歌会は燃えているか
ある晴れた秋の日――
雲居寺で膽西上人が開いた歌会でのことだった。
「明けぬとも なほ秋風の おとづれて 野辺のけしきよ 面がはりすな(=面変わり)」
『秋の暮れ』という題の歌が読み上げられた。
作者の名前は隠されていたが、皆この歌が源俊頼が読んだものだと気付いていた。
皆が褒めようとした時、
「第三句が『て』で終わる歌に言いものはありませぬな」
藤原基俊が厳しい口調で言った。
「つっかえてとても聞きづらいし、何より――」
と基俊はそのまま歌を貶し始めた。
その場にいた者達は眉を顰めたり顔を見合わせたりしている。
当の俊頼は基俊の批判を黙って聞いていた。
俊恵も困って出席者を見回した時、若い貴族が基俊を睨んでいるのに気付いた。
基俊の態度に憤っているらしい。
あれは……。
最近よく歌会に呼ばれている源仲政の長男・頼政である。
仲政の家は代々武士ではあるが、歌人の家系でもあり一族の者達は勅撰和歌集に歌が取られているほど歌に秀でていた。
だが俊恵が頼政の名前を知っていたのは和歌の才によってではない(この時はまだ)。
ついこの間、賊を取り押さえているところを見たからである。
町中で若者が賊を捕まえているから誰かの郎党かと思った。
ただ、それにしては随分身形が良いと思ったら――。
「若様! そういうことは我々にお任せ下さいと何度申し上げれば……」
郎党に叱られたのを見てどこかの貴族の息子なのだと気付いた。
「これが私の務めだ」
と若い貴族が反論する。
いやいやいや、それは普通、郎党がやることで貴族は指揮をするだけだろうに。
その若い猪――もとい頼政が基俊を睨んでいるのだ。
マズい……。
このままでは白い菊が夕陽以外で赤く染まってしまう。
基俊は自分の命が風前の灯火だということに気付いていないのか相変わらず歌を貶している。
青ざめた俊恵が辺りを見回した時、
「そういえば、面白い証歌がありましたな」
琳賢が言った。
証歌とは読んで字の如く『証拠の歌』のことである。
以前のことだが、藤原清輔が、どこかの山を詠んだときに「このもかのも」と言ったら、藤原範兼が、
「『このもかのも』という言葉は筑波山で使うべきであって他の山で使うべきではない」
と批判した。
それに対して清輔は、
「筑波山はいうまでもなく、川でも詠みますけどね」
と小さい声で言った。
範兼は大爆笑した。
周りのものも一緒になって笑っている。
「証歌はあるかね」
範兼がそう言うと、清輔は、
「大井川の歌会で凡河内躬恒が序を書いたとき、『大井川のこのもかのも』と書きましたよ」
と反論すると皆が黙り込んでしまった事がある。
それはともかく、琳賢の『証歌がある』という言葉を聞いたは基俊が、
「ほぉ。伺いましょうか。どうせ大した歌ではありますまい」
と喧嘩腰で言うと、琳賢は、
「桜散る 木の下風は 寒からでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
と『で』を延々と伸ばした。
琳賢の詠じたのが『拾遺和歌集』に載っている紀貫之の名歌だと気付いた出席者達がくすくすと笑い始める。
基俊が真っ青になって俯いた。
俊頼に目を向けると彼も扇の影で忍び笑いをしている。
それで気が済んだのか頼政は基俊から視線を外した。
俊頼はそれを見て胸を撫で下ろした。
「いや、あの時は本当に生きた心地がしなかったよ」
俊恵はそう言って溜息を吐いた。
桜散る 木の下風は寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りける - 紀貫之『拾遺和歌集』
出典:
鴨長明『無名抄』「腰の句のをはりのて文字、難のこと」「「このもかのも」の論」
『拾遺和歌集』