22-1.運命の再会
「井筒の姫君?」 と蛍の方は訊ねた。
その声を聞いて、垣間見する若い女性は、驚いて跳び上がった。
やがて身体の平衡を取り戻すと、相手の姿に目を輝かせ、つま先から髪毛まで何度も見返すと、急に涙を流し始め、頬を拭い、蛍の方に向かって駆け寄った。
「蛍の姫君!」 と彼女は叫んだ。
「どうして急にいなくなってしまわれたんですか? それから、よくない噂話もたくさん聴いて――わたし、もう二度と会えないものだと決め込んでいました」
「どうか落ち着いて、」 と蛍の方は云った。
「何も言わずに居なくなってしまってごめんなさい。でも、わたしもあまりに突然のことがありましたから。貴女がこんなにも心配してくれているなんて思わなかったのです」
蛍の方は、相手を慰めながら訊いた。
「朝食は?」
井筒の姫君は、首を横に振った。
「なら一緒に頂きましょう。わたしも森で迷子になりかけましたから、お腹が空きました」
その言葉を聴いて、いっそう不安気な表情をした井筒の姫君の手を取り、優しい声で話をすると、家の中に入って行った。
従者たちは品物を順に述べると、客人を席に着かせた。
蛍の方は、あれこれ問ねてから、食器類を並べに戻ってきた。
思えば、お皿に欠けがあったり、お椀の塗りが剥げていたり、長さの不揃いだったりする箸を使って食事をするのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
井筒の姫君は、てきぱき支度をする蛍の方を目で追うにつけ、こんなにも美しく、それでいて自然な女性が、自分のために優しくしてくれることに感動した。
重たい上衣を脱いで、袖をまくり、腕の内側やうなじの奥に見える明い肌をのぞかせながら、仕事をするさまに、言い様のない魅力を感じた。
背を伸ばしたりすると、衣服が胸元に控え目に沿っていて、その形の可愛いらしさは、本人にとっても自慢なのではないだろうか。
はまちの切り身と瓜の粕漬けを運んできたので、井筒の姫君は相手を見つめながら、少しずつ食べ始めた。
蛍の方の習慣になりつつある濁り酒を一杯だけ、みんなで食後に飲んだ。
井筒の姫君は、帰郷の噂話を聞いてから急いで来たので、身も心もひどく酔わされる感じがした。
視界がぼんやりとし、慰められるような心地良さを得たが、本人はそれを蛍の方への想いの強さと勘違いした。
いろいろな想いや苦痛が酔いに薄められ、安らぎ沈んで行く気がして、目の前の素敵な女性のことをじっと見つめた。
――ようやく再会することができた、と井筒の姫君は思った。
蛍の方が長年の憂愁にとらわれ、名前も知らない男性への恋に苦しめられたのは、知っていた。
けれども、どう声をかければ良いのか分からず、遠くから姿を眺めるばかりだった。
その頃の蛍の方は、夜の外気にあたるせいで、肌は湿やかながらも少し荒れていて、理想よりも身が少し細すぎる感じがした。
その深い闇をのぞこうとする瞳子には、吸い込まれそうだった。
蛍の方が家を空けるようになったのは、それから間もなくのことだった。
井筒の姫君は、必死になった。
その姿を探そうと、桂川沿いをずいぶん遠くまで歩いたこともあった。
よくない噂話もたくさん聞いた。
恋の手管を用いて、身分ある男性に取り入ろうとしているのだとか、都で悪い連中に仲間入りをして、王朝への叛逆を企ているのだとか――
何が本当で嘘なのか分からなくて、せめて生きていることに心の平安を求めるだけだった。
毎日が雨のように退屈に感じられ、夢見心地に過ごすことが多くなった。
夜中にふと目を覚ましては、気分が落ち着かず、枕元に立つ面影に胸の奥をつかまれるような苦しみを、何度も味わった。
――蛍の方に会いたい。会ったらちゃんと話をしてみたい、と井筒の姫君は思った。
必ず努力をするから、この願いを叶えてくれるように、神仏に祈りを捧げた。
そんな想いを重ねた相手が、いま目の前にいるのだ。
見違えるような美しさと、高価な衣装を身に着けて、忠節を尽くす従者とともに、豪華な牛車に乗って帰って来た。
総てが変わってしまったのだ、と理解しつつも、諦められなかった。
たとえ辛く当たられようとも、蛍の方の後を追って水底の藻屑と消える決心をしなくて良かったと思えた。
しかし、それは全くの思い過ごしだった。
彼女は以前と変わらず親切で、優しく、控え目で、繊細な、それでいて大胆で、驕ったところの一切ない女性のままだった。
ふわふわする心地で、井筒の姫君は歓喜した。
大切な言葉を交わしてから、その後、家に帰った。
のろのろと歩きながら、嬉しさに酔いしれ、床上に寝転ぶと、いつぶりかの深い眠りに落ちた。
安らかな心で、蛍の方の姿を何度も細やかに見つめ直し、幸福をかみ締めた。
あれほど近くで顔を見つめて、話をしたのは、初めてだった。
どのような立場になろうと、高潔な心を失わない蛍の方を、ますます好きになった。
意志が途切れる直前に、蛍の方が微笑んでいる姿を見た。
その隣には、顔は分からないが、誰か知らない男性が立っている。
二人は手を取り合って、お互いに恥じらいを含む熱っぽい視線を向けあっている。
井筒の姫君は、じぶんの首の奥に変な力が入るような感じがした。
この感じは、もしかして――
自分でも気が付かなかった感情の一部を知る予感を抱きつつ、井筒の姫君は眠りについた。




