17-4.華燭の典
雪の降る夜道に、遠くの方から橙色の光がぼんやり浮かび上がると、左右に揺れた。
一歩ずつ踏みしめるような足音が聴こえ、やがて緊張した面持ちの白い顔が見えた。
紀雅楽頭有常の装束は、濃紺の直衣の下に赤の衣を重ね、鴇色の下袴を絞めている。
屋敷の前に居並ぶ友人たちの間を抜けて、
寝殿に上がると、松明を脂燭に移し、歩みを進めた。
松脂の焼ける匂いと、火の粉の弾ける音がした。
階下に脱がれた彼の沓子は、同じく衣冠姿となった在原中将が手に取り、娘の和琴の方に渡した。
この沓取りの儀は、男性が妻の許から去らないように祈念するものであるが、
本来は妻の両親が受け取るところを、和琴の方が自らの申し出で、役割を引き受けた。
沓子は、小台の錦の打敷の上に大切に置かれた。
紀雅楽頭は、表廊下を渡ると、御帳台の前に立った。
脂燭の火を、すでに両側に灯された家中の火と合わせ、邪気払いの文言をつぶやくと、御帳台に入り座った。
二条の方は、燈台の火を護るように、その傍に着いた。
しばらくして新妻である春日野の姉君が、静かに姿を現した。
熨斗飾りの紋を入れた紅梅襲の小袿に、白の長袴を履いている。
客人たちは、その美しさに息を呑んだ。
ほの明かりに照らされた花嫁の姿は、その長く伸びた影すらも優雅に匂い立ち、全身に清らかな雰囲気をまとっていた。
衣摺れの音に、紀雅楽頭は落ち着かない様子である。
紀雅楽頭と几帳を隔てた先で、妹君の手にした鏡を見ながら、最後の身支度を整えた。
後れ毛を直し、紅を拭くと、春日野の姉君は立ち上がり、
部屋の中央に進み出ると、御帳台の裡で待つ紀雅楽頭の隣りに座った。
男性から呼びかけるふうにしてから、二人は挨拶を交わし、同じ酒盃から一口含んだ。
紀雅楽頭は、一気に飲み下すと、
声を震わせながら、二人の親しい関係を客人たちに明らかにし、感謝を述べた。
在原中将、源左大臣はこれに応じ、前に進み出て、祝意を伝えた。
在原中将は、数枚の手紙を懐から開くと、出席のかなわなかった惟喬親王、恬子内親王、桜花の方、菊花の方からの言葉を読み上げた。
夫婦は揃って、有難さに声を詰まらせた。
春日野の妹君は、刺繍を入れた衾を新妻に渡し、二人の関係が末永く続くことを祈った。
妹君の表情は、窺い知れなかったけれども、いつもの賑やかさのようなものは感じられなかった。
夫婦の前には、紅白の夜餅が差し出された。
二人がこれを口にすれば、めでたく成婚となるのだ。
紀雅楽頭は、心の動揺をごまかすためか、すごい勢いで夜餅を口に運んだため、
春日野の姉君が、食べ切るまで、変な間のようなものが出来てしまった。
和琴の方は、思わず小さな歎息をつくと、
紀雅楽頭の顔色に、申し訳なさが浮かんだ。
長くもあり一瞬でもあったような式典は、全ての客人に忘れがたい印象を残した。
蛍の方は、人生でこれほどに圧倒された場面に出会うことはなかった。
夜餅をゆっくり噛み締めるように口にする春日野の姉君の姿に、強く胸を打たれ、夫婦が今日のために、どれほど心を砕き、思いを重ねてきたのか、直感として理解した。
今や二人は、全ての試練が終わったことを自覚し、安堵している。
暖かな祝福の中で、感情をいたわり、心地良さに身震いしつつ、まるで世界から自由になったような二人きりの幸福に包まれ、目配せによって想いを確かめ合っている。
――これが恋の一つの結末なんだ、と蛍の方は思った。
憧れを抱きつつも、目の前の景色をそのまま自分の理想とはできないような感覚を味わった。
在原中将が、彼女の腕の辺りを突付くと、視線で合図をした。
源左大臣と陸奥の方は、二人で並んで座っていたのだけれど、
式の間を通じて、肩と肩の距離が少しずつ近くなっていた。
二人は友人たちの幸福に自分たちを重ね合わせ、想いを寄せるきっかけとしたのだろうか。
ついに肩がぶつかっても、お互いに驚くでもなく、恥じらいを見せるでもなく、そのままとしていた。
在原中将は、笑いを堪えながらも、どこか満足そうな様子であり、
その姿は実際のところ、微笑ましく、誰にとっても好感の持てるものだった。
蛍の方は、ほかの客人たちの様子も気になって、つい目先をあちこちへと移した。
ほとんどの人が、目を潤ませるなり、表情を和らげるなり、各々の感動のさまを示していたのだが、部屋の几帳を立てた辺りに座る、春日野の妹君の表情に、思わない雲りがあるのが目についた。
彼女の涙には、嬉しさや感極まったところとは別の場所から流れ出すような、複雑な情緒が含まれているような気がして、蛍の方は落ち着かなかった。




