが、初めて目を開けて…
2026/01/20 03:31 退会済み
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