表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/104

3-4.在原業平の誘惑

 「退屈(たいくつ)だなんて、そんなことは」 と(ほたる)(かた)は、否定(ひてい)した。


 貴公子(きこうし)は、唐風(とうふう)椅子(いす)を引き寄せて(となり)に座った。


 (ほたる)(かた)には、この人物が長岡(ながおか)の思い出の青年であると、すぐに分かった。


 (やさ)しげでありながら男性的な、つい人を()きつけてしまう罪深い声――

 この声と、どこか(さび)しそうな瞳子(ひとみ)の思い出に()めさいなまれて、一度はあってはならない決断(けつだん)をしようとしていた(ほたる)(かた)だった。


 そして、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は話し出した。


 (ほたる)(かた)にとっては、一瞬のことで、篝火(かがりび)が風に()れた途端(とたん)(ほのお)がぱっとあがるのと同じだった。


 まるで前もってお(たが)いの意見や感じ方を(つた)えてあって、二人が同じ性格や教養、趣味を通じて分かり合う用意(ようい)ができていたような、出逢(であ)うことが運命づけられていたかのような時間だった。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)のあしらい方が上手(じょうず)なせいもあったかも知れない。


 こちらの言葉に(みみ)(かた)け、適度(てきど)(あい)づちを()ちながら、言おうとしてることを(さっ)して(こた)えてくれる。


 これが当代一(とうだいいち)歌人(かじん)とも評される在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)社交術(しゃこうじゅつ)だった。


 和歌というのは、一人で()むものではなく、相手の言いたいことを知りながら、それに(おう)じたり、あるいは(そむ)いてみたりして、じぶんの気持ちを(つた)える技術のことなのだ。


 (ほたる)(かた)は、じぶんにぴったりな(こた)えを(かえ)してくれる相手を見つけた(よろこ)びで、すっかり自信家(じしんか)のように振舞(ふるま)っていた。


 こんな親切(しんせつ)を受けたことで得意(とくい)な気持ちになり、また自分のために披露(ひろう)してくれている(きよ)らかな()のこなし、女性たちをとりこにしてしまうような彼ならではの魅力(みりょく)圧倒(あっとう)された。


 (ほたる)(かた)は、じぶんの感性(かんせい)を理解してもらおうと努力(どりょく)して、どうにか人には()かりずらい繊細(せんさい)さのようなものを、目の前の高貴(こうき)なひとに(つた)えられないか、とにかくいろいろとしゃべってしまった。


 繊細(せんさい)さこそが、今は()母親(はは)がよく()めてくれた、(ほたる)(かた)唯一(ゆいいつ)ほこれる美点(びてん)だった。


 「貴女(あなた)とお話していると楽しくて仕方(しかた)ありません。そして何よりも可愛(かわい)らしい」 と在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は言った。

 「再びお()いすることができて本当に()かった。突然のことで(おどろ)かれたでしょう。昔にほとんどすれ(ちが)っただけに()ぎない男から()びつけられて。これで不安にならない方はおりません」


 (ほたる)(かた)は、体中が(あつ)くなるのを感じながら、思いきって言った。


 「わたしは(なが)くあなたを忘れることができないでいました。しかし、あなたがあの在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)であったことは、(ぞん)()げなかったのです。わたしの知るかぎりあなたは……」 


 相手はさえぎった。


 「色好(いろごの)み、(みやこ)に危険をふり()く男――そう仰りたいのでしょう? もちろん、気に入った方であれば、誰にでも喜んで尻尾(しっぽ)()りましょう。それは皆さまご存知(ぞんじ)ですし、わたしも(かく)しだてはいたしません。でも、」


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、声音(こえ)(ひく)くして続けた。


 「今におわかりになるでしょうが、わたしの心は誰にでも公平(こうへい)ではありません。大切な友人をなくさないように、仲良(なかよ)しのまま、一度離れてしまったとしてもまた友人に(もど)れるように、全員をわたしの(まわ)りに()()めておきたいと願っているのです」


 そういって、(ふく)みのある表情を見せた。


 ――つまり、こういうことなんだろうか? と(ほたる)(かた)(おも)った。

 ――()()いて下さい。あまり自惚(うぬぼ)れてはいけませんよ。勘違(かんちが)いもなさってはいけません。あなたも(ほか)親愛(しんあい)なる友人たちの一人なのですから。


 彼女は少ししょんぼりして()った。


 「そうですね。貴殿(あなた)親切(しんせつ)をいつまでも(わす)れないようにいたします」


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は、夕食会(ゆうしょくかい)での話題が(ほたる)(かた)のものになるように道を()いてくれた。


 二条(にじょう)(かた)はそれに()った。


 まず、いろいろ()めて、(ほたる)(かた)が恥ずかしそうにしながらも、(よろこ)んでいるのを()てとった。


 ()いで、じぶんが出入(でい)りするさまざまな社交(しゃこう)()で、この夕食会(ゆうしょくかい)に参加している客人たちが、どのように評されているのかを話し、(ほたる)(かた)が自然と()(なか)に入れるように工夫(くふう)した。


 二条(にじょう)(かた)は、人が他人の生き方や(この)みについて、どう思おうと全く()(かい)さないふうを(よそお)いながらも、実は(ほたる)(かた)のことを気にかけないではいられなかった。


 二条(にじょう)(かた)がお世辞混(せじま)じりに(えが)き出した在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)肖像(しょうぞう)は、頼りないのに自立(じりつ)していて、学識(がくしき)はないのに頭が良い――

 とにかく(へん)で魅力的な男性、素晴(すば)らしい友人たちに(かこ)まれながらも完璧(かんぺき)社交家(しゃこうか)であり続ける人物(ひと)というものだった。


 (ほたる)(かた)は、反対の意を(しめ)すために時おり微笑(ほほえ)んだり、(あこが)れの人への称賛(しょうさん)()たされないことを(あらわ)す言葉を(はさ)んだりしつつ、高貴(こうき)な女性が()げる詳細な出来事(できごと)数々(かずかず)をとてもおもしろく感じた。


 その(たく)みな話しぶりには、(さら)なる興味への要求(ようきゅう)をかき立てる(ちから)があったのだ。


 「しかし、弓飾(ゆみかざ)りを差し上げた途端(とたん)に、そのまま()りに出掛(でか)けられてしまうとは、」 と源左大臣(みなもとのさだいじん)(とおる)は、話題の中心となっている友人に()った。

 「結局はただの子どものままのようだ。まるでお転婆(てんば)な女の子と何も変わらない」


 そういうとともに、在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)がいかに(みやこ)の貴族のなかではめずらしく、真に(たみ)(した)しもうとしているのか、()めそやす一文を()()えた。


 在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)(うれ)しいことがあっても、憂晴(うさば)らしをする時であっても、とにかく狩猟(かり)をしてばかりなのだ。


 近隣(きんりん)山野(さんや)には、顔なじみの猟師(りょうし)がたくさんいて、(とら)えた猪肉(つばき)鹿肉(もみじ)はみんな分けて食べてしまうらしい。


 源左大臣(みなもとのさだいじん)の称賛は、もちろん都振(みやこぶ)りの皮肉(ひにく)だったのだけれど、

 (ほたる)(かた)には、この好男子にはこの上なく相応(ふさわ)しい趣味だと思った。


 ところが、源左大臣(みなもとのさだいじん)賛辞(さんじ)には、やはり無理があって、

 在原業平(ありわらのなりひら)はじぶんが(おろ)(もの)ではないことを(しめ)そうとした。


 「それはもっともだ」 と在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)()った。

 「正直にいえば、わたしは狩猟(かり)(この)むのか、それとも山野(さんや)の人びとのことを(この)むのか、よく()からないでいる」


 そして、こう()(くわ)えた。


 「山野(さんや)(たみ)を愛さずして、狩猟(かり)を愛することなどできるだろうか?」


 なんとも挑戦(ちょうせん)な言葉であった。


 天武(てんむ)(みかど)が、飛鳥(あすか)(りょう)戸籍(こせき)を作られてから、公達(きんだち)(あいだ)では、土地を持たない浮浪(ふろう)(たみ)血肉(ちにく)(いと)わない狩猟(しゅりょう)(たみ)に対する嫌悪感(けんおかん)のようなものが、言いようもなく存在した。


 彼らもまた天下(てんか)(たみ)には相違(そうい)ないのだが、宮中(きゅうちゅう)では彼らの存在は()えないものとされており、知るところといえば、"竹取(たけとり)(おきな)"がせいぜいだった。


 それを在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)は愛すると()()ってみせた。


 冗談(じょうだん)めかした物言(ものい)いのなかに、確かな意思(いし)のようなものを(ほたる)(かた)は感じ取った。


 「ときに、」 と惟喬親王(これたかしんのう)()った。

 「公卿(くぎょう)の者たちと言葉を()わすより愉快(ゆかい)である場合がある、というのか」


 「それはどうでしょうか、小野宮(おののみや)さま。詳しくは貴方(あなた)さまの方が、ご存知(ぞんじ)でおられましょう」


 恬子内親王(やすこないしんのう)は、貴人らしい抑制(よくせい)()って微笑(ほほえ)んだ。


 「業平(なりひら)、そう基経卿(もとつねきょう)をいじめられては、二条(にじょう)姫君(ひめぎみ)に嫌われてしまいますよ」


 藤原摂政(ふじわらのせっしょう)基経(もとつね)は、二条(にじょう)(かた)実兄(あに)であり、親王とは(あさ)からぬ関係があるようだった。


 「それは(ちが)いありませんね」 と在原(ありわらの)中将(ちゅうじょう)()った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ