5月19日(月):ボクシングの日
朝の食卓、トーストを頬張る海斗が、にやにやしながら勝の方を見た。
「ねえ、おじいちゃん。今日は“ボクシングの日”なんだって!」
「おぉ、覚えていたか。1909年、日本で初めて公式のボクシング試合が行われた日じゃな。」
勝は新聞を畳みながらにこやかに答える。その言葉に翔太がコーヒーを口に含んだまま笑った。
「海斗が“勝負だ!”って言ってたの、まさかおじいちゃんに?」
「そうだよ。エアボクシングで勝負するんだもん。おじいちゃん、手加減しないでね!」
リビングには微妙な沈黙が流れたあと、愛が吹き出す。
「それ、どっちが先に息切れするかの勝負じゃない?」
そのとき、澄江がゆっくり立ち上がり、「怪我だけはしないようにねぇ」と穏やかに言い添えると、家族みんながクスッと笑った。
夕方、翔太と海斗が帰宅すると、すでにリビングには準備された空間が広がっていた。ラグが片づけられ、床には手作りのリングを模したテープ。中央には小さな手作りのゴング(鍋の蓋と木べら!)。
「ようし、始めようかのう。名付けて“山本家・世代対決杯”!」
勝が腕まくりをしながら、澄江に巻いてもらったタオルを首にかけ、ポーズを取る。
「おじいちゃん、いけー!」「海斗、負けるなー!」
愛と結衣がそれぞれ応援に回り、まるで小さなジムのような雰囲気が広がる。
試合開始。といっても、お互いの拳は空を切り、時おり“ヒット!”と自己申告しながら、軽快なステップ(?)を踏むふたり。海斗が勢い余って足を滑らせたとき、勝がそっと支え、すかさず「カウントだ!」と笑う。
澄江がキッチンから顔を出し、「水分補給しなさーい」と声をかけると、結衣がタオルを持ってリングイン。
「コーナータイム!さぁ、後半戦へ!」
後半は、海斗が大きく踏み込みながら「フック!」と叫び、勝が「ワン・ツー・ガードじゃ!」と応じる応酬が続く。いつしか、愛もスマホで実況を始めていた。
「実況・解説はわたくし愛がお送りします。本日の注目対決は、伝説の元校長vs好奇心旺盛な6年生!」
笑いが絶えない中、翔太がふと呟いた。「これ、YouTubeにあげたらバズるかもな…」
最後は、両者息も絶え絶えになりながらも「引き分け!」で幕を閉じる。誰も勝たず、みんなが笑った。
試合後のクールダウンでは、勝が海斗の肩に手を置き、静かに言った。
「拳を交えるってのは、相手と分かり合う手段でもあるんだよ。争うためじゃなく、心を通わせるためにあるんじゃ。」
夜、風呂上がりの海斗が布団に横たわりながらぽつりとつぶやく。
「おじいちゃん、すごかったな。なんか、昔も強かったの?」
「ふふ、昔は“校長先生”だったが、おかげで今日は“チャンピオン”だったよ。」
そう言って、勝は布団の横に腰を下ろし、そっと語り出す。
「ボクシングも人生も、相手とぶつかるんじゃなく、自分と向き合うものなんじゃな。」