15-2.過去のかけ違い
庭園の木々は、もはや緑の葉を一つもつけていなかった。
枯れ葉の上に降った雨の物悲しい香りを含む湿やかな大気の中に、少し鼻をつくような芳ばしさのある晩秋の大輪を咲かせた花々が匂い立った。
表廊下のどこからでも見えるように工夫された様々な色調の植物が、この目の前を通るたび、蛍の方の心をざわつかせた。
火桶に長く当たり過ぎて、のぼせた頭で気持ちを整理した。
風の冷たさが心地よくも、身体には毒となるような感じがする。
雨は屋根の上に降り、軒先や柱を伝って、地面を黒く染めた。
蛍の方は、すでに何度も同じことを想像し、同じ場所から思考を繰り返し、そして同じ希望と心配とを順番に抱いた。
人間の心の複雑さと、一方で奇妙な単純さとが絶え間ない闘争をはじめ、
その決着は、自分にとって何とも捉えがたく、もしかしたら存在しないかも知れない結末に行き着くのである。
蛍の方は、自分と在原中将の重ねてきた関係が、何を意味し、どこを目指すのか、分からなくなった。
客間に入ると、人々はお喋りと衣装合わせに夢中になっていた。
源左大臣と陸奥の方は、いつも通り文句を言い合いながら、お互いの衣装を選んだ。
春日野の妹君は、西京の女君に見守られながら、普段目にしない豪華な品々にはしゃいでいる。
二条の方は、商人といろいろ交渉を重ね、得意気な様子だ。
三芳野の姫君は、在原中将と恥ずかしそうに小物を見ている。
賑わいの中で、和琴の方は、部屋の隅で目立たないように、それでいて何か納得の行かない様子で、世間を眺めていた。
退屈そうで、疲れ切ったような表情だ。
――声をかけるべきなんだろうか、と蛍の方は惟った。
何を話しても、わざとらしくなってしまいそうで、どのように振舞うのが正しいのか、判断が付かなかった。
あるいは、紀雅楽頭の姿を思い出すと、すでに余計なお節介をする必要はないのかも知れない。
蛍の方は、いつもと変わらない挨拶をして、祝意を述べるに留めた。
相手も笑顔で応じてくれたので、目の前の緊張はほぐれたのだと思った。
二人が話しをしているところに、
春日野の姉君がやって来て、声をかけた。
「蛍の姫君、わざわざお越し頂きありがとうございます。わたしは都にはどうしても不慣れで、目がまわりそうです。そちらは大丈夫ですか?」
蛍の方は返事をしようとすると、和琴の姫君が割り込んだ。
「御二方とも申し訳ありません。どうも身体が冷えてきたので、別室で休ませて頂こうと思います」
和琴の方が立ち去ると、春日野の姉君は寂しげにつぶやいた。
「わたしのせいで、ご家族の関係を悪くしてしまいました。和琴の姫君とお話しをしようと思っても、なかなか許して頂けません」
「そのように聞いております」 と蛍の方は云った。
「紀雅楽頭もひどく弱った様子でした」
「わたし達の成婚は、在原中将のお力によって取り結ばれました。誰からも祝福されるようにしなければならないのですが」
蛍の方は、頷いてから言葉を付け加えた。
「しかし、急ぐ必要はないのではありませんか。いつか必ず理解して貰えるはずです」
春日野の姉君は、小さく声を上げて笑うと、
「その通りですね。ありがとうございます、蛍の姫君。何だかお会いしないうちに、ひどく大人っぽくなりましたね。今なら源左大臣くらいなら、言いくるめることができるでしょう」 とささやいた。
蛍の方は、気恥ずかしさから、思わず話題を逸らした。
「在原中将が仲人になるのは、少し意外な感じがしました。何か特別な出来事があったのですか?」
「特別ということはありません。うちの祖母は、晩年に在原中将と親しくして頂きましたし、その頃から、わたし達にも親切にして下さっているのです。上手く言い表わすことができませんが、彼なりの罪滅ぼしのつもりなのかも知れません」
蛍の方の胸はざわめきを覚えた。
――わたしの知らない在原中将の過去。きっと何か後ろめたい秘密なんだ。
しばらく知りたいと願ってきた在原中将の本心が、何か隠されているような気がして、彼女の心には怖れと関心とが入り交じった。
最近の在原中将は、妙に陽気で、お喋りしたい気持ちで浮ついているかと思うと、あからさまにどこか痛所に触れられるのを避けているような、よそよそしい態度が目についた。
頭の中に気になって仕方のない心配事があり、それが思考を支配しているので、相手への親切さや、愛情を示そうという気遣いが曖昧になってしまう。
相手はすぐ傍にいるというのに、心と口の奥に溜め込んでいる言葉を外に出そうとはしない。
蛍の方の言う事を聞き、反応を返し、話の内容に興味あるそぶりを見せながら、実際は何も考えておらず、気の合わない知人に接するような当たり障りない返事を片手間に投げ出しているような感じがした。
もはや一人の友人に対してすらも、余りにぞんざいな態度である。
「失礼でなければ、詳しくお聞かせ願えませんか」 と蛍の方は言った。
気付かないうちに、非常な決意らしきものを声に含んでいたのだろうか、春日野の姉君は少し驚かされた。
「どこからお話しすべきでしょうか」
春日野の姉君は、思案するふりをして、蛍の方の本意を探ろうとした。
自分の不用意な発言をきっかけに、更なる波紋が広がるのを怖れた。
在原中将からの恩義を仇で報してはならない。
ただ事実を述べるだけで、余計な感想や意見、あるいは現在の蛍の方の身上と近しい話題は避けようと考えた。
「全ては過去のことなのです」 と春日野の姉君は、この前提を強調した。
「在原中将は、わたしの祖母である九十九髪の女君にとっての最後の想い人でした。それだけです」
"過去"であると耳にして、蛍の方の関心はいっそう強くなった。




