23-5.賑やかな議論
郡司の家の従者が、重要な知らせを告げるために顔をのぞかせた。
「皆さま、お食事のご用意が整いました」
女性たちは、明るい声を上げて応じた。
驚くほどに豪勢な品々が、あらん限りの食器に盛られて運ばれてきた。
従者は土間と客間を何往復もして、次から次へと女性たちに手渡して行った。
郡司の男は、土間の隅で、鮭の昆布じめをつまみながら、醤と米酢を舐めた。
部屋の奥には、高価な衣服と装飾品が山のように積まれている。
惟喬親王の深い心遣いによって、この夕食会は開かれたのだという実感を、蛍の方は強くした。
女性たちは、清らかな料理の数々に目とお腹で興味を惹かれ、今どきの流行を問うのと似た調子で訊ねた。
「平安京では、このような食事を日々口にしておられたのですか?」
蛍の方は、持ち前の穏やかな声で答えた。
「さて、どうでしょうか。祝宴などでは並ぶことがよくありましたが、平時は鰯や海藻を食べるのことが多かったですよ。魚の味は長岡と変わることはありません」
また誰かが言った。
「服装や化粧はどうでしたか?」
「今のわたしが身に着けている通りですよ。化粧はいつまでも上達しませんでした」
「遊興についてはいかがでしたか?」
「双六遊びをすることが多かったと思います。どこかへ観光に行くことは、あまりありませんでした」
女性たちは、都がじぶん達の想像していたような未知と冒険ばかりの場所ではないと、だんだん理解し、親しみを感じ始めた。
どれだけ華やかな文化があり、高貴な人びとが住まおうとも、そこにあるのは人間らしい感性と価値観であって、じぶん達と大きく異なることはないのだ。
郡司の娘が、「いいお話ですね」 と鰻の白蒸しを口にしながら、つぶやいた。
それから濁り酒を一口含んで、言葉を継いだ。
「蛍の姫君は、また都に行かれるのですか?」
「それはわたしにも分かりません。しばらくは長岡でゆっくり休みたいと考えています」
蛍の方は、不意に箸を止めた。
これから自分は一体何をするべきなのか、という疑問を再び突き付けられた感じがした。
蛍の方は、良いところを見せる気も、べらべらお喋りする気もなくして、衣服を汚さないように配慮しながら、温かな食事に敬意を払うといったふうな態度を取ることになった。
傍から見ると、それがひじょうに上品で、慎しみ深く、直前の言葉も相まって成熟した女性らしい落ち着きを感じさせた。
人びとは思った。
――都の文化やそこに住まう人びとが素晴らしいのではない。目の前にいる女性こそが都をより良く見せているのだ。
蛍の方は、そんな尊敬を集めているとは気が付かず、
一つひとつの料理の味を噛みしめるように食べながら、姿勢を正して座り直し、やがてくつろいだ様子になった。
時どき、井筒の姫君と目が合って、じりじり心が痛んだ。
くだらない矜持のために、大切に想ってくれる人の心を利用した気がして、自分のことが嫌になる。
一座の女性たちは、きらびやかな食事と、十分なお酒を口にして、どんどん賑やかで愛嬌のある雰囲気ができて行った。
郡司の娘は、明るい性格から自然と話題の中心なった。
現代における女性の幸福とは何か、という主題が議論を盛り上げた。
過去の女性の立場や理想について語り、特徴付け、そこから現代に向かって話を進めたが、その意見はきわめて明瞭かつ魅力的だったため、一同は耳を貸すばかりでなく、じっと見つめて彼女の言葉を聞き取ろうとした。
奈良に都があった頃には、多くの女性が皇位に即いて、宮廷での女官が果たす役割は大きかった。
とくに持統朝では、その性格は強かった。
才覚ある女性は、政治に対してひたむきな情熱を傾け、生涯を充実した美しく輝かしいものとした。
男性とは政務の中で親しくなり、お互いを認め合うなかで、気が付くと恋に落ちているのだ。
家の奥で、顔を見られるのを恥じらいながら引きこもるのは、詰まらない。
自由に自らの意志で立場と振舞いを選んでこその幸福なのではないか。
今のままでは、とりわけ不幸すらも感じることがないままに、日々を何となくすり減らして行くだけではないか。
郡司の娘の大演説は、一同の心をとらえた。
夜が明けて、酔いが覚めれば、やがて忘れられて行く熱意かも知れないけれども、その場にいた全員の胸中に潜む本音のようなものを確実に捉えていた。
部屋中が喝采の嵐で、それからの会話のすべてを盛り上がりに欠けると感じさせてしまうほどの勢いがあった。
蛍の方はというと、もう力を使い果たしていた。
病み上がりの身体に鞭を打って、参加した夕食会だったが、自分が主賓であることを意識させられるたびに、ひどく惨めで、絶望的な感情に苦しめられた。
蛍の方は、耐えきれなくなって、酔い覚ましのふりをして、席を立った。
土間のほうでは、従者の男性たちが、遅ればせながら食事を始めていた。
一同の中心には、お酒の容器がいくつも並べられて、こちらも賑やかになって行きそうだ。
郡司の男性は、腹を立てるにも疲れて、勝手しろといった様子で、ひたすらお酒と料理を口にしていた。




