17-5.大人と子ども
夫婦が一度退室し、略装に着替えて戻って来るまでの間に、
客人たちの話合いと雰囲気は、いつもの賑やかで諧謔に満ちたものへとなって行った。
彼らは夫婦の姿を比較しながら、春日野の姉君の美しさと上品さを褒め称え、その後には必ず紀雅楽頭の不甲斐ない様子を滑稽に描いて見せた。
ひたすら小さくなる紀雅楽頭に対して、
春日野の姉君は、その姿を後見するような優しい笑顔を浮かべた。
今日は和琴の方の知性が特に輝いており、父親への遠慮のない批判を、さまざまな観点から、巧みに言い換えつつ述べた。
音楽や和歌ばかりに熱を上げて、常識をわきまえないのは、娘として気が気でないし、情けないところだ、という趣旨である。
蛍の方は、笑い声の響くなかで、春日野の妹君の様子を気にせずにいられなかった。
一見すると、楽しそうでも、嬉しそうでもあるのだが、不意に刻まれる寂しげな表情に、胸をざわつかせるものがあった。
蛍の方は、どこかで機会を見て、表情の理由を訊きたいと思った。
けれども、春日野の妹君とは、ほとんど話をしたことがないので、わざとらしく、気まずい感じになるのを恐れた。
視界の隅で、何度も追っているうちに、西京の女君と目が合った気がした。
西京の女君も、普通ではない妹君の様子に気が付いているのだろうか。
夕食会の折には、年若い姫君を見守るような態度をいつも見せていた。
蛍の方が、相手の真意をはかりかねているうちに、
客人たちは、祝品のなかにあった濁り酒を空けてしまおう、という話になった。
二条の方は大喜びで、
「さあ、全部持ってきなさい!」 と叫んだ。
運び込まれてくる容物の数に、人びとは熱狂した。
――これは素晴らしい夜になりそうだ。
全員がそう感じているのが伝わってきた。
源左大臣は、酒盃を洗うと、なめらかな白濁とした液体を掬った。
「好い香りだ」 と言って口に含むと、隣りにいた陸奥の方に、酒盃を手渡した。
彼女はこれを飲み干し、味わいを絶賛した。
秋と冬に宮廷で仕込まれる御酒は、ひじょうな甘口で、人びとをうっとり酔わせるには、一杯でも充分すぎる効果があった。
頭と身体に沁みる悦びが、脈拍を通じて全身に響き渡るような感じがする。
蛍の方も、在原中将に勧められて、口にするうちに、思考がぼんやりとしてきて、気が付くと例の貴公子に肩を支えられていた。
火桶を囲みながらの雪見酒は、上気する身体を外気で冷ましながら楽しむのに丁度良く、いつもより浮かれた気分が長続きした。
視界がぼやけてきて、気が遠くなる感じがする。
ここが人気のない旧都の地であることを忘れ、人生にある苦労の総てをないがしろにしてしまうような、活気にあふれた陶酔感がこの場を支配した。
蛍の方が目を覚ますと、足先が氷のように冷え切っていた。
口の中にいやな渇きがある。
身体が鉛のように重い。
外は真っ暗で、雪は少しずつ弱まりつつあった。
身を起こすため、腕に力を込めると、自分の上に、在原中将の衣が掛けられていることに気が付いた。
在原中将の安らかな息遣いと、子どものような寝顔を見た。
冷たい足先を衣の中に入れようと、膝を丸めたら、足先が彼のすねの辺りにぶつかった。
在原中将は小さなうめき声をあげると、相手に身を寄せた。
深い眠りについているようだ。
長い睫毛に、真っ直ぐな鼻筋、薄くて形の良い口唇、輪郭のはっきりしたおとがい、そして首元の奥から漂う色気に圧倒された。
この男性の全てが異性を魅了し、従属させるための存在として、この世に生を受けたのではないかと錯覚してしまうほどの優美さである。
蛍の方は、思わず理性を失いそうになった。
急いで自分の衣服をかき合せ、身を起こした。
御帳台の前に置かれた燭台のほかは、すでに消されており、人びとは行き倒れたように眠りに就いていた。
蛍の方は、立ち上がると、ふらふらしながら歩いて、柱に手をついた。
頭が痛み始めた。
壁伝いに少しずつ足を進めると、人の居ない部屋の向こう側の廊下から、話し声が聴こえて来た。
一人は手燭を持っているらしく、仄明かりと衣装の袖が見えた。
優しくなだめるような調子の声がした。
気分が優れない。
蛍の方は、ひとまず台所まで行くと、冷たい水を飲んだ。
思考が戻って来る感じがして、先ほどの様子が気になった。
足音を立てないように廊下を進み、隣接する部屋の内に入った。
いまだ少し舌足らずな話し声が聞こえる。
子どもでも大人でもないような、形容しがたい年頃の声だった。




