18-2.恋のかたち
蛍の方は、恋の虚しさというものに、自分は耐えられないような気がしてきた。
在原中将は云った。
「世界の貴女に対する恋は、決して純粋なものではありません。多くのお友達は、みんな貴女に嫉妬している。嫉妬もまた恋の一つの形なのですよ」
嫉妬という感情を、蛍の方は知り始めたばかりだった。
絶えずこちらが必死に呼びかけているというのに、相手にちっとも届いておらず、自分と似た立場、似た境遇にある人とばかり親しくしている――
こんな時に抱く胸の苦しい思いを嫉妬と呼ぶのなら、恋をすることに一体どんな意味があるというのだろうか。
他人と自分を比べたり、優劣をつけてしまうことは、誰も幸せにはしない。
蛍の方は、かなえたい幸せな恋を探して、ここまでやって来たはずだった。
際限のない欲望と、ありきたりな感情に突き動かされ、踊らされるために頑張ったのではない。
嫉妬は、相手に対して、「自分と同じになってくれ。自分と同じ様に考え、感じ、表現し、その機会を与えてくれ」 と叫ぶ。
でも、自分は自分でしかないし、無理なお願いだった。
天地や自然、あるいは神々が、そうお造りになった通りの自分を受け入れて、身を捧げるしかない。
蛍の方は、そう努力してきたつもりだった。
自分の行為を後悔していないし、撤回もしたくないし、正しいと信じている。
大切なものを大切にし、相手からもそれを求めることは、これほどに難しいことなのだろうか。
蛍の方は、在原中将からの恋情を、納得しつつも確信できない気がした。
――彼の心の中には、本当に恋をする能力があるんだろうか。
――ただ、相手の恋心を芽生えさせるような力は、わたしにはない。
そうした事実の確認から、蛍の方は自分の心を捜った。
自分にとって在原中将は、今まで一度もいなかったし、これからも絶対にいない、と言い切れる人なのだろうか。
彼は自分に嘘言をついたり、相手の望みに強いて合わせたりしないだろうか。
それはわたしたちの心にとって、信頼できる良いことなのだろうか。
在原中将は、こうした疑問に言うような気がした。
――事実かどうかは確かめようがありません。わたしたちはより良い夢を選んで見るべきなのです。だから、わたしからの愛情をありがたく思って受け取って下さい。どうか動揺したり、苛々したりなさらないで。これはまるごと心から貴女に差し上げた愛情なのですから。
なるほど、そういうことなんだろうか、と蛍の方は思った。
何度考えてみても、想像の中での彼は、恋という言葉を口にしなかった。
これが蛍の方にとっての答えなのだ。
彼女の思う在原中将の本心とは、ただ頻繁に隣りに座っていて欲しいと願う女性がいる、ということに過ぎなかった。
思考が支配され、世界からその人以外がいなくなってしまうような情熱にとらわれることはない。
これも恋の一つの形なのだろうか。
相手に親切を向けるだけで、ほかに何もしないのは、恋と呼べるのだろうか。
あるいは、何の疑いも持たずに相手を信じようとするのは、恋なのだろうか。
蛍の方は、おそらく世界を通じて在原中将に嫉妬しはじめていたのだろう、
――なぜ在原中将は、世間の人びとのように彼女を熱っぽく求めたり、称賛したりしないのか、と。
疲れ切った自分に同情して、無償と感じられる愛をひたすら注いで欲しい、というのが、蛍の方の願いなのだ。
複雑な物言いや心理分析など、本当はいらない。
信じられるだけの何かが欲しいだけなのだ。
恋の兆しの一つに、相手と自分を溶け合わせて、自分をその人のものとさせ、その人を自分に取り込みたい、と思うような情熱がある。
それはいつか必ず波がやってきて、彼らの心を疲れさせる。
差し出せる限りのものを相手に示したとして、相手がそれに応えてくれるとは、誰にも断言できないのだ。
「やはり顔色が優れませんか」 と在原中将は云った。
「無理に姿勢を保つ必要はありません。少し横になりましょう」
在原中将は自分の衣服を上にかけてから横になり、しばらく二人で見つめ合う沈黙の時間を過ごした。
在原中将は今度、兄の主催する絵巻の鑑賞会に参加してくれないかと頼んだ。
兄の中納言行平としては、世間の騒ぎを見過ごすことはできず、事実を確かめておきたい、ということだった。
しかし、実際のところは、蛍の方に関する話を把握しつつ、その人気を利用して、宮廷での人脈を広げようとする思惑があるのだろう、と在原中将は推測していた。
「兄は政治に真面目すぎて、融通の効かないところがありますが、悪い人間ではありません。貴女をどうこうしたいつもりはないでしょう。お疲れだと思います。ですが、あまりに手紙による催促がうるさく、放っておくことができなくなりました」
蛍の方は、これを承諾し、何となくの日付を決めた。
「本当に助かります。感謝します、蛍の姫君」 と在原中将は立ち上がろうとした。
「細かな場所と時間が決まりましたら、またお知らせ致します」
在原中将は、救われた喜びに足取り軽く退出した。
蛍の方は、在原中将の期待に応えてみようと思った。
――もしかしたら、という期待もまた、恋の一つの形であることに、蛍の方は気が付かなかいでいる。




