17-6.変わらない愛情
蛍の方は、いま自分がこの場から姿を現し、二人の間に入って行くべきなのか分からなかった。
春日野の妹君が、自らの隠しておきたい内面を、信頼できる相手にだけ明かそうというのなら、ここで赤の他人が割り込むのは、迷惑になるのではないだろうか。
けれども、蛍の方の心は、このままひっそり立ち去ることを許さなかった。
春日野の妹君の複雑な表情を思い出し、西京の女君の戸惑いを含む声色を耳にすると、すでに無関係ではいられないような気分にさせられた。
蛍の方は、その場でなるべく自然な足音を立て、
廊下にいる二人の話が止んだところで、身をのぞかせた。
「いかがなさりましたか」
蛍の方は、自分の声が上ずった調子なのに気が付いた。
西京の女君は、落ち着いた様子で、灯りを向けると、
「蛍の姫君でしたか、せっかくだから一緒にお話を聴いて頂きましょう」 と提案した。
春日野の妹君も、これに頷くようだった。
蛍の方は問ねた。
「興奮して寝付けませんでしたか? お疲れの様子が目につきました」
「いえ、そういう訳では……」 と春日野の妹君は答えた。
あまり上手な投げかけではなかったのだろうか。
二人が言葉を継げないのを見て取ると、西京の女君は云った。
「妹君は新生活への不安のようなものをお持ちなのですよ」
「いえ、不安という訳では、」 と春日野の妹君は続けた。
「ただ、わたしの存在がみんなの邪魔になるのではないかと怖れているんです」
「そうなのですか?」 と蛍の方は云った。
「でも、大丈夫ですよ。そのみんなの中に、少なくともわたし達は含まれていませんから」
春日野の妹君の表情が、少し和らいだ。
「実姉と紀雅楽頭の幸せそうな姿を見ていると、わたしが養女として入ることで、水を差すのではないかと考えてしまうんです」
若さゆえに深く考え過ぎているのだ、と蛍の方は思った。
過去の自分にも思い当たるところがあり、よく理解できる気がした。
蛍の方は、優しい口調で伝えた。
「お二人は貴女が家族の一員となることを絶対に喜んでおられます。もちろん、和琴の姫君もです」
「なぜそう言い切れるのでしょうか」
「お二人の結婚には、養女に入ることが折りこみ済みなはずです。心優しい姉君が貴女を一人にしておくとは思えません。もし嫌だというのなら、結婚はしなかったでしょう」
「そうかも知れません。ですが、重荷にはなりたくないのです」
「安心して下さい。お二人は貴女を愛しておられます。どのような立場になろうとも、それが変わることはありません。実際のところ、西京の女君も変わらず親身にお話しされております」
西京の女君は、暖かな表情で応じた。
春日野の妹君は、しばらく思い詰めた様子だったけれども、理屈の方では納得がいったらしい。
ていねいに感謝すると、客間に戻って行った。
姿を見送ってから、西京の女君はささやいた。
「ありがとう、蛍の姫君。助かりました」
口振りから、蛍の方がいろいろと気を配っていたのを、知っていたのだと判った。
蛍の方としては、自分の解決の仕方が正しかったのか、不安に思っていたので、相手からの感謝の言葉は嬉しかった。
蛍の方は言った。
「妹君はやはり寂しいのでしょうか」
「そのようにお考えなのですか」
「何となくですが、一人取り残されてしまうのが怖いのではないかと」
「もちろん、それもあると思います」 と西京の女君は、言葉を引き受けてから続けた。
「それでも、お二人が純粋な愛情によってのみ結ばれたというのは、やはり事実ではありません。経済の苦しい両家にとって、結婚は一つの選択です。また、家名もお互いに都合の悪いものではありませんでした。春日野の妹君は、どうやらその辺りを勘づいていたようです」
「結婚とは、そういうものなのでしょうか」
「あまり好ましくない、とお考えですか」
「そんなことはありません。ただ、」 と蛍の方は続けた。
「もしそれが全部の始まりであったなら、悲しいと思うかも知れません。ですが、関係を成熟させるためには、感情だけでは片付けられないのだと思いました。お二人の成婚がどれだけ難しく、素晴らしいものだったのか、よく考えてみます」
西京の女君は、もう少し外の景色を眺めてから寝所に行くと告げた。
蛍の方が客間に戻ると、床上のあちこちで寝ている人びとの姿があった。
浅い寝息を立てて、身体をひどく痛めそうだ。
御帳台の裡では、夫婦二人が互いの衣を掛け合い寝ている。
その少し離れたところに、和琴の方と、春日野の妹君が、遠慮がちに場所を得ていた。
蛍の方は、目の前の景色そのものに愛情の形が表れていると思い、一種の尊さを感じた。
部屋の隅まで足を運んでいたら、小さな声で名前を呼ばれた。
「どこに行かれるのですか。離れられては寂しい」
蛍の方が横になると、在原中将は無言で抱き寄せ、愛の証拠を与えた。
抱擁の中で、蛍の方は答えのない考えを続けた。




