6月30日(月):夏越の祓(なごしのはらえ)
6月も終わりを迎える月曜の朝。
しっとりとした空気が漂う小田原の住宅街は、早朝から蝉の声が交じり始めていた。
山本家ではいつものように、慌ただしい朝の支度が進んでいた。
翔太はコーヒーを片手にネクタイを締めながら、「もう6月も終わりか。早いなあ」とひとりごとのようにつぶやいた。
その声に反応したのは、キッチンで朝食を並べていた結衣。
「そうね、今日は6月30日。“夏越の祓”の日よ」
「え、なにそれ?」と、制服姿の海斗が興味津々で顔を向ける。
「神社で茅の輪っていう大きな輪をくぐって、半年分のけがれを祓うのよ。心と体のリセットの日。
これで無病息災、後半も元気に過ごせるよう願うんだって」
「そんな日があるんだ〜。ボク、くぐってみたい!」
海斗の瞳がきらきらと輝いた。
「今日はみんな忙しいから、神社までは行けないなぁ」と翔太が残念そうに言うと、
澄江が微笑みながら言った。
「それなら、家で“簡易版の茅の輪”を作りましょうか。昔はね、わらで輪を編んで、それを門に下げたりもしたのよ。
かたちは簡単でも、気持ちがこもっていれば十分ご利益はあるわよ」
その日の午後、早めに帰宅した結衣と澄江は、庭に出て「家庭版・茅の輪づくり」を開始した。
庭の物置から取り出した古いリースに、ヨモギとドクダミの葉を編み込む。
緑のビニール紐を装飾に使い、輪のまわりには紙垂を結んで風に揺らした。
「本格的な神社のものじゃないけれど、“気持ちを整える場所”が家にあるって素敵ね」
結衣がそう言うと、澄江もうなずいて、「こういう“家庭の行事”こそ、大事にしたいものね」とにっこり。
夜8時。
翔太と愛、そして海斗が帰宅し、食事を終えると、リビングの灯りが少し落とされ、庭へと移動した。
薄暗い庭にぽつんと設置された、緑の小さな輪。
その前に並んだ家族の姿が、静かに浮かび上がっていた。
「これが……我が家の“茅の輪”か」
翔太が感心したように見つめると、勝がうなずいて前へ出た。
「本来なら神社で“左・右・左”と八の字にくぐって唱える祝詞があるんじゃが……今夜は心の中で唱えようかの」
勝が輪の前で一礼し、「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命のぶというなり」と静かに唱えると、続いて家族が一人ずつ、輪をくぐった。
海斗は「6年生になってから、ちょっとケガも多かったから……後半は無事に運動会まで過ごせますように!」と声に出して願いながら、ぴょんとくぐる。
愛は少し目を閉じて、「前期のレポート、全部ちゃんと出せますように。あと……好きなこと、ちゃんと大事にできますように」とつぶやいた。
翔太は、「仕事は山あり谷ありだけど……家族が元気で、心穏やかに過ごせますように」と、ゆっくりと輪をまたいだ。
結衣と澄江はそれぞれに手を合わせ、小さく祈りながらその輪をくぐる。
その光景を見守る勝の目に、やわらかな感慨が浮かんでいた。
「こうして心を正す時間があるって、大切なことじゃな。人間は忙しいと、つい自分をおろそかにしてしまうからの」