26-4.素直さと強がり
「蛍の姫君、貴女はずいぶん変わられたのでしょうね」 と在原中将は云った。
「井筒の姫君についてお話されているときの表情は、苦しそうで、申し訳なさそうでありながら、とても幸せそうな、わたしの前では見せたことのない顔でした」
蛍の方は言った。
「これまではそうかも知れません――けれども、わたしが業平さまを忘れた日はありません。憧れからではなく、貴方に会いたいと本心から想っていると気が付かされました」
「お上手な答えだ」
在原中将の顔色は、余裕たっぷりな態度でいて、顔は真っ赤になっていた。
演技をするのが、染み付いているらしい。
子どもっぽい強がりが、ここまで巧みに表われているのを見て、蛍の方は実際のところ、かなり深刻なのだと思った。
微かな苛立ちを覚えつつ、蛍の方は思わずつぶやいた。
「それで業平さまは?」
燃えるような瞳子でじっと見据えられて、在原中将は戸惑いながら答えた。
「貴女が居なくなってから、わたしは西京の女君に何度もお叱りを受けました。あまり愉快な思いはしませんでしたが、なんと言うべきか、気が付くこともありました。それは何があろうと、貴女から気を逸らすことは出来ない、ということです」
あまり上手な物言いではなかったが、蛍の方はそう指摘して、茶化すことをしなかった。
在原中将から初めて本心に近い言葉を聞いたと思えた。
気取りや、わざとらしさは抜けないけれど、その奥にある気持ちは本当なのだろうと感じられた。
蛍の方は、それ以上は疑わず、相手を追及するのは止めた。
二人は、陽の傾く木陰の中で、流れる水を見下ろして、少しずつ素直になり始めた。
在原中将は、ふいに訊ねた。
「わたしについてどう思われましたか」
「人をひどく傷付けない程度に優しい方なのだと思いました。あまりに不幸な優しさです」
「わたしもそう思います。変わらないことによって生きてきましたから」
「父君のせいで?」
「初めはそうだったのでしょう。でも、だんだんと感傷じみて行きました」
「過去にとらわれていたのは、わたしも同じです」 と蛍の方は云った。
「不幸にすっかり馴染んで、それに触れられると、つい興奮して、夢中になるところがありました。冷静さを取り戻すのが、いちばんの解決策でしたから、長岡での生活は正しかったのだと思います」
在原中将は、言葉を引き受けるように頷いた。
夕陽に映える蛍の方の横顔を、視界の隅で見つめながら、在原中将は何気ないふりをして訊ねた。
「お手紙は、どうしてお返事をくださらなかったのです? もう二条邸に帰られることはないのですか?」
「それは、」 と蛍の方は、相手に振り向いて言った。
「きちんと向かい合ってお話をしたかったからです。業平さまのことを、本心から好きになりたい、と思いましたから」
「なるほど、はっきりした考えがおありなのですね」 と在原中将は、目線を逸らしつつ、口吻を洩らした。
「今後どうするのかは分かりません。けれども、また皆んなに会いたいとは思っています」
「まずは三芳野の姫君を、よく構ってあげるべきですよ。ずいぶんと感情を露わにされていました」
「間違いありませんね」
二人は、久しぶりに親しく微笑み合った。
春の陽射しを浴びて、眠たくなるような優しい暖かさを感じた。
お互いに話を聞きながら、相手が嘘言をついていないと納得し、二人の関係が前向きに変わりつつあることを喜び合えた。
「結局のところ、」 と在原中将は云った。
「わたし達は、お互いのことがかなり好きみたいだ」
蛍の方は訊ねた。
「復讐や憧れを抜きにしても、そう言えると思いますか?」
「わたしは断言できますよ、貴女は違うのですか?」
在原中将は、得意の相手の出方を試すような微笑を浮かべた。
蛍の方は言った。
「さあ、業平さま次第なのではありませんか?」
「ひどい言い草だ! いつの間にそんな物言いを覚えられたのでしょうか」
「二条の方の振舞いを真似させて頂くことがよくありました」
蛍の方は、悪戯っぽい仕草を示しながら答えると、こう付け加えた。
「世の中には、好かれる才能がない人びとがたくさんいる中で、好きになる才能がない人もいるのだと思います。そんな二人が仲良くやって行けるものなのでしょうか」
答えを求めるというより、思わず口を突いて出たつぶやきに近い言葉であったが、ある種の真実を捉えていただけに、蛍の方の考えが少し内向きになった様子だった。




