12-5.無理な言い訳
在原中将の言葉に、全ての客人の視線が向けられた。
すでに穏やかに事態を解決することは難しい気がする。
藤原摂政基経は、あずかり知るところではない、といったふうで答えた。
「なぜか? それは小野宮さまへの感謝と祝意をお伝えしたいからに、ほかなりません。それ以外にどんな理由があるというのでしょう。在原中将は、わたしに人でなしになれ、と仰るのですか?」
この意見が、在原中将の目を覚まさせたようだった。
「基経卿、失礼いたしました。貴殿の言葉にあらぬ疑いをかけてしまった。小野宮さまへの感謝の思いは、わたしも同じか、それ以上のものがあります。遠方よりご足労頂いたことを、祝宴の主催者として感謝申し上げます」
在原中将が口をつぐんでから、
しばらくして源左大臣が陽気な調子で話しを始めた。
それは自分の若い頃の宴会での失敗談で、酒がもたらす気分の高揚が、いかにひどい結末と、気まずい人間関係を作り出してしまうのかを考察したものだった。
摂政基経もそれ以上、追求しようとはしない。
人びとが笑い話に夢中になろうとしているところで、
二条の方が、蛍の姫君に小声で云った。
「全く危ないところでしたね。あのまま乗せられていたら、本当に実兄の思うつぼでした。向こうの提示した筋書きに従って物事を進めるのは、悪手としか言いようがありません。正しい選択は、その物語から下りることなのです。在原中将も、なかなか大人にはなりきれませんね、情けない」
二条の方の言う事を聴きながら、蛍の方は一種の寂しさが自分の肩に降りてくるのを感じた。
憂鬱という名の暗雲が、止むことのない長雨をふらせて、地面を黒く染めるような気分だった。
二条の方の言葉が、大体において間違っていないことを理解しながらも、気持ちとして完全に正しいと認めるわけにはいかなかった。
これまでの小さな不満の積みかさねに神経が高ぶって、めずらしく異議を唱えたくもなったけれども、ぐっと飲み込んだ。
自分が原因になって調和を乱してはならない。
蛍の方は、目の前の不愉快な事態を、冷静に社会を批判するように眺めることした。
今日の蛍の方は、とびきりの美しさで、目も眩むばかりの衣装を身にまとい、
いかにも世の中と勝負してやろうという気持ちが、傍目には毅然とした雰囲気として現れていた。
彼女が深く思い沈む様子を見つけると、摂政基経は声をかけてきた。
「あちらの素敵な姫君が、何か仰りたいことがあるようです」
蛍の方は、初め自分が話題に上げられていることに気が付かず、ぼう然とした。
――基経卿は何か失言を引き出すために、もはや手段を選ばないつもりらしい。
蛍の方は、懸命に思考をめぐらせて、とにかく話しながら言い訳を考えた。
「わたしはお酒をたくさん飲むことはいたしません。ですが、源左大臣のお話からは得るべき教訓があるのではないか、と考えていたのです。何事もほどほどに中庸を守ることが重要であると申します。わたしの人生にも、思い至るところがあったのです」
何を言っているのか、自分でも解らない。
蛍の方は、泣き出しそうな気持ちになった。
「それは一体どんなことなのでしょう」 と藤原参議諸葛はとどめを刺した。
もはや蛍の方に言うべき事などなかった。
何かこの場に相応しい和歌でも詠んでみようか?
けれども、何も思い付かない。
蛍の方は、無芸で無教養な自分を恥じた。
経験の不足と、機転の利かなさについても失望した。
長岡の地で永年、不遇な現実を嘆き、理想ばかりを繰り返し夢見てきた小娘が、ちょっとやそっとの事で成長したり、正しい振舞いができるはずがない。
現実は辛く苦しい事がほとんどだとしても、理想に近づくためには、より明確な勇気と覚悟が必要だったのだと、今更になって理解させられた。
蛍の方は、言葉を継げず、全身からいやな汗が流れるのを感じた。
口唇が震え、首喉が締め付けられた。
意識が遠のくような気がして、自分の名前が呼ばれたことで、はっとした。
「蛍の姫君、」 と今上の帝は云った。
「突然のことで、友人にも話しにくいことだろうが、先ほどのことを言っても構わないのだぞ。蛍の姫君には、わたしから宮仕えについて提案をしたのだ。そのことが彼女を悩ませている」
客人たちは、目を丸くして蛍の方のことを見つめた。
三芳野の姫君は、「うそ、本当なの!」 と思わず口にした。
蛍の方は、在原中将の表情を視ることができない。
今上の帝は、話しを続けた。
「周知のことだと思うが、わたしは久しく日の当たらない生活を送ってきた。形ばかりの要職に就き、心を慰める機会を得なかった。けれども、偶然からわたしは皇位に即いた。先帝の病という祝福されるべきではない偶然である。だからこそ、増長してはならない。不遇の時代を忘れず、それでいて現在の地位に相応しい振舞いをしなければならない。蛍の姫君もまた同じ労苦を抱え、葛藤している。自分にとって正しい態度や選択とは何なのか。わたし達は、あるべき中庸の姿を考えているのだ」
今上の帝のこじつけには、かなり無理があった。
それでも、正直で飾らない話し方に、人ひどは不思議と納得させられてしまった。
蛍の方は、ひとまず話を合わせて、祝宴に不相応な表情を見せてしまったことを謝罪した。
今上の帝は、その様子にひどく満足そうにして、
それから、悩み苦しむ人間の心を称賛する和歌をうたい上げた。
「わたしは、このような和歌は好きだ」 と惟喬親王は云った。
「誰に聞かせるわけでもない言葉を形にして慰めとする――これも一つの和歌の素晴らしい効用であると思う。そして、それは今のわたしに必要なものだ」
惟喬親王は、臆することなく、自らの意見をきっぱりと述べた。




