俊恵、危機一髪! 『無名抄』より
歌合の日、俊恵は源頼政に声を掛けられた。
俊恵も優れた歌人である(ので長明は弟子になった)。
が、頼政は藤原定家の父俊成に、
「俊恵は名人だが俊頼(俊恵の父)には及ばない。そして、今の世で素晴らしい名人は源頼政で、歌の席にいるだけで注目の的になる。そして頼政が歌を詠めば『してやられた』という気分になる」
と言わしめたほどである。
俊恵自身も、
「頼政卿はいついかなる時も歌のことを考えていて、鳥のひと声、風の音、葉が一枚落ちたり、雨や雪を見ても歌の趣向を凝らしているから、あの人の歌は映えるのです」
と言っていたくらいなのだ。
歌会の席では、今日はどんな歌を詠んでくれるかと皆が楽しみにするから、当然、歌会に引っ張りだこなのである。
そんなある日、俊恵の元を頼政が訪れてきた。
「頼政卿、どうされました?」
俊恵がそう訊ねると、頼政は紙を取り出して、
「今日の歌合のために作ったものなのですが、どう思われますか?」
と、訊ねてきた。
〝都には まだ青葉にて 見しかども
紅葉散りしく 白河の関〟
「そうですね……」
俊恵が、
「能因の歌に似ていますが、似ているといっても欠点ではありません。これはきっとウケます」
と答えた。
能因の歌というのは、
〝都をば 霞とともに 立ちしかど
秋風ぞ吹く 白河の関〟
という『後拾遺和歌集』に載っているものである。
昔の歌を元にして微妙に言葉をずらして詠む『本歌取り』という技法があるのだ。
この本歌取りは「昔の人の歌でなければいけない」「誰もが知っている歌でなければいけない」という決まりがあった。
「ありがとうございます。では、あなたの判断を信じてこの歌を出すことにします」
頼政はにこやかにそう言った。
「責任は取ってもらいますよ」
えっ……!?
その言葉に俊恵は顔から血の気が引くのが分かった。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい……。
頼政は当代きっての歌人だが血の気の多い猪武者でもある。
殺される……。
頼政狂――もとい卿が負けたら殺される……。
歌合というのはただ歌を読むのではない。
試合なのである。
左右に分かれて一人ずつ歌を詠み、撰者が優れている方を選ぶのだ。
当然頼政より相手方の歌の方が優れていれば相手が勝つ。
歌合が終わった後、頼政からの使いが勝ったという報告と礼を伝えてきた。
「いや、良いと思った点を伝えたんだけど生きた心地がしなかったよ」
俊恵はげっそりとした表情でそう言ってから、
「とりあえず、命拾いしたんで安心したよ」
と付け加えた。
この歌合では、
〝子を思ふ 鳰の浮巣の ゆられきて
捨てじとすれや 水隠れもせぬ〟
と言う歌でも頼政は勝っているのだが、祐盛法師は、
「頼政卿は鳰の浮巣のことをよく分かってないのですね。あれはそんな風に揺れるものではない。歌合に出た者は誰もそのことを知らなかったのですね。まぁ言ってもしょうがないので言いませんでしたけど」
と陰で言っていた。
怖くて本人には言えないよなぁ……。
と思ったが俊恵も祐盛法師にはそれを言わなかった。