表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

79/104

23-3.姫君たちの期待

 夕闇の中、(ほたる)(かた)が出発しようとしたとき、従者(じゅうしゃ)が人気のない隣家を指した。


 その邸宅は、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)母君(ははぎみ)の住まったところで、いまや面影(おもかげ)(しの)ばせるものは何一つない。


 (ほたる)(かた)は、あの上品で美しい女性に見守られて育った気がした。


 自分ではどうにもならない不遇(ふぐう)の中で生きる方法を、彼女は(つつ)しみを通じて伝えようとしていたのだろうか。


 (ほたる)(かた)は、邸宅の前で手を合わせて思った。


 ――申し訳ありません。わたしはまだ(あき)められないようなのです。運命と戦い抜くための覚悟を持ちたいと思います。


 大路を北へ進むと、左右には草葉の(しげ)げる雑多な家の列が延々と続くうちに、ついに旧都(きゅうと)の区画を抜けた。


 目の前は所々に木立(こだち)のある広い平野(へいや)で、遠くの方になだらかな丘が連なっている。


 小さな集落の中に入って行くと、(ほたる)(かた)は約束のある住居を見つけ、魅入られた。


 古い家で、よく手入れが行き届いており、隣には畑も作られていた。


 森の中にひっそり建てられた興趣ある家という感じで、(ほたる)(かた)の好みによく合った。


 主人の男性らしき人物が出迎(でむか)えた。


 「貴女(あなた)(ほたる)姫君(ひめぎみ)ですね。言わずとも分かります、その洗練された衣服や化粧づくりを見ればすぐに。長岡(ながおか)ではお目にかかることのできない高貴さを感じました。さあ、こちらに」


 あまりに(うやうや)しい態度には、皮肉と怖れが同居(どうきょ)するのを感じさせた。


 土間の奥には、床上(ゆかあ)げのされた広い一室があり、すでに五、六人の年若い女性が到着していた。


 二人の召使いが忙しそうに食事の支度をして、庭の方からは鶏鳥(にわとり)の鳴く声がした。


 (ほたる)(かた)は、どこか(なつ)かしさのようなものを感じて、気持ちが少し安らいだ。


 「騒がしくて申し訳ありません」 と郡司(ぐんじ)の男性は云った。

 「このようなひなびた場所ではありますが、どうかお(たの)しみ頂きたいと思います」


 そして(ほたる)(かた)の到着を告げると、女性たちは期待を込めた視線を向けた。


 (ほたる)(かた)は、慣れない喝采(かっさい)を浴びながら、主賓(しゅひん)の席に着いた。


 目の前の女性たちは、彼女の仕草(しぐさ)の全てに注目している。


 (ほたる)(かた)は、何を話せば良いのか分からない。


 相手は何か素晴らしい言葉が発せられるのを、今かいまかと待ちわびている。


 このままでは期待がどんどん高まって、ひどい結末を(むか)えることが想像できる。


 ここは西京(にしのきょう)女君(おんなぎみ)のような、慇懃(いんぎん)さと(やさ)しさとを一緒に伝える挨拶(あいさつ)をしなければ、と考えて、口を開いた。


 「ありがとう、みなさん」 声は震えなくて済んだ。

 「今日は全員で楽しくお(しゃべ)りをして、素敵な思い出にしましょう」


 一同は、目の前にいる美しい女性が、こんなにも親切な言葉をかけてくれたことに感動した。


 見慣れない高価な衣服に、どこか恐怖を感じていたのが、すっかり安心させられた。


 それから軽い話しをして行くうちに、(ほたる)(かた)は再び質問攻めにされた。


 家中が(にぎ)やかさに包まれ、郡司(ぐんじ)の男性は、少しの嫉妬(しっと)苛立(いらだ)ちを覚えた。


 自分が主催(しゅさい)する宴会がこれほどの盛り上がりを見せたことはないし、娘にはうるさがられるのがつねだった。


 次々と客人が到着するたびに、(にぎ)やかさは増すばかりだった。


 一人の女性が、恥じらいとためらいを示しながら質問した。


 「あの在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)と親しくされていた、というのは、事実なのですか?」


 予想はしていたのだが、ついに()かれてしまった、と(ほたる)(かた)は思った。


 嘘言(うそ)をつくわけにはいかないだろう。


 けれども、どこまで話をするべきか。


 下手なことを口にしては、(さわ)ぎはひどくなってしまう。


 当たり障りのない、これ以上の疑問を向けられないような解答をするべきだと考えて、(ほたる)(かた)は言った。


 「ええ、大変良くして頂きました」


 客人たちの目は(かがや)いた。


 (ほたる)(かた)は、相手の様子を(うかが)いながら続けた。


 「在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)はあちこちに縁故があって、わたしもいくつかの会合に参加させてもらったのですよ。今日の夕食会(ゆうしょくかい)を援助して下った惟喬親王(これたかしんのう)の開いた祝宴にも、一緒に出向いたことがありました。ただ、実際のところは、それだけの関係なのです。在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)とは父親同士に古い関係があって、それでお声がけを頂きました。何か面白いお話や、みなさんの期待に答えられるような出来事を紹介できなくて、残念に思います」


 一同は、ややがっかりした様子を見せたものの、

 結局は、「素敵(すてき)!」 という言葉を述べるに至った。


 どうやら余計な疑念を(いだ)かせずに済んだらしい。


 (ほたる)(かた)は、続けて語った。


 「(みやこ)の社交界は、きらめきに満ちていました。わたしはいつも一杯いっぱいで、何かをする余裕なんてほとんどありませんでした」


 話題を社交界(しゃこうかい)のほうに向けることで、(ほたる)(かた)は危機を脱したと考えた。


 彼女の思わせぶりな物言(ものい)いに、女性たちは関心を寄せ、あれこれ話をするようにせがんだ。


 二条邸(にじょうてい)の夕食会、平安京(へいあんきょう)への旅路、水無瀬(みなせ)の祝宴、春日野(かすがの)の成婚、絵巻(えまき)の鑑賞会――

 思い返すほどに、本当に華やか景色(けしき)ばかりが浮かんで、自分がその場所にいたという事実が信じられないような気がした。


 長岡(ながおか)の娘たちは、想像もつかない物語みたいな光景に胸を高鳴(たかな)らせた。


 熱中のあまり(ほたる)(かた)の言葉を素直に受け入れ、自ら言葉を差し挟むようなことはしなかった。


 (ほたる)(かた)も、つい得意になってしまい、話し過ぎてしまったと感じた。


 一度口をつぐむと、また別の娘が(たず)ねた。


 「わたしはお話を聴いて、正直少し安心しました」


 誰かが、それはまたどうしてか、と質問した。


 「在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)といえば、恋人を鬼に食べさせてしまったとの噂話(うわさ)がありますよね。(ほたる)姫君(ひめぎみ)もしばらく姿が見えないとお聞きして、もしかしたら同じ結末を辿(たど)ってしまったのではないかと、みんなで話をしていたのです」


 (むすめ)たちは、これに賛同した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ