19-3.花束は思い出
源左大臣とその友人は、最も遅れて中納言行平の邸宅へ上がった。
客間に入ると、周りにある壁、掛布、小物、家具、設えなどを懐かしく眺め、主人との再開に期待した。
政争にまきこまれ、東国への旅を決意した以前は、歌合の会などをよく開いたものだ。
中納言行平の歌風は、弟のそれとは異なり、理知的に情緒を詠み上げたが、それが彼の性格をよく伝え、先の帝からも称賛されていた。
さっぱりとした香木の薫りがする。
この匂いを嗅ぐと、迂闊な恋愛沙汰は避けなければならないと、身を正す思いがした。
中納言行平に言わせれば、恋もまた一つの政略であり、本能のままに従うことは赦されない。
源左大臣は過ぎ去った思い出を確かめながら、永遠に戻ることのないと考えていた場面が、目の前にある幸福に酔いしれた。
――行平殿も同じ想いでいるだろうか。
人混みの中から、中納言行平の声が聴こえた。
隣には、一人の女性の姿がある。
源左大臣は、色男らしい気を利かせて、顔には出さなかった。
――花束を渡すのは、後にしよう。
そう心に決めると、中納言行平がいるのとは反対のほうに歩き出そうとした。
陸奥の方が、彼の袖を引いて言った。
「待って、頭が痛くなりそう」
陸奥の方の胸元には、季節の花が彩り豊かに匂い立ち、遠くから眺めると、まるで生きた花束といった様相だった。
源左大臣は、相手の情緒を解さない物言いのなかに、思わぬ素直な愛らしさを感じた。
「構わないではありませんか」 と源左大臣は云った。
「よくお似合いです。我慢なされよ」
「なら仕方がないわ」 と陸奥の方は応じた。
部屋には一足先に訪れた春のように、良い匂いがした。
源左大臣は、つい感傷にひたりながら、いつかこの女性を抱き締めたなら、それは満開の花壇を踏みつけるのと同じくらい野蛮な行為となるのだろうか、と想像した。
源左大臣は、都の女性に嫌気がさしていた。
虚栄と色仕掛けが彼女たちの常套手段であって、花や鳥にも似る女性の身体や仕草の魅力そのものを忘れようとしている。
もはや、全ては装うための口実に過ぎず、作り込むことが手段にして目的なのだ。
愛嬌を見せつけることで恋の競争相手を苛立たせ、いたずらに嫉妬心をかき立てることが、男性を征服するための方法となりつつある。
それでは、目の前にある愛らしさは誰に向けられたものなのだろうか?
世間の女性なのか、在原中将なのか、それとも――
源左大臣は、袖口を引かれた。
陸奥の方は、蛍の姫君と邸宅の主人に、自分たちの到着を告げた。
二人の女性は、親しげな様子で、互いに挨拶を交わした。
少し離れたところでは、二条の方がすでに上機嫌な様子で、大勢の客人たちの中心になって、戯談をふり撒いていた。
――あの美しさと身分と年齢、誰も二条の方には対抗できないな、と源左大臣は思った。
源左大臣が絵巻についての話題に加わると、その後ろには彼をひそかに慕う女性たちが続いた。
中納言行平は、『竹取物語』の場面を簡単に紹介しつつ、話題は自ずと作者のほうに移って行った。
これらの作者は、我が国に固有の自然の美しさを再現しつつ、現代ならではの優美さを、見事なかたちで付け加えたのだ、と中納言行平は絶賛した。
こうした言葉が人びとの耳に伝わり、評判を集めた。
ようやく本人が登場すると、一同は驚いた。
都でもよく知られた巨勢氏の画家に続いて、年若い姫君が姿を見せたのだ。
草葉の姫君は、目じりのはっきりした自信ありげな顔つきで、周囲を見まわすと、堂々としつつも繊細さを感じさせる態度で挨拶をした。
澄んだ色の薄い瞳子から向けられる眼差しの奥には、機知を潜ませている。
画家は彼女に特別な信頼を抱いていることを思わせる様子である。
画家の大きくごつごつとした手から、あの繊細な描線が生まれるのかと、人びとは目を見張った。
二人は注目によって、その才覚の輝きを増し、身にまとう雰囲気で圧倒した。
蛍の方の目の前を通る際、ちらりと視線をこちらに向けた気がした。
鋭く一目を置くような、相手に強い感情を知らしめるものである。
蛍の方は、何か奇妙な誤解のようなものがあるのなら、すぐに解きたいと思ったけれども、衆目がその機会を作るのを許さなかった。
在原中将は、物怖じした様子で、人並みにまぎれて、源左大臣の後ろに姿を隠した。




