ラディアント
ノアは迷いなく谷を出た。
きっかけは、 あの人──イサヤの一通の紹介状。
「君の火を試したいなら、 この場所がいい」
紹介されたのは、 東京の中心にある投資ファンド「ラディアント・キャピタル」。
受付には香るアロマ、 木目調の内装、 社員の笑顔。
“資本”の匂いは、 不思議なほどしなかった。
まるで、 別の文明のようだった。
「私たちは、 社会に“火”を灯す投資家です」
入社初日、 CEOのスピーチは美しかった。
サステナビリティ、 地域再生、 働く人の幸福──
どこを切り取っても、 理念に満ちていた。
ノアは感動した。
“ここなら、 世界を変えられるかもしれない”
──そう思った。
オリエンテーションの資料には「人にやさしい投資」の文字。
人事の女性は「あなたの価値を大切にします」と微笑んだ。
配属先の上司は言った。
「君のバックグラウンド、 面白いね。 自然の中で育った感性、 うちの投資に合うかもしれない」
優しい言葉と、 美しい理念。
ノアは安心し、 嬉しくなった。
──ここは、 “谷”と正反対だけど、 悪くない。
初めてのタスクは“IRRの再計算”。
次は“レバレッジの最適化案”、 その次は“LBOモデルの修正”。
資料の山、 定量化される「価値」。
理念よりも、 数字だけが並ぶ現実。
それでも、 皆は微笑んでいた。
ノアはまだ気がつかないが
──まるで、 優しさの仮面をつけた機械のよう。
「社会的インパクト? ああ、 それはパワポに“後から”足すやつね」
先輩が冗談めかして笑った。
ノアも笑ったが、 胸の奥が少しざらついた。
谷では先に火を焚け、 言葉は後だと父が言った。
ここでは先に数字、 物語は後づけだった。
──違和感を消している自分がいた
そこで出会ったのが、 カイトだった。
同期ながらエクセルを魔法のように操る天才。
ノア:「数字だけで世界が測れるの?」
カイト:「逆に、 測れないものに価値なんてある?」
彼は躊躇なくそう言った。
──谷とは異なる価値観。 だが、 どこか惹かれた。
ノアはロジックの世界に不慣れだった。
「なぜそう思うのか?」を言語化する力が、 試された。
カイトは丁寧に教えてくれた。
数字の裏にある仮定、 モデルの構造、 思考のフレーム。
「君の直感、 ちゃんと論理にすれば武器になる」
“この人に学べば私は変われるかも”
地方の中小製造業を訪問。 社員の目は真っ直ぐで、 工場の音が心地よかった。
帰社後、 上司が聞いた。
「事業価値は?」
ノアは「人の真面目さが…」と言いかけ、
「…稼働率と営業利益率が高いです」と言い直した。
──気づかぬうちに、 言葉が変わっていた。
その夜、 父のことを思い出した。
「“火”は、 目には見えないところで育つ」
ここでは“火”は、 KPIで計測され、 数値で切り売りされていた。
けれど、 ノアはまだ完全には気づいていなかった。
この会社が“理念の衣”をまとった、 強欲な資本家の機械であることを。