19-7.気まずい遭遇
源左大臣は、議論の輪に加わると、まるで話すことをあらかじめ決めていたかのように、すらすらと語りはじめた。
惚れぼれするほど優美な手つきを伴って、柔らかく軽やかに自らの意見を伝えた。
全身の雰囲気を使って、議論の対象となっている作品を説得力豊かに解説して行くので、一同は興味深そうに彼の動きを追っては、それらの仕草が空中に描く印象が出現して行くのを見ていた。
在原中将は、彼らの中にも、蛍の方の姿を見出すことができず、言い様もない焦りを感じた。
三芳野の姫君は、その様子に気が付くと、声をかけようとした。
そこに中納言行平が、従者を伴って、夕飯の支度ができたことを告げた。
ひっきりなしに豪勢な料理が運ばれ、何名もの従者が忙しなく客間を出入りした。
高々と盛られた米椀に、北方の海産を中心とした品々が並べられ、次いで茹でた山菜や漬物が無数の小皿の上に乗せて置かれると、全体に色どりを与えた。
すでに酒盃を片手に、ほろ酔い気分であった客人は、醤と酢で煮染めた鮑子に食指が動かされた。
屋敷は新たな活気で満たされ、あちこちで会話が弾んだ。
夕食が進む間、話題はある歌合の反響から、政治と恋の風聞へ、そして双六遊びや紀氏の結婚に到るまで、次々と移り変わって行った。
源左大臣は、よく食べ、どんどん飲んだが、明快な思想と健全な心を失うことはなく、陸奥の方といつも通りの口論を始めると、始めは驚いていた客人たちも、いつの間にか二人の掛け合いに笑わされ、夢中になって行った。
二条の方は、その愉快さを伴う艶めきを、適度な陶酔感によって高め、少しばかり危険な恋の駆引きを主催する女王さまのように振舞っている。
桜花の方と菊花の方は、彼女に魅力的な女性の仕草を学ぼうと、その様子を熱心に眺めた。
喧騒の中、在原中将は客間を抜けた。
一瞬だけ兄と目が合ったような気がしたけれども、特に声をかけられることもなく、視線がはずれた。
外の世界は気が付かないうちに、夜の闇に包まれていた。
室内は多くの燭台によって、昼間と変わらない明るさだった。
在原中将は、目を暗がりに馴らしながら、表廊下を歩き始めた。
都の夜はどうも落ち着かない。
いつもどこかに人の息づかいが聴こえるようで、心に求めても得られない寂しさのようなものを残す。
背中から三芳野の姫君が呼び止めた。
目的は同じようだ。
友人を心配する三芳野の姫君の表情には、切実さとともに、一種の愛らしさのようなものがあって、在原中将は心を動かされた。
暗闇を進むうちに、何人もの人間とすれ違った。
人によっては、宴会を抜け出しての逢引と捉えられても、おかしくはないだろう。
部屋を一つひとつ覗いて行くが、灯りを点けてまわる従者にばかり出会った。
彼らに帰りの支度かと尋ねられることが、何度もあった。
三芳野の姫君は、不安を口にした。
「蛍の姫君は、どちらに行かれたのでしょうか? 思えば、しばらく姿を見ていません」
「心当たりは?」 と在原中将は云った。
「いえ、何もありません。しかし、最近お疲れの様子でしたから、あるいはどこかでお休みになっているのかも知れません」
二人は寝殿をめぐる表廊下の角を曲がると、ある女性と出くわした。
在原中将が、失礼を詫びようとすると、
三芳野の姫君は叫んでいた。
「蛍の姫君!」
そこには何食わない表情の彼女がいた。
突然のことに、ぼう然とする在原中将に対して、
三芳野の姫君は情感のこもった言葉を投げかけた。
蛍の方は、大丈夫、何も問題はありませんよ、と明るく応じた。
その様子を見て、三芳野の姫君は安心したらしい。
蛍の方は云った。
「さあ、一緒に客間に戻りませんか」
そう提案すると、蛍の方は二人の背中を押した。
彼らは来た道を戻り、再び賑やかな客間に到着した。
三芳野の姫君の姿に気が付くと、二条の方は手招きをした。
「ほうら、こっちこっち! 皆さまにご紹介しなければ」
明るい部屋のほうに、三芳野の姫君は入って行く。
在原中将はそれに続かず、隣りに立つ女性に言った。
「なにか、問題がありましたね」
蛍の方は答えた。
「わたしには特にありませんよ」
「そうですか」
二人の間に、気まずい空気が流れた。
お互い明らかに含みのある物言いなのだが、
本心を匂わせるだけで伝えることをしない。
在原中将は言った。
「わたし達も行きましょうか」
「ええ、もちろんです」
二人の間には、微妙な距離感があるまま、客間に入った。
中納言行平は、いつまでも気がかりであった様子で、二人の姿を見つめた。
夜の更けるまで、夕食会は素晴らしい賑やかさで続いた。
主催者の目的は、見事に達成されたわけだ。
在原中将は結局のところ、危惧していた兄からの説教を受けることはなく、帰路に着くことができた。




