12-6.歌合の勝者
惟喬親王は、持論の続きを述べたが、口調が先ほどより活きいきとしたものになったのは、あらゆる心遣いに長けた人物の例に洩れず、蛍の方を擁護しようという優しさからだった。
二条の方は、すぐさま議論の主題をおもしろがって、自分も乗り気になって参加した。
知性の鋭い閃きと、感性の洒脱さにおいて、彼女の右に出る者はなかった。
いくつかの発言によれば、ひどく愚かしく思われている人間の悩みには、本質を突いたものが少なからず存在し、それらにいかに対応するのかによって人間性への深みが生じてくるとのことだった。
問題から目を背けず、解決への努力を重ねるべきだと主張し、
こうした意見は、特定の数名に対して、各々に違った形での称賛と説教を含むものだった。
在原中将が、苦々しい微笑を浮かべるのに比べ、
摂政基経は、あからさまに不満そうだった。
摂政基経は、二条の方が宮中の女性たちの人事に、未だ影響力を有しているのを敵視しており、それが政治にまつわる見解の違いと結び付き、両者の水面下での冷たい闘争へと発展していた。
けれども、摂政基経は彼女と口を利かないと決めていたのか、反論しなかった。
和琴の方は、蛍の姫君にささやいた。
「あの様子を、ご覧になって下さい」
奇妙な関係が生じていた。
在原中将と摂政基経の二人は、同じように不愉快な表情で、お互いに牽制しつつも、眼差しによって慰め合っている。
彼らは何かの話しを始めた。
全員が彼らの話題に注目したのは、二人の人間が向かい合う時間が長くなりすぎて、例え敵対する同士でもやりとりが単調になってくるような瞬間だった。
摂政基経は、口を開くなり、宮廷で立場ある人間としての批判を、在原中将へ対する全てに憤慨した調子で、堤を切ったように語り始めた。
それらは全部、確かに在原中将に当てはまる話しだったし、懇切丁寧に説いて聞かせるべき内容ではあったものの、祝宴という場で、ましては多くの人の注目が集まるところですべきものではなかった。
摂政基経は、あらゆる事態が思った通りに進まず、
焦りと苛立ちから、明らかに振舞いが傲慢になっていた。
話を聴いている在原中将は、それだけの文句や非難を残らず飲み込める器量を備えた人物として映った。
摂政基経は、すでに祝宴の場をぶち壊しにするのを諦め、とにかく敵にまわすと厄介な存在なのだという印象を与えるのに終始すると決めたらしい。
二人の話題に新たな火が点いた。
二条の方は、在原中将に対する批判に乗っかって、愛すべき貴公子の過去の失敗をいくつも蒸し返した。
めでたい宴席を、これでもかというほどの笑いに包み込み、他の客人たちも合流するよう合図を送った。
さらに話が白熱してくると、全員での明るい議論となり、誰もが自分なりの思い出や意見を述べた。
二条の方は、その中でもとりわけ、笑いを誘う意見の裏側に、作り物らしい情感を滲ませることで、最も鮮やかな盛り上げ役をやってのけた。
本当にこの日の二条の方は大成功で、今までになく活発で、頭が切れて、そして綺麗だった。
けれども、蛍の方は、自ら語るべき話を何も持ち合わせておらず、自分だけ輪の中に入れないような気がした。
どれだけ着飾っても、満たされることのない空白に、胸が潰されそうだった。
この場に相応しい微笑を浮かべて、やり過ごそうとするだけで、寂しさばかりが募った。
しばらくして摂政基経は、申し訳ないが、公務のために忙しく辞去させて頂くと告げた。
彼の一派と、今上の帝もこれに同意した。
帰り際、話に夢中になる人びとの目を偸んで、
今上の帝は、蛍の方にささやいた。
「宮仕えのことだが、よく考えておいて頂きたい。率直に言って、わたしは貴女にひどく興味を持った。親しくする機会を作らせて欲しい。それでは、必ずまた」
蛍の方が返事に迷う内に、今上の帝は去って行った。
――一度もまともな返事をすることができないまま、別れることになってしまった。
葛藤し、俯向く蛍の方に、もう一人が声をかけてきた。
「先ほどは妙な気遣いをして申し訳ありませんでした」 と摂政基経は云った。
「あまり口を開かず、祝宴を楽しんでおられない様子でしたので、つい出過ぎたまねをしてしまいました」
蛍の方は、言葉を慎重に選びつつ継いだ。
「とんでもありません、基経卿。引っ込み思案なのは、わたしの改めるべきところですから」
摂政基経は、納得した様子で、切り出した。
「ところで、宮仕えの件については、わたくしからも推薦させて頂きたいのです。帝も貴女さまを大変お気に召しておられる様子。低くない地位をお約束しましょう」
思いがけない言葉に、蛍の方は相槌を打つだけだった。
「都での華やかな生活が貴女を待っていますよ、長岡の姫君」
摂政基経からの呼びかけに、蛍の方は驚愕した。
――基経卿は、わたしのことを知っている!
彼と対面したのは、今日が初めてだったし、出自について語る機会など、決してなかった。
これは脅しなのだろうか?
――わたしはいつでも敵を監視している、もちろん貴女のこともね。
摂政基経の目の奥が、そう言って笑うように思われた。
摂政基経は、あからさまに今上の帝とは異なる意図で、蛍の方に宮仕えをさせようとしている。
摂政基経の思考を支配しているのは、どこまでも政治と権力への渇望であり、敵対する勢力からの引き抜きを目論んでいるのだと推った。
二条の方と親しくする彼女に、帝が関心を持った以上は、自ら機先を制して両者の関係を取りもつことで、宮中での女性の人事に関して、蛍の方を手駒の一つに加え、有利な局面を作ろうという計画なのだろう。
少なくとも、蛍の方は直感として、そう信じた。
人は自分の求めるものは、他人にとってもひどく価値のあるものだと考えてしまいがちである。
摂政基経にとってのそれは出世と名誉であり、
蛍の方にとってのそれは恋の成就のはずだ。
はっきり断言するのは難しくとも、
摂政基経のそれと明確に異なるのは、間違いなかった。
蛍の方にとって、栄達への願いとは、際限のない欲望の泥沼であり、
自らの父親を破滅させ、一家から慎まやかな幸福すらも奪い去った、忌むべき感情だった。
自ら好きこのんで出世――ましてや都での出世を望むことだけは、あり得なかった。
どれだけ自分に言い聞かせてみようとも、都を好きになることはできない。
蛍の方の友人を苦しめる理由のほとんどは都にある。
そして、理由の中心にいるのが、権力者としての摂政基経と、その一派なのだ。
彼らは不遇にある人びとに甘い誘惑をかけては、利用しつくし、自らの理想を叶えるための養分として、絞り取ろうとしている。
蛍の方の心は、黒い憎悪に満ち溢れた。
まるで、父親の仇敵であるかのように、摂政基経に物凄い視線を向けると、一つの和歌が口をついて出た。
咲く花の 下に隠れる 人多み
在りしに勝さる 藤のかげかも
喧騒が停み、全員の視線が蛍の方に向けられた。
藤原摂政基経は、あまりの権幕にたじろいだ。
蛍の方は、自分の感情が取り返しのつかない結末をもたらしたことに気が付いたのは、摂政基経がきまりの悪さに、飾り布をまくって庭園の外へ退いてからだった。
在原中将は、隠せない笑い声を上げると、宣言した。
「これはこれは! わたしの予想は間違っていなかったようだ。歌合の勝者は、蛍の姫君に決まりですね」
客人たちから喝采が飛び交った。
危険な客人ばかりが参加する盛大な祝宴の、最も名誉ある勝者となった蛍の方だった。
二条の方は、笑い涙を浮かべて言った。
「貴女ったら最高だわ! 誰よりも頭のおかしな叛逆者の女王になったのよ」
わたし達の姫君は、顔を真っ蒼にして、茫然としていた。
菊花の方は思わず、つぶやいた。
「やるじゃない」




