表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/104

14-2.衣装まみれ

 六条河原院(ろくじょうがわらいん)の庭園は、源左大臣(みなもとのさだいじん)が想いを()せる塩釜(しおがま)の景色を模しており、(みやこ)の人々にも素晴らさがよく知られていた。


 池に浮かぶ小島の数々などは、船を借りて()()だせば、それだけで風情(ふぜい)を味わうことができる。


 庭を飾る花々は、高額でも(しぶ)らず(はら)う主人だと見てとった庭師(にわし)がよく手入れし、季節ごとに()()えて、数を増やし、大きく(あざ)やかに(にお)い立っていた。


 桔梗(ききょう)の紫と緑の絨毯(じゅうたん)に囲まれた木陰(こかげ)の前で立ちどまり、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は言った。


 「ここら辺に寄りかかって話しをしましょう。とても愉快(ゆかい)なお話があるんですよ」


 興奮の冷めない口ぶりで、最新の噂話(うわさばなし)を語り出した。


 藤原(ふじわらの)摂政基経(せっしょうもとつね)の娘――つまり、桜花(おうか)(かた)は、水無瀬(みなせ)での祝宴(しゅくえん)以後、父親の振舞いに怒り狂って、一言も(くち)()いてやらないそうなのだ。


 摂政基経(せっしょうもとつね)は、日々ご機嫌を(うかが)うような撫で声で、娘にいろいろと話しかけているのだが、

 余程のことがなければ、わざとらしく無視をして、どうしても必要があれば、目の前でも黙ったまま書面(しょめん)で返事をするのだという。


 摂政基経(せっしょうもとつね)は、耐えきれず、一度怒りと嫉妬にまかせて説教をしたものの、

 娘はその何倍も(すさ)まじい権幕(けんまく)で、罵詈雑言(ばりぞうごん)嵐雨(あらし)を浴びせた。


 (さわ)ぎを聞きつけて、家中の人々が火消しに奮闘(ふんとう)し、何とか荒れ狂う女性を父親から引き離した。


 桜花(おうか)(かた)が去って、ようやく場は落ち着いた。


 このとき以来、摂政基経(せっしょうもとつね)はひどい落胆ぶりで、病いを言い訳に(おおや)けに姿を見せない。


 (みやこ)の人々は身分を問わず、この激闘を気の利いた愉快(ゆかい)な尾ひれを付けて話してまわっているのだ。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)はすっかり夢中になって、この話題がどうしても頭から離れないらしい。


 そのほかにも名前を、何人もの名前を何度も口に出すので、(ほたる)(かた)は複雑な心境を抱いた。


 「それは先ほど聞いた話なのでしょうか」 と(ほたる)(かた)は質問した。


 「もちろん! 仕入(しい)れたてですよ」


 (ほたる)(かた)は、苦い気持ちで思った。


 ――在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)の到着が遅れたのは、このせいでもあったんだ。


 相手はそうと気付かず、明るい調子で言った。


 「さて、そろそろ入りましょうか。衣装を決めて行きましょう」


 従順に、うわの空で、(ほたる)(かた)はつぶやいた。


 「そうしましょう、とても楽しみです」


 しばらくして六条河原院(ろくじょうがわらいん)の邸宅は、衣装まみれになった。


 冬の時候(じこう)に合わせ、桔梗(ききょう)紫苑(しおん)女郎花(おみなえし)などの色の組み合わせを何度も(ため)し、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)が、ああでもない、こうでもないと論評した。


 陸奥(むつ)(かた)は、衣装選びに熱中して、居る人を(つか)まえては、相手構わず意見を求めた。


 その日は結局、いくつかの候補(こうほ)を決めただけで、

 また数日以内に親しい友人を集めて、全員で衣装の(かぶ)りがないようにすることにした。


 その後、たいへん急ぎの用事とのことで、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)が家を飛び出すと、

 (ほたる)(かた)は、一人で広い客間に戻り、源左大臣(みなもとのさだいじん)陸奥(むつ)(かた)の話に耳を傾けた。


 初めから在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)が来なかったのと変わらないくらい寂しい印象が、心に満ちあふれ、彼のために()けておいた空白(くうはく)がそのまま残されたような気がした。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)の心が何も見えず、(わか)らず、親しげでありながら、どこか意志の欠けているような(たよ)りなさを感じた。


 (ほたる)(かた)を拒否するわけでも、かわすわけでもないのに、置き去りにされたようだった。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、どこかずっと遠くの方で、何か重大なことに気を取られて、慎重になっているのではないだろうか。


 この時、(ほたる)(かた)は自分が恋という感情では言い表せない想いで在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)(した)っていること――

 つまり、泥沼の執着(しゅうちゃく)で彼の本心を得ようと躍起(やっき)になっていることに、はっきり気が付いた。


 (なぐさ)めなどではどうしようにもならない失望感が、彼を追いかけたい、連れ戻したい、もう一度その手に触れられたい、という不気味(ぶきみ)な欲望に火をつけた。


 恋に伴う身体(からだ)の求め合いのほとんどが、こうした心の病から生じているのだと、初めて理解した(ほたる)(かた)だった。


 けれども、何の意味があるのだろうか。


 どれだけ触れられようとも、誰もその心に直接手を()ばすことなどできない。


 ましてや、今日の在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)の心は、あの(せわ)しない出来事でいっぱいなのだから、こちらとしては、相手がふり向いてくれるのを待つしかない。


 あの(とら)えがたい恋人が、いつも通りの気紛(きまぐ)れで、ある日、ある時、恋に落ちたみたいな気分になることを、待ち続けるだけなのだ。


 (ほたる)(かた)は、衣装まみれの部屋に帰ったが、

 (つか)れ果て、足取(あしど)りは重く、(すす)められる品々に目を()えて行くばかりだった。


 息をするのも億劫(おっくう)な、そんな感じがした。


 ふと、次に二人で会う約束を、いつの、どことも決められなかったことに気が付いた。


 その日、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は日付の変わる頃になっても帰らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ