表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/104

11-3.日々の味わい

 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)鳥羽(とば)で別れてからというもの、

 家の中がきれいに(ととの)えられていないと不安になってしまう(ほたる)(かた)だった。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)からもらった品々の一部は、庭の手入れの費用(ひよう)に当てた。


 夕食時に飲む(にご)(ざけ)も二、三本買い求め、三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)となかなか(たの)しんだ。


 夏の生気(せいき)を受けて、庭の草木は数日もすれば()放題(ほうだい)だった。


 二人は()()かしては繁茂する草に(そそ)ぎかけ、敷石(しきいし)を整えたり、花に悪さをする虫を()(のぞ)いたり、想像以上に苦労した。


 二条邸の庭園は、源左大臣(みなもとのさだいじん)によって造営(ぞうえい)指揮(しき)されており、季節に応じて目を楽しませる植物が数十種類は集められている。


 こんなことなら都で六条河原院(ろくじょうがわらいん)の作庭を参考に見ておくべきだったと後悔した。


 (ほたる)(かた)は、庭が美しくなるほどに何かに勝利を(おさ)めたような気分になり、

 女主人とその友人たちの帰宅(きたく)が、ひどく待ち遠しく感じられた。


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)から得意の裁縫(さいほう)を教わり、

 反対に(ほたる)(かた)は、食べ物を煮炊(にた)きする上手い方法を(つた)えた。


 二人はいつの間にか姉妹(しまい)のような気分になって、(おだ)やかな日々に小さな幸せを感じた。


 「姫さま、」 と三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)従者(じゅうしゃ)()った。

 「わたしは貴女(あなた)さまが、(ほたる)姫君(ひめぎみ)とお知り合いになり、毎日を楽しそうに()ごしているのを見ておりますと、それだけでこの地にやってきて良かったのだと思います」


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)も同じ意見だった。


 じぶんが在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)にどんな感情を(いだ)いているのかは分からないけれども、

 生き方を選び、その道を歩いて行こうと思える自信のようなものが芽生(めば)えてきていた。


 貧しい育ちの二人の姫君は、倹約(けんやく)をしながら、ときにちょっとした贅沢(ぜいたく)をするのが、いちばんの喜びだった。


 ある日、近所の(うし)に子どもが産まれたというので、祝いの品を送った()わりに生乳(せいにゅう)をたっぷり(もら)った。


 (ほたる)(かた)は、それに(みつ)を合わせて()と呼ばれる菓子(かし)を作ろうと提案した。


 ()は古くは文武(もんむ)(みかど)が愛好した高級菓子である。


 牛乳に蜜と塩を混ぜて、長く煮詰(につ)め、それをしばらく乾燥させることで日持ちもする。


 台所の日蔭(ひかげ)になった涼しい場所に置けば、

 もしかしたらみんなにも食べてもらうことが出来るかも知れない。


 二人は半日ほどかけて、代わるがわる(なべ)に火を入れ、中身をかき混ぜ続けた。


 食べてみると、甘味の奥に、牛乳の独特の(くさ)みがあって、一気に食べられるものではないと分かった。


 文武(もんむ)(みかど)は、(やまい)を得ることが多かったというから、滋養(じよう)のための(くすり)として食膳(しょくぜん)に上がっていたのだろうと予想した。


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)()った。


 「これは気にするべきではありませんね。わたし達が元気な証拠(しょうこ)なのですから」


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)から帰宅の知らせを受けたのは、次の日だった。


 (ほたる)(かた)は、朝から念入りな掃除(そうじ)片付(かたづ)けをはじめ、梯子に上って壁布のゆがみを(なお)したり、(こう)()いて家中に(かお)りを()()ませたりした。


 頭がのぼせて、身も心も興奮(こうふん)していたので、これまででいちばん面白くて気持ちの良い仕事をしている気分になった。


 ことあるごとに()(かたむ)きを確かめ、彼らが帰って来るまでに、あとどれくらい時間があるのかを計算しては、その身を()かして、さらに部屋を良くしよう、これ以上にない絶妙な調子で家具(かぐ)を組み合わせ、整えようと奮闘(ふんとう)した。


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)も慎重を期して、部屋(へや)(すみ)などにほこりが()まっていたりはしないか、家具(かぐ)に新しく傷跡(きず)が出来ていたりしないか、確認し始めた。


 二人はこの家の静寂(せいじゃく)の中で、期待(きたい)焦燥(しょうそう)に胸をこがしながら、夢想(むそう)()ちた言葉を交わした。


 言葉もやがて役割(やくわり)を果たさなくなると、二人でじっくりと庭の景色を(なが)めた。


 日射しが木漏(こも)()となって草の上に降り、とりわけ夏の小さな花々を可愛(かわい)らしく温めていた。


 天も二人の努力を(かざ)るのに、遠慮(えんりょ)せず応じてくれたのだ。


 それから(ほたる)(かた)は、格子(こうし)に身を寄せて()(かま)え、

 時おり主人(しゅじん)たちの歩く音が遠くの方から聞こはしないか、細めに()けて確かめた。


 陽も落ち着いて、生温(なまあたた)かい(かぜ)が吹くと、東の空に浮かぶ薄青(うすあお)い昼の月が続いて現れた。


 (ほたる)(かた)はいつの間にか、うつらうつらしていたが、

 片耳をつけている戸板(といた)が二度叩かれる音がすると、驚いて()()ました。


 入口の方からは何の音もしなかったはずなのに。


 (ほたる)(かた)は、戸を開けた。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)だった――彼もびっくり顔で見ていた。


 まずは深く寝入った様子の三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)をじっと見つめ、彼らの他に知り合いなど一人もいないことを確かめた。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は突然、甘美(かんび)挨拶(あいさつ)をすると、満足げな微笑(びしょう)をうかべた。


 (ほたる)(かた)は、その痛所(つうしょ)である口元(くちもと)に手を当て、顔を真紅(まっか)にした。


 次に在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、庭を見まわしながら嬉しげな好奇心を示した。


 「素晴らしい景色ですね。お二人の心遣(こころ)いに感謝します」


 そこに二条(にじょう)(かた)の叫び声が聴こえた。


 「まあ、なんてきれいなんでしょう。予想外だわ。本当に魅力的です」


 二条(にじょう)(かた)は、顔を(のぞ)かせると感謝を伝えた。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、枝葉を通じて(まだ)らになった日光がきらめいているのに目をとめると、花を一輪摘み、親愛の情として、(ほたる)(かた)翠髪(つやがみ)()した。


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)は寝返りを打った。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)があまりにも満足そうに家中を()めそやすので、(ほたる)(かた)はその胸に飛び込んでしまいたい気持ちになった。


 けれども、心の底では、もう少し場所よりも自分のことを(かま)ってくれても良いような気がした。


 周りを見渡す在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、あくまで自然を愛する風流人といった感じで、その感情が人に対して向けられている様子はなかった。


 あくまでも庭と部屋という物に興味を()かれているのであって、二人の女性の努力はその次であるような印象を受けた。


 だとすれば、彼のくれた(あかし)というのも、称賛や感動に与えられたもので、愛情に由来(ゆらい)するものではなかったのだろうか。


 しばらくすると、家中は数刻前の静けさが嘘だったかのように(にぎ)やかになった。


 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)も起き上がると話題に加わった。


 「思ってたよりも大したことなかったわ、(みやこ)なんて」 と二条(にじょう)(かた)は言った。

 「実兄(あに)もわたしがいれば、そう増長(ぞうちょう)することもありません。公卿(くぎょう)たちにも、ずいぶん気を遣わせてやりました」


 葡萄酒(ぶどうしゅ)を飲んで、どんどん勝ち気になって行く二条(にじょう)(かた)に、

 三芳野(みよしの)姫君(ひめぎみ)は、作り置きした()を食べてもらうようにした。


 二条(にじょう)(かた)は、美味(おい)しさを(たた)えながら、次々と口へ運んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ