表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧隠れの火と水  作者: dinyaburg
第二章「裂けゆく時代のうねり」
7/63

芽生える決意

イサヤが来て5日が経った。


その晩、 囲炉裏を囲んでイシュマが口を開いた。


「イサヤさん、 この谷に関する契約書だが、 中央の議員に協力を仰いだと聞いている。 だが、 その裏で何があったか──知っているか?」


タカツミが紙片を差し出した。


「これは土地取引の際、 地元の行政が圧力を受けて価格を意図的に引き下げた証拠だ」


イサヤの手が止まる。


「君の意志とは関係ないかもしれない。 しかし、 無知であることは免罪符にならない」


イサヤは震える手で証拠を見つめた。


──自分の背後で、 知らぬうちに何が積み重ねられていたのか。


タカツミが静かに告げた。


「君は今、 選べる。 “すでに得た権利”にしがみつくか、 それとも──正しい道を選ぶか」


イサヤの顔が苦しげに歪んだ。


「君が得ようとしていた“価値”が、 どれだけ空虚だったか。 君自身が最も知っているはずだ」


イサヤはしばらく黙っていた。


火の揺らぎだけが、 囲炉裏を照らしていた。


「……私は、 すべてを知っていたと思っていた。

数値、 契約、 資産価値──全て把握していたと、 驕っていたんだ」


誰も返事をしなかった。


「でも私は……知らなかった。

ここに暮らしている人が大切にしている何かを

水が、 森が、 語りかけていた何かを──言葉にはできない、 何かを」


イサヤはゆっくりと立ち上がった。


「私は、 契約を白紙に戻す。

この谷から手を引く。 難しい仕事だが。

それが、 いま私にできることだ」


その言葉に、 谷の空気が静かに震えた。


夜明け前、 イサヤは谷を離れる支度をしていた。


タカツミが声をかけた。


「イサヤ、 お前は失敗したわけじゃない。 気づいたんだ、 それがすべてだ」


イサヤはかすかに笑った。


「それでも、 この“気づき”には代償が要る。

私が壊したもの、 戻せぬものもある。

だが……これからは、 奪うのでなく“返す”側に回りたい」


イシュマは一言も発しなかった。 ただ、 深く一礼をした。


火は、 まだ燃えていた。 だが、 その色はどこか、 やわらかくなっていた。


谷を見下ろす峠道で、 ノアはイサヤに声をかけた。


「……外の世界って、 本当にそんなに違うの?」


イサヤは驚いたように彼女を見つめた。


「違う。 だが、 “違う”ことは、 時に希望でもある」


ノアはしばらく黙っていた。 そして呟く。


「この谷は穏やか。 でも、 変わらなすぎる。

誰も、 問いを発さない。 父も……いつも黙ったまま」


イサヤは優しく頷いた。


「静けさは美徳だ。 だが、 君のような“火”には窮屈かもしれない。

問い続けることをやめないなら──いずれ、 君は出ることになるだろう」


ノアの胸に、 小さな決意が灯った。

イサヤの背中を見送りながら、 心のどこかで思っていた。


──私は、 父のようにはなれない。

“在る”だけでは、 私の火は消えてしまう。

だから私は、 “動きたい”。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ