5-2.姫君たちの手紙
在原中将は、じぶんが生じさせた恋の熱意の度合いに応じて、相手に注ぐべき愛情を加減しているのだと噂話されている。
桜花の方のような少々口喧しい女性については、在原中将のお気に入りであるにも関わらず、熱烈な恋心を燃やしているのを彼が知っていて、そのとらわれぶりを感じるからこそ、時おり無視することに決め込んでいるのだ。
今日もまた基経卿からの出京命令に次いで長い文面を書いてよこしたのは、やはり桜花の方だった。
――何故じぶんを夕食会に招待しなかったのか、気にしてなどいないが失礼にもほどがある、といった内容が繰り返し書かれていて、その筆使いからも怒りが滲み出ていた。
在原中将は手短に謝罪の文面をしたためると、
――次は絶対にお誘いする、貴女がいなければ夕食会はつまらない、といった言葉を付け加えた。
親愛なる姫君は、自尊心が満たされることが何よりも大切なのだ。
それに比べて、ていねい過ぎるくらいに礼を述べるのが、紀氏の娘である和琴の方である。
南粱の詩文集『文選』を読み込んでいた和琴の方は、詩句をたくみに引用して、年頃の女の子らしい背伸びの裏側に、隠しきれない本音のようなものを伝えていた。
書物の虫であった和琴の方も、男性たちの美点にまったく無関心だったわけではない。
ある男性に惹かれはじめていると感じたこともあったのだけれど、
その気持ちは自分の裡に秘めて、危険なことになりかねないと思った時点で止めていた。
在原中将は、和琴の方にとって未知の心情と人柄を届けてくれるし、とりわけ歌人としてはそうだったので、
彼女はより細やかな洗練と陰影、感情の機微を味わえる予感がして何度も胸の高なりを覚え、物語にあるような大恋愛や長く続く関係といった夢を断えることなく抱いていた。
けれども、怯えて守りに入る気持ちが強く、いつも決めかねて悩み、その戸惑いを隠すことばかりに苦心し、和琴の方の理想の貴公子から、ただ一つの言葉を受け取るまでは警戒を解かないことにしていた。
和琴の方が持つ学者気質な疑ぐり深い目は、熱中するほどに、却って鋭く冷めたものとなっていき、つまらない感情に支配された哀れな人間として、じぶんを卑下するのがお決まりなのだ。
和琴の方ほどの完璧を求める女性が、愛着を抱く男性となれば、
計り知れないほどの美質をいやというほど兼ね備えた者でなければならなかっただろう。
そんな和琴の方を愛おしく思い、在原中将に対しても温かく見守るような眼差しを向け続けていた西京の女君は、在原中将にとって最も長い交流を経てきた女性の一人なのだ。
在原中将が母親を早くに亡くしてからは、彼女を親い、膝の中で涙を流すこともしばしばだった。
在原中将は、この女君には必ず丁重な手紙を返すことに決めていて、
今回も近く一宿を借りることになるだろう、と伝えることにした。
基経卿からの出京命令は、文机の上に何通も放置され、今となっては丸められて猫の手毬遊びの相手となっているのだが、惟喬親王のことがあっては、もはや無視することはできないのだった。
都の政治家たちとの会談はとても退屈だ。
習慣にしたがって、宮中には出入りしてはいるものの思い入れはなく、長い夜会はいつもあくびをかみ殺し、眠い目をこらえながらやり過ごしていて、
楽しめるものといえば、恋愛ごっこ風の下女たちとの会話か、じぶんの挑発的な気紛れ、または特定の人や物に次々と興味を移したり、何かを思い出したりしていくことなのだった。
しっかり者に見える恬子内親王も曰くそのようで、
ある場合はじぶんが面白いとか素晴らしいとか感じた物事に、すぐに幻滅することはない程度にこだわるものの、誰かの味方をしたり、興味を惹かれたりするようなことは、ほとんどなかった。
身につきまとうのは、ちょっとした神経の高ぶりのようなもので、
熱しやすい者が持つような夢中になれる関心事をまるで持たないでいた。
かつて神に仕える伊勢の斎宮として下向した経験が、彼女をそのような知足安分を美徳とする性格にし、いわば賑やかな喧騒のなかで、日々の退屈をまぎらわすことを求め、じぶんでは満ち足りたつもりでいることにしていた。
それでも、在原中将に対する感謝の手紙は、いつも生きいきとしていて、
在原中将は時おり彼女のことをたまらなく愛おしく想うのだった。
年齢はいくらか上なのにも関わらず、可愛い妹がいるような、そんな気持ちになった。
その他にもいろいろな客人からの手紙を読み、返事をしたためながら、在原中将は考えた。
満ち足りると感じることは、自分が最も人を多く魅了し、この世で最も恵まれた人物であると信じなければならないはずだ。
在原中将は自らの愛嬌を頼みに思い、その実力を試してみることも多かったし、奇妙なくらいに人をとりこにする型破りな美しさは我ながら愛おしく、他の人には分からない機微を見抜き、予想することにも長けている自信もあった。
優れた女性たちがこぞって称賛する機知に誇りを持っていたし、自分の色香を閉じ込める限界があるとは知らずにいたから、
在原中将はどこかで自分のことを、この凡庸な現世に出現した稀有な逸材と判断し、世界が少しばかり空っぽで単調な感じがするのは、自分の格が高すぎるからなのだと思っていた。
自分を苦しめている絶え間ない倦怠の原因の一端がわが身にあるとはつゆも思わず、他人や世間を責めては、自らの憂鬱の責任を負わせた。
それに全く以て事実でないとも言い切れないのが、状況を複雑にしていたのだ。
人びとが十分にこの自分を慰めて、楽しませ、熱狂を引き出すための術を知らないのなら、それは彼らに面白味と本物の資質が欠けているせいなのだ。
――都にいる誰もかもつまらない、とたまに在原中将は思った。
――しかし、基経卿は少々気に入っているだけましなのだ。それはわたしが気に入っているのだから。
在原中将が気に入るのは、彼のことを比類ない人物と思うか、特別な関心を引き付ける人物か、というだけで、ある一面においては、基経卿と二条の方、そして在原中将の三人は、よく似た性格だということが出来るのかも知れない。
彼らに気に入られるためには、どんな苦労も惜しんではならないのだった。
ある手紙の封を破ったときに、そこには見慣れない手付きの文章があった。
三芳野の姫君の思いがけない変化に、在原中将は嬉しくなった。




