16-3.坂東の意地
「わたし達もお話しに入れて頂けませんか」
三芳野の姫君は、きっぱりした口調で言った。
その声を耳にした源左大臣は、びっくりした。
――これはこれは! あの引っ込み思案な三芳野の姫君が、あの様子で。有常殿も罪な方だ。
複雑な表情を見せる和琴の方に対して、
紀雅楽頭は、それは素晴らしいといった感じで、喜んで受け入れた。
三芳野の姫君と蛍の方は、紀氏の父子と差し向かいで席に着いた。
紀雅楽頭は、気持ちに余裕ができたのか、顔と態度があからさまに緩んだ。
三芳野の姫君は鋭い視線を向け、
「有常さま、何かお話しなければならないことがあるのではありませんか」 と言った。
急な投げかけに、紀雅楽頭は口籠った。
そして、焦りからまずい受け答えをした。
「わたしとしては、どうして娘がこんなに怒っているのか、その理由を知りたいのです。そうでなければ、何から話せば良いのか分からなくて」
和琴の方は言った。
「怒ってなどいません」
沈黙があった。
しばらくして三芳野の姫君は意見した。
「和琴の姫君、怒っていますよね? 嘘言はいけません」
「本当に怒ってなどいないのです。ただ、父親はわたしに何も相談しないし、言い訳もしないし、あきれています」
「寂しい、ということですか」
「そうなのでしょうか」 と和琴の方は、小さな声で云った。
蛍の方は、三芳野の姫君の思いがけない態度に少し驚いた。
親しい友人の知らない一面を発見し、嬉しさとともに寂しさを感じた。
「有常さま、」 と三芳野の姫君は云った。
「本心をお話しするべきなのではありませんか。ここまでの事態に至った経緯と理由をです」
紀雅楽頭は、再び言葉に詰まった。
娘との関係が、これ以上悪くなるのを恐れているようだ。
何を言っても、機嫌を損ねてしまいそうで、どう振舞うべきなのか決めかねた。
それに彼女の母親との過去のいざこざは、あまり思い出したくもないらしい。
どうにか問題を先送りにして、この場をうやむやにできないかと思考をめぐらせるけれども、三芳野の姫君から向けられる厳しい態度に、許されそうもなかった。
いかにも手詰まりといった様子である。
二条の方が、宮廷の女官との手紙のやり取りを済ませて、客間に入ってきた。
部屋の壁近くで、三人の若い女性から、怒りに近い感情を含む眼差しで追い詰められる紀雅楽頭の姿が目に入った。
二条の方は、源左大臣に尋ねた。
「なんだかひどいことになっているのかしら」
「家庭の問題で、有常殿は逃げ場を失ったのです」 と源左大臣は云った。
「貴方は見ているだけなの? 意地悪ね」
「それはあんまりだ。あそこに進んで入って行く勇気がありますか? 智なき義は蛮勇ですよ」
二条の方は、歎息をつくと、目で在原中将を探した。
在原中将はというと、紀雅楽頭に背を向けて、春日野の妹君と話しをしている。
気付かないふりである。
こうした時の男性の頼りなさいに、二条の方はうんざりした。
男性は自ら進んで攻めかける場合には、その矜持と恨みがましさにかけて、相手を徹底的にやり込めようというのに、自分が受け身にまわると、決断を渋り、ひどく弱気になるものだ。
この一室には、世間の縮図のようなものが表れている気がして、
二条の方は、その中でじぶんに相応しい役回りを選ぶことにした。
二条の方は、例の集まりに近づくと言った。
「有常さま、素直に告白してしまえば良いではありませんか――家計が苦しかった、自分のせいで家族をつらい目に合わせた、妻の出家を止める権利などないと思った、と」
紀雅楽頭は、苦しい表情を浮かべ、頷いた。
二条の方は、人びとの間に座った。
「情けない話です」 と紀雅楽頭は、声をもらした。
「構うものですか」 と二条の方は言った。
「せめて一言伝えてくれるだけで良かったのに」 と和琴の方はつぶやいた。
「そうですね、父親としての責務を果たしていなかったと思います」
和琴の方は、言葉を引き取った。
「責務ではありません、感情の問題です。何の事情も述べずに、周囲が変わってしまうのが嫌なのです。お父さまは、他所ではいつもぼんやりしていて、娘には過剰に気を使ってばかりいるのは、おかしいと思います」
二条の方は笑い出し、後に続けた。
「人は各々関心のあることしか出来ませんもの」
和琴の方は、更に言った。
「お父さまの気持ちを知ろうとして、わたしがどれほど大変な思いで努力してきたのか、お父さまは知らないんです。何か虚しいものを腕に抱いている気がする時もあるし、心の中で溶けて行く冷たい氷を温めている気になる時もあります」
和琴の方は、これ以上、言葉を繋げなかった。
そもそも、この話題は嫌いだし、やがて落ち着きのある顔つきになったが、これはいつも夕食会で彼女が見せる表情だった。
和琴の方は、追求するのを止めた。
名家出身の母親にとっては、生活の総てが許せなくなり、
また父親も彼女を引き止めたとして、その希望を一つでも叶えてあげられないことが分かっていたのだ。
――心の底では、わたしも理解していた、と和琴の方は考えた。
ただ、曖昧にせず、事実を確かめたかった。
頭に重く立ち込める疑念にとらわれ、自由とも支配されているとも言えない、ぼんやりとした状態に置かれるのが苦しかった。
紀雅楽頭は、長い間、見失っていた貴重品を再発見したような明るい目で、和琴の方を眺めている。
和琴の方は、歎息をつくと、何気ない話題を父親に投げかけた。
二条の方は、わざとらしさも含む陽気な口調で、その場を盛り上げた。
それから客人たちが集まり、いつもの賑やかさを取り戻して行った。
三芳野の姫君は、気が付くと、こっそり輪を抜けていた。
表廊下に出て月を眺めながら、疲れ切った様子だ。
「素晴らしい手腕でしたね、感動しました」 と蛍の方は声をかけた。
「そうでしょうか、わたしはやはり二条の方はすごい人だと思いました」
三芳野の姫君は、ぼんやりした目付きでつぶやくように云った。
「坂東の意地ですよ。わたしも少しずつ変わることができているのでしょうか」
「三芳野の姫君、」 と蛍の方は云った。
「宮仕えには興味ありませんか? わたしは水無瀬で帝から誘いを受けました。その時、お友達もぜひ、とのお言葉を頂いたのです。貴女がその気なら、わたしから話をしてみます。どうか考えてみて下さい」
蛍の方は、そう言い残すと、隣の暗い部屋の中に退って行った。
三芳野の姫君は、しばらく月を眺め続けた。




