18-1.花ひらく
春日野での結婚式を終えて帰宅した蛍の方を待ち受けていたのは、山のような恋文と、社交界への招待状だった。
彼女の世間における評判は、一つの波乱の時期を迎えつつあった。
蛍の方は、その事態がやってくるのを感じたとき、心に悲嘆を抱える者が、些細な出来事によって感じる、身を刺すような苦しみを味わった。
饗宴の多い冬だった。
世評と噂話が人びとを酔わせ、快楽と偏見が都の全階層を揺さぶった。
牛車が一晩中走っては、通りから通りへと、期待に胸をふくらませる姫君や、我こそはという色男を運び、熱狂させた。
人びとは流行病に感染したように、一人の女性に夢中なり、それが夕食会だろうと演奏会だろうと、彼女の名前ばかりを上言らしく口にした。
きっかけは、菊花の方の父君が主催する夕食会に、蛍の方が参加した際、その美しさが成功を収めたことだった。
すでに宮廷への出仕の意向を固めていた三芳野の姫君を、知り合いを通じて世間にお披露目するために、二条の方が夕食会に参加することを提案したのだが、世間の注目を一瞬で集めたのは、蛍の方だった。
素朴な顔立ちの中に、淑やかさと艶気があり、化粧映えする垢抜けた表情に、人びとは魅了された。
どうにかして彼女にお近づきになろうと、工夫を凝らし、いろいろ褒め称えた。
引っ込み思案な性格の三芳野の姫君にとっては、自分に感心が向き過ぎない、好い人間関係の始まりだった。
ある男性が、蛍の方に質問した。
――貴女と帝が親しげに話をしている姿を見た者がいるというが、それは事実なのだろうか。
蛍の方は、相手の失礼にならないように、答えをはぐらかしたのだが、人びとの興味は、秘密にされるほどに高まるものである。
在原中将と帝とをひき比べ、天秤にかけようとする野心があるのだと、まことしやかにささやかれるようになった。
実際のところ、帝に対して手紙を書けないままでいる蛍の方だった。
二条の方の手筈で、すでに親しい女官を通じて事情を説明してある、とのことだったが、やはり後ろめたさがつねに付きまとった。
本人の意図とは関係なしに、蛍の方の名前は、都で急速に広まって行った。
新しい社交界の花の物語は、その危険な香りとともにあっという間に勝利をものにし、押しも押されない時の人となって、
最も立派な肩書きを持った人物たちが、都のはずれで開かれる夕食会に参加しようと、殺到することになった。
さまざまな家紋が付いた牛車が、壮麗な行列を作り、
使用人たちは慌てふためいて、客人たちの名前を取り違えたり、他家の人間と言い争ったりした。
二条の方は、はっきり言って有頂天になった。
お世辞や賛辞の数々を受け、自分の支配下に入る手駒を増やすつもりで、さらなる喝采を要求した。
ちやほやされ、可愛がられるのは、何歳になっても気持ち良く、大好きなのだ。
成熟した女性ながら、子どものような愛らしさを発揮する二条の方の姿は、この上なく魅力的で、誘惑するものがあった。
二条の方は、才知を感心され、方々で大事にされ、追いまわされる喜びを感じ、虚栄に溺れた。
在原中将がそんな女性を可愛らしく思う一方で、
伊勢の更衣や和琴の方は、抵抗しようと同盟を組んだ。
彼女らは互いを信頼し、敬愛する二条の方が、社交界でおだてられ、人気を得てどこかへ行ってしまうことを阻止しようと努めた。
彼女たちが願う幸福とは、すでにある落ち着いた人間関係の中にあり、豪勢な装飾に塗れた群衆に見出すことはなかった。
誰も彼もが恨めしく、二条の方の赴く全部の場所に警戒感を持った。
それらは彼女たちの幸福をひとかけらずつ奪い、二条の方の時間と心を乗っ取るのだ。
何かが変わり、壊れつつあるような感じを、人びとは肌で理解しはじめていた。
蛍の方もまた、言い様のない寂しさを感じた。
周囲に人間はたくさんいるというのに、なぜか孤独でいるような虚しさである。
在原中将と過ごす時間は、たまに偶然が重なったときの僅かな間になった。
心と身体がじわじわ病毒に冒されるような憔悴感を味わった。
「どうなさりましたか?」 と在原中将は訊ねた。
「最近感じが違うし、少し痩せてしまったのではありませんか」
「業平さま、貴方に恋をしすぎているのでしょうか? 変に寂しいのです」 と蛍の方は云った。
在原中将は、感謝を込めて相手を見つめた。
「いくら恋をしても、しすぎることなどありませんよ。今は世界が貴女に恋をしているのです」
これが在原中将の答えだった。




