表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

77/104

23-1.憧れの的

 (ほたる)(かた)の毎日は、桂川(かつらがわ)の辺りで時間を経過させるのに(つい)やすことにした。


 投網をする漁師(りょうし)がいて、自分も釣りなどをしてみたいと思った。


 もし和琴(わごん)(かた)が傍にいたなら、太公望(たいこうぼう)に関する説話を教えてくれた上で、一緒に始めてみようと提案(ていあん)するはずだ。


 あるいは、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、釣りをするのだろうか。


 狩猟(かり)ばかりしている印象があるけれども、それは(こら)え性がなくて、釣りができないからなのかも知れない。


 食事のあと、時間を潰すため、久しぶりに長岡(ながおか)の市街を一周することにした。


 道沿(みちぞ)いの草は、冬の寒さに痛めつけられて、その色彩を失っているけれども、木々の(こずえ)には硬く青々とした木芽がつき始め、光沢(こうたく)を放ち、新鮮な水分を(たくわ)えて輝いている。


 生まれつつある若葉(わかば)の気配に、いち早く春の息吹(いぶき)を感じることができる。


 街角で話をする年若い娘たちが、(ほたる)(かた)を目にすると、駆け寄ってきた。


 この地にも彼女の危険な恋の噂話(うわさ)は、十分に広がっていた。


 年若い女性たちの一群が、(ほたる)(かた)を質問攻めするのに比べて、

 もう少し古風な道徳を守る中年の女性たちは、それを微笑(ほほえ)ましく見守る人もいれば、嫉妬(しっと)非難(ひなん)の入り交じる視線をむける人もいた。


 (ほたる)(かた)は、いろいろ話を聞いたり答えたりするなかで、近いうちに郡司(ぐんじ)で夕食会を開き、その主賓(しゅひん)として彼女を迎えることが、いつの間にか決まった。


 郡司(ぐんじ)(むすめ)は、自信たっぷりに、必ず成功させてみせると意気込んでいる。


 もやは断ることなど、出来なさそうだ。


 救いを求めるように周囲を見渡すと、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)の姿が目に入った。


 物陰(ものかげ)に隠れて、誰にも気付かれたくなさそうな様子である。


 目が合うと、()ずかしさと(うれ)しさの共存する表情を浮かべた。


 (ほたる)(かた)は、自分だとすぐに分かってくれた事が嬉しくて、微笑(ほほえ)んだ。


 相手もその挨拶(あいさつ)に応じた気がする。


 (ほたる)(かた)は、彼女にも(しゃべ)らせようと試みた。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、ひどく緊張した面持(おもも)ちだったけれども、前日よりも親しげになって、話に加わった。


 郡司(ぐんじ)(むすめ)に対して気まずさを感じているようだ。


 承和(じょうわ)政変(せいへん)に、父親が加担して、郡司(ぐんじ)の役職を解任されるまで、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)がその立場にあるはずだった。


 両親が失望の中で、流行(はや)(やまい)で亡くなり、一人で生きていくことを強いられた彼女にとって、少なからず辛い過去を(おも)い出させてしまう相手なのだろう。


 郡司(ぐんじ)(むすめ)もそれを知ってか、奇妙な敬意と、よそよそしさを伴う気遣(きづか)いを示している。


 (ほたる)(かた)は、二人の間を取りもつように、陽気に振舞った。


 場を盛り上げるためには、わざとらしさを感じさせるほどに陽気な態度を取ることが大切なのだと、二条(にじょう)(かた)から学んでいた。


 (ほたる)(かた)は、郡司(ぐんじ)(むすめ)に要領よく問いかけつつ()めたりすることで、本心に近い、くだけた調子で話をさせるのに成功した。


 郡司(ぐんじ)(むすめ)は、素直な明るさで、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)に興味と関心を持ち、その行き場も身寄りもない生活に思いを()せながら、包み隠さずに自分の内面を語った。


 話し終えたとき、郡司(ぐんじ)(むすめ)()った。


 「貴女(あなた)には、必ず今度の夕食会には参加して頂きたいと思います」


 「わたしが参加して(よろ)しいのでしょうか? あまり相応(ふさわ)しくないような気がします」


 「そうでしょうか?」 と郡司(ぐんじ)(むすめ)は言った。

 「明日の自分の身に何が起こるか、予想できる人なんていませんよ。まして不運の理由は自分にあるとも限りません」


 「しかし、父君(ちちぎみ)は何と仰るでしょう。考えなければなりません」


 郡司(ぐんじ)(むすめ)は、じっと考えこむ様子になったが、やがてその表情を晴らして答えた。


 「説得はしてみます。あとは降ってきたものを受け止めるだけです。仕方がないわ!」


 一同は友人となって別れた。


 帰り途、(ほたる)(かた)はひどく疲れたと感じた。


 二条(にじょう)(かた)の華やかな性格に由来する一流の社交術(しゃこうじゅつ)に比べると、自分はどれだけ努力してもその形を模倣(もほう)することしか出来ないのだと、痛いほど理解させられた。


 自分への失望感とともに、ここ半年近くの努力の全ては、無謀(むぼう)の一言で片付けられるだろうと感じた。


 心は真っ暗な夜道(よみち)を進むような気がした。


 かつてよく感じた絶望と無気力が、再び(ほたる)(かた)を襲った。


 近況のつかめない在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)の姿を想っては、じわじわ彼女を苦しめる未練(みれん)嫉妬(しっと)が、胸に満ちあふれてきた。


 手紙は残してきたのに、相手からは寄越(よこ)してこない。


 彼が何を考え、何をしているのかは、全く分からない状態である。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)と、その周囲を取り巻く女性たちの姿が思い浮かんだ。


 そのうち成就(じょうじゅ)するかも知れない関係の進展ぶりを勝手に想像しては、また例の思いを強くした。


 日々より深く体内(たいない)に食い込むような痛みを知るほどに、自分以外の女性の中に誰か、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)の注文する通りのものを差し出せる人がいるはずだと感じた。


 それなのに、(ほたる)(かた)はといえば、未だに在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)が何を要求し、どうしたら喜ぶのかすら分からない。


 自分もまた一体何を望むのか理解できないままなのだ。


 (ほたる)(かた)が来た道を退き返していると、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)が袖をつかんだ。


 「(ほたる)姫君(ひめぎみ)、本当にありがとうございました」 と井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は云った。

 「わたしは貴女(あなた)にずっと憧れてきました。夕食会には必ず参加します。貴女(あなた)に会うためにです」


 そういうと、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は逃げるように立ち去った。


 (ほたる)(かた)は、自分がひどく(みじ)めに感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ