表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/104

1-1.かなうはずのない恋

 あるひとりの姫君(ひめぎみ)が、じぶんの人生に決着(けっちゃく)をつけるため、(はし)欄干(らんかん)に身をもたせかけていた。


 心地(ここち)よい夜風(よかぜ)が吹くなか、悲しげに()(くら)な川の底をのぞきこむと、ざわざわと低く(しず)かな水の音だけが聴こえる。


 水面(みなも)の近くでは、彼女の名を負う数匹(すうひき)(ほたる)が、あちらこちらで弱々しい翠光(ひかり)を浮かべた。


 まるで死の世界を暗示(あんじ)しているようで、いまから自分がそんなところに行くのだと思うと、(おそ)ろしくて足がすくんだ。


 ある高名(こうめい)僧侶(そうりょ)の言葉によると、

 死とは、誰にでも例外(れいがい)なく訪れる平等な結末(けつまつ)なのだという。


 現世でどのような(とみ)名声(めいせい)を得ようとも、あるいはいかに高貴(こうき)血筋(ちすじ)の生まれだろうとも、結末だけは生まれた瞬間から約束(やくそく)されていて、(のが)れようがない。


 実際に、この言葉を残した僧侶(そうりょ)も、ある日、自身でも思いがけなかった結末(けつまつ)に出会い、かりそめの世界から退場(たいじょう)余儀(よぎ)なくされた。


 それでも、これほどまでに(あき)らかな事実(じじつ)に関して、多くの人びとは、あえて忘れようと(つと)めている。


 そうでなければ、彼女のように"もの(ぐる)い"に取りつかれてしまうからだ。


 (ほたる)(かた)にとっての死とは、あの僧侶(そうりょ)とは異なった意味での必然であり、大切なのは、結末に(いた)るまでの過程(かてい)だった。


 死は平等な結末(けつまつ)だとして、実際のところ、そうした事実の確認(かくにん)は、わたし達の心に何も説明してくれない。


 ――わたし達の心は、どのように死を(むか)()れるんだろう?


 ――わたし達の心は、いつ生を(あき)めて、死という病にとらわれてしまうんだろう?


 疑問(ぎもん)の答えについては、彼女の()るかぎりどんな典籍(てんせき)のなかにもしめされていなかった。


 (ほたる)(かた)に、ここまで深く死を(おも)わせるのは、名前も知らない貴公子(きこうし)への恋のせいなのだ。


 都の南西、長岡(ながおか)の地に、彼女は一人娘(ひとりむすめ)として育てられた。


 より正確にいえば、上に三人、下に一人の兄妹(きょうだい)がいたのだけれど、

 度重(たびかさ)なる天災(てんさい)疫病(えきびょう)によって、一人娘(ひとりむすめ)になってしまった、という(ほう)がただしい。


 人びとは、無実(むじつ)(つみ)を着せられた親王(しんのう)(のろ)いであると噂話(うわさ)した。


 新都(しんと)造営(ぞうえい)に際して、皇位(こうい)官位(かんい)をめぐる陰謀(いんぼう)に、親王は(やぶ)れた。


 親王は、自らの身の潔白(けっぱく)を証明するため、

 獄中で絶食(ぜっしょく)するという壮絶(そうぜつ)な最後を選んだ。


 ――親王の(のろ)いは本当だったのか?

 もちろん、()まれる(まえ)(ほたる)(かた)には分からない。


 ただ、間違いのない事実として、都は新たに北へと(うつ)され、

 (ほたる)(かた)幼少期(ようしょうき)を、()()かれた長岡(ながおか)の地で住ごすことになった。


 母親(はは)(ほたる)(かた)を、(あい)()ぎるくらい大切に育て、

 彼女もまた母親(はは)の愛を理解(りかい)し、()きわけの良い子であり続けた。


 母親(はは)はじぶんが死んでしまったら、一人きりになってしまう(むすめ)を心配して、

 彼女のことをいちばんに(おも)ってくれる男性との婚姻(こんいん)(のぞ)んだ。


 母親(はは)は一度としてそのように明言したことなどなかったが、繊細(せんさい)(ほたる)(かた)はそうと気が付いていた。


 長岡(ながおか)の地には、多くの貴族が何かしらの縁故(えんこ)を持っていたけれど、彼らのほとんどは政争(せいそう)(やぶ)れ、()ちぶれていた。


 政界(せいかい)の有力者が、何度か不満(ふまん)を持つ貴族と結託(けったく)して、王朝(おうちょう)転覆(てんぷく)(こころ)みたが、

 その結末は、彼らの境遇(きょうぐう)をいっそう悲惨(ひさん)なものへと()いやるだけだった。

 

 なかには皇族(こうぞく)の女性も(ふく)まれていたけれど、彼女たちの()まいといえば、草木の生茂(おいしげ)る庭の奥の、穴だらけの壁で今にも(くず)れ落ちてしまいそうなものばかりで、土地は広くとも、生活は(ほたる)(かた)のものと、大きく変わらなかった。


 (ほたる)(かた)が、まだ(おさ)い女の子と呼ばれるべきだった時分(じぶん)――

 うらぶれた長岡(ながおか)には似付(につ)かわしくない少年が、近所(きんじょ)女君(おんなぎみ)の家にやって来た。


 白磁(はくじ)のように肌色(いろ)(しろ)い、()ずかしがり()で、

 近くの女の子たちに、いつも()いかけられて、いじめられていた。


 少年が急いで母君(ははぎみ)の家に逃げ込むと、女の子たちは、こんなふうに呼びかけた。


 「あれ、逃げてしまったわ。それにしても()()ててしまったのね、どれだけ長い年月を()てきた宿(やど)なのでしょう? 住んでいたとかいう人の(おとず)れもないみたい」


 そういって家の前に集まってきて、いつまでも居座(いすわ)っているので、少年は次のように返した。


 「草木が生茂(おいしげ)って荒れ果てた宿(やど)不気味(ぶきみ)さは、かりにも(おに)が集まってきているからなのです」


 すると、女の子たちは、ふくれっ(つら)をして、

 「つまらないわ、行きましょう」 と言い、帰って行った。


 (ほたる)(かた)は、この少年の姿を、ほんの一瞬だけ見たばかりであったが、その心の深くに印象(いんしょう)(きざ)まれた。


 とはいえ、その印象は、幼少期の恋とも言えない(あわ)(おも)()のひとつに()ぎず、次の日には(わす)れられるようなものだ。


 それが(ほたる)(かた)に、死を考えさせるほどの苦悩(くのう)(あた)えるようになったのは、

 近所(きんじょ)女君(おんなぎみ)――つまり、あの少年(しょうねん)の母親が(はか)なくなられたときのことだった。


 女君(おんなぎみ)の人生は一度(いちど)(むく)われることはなかったが、どうやらかなり高貴(こうき)血筋(ちすじ)(かた)であったらしい。


 死に(さい)しては、形ばかりの(おく)(もの)や、使者(ししゃ)来訪(らいほう)によって、(ほたる)(かた)が知るかぎりいちばん(にぎ)やかになっていった。


 それでも、夜になると喧騒(けんそう)()()いて、家の壁の隙間(すきま)から(わず)かに()()かりがこぼれるばかりになった。


 そして、涙ながらに声が()こえた。


 「世の中に避けられない(わか)れなどなくなってしまえばいい。いつまでも親の長寿(ちょうじゅ)を願う子のためにも」

 

 優しい声の主は、すでに成人(せいじん)したあの少年のものだった。


 名前も知らないあの少年の大人びた姿に、(ほたる)(かた)は、()みがたく、(つよ)()かれていくのを感じた。


 なのに、彼の名前(なまえ)官位(かんい)すらも知らない。


 彼女の恋は、ここで叶うはずもないものへとなった。


 (みやこ)(えん)もゆかりもない(ほたる)(かた)にとって、あの青年と再び出会(であ)い、まして言葉を()わすようなことは、決して考えることのできない景色(けしき)だった。


 顔を上げると、生暖(なまあたた)かな風が吹いて、月が傾いた。


 草葉と土の交じった初夏(しょか)(にお)いとともに、遠くから響く決断を迫る足音(あしおと)が、こちらに向かって歩いてくる気がした。

□お読みいただきありがとうございます! 少しでも気に入っていただきましたら、評価・感想などよろしくお願いします。とっても喜びます!


□物語はゆったり目に、人物の過去などを掘り下げながら進行して行きます。


□とにかく華やかな場面を! という方は、「3-1.源融との交流」から読み始めるのが、おすすめです。主人公の緊張の社交界デビューの様子を見ることができます。


□これからも主人公のことを応援していただければ幸いです。ひたすらお読みいただきありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ