22-2.想いを結ぶ
井筒の姫君は、眠気に襲われて、寝たり起きたりを繰り返すうちに、変な時間に目が覚めてしまい、すっかり寝つけなくなった。
まるで自分のものではないみたいに体が重い。
ふらめきながら起き上がり、外を眺めると、冬の夜空に相応しく多くの星の輝きが見られた。
星と星との間を結んで、ぼんやり時間を過ごすうちに考えを巡らせた。
なぜ自分が見ず知らずの男性に嫉妬しかけているのか、じきに分かってきた。
蛍の方を知ったのは、幼少の頃だった。
井筒の姫君は、地方官吏の娘として生まれ、気弱で、不安そうな表情が目につく子どもだった。
年齢の近い女の子からは、一定の敬意を払われながらも、あまり親しい関係にはなれないような、よそよそしさを感じさせる態度を、彼女自身がつい取ってしまっていた。
友人は欲しい、けれども相手と接するのは怖いという複雑な感情をつねに抱いていた。
ある日、父親に連れられて、橘氏の家に行くのだと告げられた。
二人には、何やら込み入った事情があるのだと、子どもながらに理解した。
家に入ると、部屋の奥に一人の女の子が座っていた。
自分より少しだけ年上な彼女は、相手の姿を目にすると、特に大はしゃぎすることもなく、双六遊びをしようと提案した。
お互い静かに駒を進める中にも、気まずさとは違う親切な心遣いのようなものが感じられた。
自分よりも繊細で傷付きやすい人間なんて存在しないと思っていた井筒の姫君だったけれども、目の前の女の子は、自分と同じくらいに気が付いて、それを優しさのために使っていた。
きっと自分と同じように知らない女の子に緊張感や不安感を抱いているだろう。
なのに、それを隠して応じることができるのだ。
井筒の姫君は、自分にも強い意志が欲しいと願い、再会するときには、こちらから声をかけると決心した。
例の政変が起こったのは、間もなくだった。
井筒の姫君の心は、成長するどころではなくなった。
同じ悲劇に痛めつけられる蛍の方の姿を、遠くから眺めるだけで、結局は隣に立つことも、前へ進むために変わることもできなかった。
――わたしが誰よりも早く彼女の魅力に気付いていたのに。いちばんに彼女と親しくなりたいと願ったのに。
ある種の嫉妬と寂しさが、井筒の姫君の心を縛りつけた。
世界があるべき未来の全てを壊し、彼女を最後の幸福な思い出のなかでのみ生きるのを許した。
一度は終わったはずの関係を再び始めることなんて出来るのだろうか。
こちらに振り向いてくれることなんて決して起こり得ないのではないだろうか。
夜明けまで、一連の思い出と感情を集めて繫いだ。
それから起き上がると、川岸へ下りて行った。
一人の漁師が、浅瀬の近くで投網をしていた。
水飛沫が薄い光を受けて輝き、漁師が大きな網を引き揚げて、岸辺の平らな場所に広げると、網目の下で細い魚が、動く螺鈿のように跳ねた。
井筒の姫君は、朝の引き締まった空気と、河辺の水煙に包まれて、気持ちが静まってきた。
足許の水流が、絶えず安らかな音を立てながら、心の痛みを少しずつ運び去ってくれる気がした。
井筒の姫君は思った。
――ここに来て良かった。この場所をこれからは幸福な思い出に変えて行くんだ。
腰かけるのに好い石を見つけると、そこに座って、水の流れを眺めながら過ごした。
少しずつ昼が近づくまで、穏やかな気分のまま、身体の安らぎが心の奥まで沁みて行くのを感じたあとは、再び蛍の方に会いに行こうと思った。
うきうきした気分で、大路を北へと上り、夢では何度も通い詰めた家に向かった。
姿を現す前に、わき道にそれて、身繕いをする。
寒さのせいで顔は少し赤みがかっているような感じがするものの、心はすっかり晴れやかで、その瑞々しさが目の輝きに宿り、まさに開こうとする花のような口許にも満ちていた。
家内を覗くと、蛍の方はいなかった。
従者が一人、不器用な手つきで食事の支度をしている。
こちらに気がつくと、女主人なら手紙の届先について話をしに行った、と告げた。
井筒の姫君は、直感で理解した。
――都の恋人から手紙が来るのを待っているんだ。
始まる前から完全に打ち捨てられたという気持ちが募って来た。
井筒の姫君にとって、素敵な知らせや、慰めになることが書かれているとは、期待できるはずがなかった。
蛍の方は例の男性から手紙を受け取ったら、また長岡を離れてしまうのだろうか。
心の奥底では、彼女がこの地に居続けてくれるかも知れない、という根拠のない望みを抱いていた井筒の姫君だった。
――彼女はどうしても相手からの手紙を欲しがるんだ。まるでそこに救いがあるみたいに。
井筒の姫君は、従者の男性に訊いてみた。
「蛍の姫君、いつぐらいに帰ってこられるでしょう」
「断言することはできませんが、昼までには間違いないと思います」
井筒の姫君は、一瞬の中にさまざまな葛藤を感じた末に、相手に頼んで、家の中で待たせてもらうことにした。




