表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧隠れの火と水  作者: dinyaburg
第二章「裂けゆく時代のうねり」
5/63

異邦者

季節がいくつも巡ったある日、谷に吹く風が変わった。外の世界のざわめきが、 村の奥にまで届きはじめていた。


「この静けさ、 どこか違う…」


ノアは気づいていた。 変化は音より先に、 空気を変える。


村の入り口に、 見慣れぬ男たちの影があった。


背広に似た服を着て、 平らな声で何かを話していた。


「再開発」「鉱脈」「補助金」──

その言葉は、 この谷では異物だった。


「ここに、 価値があるんですよ」

男たちは、 空を見上げながら言った。


ノアは父に尋ねた。

「外の人、 何しに来たの?」


父は静かに、 庭の柿の木を見た。


「時代の波は、 選ばずに押し寄せる。

でも、 どこに立って受け止めるかは、 自分で決められる」


ノアはそれを、 火を灯す“炉”の選び方に似ていると思った。


ミールは納屋で、 古い道具を磨いていた。


薬師のミナが来て言った。

「昔の道具には、 時代を超えた知恵があるの」


「今のやり方は速い。 でも、 速さだけじゃ心はついていけない」


ミールはふと、 水車の音を思い出した。


「急がなくても、 まわってた」


外の人たちは「効率」や「収益性」を語り、

村の古老たちは「暮らし」や「誇り」を語った。


「霧隠れの谷」という同じ言葉が交わされても、 心が交わることはなかった。


ノアは思った。

“名前が同じでも、 意味が違えば別の言葉だ”


老子が言った「名可名、 非常名」──

その意味が、 すこしだけ見えた気がした。


「これを見てください」


イサヤと呼ばれる男が口を開いた。

「土地の権利は大半を取得済み。 抵抗しても…意味はありません」


村の空気が凍りついた。


タツオが立ち上がる。


「意味は、 あるさ。 お前の“効率”じゃ測れんほどにな」


その背に、 静かな怒気が宿っていた。


「なぜそこまでして…」


ミールが震える声で尋ねた。


イサヤは答えた。


「ここは未開のレアアースの宝庫だ。 未来のインフラの源になる」


「でもそれはあなたたちの未来であって、 ここに生きる私たちの未来じゃない」


ノアは、 声を荒らげて反論した。


火が、 揺れた。


そのとき、 ひとりの男が谷に現れた。


黒衣に、 漆黒の鞄。 谷に似つかわしくない気配。


タカツミ──かつてイシュマと共に時間を過ごした男。


「大きなものが正しい、 という思考は都市にはびこる病だ」


彼は静かに言った。


「だが、 この谷にはそれを治す力がある」


囲炉裏の火が静かに揺れていた。 イシュマは寡黙に茶を淹れている。 タカツミが口火を切った。


「イサヤ。 君が求めているレアアース、 それがこの谷に眠っている可能性は高い。 だが──」


彼は机の上に一枚の紙を置いた。 谷の地質、 地下水脈、 植生の分布を示す図だった。


「ここに精製プラントを建てれば、 まず地中の水脈が切れる。 重金属は表層に漏れ、 山の水は数十年で濁る。 戻るには百年かかる。 いや、 完全には戻らないかもしれない」


イサヤは眉をしかめた。


タカツミは図面を静かに指差した。


「君の開発計画書、 読ませてもらった。 環境基準は満たしている。 だが、 その“基準”は都市部の目盛りで測ったものだ。 谷の生態系はもっと繊細だ。 基準以下でも壊れる」


イサヤは腕を組み、 少し語気を強めた。


「それは感情論だ。 私は国家の法に則って進めている。 専門家もつけている。 論点が違う」


タカツミは頷いた。


「法的には君が正しいかもしれない。 だが、 正当性と正義は違う。 君が今、 使おうとしている『法』は、 誰がどう作った?」


イサヤが返した。


「民意を反映した民主的制度のもとに――」


「それは君が信じている制度にすぎない」


タカツミが重ねる。


「“国家が認めればいい”、 その感覚が“第二の正義”を無効にしてきた。 環境も、 文化も、 声なき人々の暮らしも、 だ」


ミールがぽつりと漏らす。


「水がね、 変な味になったら、 誰が責任取るの?」


その言葉に、 イサヤはわずかに表情を動かしかけた。 だが次の瞬間には冷静さを取り戻していた。


「感情で投資は動かせない。 レアアースは国家戦略物資だ。 これに遅れれば、 国際競争で負ける」


イサヤは続けた。


「私は谷の持続可能性を否定しているわけではない。 ただ、 現実問題、 国は動き出している。 私は歯車に過ぎない。 誰かがやることだ」


タカツミはその言葉に、 皮肉まじりの笑みを浮かべた。


「なるほど。 誰かがやるなら、 自分がやる。 それで君は“選ばれる者”であり続けてきたんだな」


イサヤは目を細め、 しばらく沈黙した。


「私は…ただ…合理的に進めているだけだ」


その言葉には、 わずかな“裂け目”があった。

だが、 まだ彼の核心までは届いていない。


イサヤは、 しばらく谷に滞在することに決めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ