表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/104

22-2.想いを結ぶ

 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、眠気に(おそ)われて、寝たり起きたりを繰り返すうちに、変な時間に目が覚めてしまい、すっかり()つけなくなった。


 まるで自分のものではないみたいに体が重い。


 ふらめきながら起き上がり、外を(なが)めると、冬の夜空に相応(ふさわ)しく多くの星の輝きが見られた。


 星と星との間を結んで、ぼんやり時間を過ごすうちに考えを(めぐ)らせた。


 なぜ自分が見ず知らずの男性に嫉妬(しっと)しかけているのか、じきに分かってきた。


 (ほたる)(かた)を知ったのは、幼少の頃だった。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、地方官吏の娘として生まれ、気弱で、不安そうな表情が目につく子どもだった。


 年齢(とし)の近い女の子からは、一定の敬意を(はら)われながらも、あまり(した)しい関係にはなれないような、よそよそしさを感じさせる態度を、彼女自身がつい取ってしまっていた。


 友人は欲しい、けれども相手と接するのは(こわ)いという複雑な感情をつねに抱いていた。


 ある日、父親に連れられて、橘氏(たちばなし)の家に行くのだと告げられた。


 二人には、何やら込み入った事情があるのだと、子どもながらに理解した。


 家に入ると、部屋の奥に一人の女の子が座っていた。


 自分より少しだけ年上な彼女は、相手の姿を目にすると、特に大はしゃぎすることもなく、双六遊(すごろくあそ)びをしようと提案した。


 お互い静かに(こま)を進める中にも、気まずさとは違う親切な心遣(こころづか)いのようなものが感じられた。


 自分よりも繊細(せんさい)で傷付きやすい人間なんて存在しないと思っていた井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)だったけれども、目の前の女の子は、自分と同じくらいに気が付いて、それを(やさ)しさのために使っていた。


 きっと自分と同じように知らない女の子に緊張感や不安感を(いだ)いているだろう。


 なのに、それを隠して応じることができるのだ。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、自分にも強い意志が欲しいと願い、再会するときには、こちらから声をかけると決心した。


 例の政変(せいへん)が起こったのは、間もなくだった。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)の心は、成長するどころではなくなった。


 同じ悲劇に痛めつけられる(ほたる)(かた)の姿を、遠くから(なが)めるだけで、結局は(となり)に立つことも、前へ進むために変わることもできなかった。


 ――わたしが誰よりも早く彼女の魅力(みりょく)に気付いていたのに。いちばんに彼女と(した)しくなりたいと願ったのに。


 ある種の嫉妬と寂しさが、井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)の心を縛りつけた。


 世界があるべき未来の全てを壊し、彼女を最後の幸福な思い出のなかでのみ生きるのを(ゆる)した。


 一度は終わったはずの関係を再び始めることなんて出来るのだろうか。


 こちらに振り向いてくれることなんて決して起こり得ないのではないだろうか。


 夜明けまで、一連の思い出と感情を集めて(つな)いだ。


 それから起き上がると、川岸(かわぎし)へ下りて行った。


 一人の漁師が、浅瀬の近くで投網(とあみ)をしていた。


 水飛沫(みずしぶき)が薄い光を受けて輝き、漁師(りょうし)が大きな網を引き揚げて、岸辺(きしべ)の平らな場所に広げると、網目の下で細い魚が、動く螺鈿(らでん)のように跳ねた。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、朝の引き締まった空気と、河辺の水煙(すいえん)に包まれて、気持ちが静まってきた。


 足許(あしもと)水流(すいりゅう)が、絶えず安らかな音を立てながら、心の痛みを少しずつ運び去ってくれる気がした。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は思った。


 ――ここに来て良かった。この場所をこれからは幸福な思い出に変えて行くんだ。


 腰かけるのに()(いし)を見つけると、そこに座って、水の流れを(なが)めながら過ごした。


 少しずつ昼が近づくまで、(おだ)やかな気分のまま、身体(からだ)の安らぎが心の奥まで()みて行くのを感じたあとは、再び(ほたる)(かた)に会いに行こうと思った。


 うきうきした気分で、大路(おおじ)を北へと上り、夢では何度も通い詰めた家に向かった。


 姿を現す前に、わき道にそれて、身繕(みづくろ)いをする。


 寒さのせいで顔は少し赤みがかっているような感じがするものの、心はすっかり()れやかで、その瑞々(みずみず)しさが目の輝きに宿(やど)り、まさに開こうとする花のような口許(くちもと)にも満ちていた。


 家内を(のぞ)くと、(ほたる)(かた)はいなかった。


 従者(じゅうしゃ)が一人、不器用な手つきで食事の支度(したく)をしている。


 こちらに気がつくと、女主人なら手紙の届先(とどけさき)について話をしに行った、と告げた。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、直感で理解した。


 ――(みやこ)の恋人から手紙が来るのを待っているんだ。


 始まる前から完全に打ち捨てられたという気持ちが(つの)って来た。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)にとって、素敵な知らせや、(なぐさ)めになることが書かれているとは、期待できるはずがなかった。


 (ほたる)(かた)は例の男性から手紙を受け取ったら、また長岡(ながおか)を離れてしまうのだろうか。


 心の奥底では、彼女がこの地に居続けてくれるかも知れない、という根拠のない望みを抱いていた井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)だった。


 ――彼女はどうしても相手からの手紙を欲しがるんだ。まるでそこに救いがあるみたいに。


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、従者の男性に訊いてみた。


 「(ほたる)姫君(ひめぎみ)、いつぐらいに帰ってこられるでしょう」


 「断言することはできませんが、昼までには間違いないと思います」


 井筒(いづつ)姫君(ひめぎみ)は、一瞬の中にさまざまな葛藤(かっとう)を感じた末に、相手に頼んで、家の中で待たせてもらうことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ