24-1.新しい生活
井筒の姫君は翌日、多くない荷物を背負ってやってきた。
おそらく失礼に当たらないだろうぎりぎりの早い時間で、よく眠れなかった日に特有の高揚感を持って訪れた。
蛍の方は、大工に気前よく対価を支払って、従者たちが住まうための家を、庭の一角に造ることにした。
新たな同居人は、座敷の半分の場所を割り当てられた。
井筒の姫君が、女主人の前に現れたとき、今までの彼女とは少し違うふうに感じられた。
自信なさげなところが抑えられ、一方では慎ましさが勝り、控え目な友人と呼ぶべき間柄だったのが、すっかり高貴な女性にお仕えする召使いといった様子である。
蛍の方が、やるべきことを手短に相談すると、
相手はしっかり耳を傾け、荷を解き、すぐに仕事にかかった。
一週間が過ぎても、二人の生活に取り立てて変化は生じなかった。
気が付いたのは、退屈を紛らす必要がなくなったため、桂川に散歩する機会が減ったことか、井筒の姫君が落ち着きを取り戻すとともに、再会した時と比べれば多少は明るくなってきたかも知れない、ということくらいだった。
焼け付くような胸の痛みは、何事もそうであるように、時間の経過によって少しずつ和らいできた。
火傷の代わりに、乗り越えがたい物悲しさが生じることもなく、穏やかな日々の幸せのようなものを感じた。
それは人びとを優しく包むような春風にも似た暖かさを思わせ、わたし達の心に安らぎをもたらすものである。
今まで時間を割いてきた苦悶が晴れると、あらゆる過去の思い出や、他者に対する好奇心が蘇ってきて、蛍の方をより明るく魅力的な女性に仕立て上げた。
家の中でも活発に過ごし、読書をしたり、裁縫をしたり、料理をしたり、いつも忙しく働いた。
いちばんの気晴らしは、森の散策と、投網を巧みに扱う漁師の姿を眺めることである。
当初は遠慮がちで、大人しくしていた井筒の姫君だったけれども、徐々に思い切りが出てきて、蛍の方が疲れているような様子を見つけると、従者の男性たちがいない隙に、時おり訊ねた。
「蛍の姫君、ずいぶん退屈なさっていませんか」
蛍の方は、素直に答えた。
「もしかしたらそうかも知れません、そのはずはないのですが」
「散歩でもなされたらどうですか」
「折を見てそうしましょう」
井筒の姫君は、ひそかに心のこもった気遣いを見せてくれた。
気が付くと、部屋の隅に飾られている花や、香木の種類が変わっていた。
井筒の姫君は、女主人のことを想って近所の子どもたちから植物を分けてもらったり、街道沿いを通る商人からいろいろ買い上げたりしていることは、おそらく間違いなかった。
一度は打ち捨てられ、悲嘆に暮れた身としては、こうした工夫を凝らした親愛の情と、ほんの些細なことから日々の生活に幸福をもたらそうとする心がけが、胸に沁みて、感謝の思いしか抱けなかった。
それに井筒の姫君が、だんだんと可愛くなって行く気がした。
初めは表情だった。
見るからに内気な感じから、明るく幸せに満ちた表情をよく見せるようになった。
髪をよく整えるようになり、衣服についても色の襲ねに注意するようになった。
垢抜けて行く様子を、まさに体現している感じがする。
食事の支度をする手つきなどは、忙しなさに伴う愛嬌に溢れていて、手指の先なども清潔である。
またある時は、筆使いの練習を始めた成果として、魅力的な字体を見せたこともあった。
突然、早春に相応しい色合いの衣服に着替えてきたときなどは驚いた。
手仕事をして、お小遣いを作ろうとしていたのは知っていたけれども、これほどに素敵な衣装を買うためだったとは、思いも寄らなかった。
井筒の姫君の完璧な趣味にびっくりして、蛍の方は声を上げた。
「なんて素晴らしいんでしょう! 長岡でいちばんのお洒落さんになりましたね」
相手は目の辺りまで紅潮くなって、もごもごと口を開いた。
「わたしが、ですか? そんなことはないと思います。前よりも生活に余裕ができてきたから、少しだけましになっただけなんです」
「その衣装はどこで買ったんですか」
「桂川沿いの商人から布地を買って、あとは自分で繕いました」
「それはすごい! でも、いつ作ったんですか? 二人で一日中働いているのに」
「夜です。夕食会での蛍の姫君の姿を参考にしました」
さらに商人が都から見本となる衣装を持ってきてくれたのだと、彼女は語った。
布を選び、こつこつ貯めてきた信用とお金を使って対価とした。
商人は井筒の姫君のことを気に入ったようで、ずいぶんと負けてくれた感じだ。
蛍の方は、全てをひっくるめて言わずにはいられなかった。
「とてもよく似合います。素敵です」
井筒の姫君は、またもや耳の辺りまで真っ赤になって、何も返事をせずに、仕事を言い訳に立ち去った。
彼女が目の前からいなくなってから、蛍の方は頭の端っこのほうで、自分もよく知った感情に思い当たった気がした。
考えてみれば、すぐにそんなはずはないと気が付いたけれども、一瞬だけそう思ったことは、何だか忘れられないような感じがした。




