13-2.臆病な矜持
在原中将は、自分が久しく感じてこなかった奇妙な感情を抱いていることに気が付いた。
蛍の方への好悪の入り混じる未練のような想いが頭を離れない。
彼女が他の男性たちに囲まれているのを目にしても何も感じなかったのに、基経卿との交渉の中で見せた強い意志というものに、在原中将は胸のざわめきを感じた。
これまでどんな女性に対しても、こんな気持ちは抱かなかったものの、全く予想だにしなかった考えが形を取り始めていた。
――嫉妬、なのだろうか。
そう思い至ると、在原中将は自らを冷笑せざるを得なかった。
度重なる交流の日々、馴れそめの抱擁に感激していたはずの時期――
自分にかかりきりだと思っていた蛍の姫君が、気付かない内に、公けに堂々と身をさらし、恥じらいに由来する媚態の数々を、相手構わず懸命にふり撒くようになっていた。
蛍の方にとっての恋心が、彼女の心身のごく一部にしか、もはや残されていなさそうな調子でいるのを見出した。
在原中将が感じた嫉妬は、身体よりも深く心に響くもので、高まりすぎた自尊心と、それを支える自己嫌悪の感情に向き合うよう強いられた。
在原中将は、蛍の方に感傷とは異なる理由で嫉妬した。
最初は直感として彼女の台頭を怖れた。
この警戒感は思考というよりも、血の奥に潜むような生理的な感覚だった。
在原中将は本能で疑いを向けてから、さまざま想いをめぐらせた。
結局、蛍の方が何を望むのか――
在原中将には、それが解らなかった。
夢のような恋物語なのか、寂しさを紛らわすための賑わいなのか、それとも世間に対する復讐なのか。
彼女のために自分がどう振舞うべきなのか決めかね、立場を失うことを恐れた。
――確かにわたしは、ほとんどの女性を虜子にしてしまうほど容貌に優れている。誰よりも洒脱で、繊細で、機転が利く。けれども、移り気で、すぐに飽きては疲れ果て、全てが嫌になる、自分ばかりに惚れ込んでいて、止みがたく思わせぶりな男なのだ。
自分より単純で軽薄な人物など存在するだろうか。
そうでなければ、こんなにも蛍の方を怖れ、不安になったりなどしない。
蛍の方は、基経卿ほどの権威と身分ある男性を面前にして、すらすらと和歌を詠み上げてしまうような度胸を、いつどこで身に着けたというのだろう。
蛍の方の強い意志から生まれる感情の力には、在原中将の理解を越えたものがあった。
祝宴の翌日、蛍の方はきっぱりした態度で謝罪しただけだった。
――自分の不用意な発言のせいで、友人たちの立場を悪くしてしまった、と。
在原中将は、そうした持ち回りには心得のある周到な男性らしく応えた。
蛍の方は感謝すると、安心した様子で、退出した。
余計な言葉を発したり、頼りない様子を見せることは、まるでなかった。
部屋の内側にいた在原中将は、どう泣きつかれようとも、それに相応しい解答を準備をしていた。
なのに、入ってきた時、蛍の方はこれといって動揺するでもなく、ただ礼節を失わないかを確かめることしか気にかけていなかった。
蛍の方は、宮仕えに行く決心を付けているのだろうか。
相談も心配事も口にしなかった。
何一つ分からない初めての誘いに、あれほど落ち着き払っていられるだろうか。
不安から来る気持ちの乱れや、ためらいや、行く先を知らない時に身体が示す直感的な怯え――
それらを蛍の方が感じていないのだとすれば、彼女の心はすでに結論を得ているのだろうか。
秋の心地良い寝床の中で、在原中将は思考を整理しようとした。
雲りがちな夜で、月の光が明るくなったり暗くなったりを繰り返した。
どんな推理も予想も、答えは同じところに行き着いた。
答えに至る道筋が見えてくると、その思考を放棄して、自分にとって都合の良い正論を探し求め、事実をさまよっては、苦痛を味わされた。
けれども、在原中将は、自分の心に芽生えた現実には向き合わず、それでいて、感情の成長を止めることもできなかった。
在原中将に、蛍の方を責める権利などない。
何も言えることもない。
ただ、自分とは違う部分があって、生き方の理想が少しだけずれていて、
それによって、感性も価値観も必ずしも完全には一致することがない、これだけなのだ。
在原中将は、ついに決断をしないままに眠りに就いた。
不愉快な夢を見た。
銅鏡に映った幼い自分が、部屋のどこに行っても、問い詰めるような視線を向けてくる。
子どもでありながら、大人じみた表情をした不気味な自分の姿だった。
――蛍の方の本心を聴けば、間違いない答えを得られる。
それでも、在原中将は、人の心に触れるだけの勇気がなかった。




