25-2.高貴なる使者
「長岡の地に、これほど魅力ある女性がおられるとは、わたしもまだまだ知らないことばかりだ」
美貌の男性は、わざとらしく相手へ聞こえるようにつぶやいて続けた。
「姫君、驚かせて申し訳ありません。わたし共は、ただの使い人でございます。どうかお気になさらぬよう願います。何か良くない企てがあるわけではありません」
それから、清らかな表情を見せると、名残惜しそうに挨拶して、立ち去ろうとした。
同伴する女性は、井筒の姫君をどこか警戒しつつ、彼に従った。
そこに声が響いた。
「蛍の姫君は、都に帰られてしまうのですか? 一体何のわけがあって……」
井筒の姫君は、自分がそのように口にしたらしいことに驚いた。
二人の使者は、足を止めて、顔を見合わせる。
井筒の姫君は、大胆さを発揮せずにはいられなくて、事態を理解してから、魂の消え入りそうな心地がした。
――何かとてもまずいことを言ってしまったのかも知れない。
思いがけない勇気は、小径を漂う湿っぽい空気に消えてしまった。
蛍の方から聞かされた、さまざまな都での思い出から生じた感情が、一気に胸に押し寄せた。
華やかな社交界での出来事、賑やかで魅力あふれる友人たち、苦悩しつつも充実した日々――
そうした話を耳にするほどに、遠くないうちに別れの日が訪れるだろうと予感した。
蛍の方は、いつか都での生活が恋しくなる。
退屈で何もない、こんな地味でうじうじした女性との毎日なんて、近いうちにうんざりするに決まってる。
井筒の姫君は、あれこれといった甘美な経験に似たような日々を、二度と取り戻すことはないのだという思いに打ちひしがれて、動くことも、声を出すこともできずに、立ちすくんだ。
「蛍の姫君をご存知なのですか?」 と使いの男性は尋ねた。
目の前で青ざめる田舎娘の姿を見て、長岡で何が起こったのだろうと考えた。
不親切な態度のせいで関係を断ってしまった例の貴公子について苦しんだり、後悔したりしたのだろうか。
あるいは、一時の怒りを受けた程度で、あとは全てを放り出したことを甘んじて受け入れたのか。
それとも、もっと何か深刻な取り返しのつかない結末に、すでに至ってしまったのだろうか。
井筒の姫君が小さく頷いたので、重ねて質問した。
「蛍の姫君は、元気にしておられますか?」
再び相手が頷いたことで、一つ安心できた。
けれども、目の前の女性がじぶん達のあとをつけてきたのは間違いのない事実で、普通でない行動には、言い様のない不信感が残された。
彼が相手の出自を訊ねるよりも先に、同伴した女性がこれを率直な調子で切り出した。
井筒の姫君は、事態を知りたい気持ちがあまりに激しくなって、言葉に詰まりながらではあるものの、蛍の方が帰郷して以後の生活と、自分の立場について語ることのできる範囲で二人に伝えた。
話を聴くうちに、使いの人びとは納得が行ったらしく、
自分たちは友人からの手紙を預かっており、それを蛍の方に届けるために長岡まで来たのだ、と言った。
それから、美貌の男性が言葉を続けた。
「蛍の姫君のお家まで、このままご一緒いたしませんか? わたし達が長岡の地に来たのは、初めてのことでして、ぜひご案内いただきたいのです」
こちらに熱っぽい視線を向けた。
もう一人の女性は、あえて否定はしなかったが、何か言いたげな様子である。
井筒の姫君は、内心は迷いに揺さぶられ、懸念に恐れ慄いた。
何か決定的な事態が告げられたとき、衝撃に耐えられる自信がなかった。
しかし、今さら逃げ出すこともできず、また自分の心から湧き起こる抵抗しがたい力に押されて、提案を受け入れた。
森を抜けて、旧都の東の大路をひたすら下って行くと、人気のない邸宅の前を過ぎて、例の家が見えてきた。
この家には、さまざまな印象を持ってきた井筒の姫君だった。
憧れや恋しさであったり、寂しさや虚しさであったり、つい最近になって自分の帰るべき家なのだと思い始めたところだった。
――それも今日で終わりなんだろうか。
家の敷居をまたぐのに、胸が苦しくなり、口の奥から突き上げるような感覚を得たのは、全く思いも寄らないことだった。
台所に向き合う蛍の方の背中に呼びかけた。
「蛍の姫君、お客さまです」
声がひどく震えた気がした。
蛍の方は、意外な感じで振り返ると、客人たちの姿を見て、目を輝かせた。




