15-4.花橘のかさね
好きなこと、嬉しいこと、惹かれることに対してなら、人は急ぐものだ。
けれども、魅力を感じないことに関しては、いつでも早く来すぎてしまった気分になる。
何でも良いから口実を探し、歩みを緩めたり止めたりして、居心地の悪い気分がする時間が訪れるのを遅らせようとする。
最近の在原中将には、そんな様子が目についた。
じっくり腰を据えた話にならないよう陽気に振舞ったり、意図してよそよそしい雰囲気を作り、特定の話題そのものを避けさせるよう仕向けたり、
そもそも、つねに何か別の用事を探しているのが、蛍の方にとっては、二人の関係の変化に、在原中将がどれほど乗り気でないかを証明するものとなっていた。
蛍の方が、衣装選びのために、一人きりになった在原中将に近づくと、
――これはまずい、まだ時間があり過ぎる、と言いたげな態度が、わずかに目についた。
「業平さま、今日はどれがいちばんわたしに似付かわしいか、きちんと選んで頂きたいと思います」
在原中将は、にこやかに承諾した。
「水無瀬の祝宴での貴女は、まさに社交界の花というべき美しさがありました。滲み出る艶気に、物怖しない意志の強さ――これらに負けない衣装を選ばなければなりませんね」
春日野の姉君は、紅梅の襲に、熨斗飾りの紋を入れた衣装で、式にのぞむとのことだった。
他の客人とも被らない色合いなら、松襲、葡萄、二色、躑躅、瞿麦などだろうか。
在原中将は、山吹の匂いの襲もよく似合うはずだ、といった。
蛍の方は、葡萄の衣装は、二条の方の持ち合わせに良いものがあったはずと気が付いたので、とりあえず止した。
いくつも衣装を観ていくうちに、一つ目についた。
「花橘ですか」 と在原中将は云った。
何か含みのある調子だった気がして、蛍の方は思ったことを口にしてみた。
「過去に橘氏の女性と関係がありましたか?」
突然の挑発的な言葉に、在原中将は驚いた。
「何もありませんよ」
「本当ですか?」
「本当にです」
蛍の方は、相手の心底をのぞき込むように、深く長い視線を向けた。
どんな些細な表情の変化も、息づかいの乱れも見逃さないような鋭いまなざしである。
在原中将は、これまでにも似たような眼光に出会ったことがあるけれども、
通例は哀願するみたいな、慰めを求める心がありありと見えるものであって、今回の尋問するような感情がそのままに示されていることはなかった。
これは果たしていつまで続くのだろうか、と平静さを失いかけたその時、
蛍の方は、小さな声で「なるほど」 とつぶやいた。
「業平さま、嘘言はいけませんよ。正直にお話下さい」
「そんなことはありませんよ!」
在原中将は否定しつつも、止むことのない視線をむけられると、上手い言い訳を考えるだけの余裕をなくした。
「強いて言うなら、蛍の姫君、それは貴女ではありませんか?」
蛍の方は、理解が追いつかず、返答に詰まった。
「もしかして知らないのですか、」 と在原中将は言った。
「貴女の父君は、橘氏の遠縁に当たると聞いております。違いますか?」
「そんなことは一度も、」 と蛍の方は云った。
「我が家は奈良の都で文官として勤めていたことがある、としか聞いておりません」
「わたしも生前の母親から聞かされただけですから、断言はできません。ですが、まあ恐らくそうなのだろうと信じておりました。ご両親は、あまり過去について語りたがらなかったのでしょうか。わたし達が、むやみに詮索しないのも、優しさだと思います」
そういうと、在原中将はまた他の衣装を勧めた。




