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Episode8 【違和感と美しさ】

 Episode8 【違和感と美しさ】


 

 §




 響は掴み上げた怜の左手首を強く握りしめた。その手首には、響の迅速な手当てのおかげで、もうほとんど目立たなくなっている白い線、自傷による傷跡がある。


 ビリッ!


 響は、怜の手首を縛るために、自分のネクタイではなく、残っていた怜のシャツの胴体を、一気に引き裂いた。破れた布切れで、怜の両手首を壁のフックに固定するかのように、短く強く縛り上げる。引き裂かれた布が、怜の傷跡の上に食い込み、痛みを与えた。


「ん……ッ!」


 響は、怜の喉の奥から漏れたその短い喘ぎを逃さなかった。その顔には、苦痛と、待ち望んでいた快楽が混ざり合っている。


「嘘を捨てろ。貴様の求める真実を、今、この身体に刻んでやる」


 ドスッ!


 響の強靭な膝が、怜の腹部を再び襲う。今度は、躊躇のない、一週間分の焦燥と怒りを乗せた重い一撃だ。

 怜の全身が痙攣し、拘束された手首の傷跡がジンと熱を持ち、縛られた布が血を吸うかのようにきつく締め付けられた。


「ご、は……ッ、ふ……!」


 響は、呼吸困難で喘ぐ怜の口を、自らの舌で乱暴に塞いだ。

 支配者と被支配者。

 加害者と被害者。

 その役割が、痛みによって一瞬にして定まり、怜の精神から日常の仮面が剥ぎ取られていく。身長は大差ないがガタイの大きさで言うと響の方が何倍も上だった。片手で怜の手を固定している間に、すばやくスラックスを脱がす。連なってパンツも足元に落ち、怜の下半身が露わになる。


 ――私は、何をやっているのだろうか……。


 不意にそんな思いが響の中に生まれたが、それは()()によってかき消される。

 響は、怜の首筋に深く歯を立て、同時に、壁に押し付けられたままの怜の身体に、間髪入れずに自らを埋め込んだ。


「あああああッ!」


 怜の頭は壁に打ちつけられ、拘束された手首は限界まで引き上げられる。未だほぐされていない場所への、問答無用の侵入。それは、一週間分の焦燥と、支配者としての絶対的な怒りを込めた、純粋な痛みだった。

 怜の全身から力が抜け、呼吸が完全に止まる。痛みに耐えきれず、彼は壁に後頭部を擦り付けた。


「ふ、ぐ……っ、がぁ……!」


 響が入っていく度に、怜の背中はしなる。

 響は、怜の苦痛に満ちた表情を見て、歪んだ快感を覚える。この男が、自分の支配なしには存在しえない、脆い生き物であることを、肉体を持って証明している。


「御前が自ら招いた罰だ。慈悲など与えん」


 響は、乱暴に怜の腰を掴み、壁に押し付けながら激しく打ち付ける。激痛は瞬時に熱に変わり、怜の脳を支配した。痛みこそが、昼間の嘘を完全に焼き尽くす燃料だったのだ。

 数瞬後、怜の体は大きく跳ね上がり、張り詰めた糸が切れるような激しい絶頂を迎えた。


 通常ならば、ここで僅かな猶予が与えられる。

 しかし、今夜の響には、そんな余裕はなかった。怜がわずかでも主導権を取り戻す隙を与えることを、響自身が恐れていた。絶頂の余韻に浸る間も、怜の体は響から解放されない。


「……まだ終わらせないッ」


 響はそう呟くと、怜の拘束された手首をそのままに、壁から身体を引き剥がした。怜の身体は、ぐずぐずに力が抜けたまま、響の腕の中に崩れ落ちる。

 響は、その華奢で熱を持った体を、ダイニングテーブルの上へ、そっと横たえた。

 しかし、それは優しさではない。彼は、体勢を変えることで、怜の快楽中枢を再び刺激したのだ。

 絶頂の直後で、最も敏感になっている体は、テーブルの冷たい感触と、響の抱き直す動作、そして再び響が深く侵入する衝撃に、抵抗できない。


 「ひッ……く、う、ぅ……!」


 怜の口から、今度は抵抗ではなく、嗚咽のような悲鳴が漏れた。絶頂後の敏感さに、響の行為は耐えがたい苦痛でありながら、同時に抗えない快楽として全身を襲う。

 響は、怜の額に滲んだ汗を拭うことなく、その傷跡のある手首に、強く自分の指を絡ませた。


「これが、貴様が生きているという真実だ。二度と、私から逃げようとするな」


 響は、怜が完全に意識を支配されるまで、その激しい支配を緩めることはなかった。ダイニングルームには、食器の音の代わりに、二人の呼吸と、肉体がぶつかり合う、破壊的で濃密な()()が響き渡り続けた。

 全てが終わった後、部屋には激しい行為の残骸と、二人の重い呼吸だけが残った。

 


 ~



 長い夜は、ようやく終わりを迎えた。

 ダイニングルームの重厚なカーテンの隙間から、薄い冬の光が差し込み、磨かれたテーブルの上を照らした。昨夜の激しい儀式の痕跡が、生々しく残っている。壁には砕けたワイングラスの破片と、乾き始めた赤ワインの飛沫。床には引き裂かれた白いシャツの布切れと、黒いスラックスが丸められて散乱していた。


 怜は、その場から動くことなく、テーブルの上に横たえられたまま、深い眠りに落ちていた。

 響は、テーブル脇の椅子に深く腰掛け、力尽きた怜の細い身体を、まるで美術品のように静かに見つめている。彼の黒いシャツは、昨夜のワインと、後の激しい行為で滲んだ怜の痕跡で、さらに汚れている。

 朝の光は容赦なく、怜の露わになった身体を照らした。手首に強く食い込んだままの布の拘束は、響の手で解かれていたが、そこには赤黒い鬱血の痕が、リストカットの白い傷跡を囲むように残っている。腹部の青い痣は、響の膝の重さを物語っていた。


 怜の肌は蒼白で、唇は腫れていたが、その表情は安らかだった。昼間の完璧な仮面は完全に剥がれ落ち、そこにはただ、暴力的な真実によって満たされ、疲弊しきった一人の男がいるだけだ。


 ――おかしいな。


 暴力を受けた人間は醜く腫れ上がるはずなのに、どうして怜はこんなにも綺麗でいるのだろうか。


 響は、自分の存在を証明する場所を見つめるように、怜の傷ついた手首に、そっと指先で触れた。怜の渇望に応えたことで、響自身もまた、深淵の不安から一時的に解放されていたのだ。

 洋館全体が、一夜の破壊的な感情の爆発を静かに受け止め、夜明けの清浄な空気の中で、二人の間に流れるのは、支配と被支配、痛みと愛という、ねじれた契約がもたらした、完全な静寂と、深い充足感だけだった。

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