3
「ん〜!いやぁ、いっぱい観たなぁ!」
展覧会を十分満喫した俺たちはフロアを出てロビーの長椅子に座っている。
ずっと立ちっぱなしの歩きっぱなしだったので体を休ませてるところだ。
「良かったぁ、優月くんも楽しんでくれたみたいで。実は最初、ちょっと不安だったんだ。優月くん、楽しみって言ってくれてたけど、本当は迷惑に思ってたらどうしようって。でもあんなに楽しそうにしてくれて、それを見たら私も嬉しくなっちゃって。今日は今までで1番楽しかった気がする!ありがとね、優月くん!」
満面の笑みで言う雨宮。
「感謝すんのは俺の方だよ。今日はすんごい楽しかった!誘ってくれてありがとな!あ、そうだ、それでさ————」
俺は足元に置いた手提げ袋から、手のひら程の小さな紙袋を取り出す。
実は先程の出店で雨宮へのプレゼントを買っておいたのだ。
「コレなんだけど、さっき出店で買っといたんだ。今日のお礼とこの間のお詫びにと思って」
俺はその小さな紙袋を雨宮に差し出す。
「え、そんな、気を使わなくていいよ」
けれど雨宮は受け取れないと言うように、両の掌を俺に向けて、左右に振った。
「ほんの気持ちだからさ。それに、もう買っちゃった物だから、受け取ってくれた方がありがたいかなって」
「じゃ、じゃあ・・・」と、雨宮は少し困った様子で、しかし、どこか嬉しそうにも見える表情で、頬を赤く染め、両手でそれを受け取った。
「あ、ありがとう。・・・開けてもいい?」
「うん。まぁでも、そんな高い物じゃないから喜んでもらえるか分かんないけど、雨宮に似合うかなと思って選んだんだ。喜んでくれると嬉しいんだけど・・・」
俺はプレゼントを気に入って貰えるかどうか、胸をドキドキとさせながら、袋を開け、中身を取り出す雨宮を見守る。
袋の中に入っていたのは、革紐に繋がれた青い薔薇の装飾がなされた筒状のペンダントだ。
革紐を左手の指にかけ、トップを右の掌に乗せたそのペンダントが、明かりに照らされ、キラキラと反射し輝く。
「うん、とってもうれしいよ・・・!一生、大切にする・・・!」
そのペンダントを、まるで大事な宝物のように胸に抱き込み、微笑む雨宮。
その笑顔を見れば心から喜んでくれているんだとわかる。
「そんなに喜んでくれると、なんか俺も嬉しくなっちゃうな」
すると、雨宮は「あっ!」と、何か得心がいったような顔をする。
「そっか、だから優月くん、薔薇の花の前だとアタフタしてたんだね」
「えっ、と、まぁ、ね」
そんなに挙動不審だったかと思い、少し前の自分を思い出しながら恥ずかしくなってくる。
俺はひとつ咳払いをして、恥ずかしさを誤魔化すように、巻くし立てる。
「いや、本当はもっと上手く隠してさ、サプライズ、みたいなことしたかったんだけど、やっぱ慣れない事はしない方がいいな」
そんな俺に、雨宮は優しい微笑みを向けながら言う。
「ううん。そんなことないよ。ちゃんとビックリしたし、すごく嬉しかった!こんなに素敵なプレゼント、生まれて初めてだよ。ありがとう、優月くん」
そう言ってくれる雨宮に、俺は嬉しさと同時に、その純粋さにすこし照れてしまった。
「ハハ、雨宮は大袈裟だなぁ」
熱くなった顔を人差し指で掻いていると、ペンダントを買った時に、店員さんに教えてもらった事を思い出し、指を止めた。
「あ、そうだ。それよりそのネックレスなんだけど、ちょっと革紐の通し穴のトコロをつまんでさ、筒を回してみてよ」
「えっと、こう?」
雨宮は俺の言った通りにキュルキュルと音を立てながら筒を回す。
すると、取れた筒の中には丸まった紙が入っていて、雨宮は訝しげにその紙を広げてみせた。
「お店の人が言うには、その紙に願い事を書いた後、筒の中に戻して肌身離さず持っておくと願い事が叶うんだって。最初、なんで薔薇で願い事なのか謎だったけど、雨宮に青い薔薇の花言葉教えて貰った時に、ああ、それでかって納得したんだよね。ほら、雨宮言ってただろ?青い薔薇の花言葉は“夢叶う”だって」
すると雨宮は、頬を染めながら、少し困った表情を見せる。
「うん、そうだけど・・・。でも青い薔薇は、“不可能”って花言葉もあるから、少し不安だよね」
「えっ、そうなの⁈というか、1つの花にいくつも花言葉があんの⁈」
「うん、殆どの花がそうだよ。人がその花を見た時の印象はそれぞれだし、他にも昔の伝承とかからなぞらえたのもあれば、季節や時期で花言葉を付けられてるのもあるよ。同じ花でも色によって違うしね。だから1つの花に複数の花言葉が付いてるのは普通だよ」
そうだったのか!てっきり花言葉なんてそれぞれの花に1つずつだと思ってた。新しいのが付いたらどんどん上書きしてけばいいのに、メンドクサい。
やっぱりこういうのは多少なりとも調べてから渡すべきだったか。てか、あの店はそれを承知でこのペンダントを売っていたのか?
とんだプレゼントを渡してしまった、と頭を下げて落ち込んでいると、そんな俺に雨宮が焦った様に言う。
「あっ、でも花言葉なんてあくまでその花の象徴的な意味合いでしかないから、気にしなくても大丈夫だよ!その、さっきのは私の冗談と言うか・・・ゴメンね、今言う事じゃなかったよね。 このペンダントは本当に嬉しかったよ!プレゼントなんて、今まで親からしか貰った事なかったから、浮かれちゃってたみたい」
申し訳なさそうに弁明する雨宮。そんな彼女を見ると、こちらも心苦しく思ってしまう。と、同時にあることを思いつく。
「いや、大丈夫大丈夫!気にしなくていいよ。あっ、そうだ!なんなら店に戻って、別のと変えてきてもらおうか?今ならまだ間に合うかも」
俺の言葉に、雨宮は首を振った。
「ううん、大丈夫。私はこれがいい。優月くんが私を思って選んでくれた、このペンダントがいいの」
そう言いながら、大事そうにそのペンダントを胸に抱く雨宮。
たしかに雨宮が着けている姿を想像しながら選んだが、改めてそんなことを言われると、恥ずかしくなってくる。
「そ、そう?雨宮がいいなら、いいけど・・・」
俺は気を取り直し、続ける。
「ま、まぁ、話は戻るけどさ、花言葉も複数あるって事は、どれを選んでもいいって事なんじゃない?だったら俺はいい意味だけを選ぶね!だからそのペンダントを持ってれば雨宮の願いは叶うよ。きっと!」
所詮はゲン担ぎみたいなもの。雑誌の占いみたいに良いものは信じて、悪いものは無視すればいいのだ。
雨宮は口元を手で隠し、女の子らしく、綺麗に笑う。
「ふふふっ、優月くんらしいね。ねぇ、優月くん。このペンダント、着けてみてもいい?」
「えっ、い、今?」
「うん」
「い、いいけど、なんか照れるな」
雨宮は小さく「やった!」と呟くと、フックを掛けようと、首の後ろに手を回す。が、上手く掛からない様子。
「貸して、着けてあげるよ」
「ご、ごめんね、慣れてなくて」と、恥ずかしそうにする雨宮からペンダントを受け取る。
背中を向けた雨宮にペンダントを着けようとした時、俺は固まってしまった。
・・・・どうやって着ければいいんだ?
ペンダントの革紐の端と端をつまんでいるため、腕は、ようは円の形をしてしまっているため、雨宮を後ろから抱くようにグッと近づかなければならない。
かといって片方を離したとて、革紐をつまむさい腕を回すため、こちらも密着する程に近づかなければいけない。
一体、どうすれば・・・。
そんなことを考えあぐねていると、一向に着けて来ないことを訝しく思った雨宮が、振りかえる。
「優月くん、どうしたの?」
「えっ⁈いや、なんでも⁈」
固まっていた俺は、雨宮の声にビクッとしてしまい、声が裏返ってしまう。
思い悩んでも仕方ない。俺はゴクリと唾を飲み込み、「じゃ、じゃあ行くぞ」と意を決して、雨宮に腕を回した。
俺の腕が雨宮を包み込んだ際に、その時ようやく俺が固まっていた理由を理解したのか、雨宮の肩が一瞬跳ね上がった。
心臓がドクドクと音を鳴らしているのがわかる。向かい合っている時よりも雨宮が近く、彼女の甘く、いい香りが、俺の鼻腔を刺激する。
「は、はい!着いたよ!」
俺はペンダントを着けるなり、雨宮からザッと距離をとった。
「あ、ありがとう・・・・」
雨宮も肩をすぼめて、すぐにこちらを振り向きはしなかった。
しばらく二人の間に、沈黙が走る。
一つ深呼吸した雨宮が、未だ赤く染まる顔のまま、横に向き直る。
そして、指先でペンダントに触れながら、緊張した面持ちで、訊ねてきた。
「ど、どうかな・・・・?」
いまだに、エンジン音の如く高鳴る心臓を抑え、それを悟られぬ様、必死に取り繕う。
「う、うん。すごい似合ってるよ!」
途端、雨宮の表情は笑顔へと変わった。
よほど気に入ってくれたのか、雨宮はにこやかに、首に下がったペンダントトップをつまみ、細部までよく確認するかのように、クルクルと回しながらそれを見つめている。
その間に俺は、心臓の高鳴りをなんとか鎮め、落ち着きを取り戻していた。
すると、雨宮はペンダントを見つめたまま、独り言とも話しかけているとも取れる声で言った。
「でも願い事かぁ・・・。いっぱいあり過ぎてどれがいいか迷っちゃう」
悩んでいるのか、うーんと呻くような声を発しながら紙を見つめる雨宮。
「なら全部———」
喋り出そうとした途端、突如、グググゥゥゥ・・・。と、その声を搔き消す程、自分でもビックリする位の音で俺の腹が鳴り響いた。
「ア、ハハ・・・。ゴメン、朝から何も食べてなくて・・・」
あまりの大きさに恥ずかしくなる。
「そういえばお昼まだだったもんね、何か食べに行こっか」
最初、雨宮も驚いた表情を見せていたものの、苦笑いを見せる俺に、馬鹿にするでもなく優しく微笑んだ。
しかし、雨宮は知る由もないだろう。俺の馬鹿さ加減を。今の俺にはメシを食う余裕もないのだ。
なぜなら、何も考えずにお土産を買い漁っていたら、気づけば帰りの電車賃しか残っていなかったからだ。そもそも電車賃すら足りるかどうか・・・。
「ゴメン雨宮、食事のお誘いは有り難いけど、実はもう帰りの電車賃ギリギリで・・・」
あまり女の子の前で金が無いなんて恥ずかしくて言いたく無かったけど、流石に言い訳出来ないよな。
俺が正直に話すと、まるで知っていたかの様に雨宮は優しく微笑んだまま言う。
「大丈夫、ペンダントの御礼に私が奢ってあげる!」
「いや、悪いよ!家まで我慢できるし、俺は大丈夫だから」
正直すごくお腹は空いてるものの、流石に女の子に払わせる訳にはいかん、と思い1人の漢として俺は断った。
けれど雨宮は複雑そうな表情を浮かべる。
「私もお腹空いてるし、それに今日は貰ってばっかりだから、せめてご飯くらいご馳走させてほしいな」
「ん?ペンダントくらいしか、上げた覚えないけど・・・」
俺は、疑問符を浮かべながら、今日の事を振り返ってみるが、やはりペンダントしか思い当たらない。
しかし、雨宮は首を横に振る。
「ううん、貰ったよ。いっぱい」
困惑している俺に、雨宮は苦笑いを浮かべながら、覗き込むように一言。
「だから、ダメ・・・かな?」
正直、何をあげたのかさっぱりだが、ここまで言われてしまっては、断るものも断り切れない。
女性を立てるのも、また漢と言うものだ。
「そ、そっか。じゃあ今日の所は、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「うん!それじゃあ行こ!」
雨宮は満面の笑みで答え、俺達はその場を後にしようとベンチから立ち上がった。その時、強烈な破砕音と共に足から頭にまで伝わる程の大きな震動が、突如として辺りを襲った。
「キャッ⁈」
あまりの震動に足下をフラつかせた雨宮の肩を掴み、支える。
周りから他の来場者達の悲鳴や戸惑いの声も聞こえてくる。
「雨宮、大丈夫か⁈」
「う、うん。私は大丈夫。でも、さっきの何だったんだろう?もしかして・・・」
「とりあえず外に出よう!音的にかなり近くだと思うし、ここも危ないかもしれないから」
雨宮が返事をする前に、俺は雨宮を連れて外へと向かった。
もしかしてではなく、確実に化物だ。
そう、俺には聞こえていた。揺れが来る寸前に化物の怒りに満ちた『絶対に、許さない!』という声が・・・。
外に出ると多くの人達が悲鳴や叫び声を上げながら同じ方向へ必死に走っている。恐らく、その逆方向に化物がいるのだろう。
車道なんて玉突き事故を起こした車で列ができていた。
「俺達も行こう!」
雨宮に向けて言うと、不安そうな表情で小さく頷く。
そんな雨宮の手を強く握り、逃げ惑う人達と同じ方向に走り出す。
『お前達さえ・・・殺してやる!』
こんな混乱と喧騒の中でも、ずっと化物の声はハッキリと聞こえている。
この声の感じ、この前と一緒だ・・・。
脳裏に呆気なく殺されてしまった化物と、その化物の頭蓋に剣を突き立てたハウンドの姿が浮かぶ。
俺だって死にたくない。雨宮も逃さなくちゃいけない。そもそも、この騒ぎだってその化物のせいだし、それに、この化物がハウンドに負けるとも限らない。
なのに・・・なのに何でこんなに胸がモヤモヤするんだ。
化物の声が聞こえた時から、あの時の光景が頭から離れない。涙を流し、ジッと見つめる化物の、あの目が。
と、俺の足が徐々に動きを止めてしまう。
そんな俺に、雨宮が困惑と心配が入り混じった表情をさせがら覗き込む。
「優月くんどうしたの?早く逃げよ?」
雨宮の声が、とても遠くに聞こえる。
そうさせている原因は、自分自身の心臓の鼓動のせいだった。
それは走っていたせいなのか、それとも記憶から来る恐怖心なのかは分からない。
けれど、心のなかでずっと、誰かがこう叫び続けてる。
行け———と。
俺は雨宮に顔を向け、心配かけまいと笑顔を見せなが言う。
「ゴメン雨宮、メシはまた今度にしよう!俺はちょっと忘れ物を取りに行って来る。コレ、預かっといてくれ。危ないから雨宮は先に帰っててくれよ!」
もう音は大分小さくなった。ここまで来れば被害に巻き込まれる心配は無いと思う。
雨宮に手提げ袋を強引に渡すと、返事も待たずに、俺はすぐさま駆け出す。
「えっ、待って!優月くん⁈優月くん!!」
後ろから雨宮が呼び止めていたが、俺は振り向く事なく来た道を戻っていった。
ようやく、先程の文化会館近くまで戻ってきた俺は息を切らしながら辺りを見回す。
ちょっと前まで激しい轟音や震動が断続的に続いていたのに、今ではまばらで、しかも移動してるのか、あちらこちらと追いつけない。
そして、また先程とは違う方向でドォォン、と体の奥に響くような重低音が鳴る。
「そっちか!」
息を整える間も無く、俺は音のした方へと駆け出した。けれど焦りのせいか、不思議と息苦しさはない。今ならいくらでも走れそうだ。
そういえば、今回は警察の立ち入り規制が無かった。もしかして、もうその領域内に入ってるのかな?まぁいい、今はそんな事気にしてる場合じゃない。急がなければ。
ついさっきまで人で溢れていたのに、今では人っ子1人いない閑散とした街を駆け抜け、事故を起こして乗り捨てられた車の列を跳び越え、建物同士の隙間の裏路地を通り抜け様とした時だった。
「むぐっ⁈」
口元を押さえられ、路地裏へと引き戻される。というよりも、そのまま後ろに投げ飛ばされた。
「イッテ⁈誰だよ急に!危ないだろ!」
俺が唸りを入れた先には、色白で長い灰色の髪を束ねた、女性とも男性ともつかない中性的な顔立ちの人が立っていた。
そして、その人は落ち着いた口調で静かに口を開く。
「何故、君はまだここにいる?」
その声質は男性のモノだった。それに身長も高いし男・・・だよな?
「ア、アンタには関係ないだろ。それにアンタだってここに・・・」
俺はハッとして、少し後ずさった。
「アンタ、まさか・・・」
そうだ、今この一帯に“普通の人”はいないはずだ。そして今、この場でこの落ち着き様、ただの人でないことに間違いはないだろう。
しかし、構えた俺を見て男は察したのか、ため息を吐いた後に呆れたように言う。
「僕は、ハウンドじゃないよ」
それを証明するかのように、シャツの袖のボタンを外し、めくり上げると、露出した腕の表面から炎を出して見せた。
「化物⁈」
驚いた俺を見て、男は軽く笑った後に、すぐに炎を消した。
「そんなに驚く事はないだろう?君だって“化け物”だろうに」
「なっ⁈」
俺は驚きを隠せなかった。
何故俺が化物だと知っているんだ?この男と、どこかで会った事があるのか?
正直、嫉妬してしまう程の端正な顔立ちだ、こんな人と出会っていれば忘れることはないはず・・・。
しかし、記憶を手繰り寄せる中、俺はあることを思い出した。
そういえば、あの口元を抑えられて引っ張られる感じ、どこかで・・・。
「あっ!もしかしてアンタ、この前の化物騒動の時、俺の邪魔をした人か⁈」
あの時顔は確認できなかったが、あんな乱暴な引っ張り方する奴なんか他にいない、と思う。
男は、やれやれと言うように、頭を小さく左右に振る。
「邪魔?あれは君を助けたつもりだったんだがな。そもそも、怖くて震えていた君に一体何が出来たと言うんだ?」
「それは・・・そうだけど・・・・」
言葉に詰まり、何も言い返せない。事実、俺は死を目の当たりにして、恐怖で何も出来なかった。あの時、止めようとした言葉すら、本当に出せたかどうか。
男の双眸がジッと見つめてくる。男のその視線に圧され、俺は目を逸らしてしまった。
「今回も同じだ、君には何も出来ない。する必要がない。ここは、君がいるべき場所じゃない」
男の言う通りだ。相手は化物を殺すプロ。俺が行った所で、ヘタしたら死体が1つ増えるだけかもしれない。
でも、たとえそうだとしても、もう見て見ぬ振りなんて俺にはできない。
「確かにアンタの言う通りだ。正直、今も怖いよ。でも、だからって見捨てるなんて出来ない!恐怖なら押し殺してやる!出来ないとか、必要ないとかそんなの関係ない!俺には、アンタみたいに火なんて出すことはできないけど———」
自分の右手に視線をやり、グッと拳を握る。
「でも、この力で、誰かを助けられるなら・・・」
こんな自分でも、認められそうな気がするから。
その言葉は、心の中に押し留めた。
「それをしなくちゃ、それこそ化け物だろ!心まで化け物になってたまるかよ!」
男の睨め付ける視線を俺は、今度こそ真っ直ぐに見つめ返す。
「そこをどいてくれ!どかないってんなら———」
俺は脅しのつもりで右腕を化物化し構える。
が、次の瞬間、男の右腕から凄まじい炎が噴き上がり、その腕を振り上げると、まるでその炎は蛇のように地面を這い、瞬く間に俺の周囲に燃え広がる。
彼の、立ち去れと言う脅しだろうか。
けれど俺は、驚きはしたものの、決して怯んだ姿勢は見せず、男に睨みを利かせた。
少しの間、睨み合いが続く。
額からじわりと、汗が込み上げてくる。それは、男への恐怖心からなのか、それともただ単に、俺を包む炎の熱気からなのか。
しかし、これ以上こんな所で時間を潰す訳にはいかない。そう思った俺は、意を決し男に突撃を仕掛けようとしたその時、男は小さく何かを呟いた。
「やっぱり——————」
小さすぎて聞き取れなかったが、男は先程までの厳しい目つきとは打って変わって、笑みを浮かべ、しかし悲しみも感じさせるような、そんな表情を見せ、サッと腕を振り払うと、俺を包んでいた炎が消えてしまう。そこには焦げた跡と、溶け出したアスファルトだけが残った。
「これは最後の忠告だ。本当にいいんだね?君は、まだ彼らに認知すらされていない。けれど助けに行けば、君という存在を、1匹の化け物の存在を彼らに知らしめることになる。その意味を、わかった上でも行くというのかい?」
表情どころか口調もさっきとは全然違い、優しさすらも感じる。
もしかして、俺の覚悟を確かめていたのだろうか。
戸惑いながらも、俺はすぐに答えた。
「俺の気持ちは、変わらない・・・です」
それを聞いた男は、一つ溜め息を吐くと、路地の脇に無造作に置かれていた黒いナップサックを取り上げ、俺の方へと放り投げた。
「おわっ、と」
見事な放物線を描き、胸へと飛び込んで来たそれを、俺はただ受け止めるだけでよかった。
「えっと、これは?」
訝しむ俺に、男は答える。
「せめてもの餞別だ」
怪訝に思いながらも、ナップサックを開け、中の物を取り出してみると、まるでマトリョーシカのように、また丸まった黒い布が出てきた。
しかし、今度のそれは袋の類ではないようで、布の中には、何か硬い物が包まれている。
広げてみると、黒い布はジャージの上着で、中には同じく真っ黒なガスマスクが包まれていた。
俺はそれを見るなり、目を輝かせた。
「おぉ、カッコいい!」
ガスマスクを手に取り見惚れている俺に、男は1つ咳払いをし言う。
「どうせ君の事だ、そのまま出て行くつもりだったのだろう?日常生活を捨てたくないなら、奴らの前で素顔は晒さない方がいい。身元がバレて面倒なことになるからね」
確かに、言われてみればそうだった。
得心のいった俺は、すぐその場で、少しサイズの大きめな黒いジャージと、ガスマスクを身につける。
着けたガスマスクを、自分の顔をペタペタと探るように触れる。
なんだか、テレビで観た事あるような、何かの特殊部隊の隊員になったみたいで、少し気持ちが高揚する。
これがコスプレと言うものか。良き!
ガスマスクというアイテムを身に付け、興奮している俺を見て、男は呆れたような溜め息を漏らし、続ける。
「それともうひとつ、移動する時はなるべく建物の上を通った方がいい」
「上?」
俺は一度ガスマスクを外し、首に垂れ下げ、言いながら上を見上げた。そこには、空を隠す程に高い建物の壁が、左右に建ち並んでいる。
「そう。街中は監視カメラだらけだ。けど、監視カメラは高所に設置されていても、上を向いている物はほとんどないからね」
「で、でも、顔を隠すためのマスクなんじゃ・・・」
「足取りを追われるんだよ。ハウンドは今や国家機関のひとつだ。警察とも連携を取って動いている。だから、そのマスクとジャージを着ける時も外す時も、必ずカメラの死角を意識しろ。そして、何食わぬ顔で一般人に紛れ混むんだ」
そうか、逃げる時にも注意が必要なんだな。
俺はその壁に向かい合い、右手で触れると、男に疑問をぶつけた。
「けど、こんな高い壁、どうやって登れと?」
その質問に男は呆れた様に答える。
「・・・君の右手は飾りか?その右手で壁を掴んで登ればいいじゃないか」
壁を、掴む?何を言ってるんだこの人。
「そんなこと、できるわけ———」
と、男に向け口を開けた途端、すぐ右側からゴリッ、という何かが砕ける音が鳴った。
俺は恐る恐る顔を向けると、思わずして力を込めてしまっていたのか、化物化した右手の指が壁にめり込み、5つの線を刻み込んでしまっていたのだ。
自分でやった事ではあるものの、俺は驚きで固まってしまった。
「うそだろ・・・」
そんな声を漏らした後、その右手の怪力を確かめるように、そのまま壁を握り込んでみる。
すると、ゴリゴリゴリ———と、まるで豆腐でも握り潰す様に、ほんの少しの力でコンクリートは砕け、壁に手のひら大の窪みを作ってしまった。
「マジかよ・・・」
今まで、化物化してもバレないようにと、部屋の中でしかしなかったし、すぐに戻していたために、この右腕にこんな力があったなんて気づきもしなかった。
俺は、そんな自分の右手を見つめ、冷や汗が流れた。
これまで誰にも言わず、不用意に力を使わなくて正解だった。もし、何も考えずにこの右腕を振りかざしていたら、いったいどうなっていたことか、考えるだけでゾッとした。
しかし、それと同時に自信と、安心感が湧いたのも事実であった。
ホントの所、不安はあった。いや、不安しかなかった。
こんな右腕だけでハウンドの前に出たところで、何も出来ずに化物と一緒に殺されてしまうんじゃないか。
頭の中を駆け巡っていた、そんな嫌な想像で押し潰されそうだった心を、たとえ気休めでも和らいでくれたのは助かった。
そんな安心感からか、俺は口元を綻ばせていた。
その間、男はじっとこちらを見つめていた。何だか、懐かしいものを見るような、そんな目で。
「えっと・・・そのぉ・・・」
俺は、目をオロオロと泳がせながら、男に向き直る。
アドバイスやガスマスクをくれたりと、ここまでよくしてもらい、感謝の気持ちはある。けれど何故だろうか、彼を信用し切れない自分がいた。
たぶん、ほんの小さな違和感なのかも知れない。しかし、理由がなんなのか、自分でも分からず戸惑っていた。
「今更ですけど、アナタは一体・・・」
男は軽く笑った後に言った。
「僕は陽、竃陽だ」
彼、陽さんがそう名乗った時に初めて、俺はまだ自己紹介すらしていなかった事に気づいた。
「あ、えっと、俺は———」
「知っているよ。優月」
何故知っているのか。そんな疑問はあったものの、それ以上に俺は、優しく微笑むその笑顔に、どこか見覚えがあった。
それに何故だろうか、その笑顔を見て何か忘れてはならない事を、忘れているような気がする。
「あの・・・以前に、どこかで会ったこと、ないですか?」
俺の問いに、陽さんは目を伏した。
何かを言いかけるが、すぐに口をつぐむと、今度はフッと、軽く笑って見せる。
「さあね。だけど1つ、これだけは憶えていて欲しい。『君の命はもうすでに君だけの命ではない』という事を」
「俺の・・・命?それって・・・」
それはもしかして、心のどこかで引っかかっている何かに関係があるのか。
しかし、俺の問いかけに答えるつもりはない、といったように陽さんははぐらかす。
「質問ばかりしている場合じゃないだろう?助けに行かなくていのかい?」
俺は、その言葉にハッとした。
「そうだ!あの人は———」
本来の目的を忘れる所であった。
先程の疑問など吹き飛び、俺は慌てて周りの音に意識を集中した。
遠くの方で、いまだ戦闘は続いているようだ。
しかし、聞こえる化物の声からして、状況はあまりかんばしくない様子。
化物の苦しそうな声が聞こえる。
マズい、早く行かないと。
そう思った時、落ち着いた態度の陽さんの姿が目に入った。
その時俺は、彼への不信感の理由をようやく理解した。
彼も化物なら、この声が聞こえている筈。それなら、何故こんなにも落ち着いていられるのか、何故助けに行く素振りも見せないのか、それがこの違和感の、不信感の答えだったのだ。
「・・・アナタは、助けに行かないんですか?」
別に、彼の力を借りたい訳ではない。ただ、確かめたかっただけだ。彼にも、人の心が残っている事を。
しかし、俺のそんな願いも虚しく、陽さんは鼻で笑うと、軽口をたたく。
「せっかく教えたんだ。出来れば、名前で呼んで欲しいな」
「茶化さないでください!」
俺の真剣な眼差しに、陽さんはやれやれといったように首を振り、その顔から笑顔が無くなると、冷たく言い放った。
「僕は、行かないよ」
「どうして・・・仲間だろ!どうして、助けてやらないんですか!」
「どうして、か・・・」
陽さんは、少し寂しそうに視線を横に逸らし何かを考えた後、また軽く笑いながら、こちらに視線を戻した。
「そうだね。多分、失うことに慣れ過ぎたのかも知れない。けれど、だからこそ、本当に護らなければならないモノを理解しているのさ」
「そんなの・・・ただの言い訳だ。救える力があるのに、しないなんて、責任から逃げてるだけじゃないか!」
その言葉に、常に平静を保っていた陽さんの眉根が、ピクリと動いた。
「・・・・君にも、いずれ分かる時がくるさ」
「そんなの、分かってたまるか!俺は、絶対に助けて見せる!」
俺は陽さんの返答も待たず、自分自身にも言い聞かせるように言い捨てると、指を壁にめり込ませ、膝を曲げ、ジャンプと同時に一気に腕を振り下ろした。
ガッ、とコンクリートの壁が砕ける音がしたと思うと、一瞬にして7階程の高さのあったビルを軽々と超え、俺の体は天高く浮かび上がっていた。
「スゴイ。けど・・・これって・・・」
想像以上の跳躍に驚いたのも束の間、空中でふわりと止まると、今度は徐々に落下して行く。
「うっわぁぁぁぁぁああ!」
もがきながらバタバタと空を掻くも、そのままビルの屋上に墜落した。
なんとか右手で落下の衝撃は抑えたものの、勢いよく転がり、落下防止のための鉄柵にせき止められる。
「いたたた・・・あー、ビックリしたぁ」
立ち上がり、服の埃を払う。
そして、右手を見てグッと拳を握り込むと、今一度自信を漲らせた。
「よしっ!やってやるぞ!」
俺はガスマスクを着け直し、駆け出した。
優月の叫び声が響いてからしばらく、静寂に包まれた裏路地で、陽は溜め息を吐いた。
「まったく、落ち着きのない子だ。あの人とは正反対だな」
何だか少し嬉しそうな表情をするが、すぐに憂いを帯びた表情になり空を仰ぐ。
「絶対に助ける、か・・・・」
彼は思い返していた。まだ、自らの力を過信していた頃の自分を。
「僕は、何一つ守れなかったな・・・」
そう呟き、陽は小さく笑った。まるで、自分を嘲笑しているかのように。
しばらくして、陽はまた顔を上げる。今度は、優月の姿を追うようにして。
「まぁ、今回は彼等もいるんだ、死ぬ事はないだろう。それはそうと———」
そして、陽は対面のビル角に視線を向けた。
「そこの君、いつまで隠れているつもりだ?」
陽の言葉に、恐る恐るといった様子で、彼のいる路地裏を覗き込む人影があった———。
陽さんと別れて、俺はひたすらに音のする方向に、建物から建物へと飛び移りながら向かっている。
「そういえば、ありがとうって言いそびれちゃったな・・・」
俺は陽さんに対して、少し罪悪感を感じていた。
陽さんの無関心さに、カッとなって言い過ぎてしまった。それに、ここまで良くしてくれたのは事実なのだ。きっと、それ程悪い人ではないはず。
それなのに、あんな態度を取ってしまったことを、今更になって申し訳なく思う。
申し訳ないといえば————。
ビルの屋上を駆け抜け、隣のビルへとジャンプし壁に指を突き立てる。
「というかこれ、大丈夫かな・・・」
先程から建物間を移動する度に、穴を開けまくってしまっているのだが、バレたらメチャクチャ怒られそうだ。
でも今は緊急時なんで、ごめんなさい!
そう、心の中で建物の所有者に謝罪をしながら、容赦なく次々と穴を開け進む。
そして、コロコロと移動して大変だったが、ようやくハウンドの集団と、化物が戦っている現場を見下ろせるマンションの屋上に到着した。というより、化物の動きが最初の頃より鈍くなり、大きな移動がなくなったから追いつけたといった所だ。
ビルの屋上から様子を窺うと、まず目に入ったのは、悲惨な現場の状況だった。
とてつもなく激しい戦闘があったと一目で分かるほどに、周囲の建物は崩壊してしまっている。
その次に、化物の姿だ。
その姿は、まるで巨大イタチのようで、異様に長い尻尾を含めれば15mくらいはあるだろうか。けれど、それ以上に特徴的なのは、その化物の4本の足の踵とおぼしき部分から、まるでピンヒールかのように、太い指のようなものが生え、そこから湾曲した大きな刃が後ろに向かって、獣爪のように生えている。それに加え、先程の異様に長い尻尾の途中から先端にかけて、巨大な剣になっているのだ。
しかし、そんな物々しい姿の化物だが、鼻息を荒げ、体を大きく揺らしていて、オコジョを連想させるような白い体毛も、所々赤く染まっている。その姿を見た瞬間は信じられなかったが、やはり苦戦をしいられているようだ。
そして、今現在その化物と対峙するハウンドと思われる黒装束の者たちは、隙を狙っているのか、的を絞らせぬよう3人が間隔を開け、少し離れた所に2人のハウンドが並んでいる。つまり、お互い睨み合っている状態だ。
今行くぞ!
そう心の中で叫び、屋上の鉄柵を越え身を乗り出し、下を見た時、初めて俺は自分が7、8階の高さのあるマンションにいたことを思い知らされた。
強い風がビュゥゥゥ、と音を立てながら吹きつけ、恐怖を引き立てる。
どうする、やっぱり階段から下りて行こうか。けど、モタモタしてたらあの人が・・・。
俺が飛び降りるかどうか、そんな事に時間を費やしていると、化物とハウンドの状況が動き出してしまう。
痺れを切らしたのか、ハウンドの1人が化物に向かって飛び出した。
『お前達が・・・どうして・・・お前達さえ!』
化物は叫びながら迫るハウンドに向け、長い尻尾を振りかざす。すると、その尻尾の大剣は数珠状に広がり、その長さを倍増させ、まるで鞭の様にしなりながら、迫り来るハウンドに襲いかかる。
が、いとも簡単に避けられ、踏ん張っていた足の甲に刀を突き立てられる。
『いっ・・・!』
痛みで怯んだ隙をハウンドは見逃さず、後に続いていた別の2人の内の1人が、即座にもう片方の足にも刀を突き刺し、もう1人は化物の後方まで跳び跳ねて、大きな刃の付いた尻尾に刀を突き刺し、切り裂いた。
流れる様な連携、本当に一瞬の出来事だった。
『ガッアァァァァァァァァァ!!』
化物は絶叫を上げると、力尽きたように地面に倒れ込んだ。
そして、倒れた化物に、まるでトドメと言わんばかりに、刀を突きつけるハウンド。
その光景を見た俺は、覚悟を決める。
もう、悩んでいる暇はない!一か八か、やってやる!
俺は歯を食いしばり、マンションの屋上から飛び降りる。
「いっ、ぎぎ・・・」
俯瞰で見れば一瞬の落下も、その身で体感すると、とても長い時間に感じられた。
恐怖で叫びたい声を押し殺し、閉じたい目も決して瞑ることなく、全身で空気の抵抗を受ける中、タイミングを見計らう。
今だ!
落ちきる前に、マンションの壁に化物化した右手をかざし、指をかける。そして、壁を抉りながらスピードを殺し、ガクンという衝撃に合わせて態勢を変え、瞬時にハウンドを目で捉えると、重力が働くよりも早く、その右腕で壁を殴りつけた。すると、爆発にも近い破砕音でビルの壁を粉砕すると同時に、その衝撃で俺の体はロケットのように凄まじいスピードで、ハウンドたちの方向へと跳び出した。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉおお!」
激しい破砕音と怒号に、今にも化物にトドメをさそうとしていたハウンドが、こちらに気づいて振り向いた。
しかし、時すでに遅く、跳び込んだ勢いのまま、俺はそのハウンドにタックルをかます。
「ぐぅっ⁈」
思ってた以上に勢いが強く、吹き飛ぶハウンドだが、やはり訓練している事もあってか、不意を突かれたにも関わらず見事に着地している。少しのダメージも受けたようには見られない。
むしろ、タックルをかました俺の方が地面に転げ落ちた。
けど、狙い通りトドメは阻止できた。一か八かだったが、上手くいって良かった。
「何者だ、お前」
吹き飛んだハウンドが、体勢を整え威圧感を放ちながら言う。
俺もすぐに立ち上がり、無言のまま化物化した腕を前に出し、構える。
腕にハウンドの視線を感じる。
「その腕・・・お前、化物か?」
俺は何も言わず一段と拳を強く握った。
と言うよりも、声が出せなかった。拳を強く握ったのも、震える手を誤魔化すためだ。
先程まで、自分の右手のパワーに自信を沸かせても、やはりいざハウンドを前にすると、殺されるかもしれない、という恐怖心が込み上げてくる。
「そうか、わざわざ殺されに来たということか。殊勝なことだ」
ハウンドは、特に構えるでもないのに、恐怖心すら感じる不気味なオーラを放っている。
それに屋上からじゃ気づかなかったが、このハウンド・・・いや、このハウンドだけじゃない、他の4人のハウンドも朱い炎の様な模様を狗の仮面やコートに、あしらわれている。
こんな奴ら見たことない。写真で見た事あるハウンドは、どれも真っ黒な姿をしていたのに。そもそも、普通のハウンドでも勝てるか分からないのに、彼らがハウンドの中でも特別な部類だったら、かなりマズイ。
でも、俺の目的はハウンドを倒す事ではない。化物さえ逃す事ができれば、なんとか・・・。
少しでも恐怖心を誤魔化すため、そう心の中で言いながら、倒れている化物を横目に見る。
しかし、化物はグッタリとしたまま、動かない。
覚悟はしていたつもりだが、本当に戦わなくちゃいけないのか。他に何か手はないのか。
先の事など何も考えず突貫して来た為、これからどうするか悩んでいると、目の前のハウンドの元に、服の上からでも女性と解る程の胸部の膨れたハウンドが近づいていった。
「どんな能力を使ってくるか分からないわ。気を付けて」
「わかってるさ」
何かコソコソ話しているようだが・・・と、それを待っている間に、気づけば囲まれてしまっていた。
前に2人、後ろに1人、左に瀕死の化物、そして右の瓦礫の山から2人の朱いハウンドがこちらを見下ろしている。
クソッ!何か、何か手はないのか。この状況を打開できる手は。普段使ってないんだ、こんな時くらい働いてくれ、俺の脳みそ!
嫌な想像ばかりが頭をよぎる。そのせいで思考が働かず、体も震え、冷や汗が止まらない。
必死で、どうするか考えていたその時、左から振り絞る様な、か細い声が聞こえてくる。
『ダメ・・・早く、逃げて・・・私は・・もう・・・・いいから・・・・・・』
その言葉を聞いた時、俺の中で何かが弾けた。
「諦めるなよ!」
ハウンドたちを見据えながら、化物に対して声を張り上げた。
ジリジリと詰め寄って来ていたハウンドたちも、その声に足を止めた。
「頼むから、諦めないでくれよ。もう、目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだ」
名前も知らない、話した事もない。そんな他人、放って置けばいい。誰もがそう言うかもしれない。
力もないのに、勝てるかも分からないのに、無謀にも首を突っ込んで、俺をバカだと誰もが笑うかもしれない。
ましてや、それが化物なら尚更だ。
でも、違うだろ。そうじゃないだろ。命ってのは、そう簡単になくなっていいものじゃないだろ!
誰だろうと、力がなかろうと、目の前で消えかかった命を見過ごす事なんて、俺にはできない!
「大丈夫!俺が絶対にアンタを守り抜くから」
そう言い、俺は化物に向かって親指を立てて見せた。
未だ恐怖心は残るが、不思議と手の震えはなくなった。たぶん、本当の意味で覚悟が決まったのかもしれない。
と、先程吹き飛ばしたハウンドが、手に持った刀をクルクルと回しながら言う。
「もう、いいか?」
続いて、後ろにいるハウンドがボヤいた。
「はぁ、何か後味悪いな」
そうして余裕綽々といった風に、静観していたハウンドたちが、今にも動きだそうとした時だった。
『くッ・・ああぁぁぁぁぁあああ!』
化物は唐突に雄叫びを上げると、大量の血を吹き出しながら、刀の刺さった足を持ち上げ、無理矢理に引き抜いた。
「こいつ、まだ———⁈」
俺の後ろにいたハウンドが驚きの声を上げた。
化物は間髪入れずに、そのハウンドの足元めがけ、腕に生えた刃を振り払う。
しかし、そんな見え見えの攻撃が当たる訳もなく、ハウンドは軽々と空中へ跳ね避ける。
『いま・・・!』
消え入りそうな、けれども力強くも感じた声で化物が言う。
ハッとした俺は、近場にあった大きな建物の瓦礫を掴み取ると、
「吹っ飛べぇ!!」
跳び上がったハウンドに向けて、投げ付ける。
「マっジかよっ⁈」
上手く瓦礫の面に打ち付けられたハウンドは、そのままの勢いで飛んでいき、遠方のビルへと瓦礫と共に激突した。
「しまった⁈」
力をセーブしたつもりだったが、予想以上に飛んで行ってしまった事に、焦りの声を漏らしてしまう。
けれど、ぶつかる寸前に防御姿勢を取っていたし、相手は訓練された特殊部隊の人間、恐らく死んではいない筈だ。
「『ハスキー』、飛んでった」
「油断してるからよ、自業自得ね」
なんなら、瓦礫の上にいる彼の仲間達も、焦る様子すら見せていない。それもどうかとは思うが。
それよりも、相手はまだまだいる。彼を吹き飛ばせたのも、さっきのハウンドの言う通り相手が油断していたのと、化物の協力があったからこそだ。
俺が助けに来たのに、逆に助けられていては、面目が立たないな。
しかし、流石にもう、あんな状態の化物に無理はさせられない。血だって大量に出ていたし、元より瀕死の状態だったんだ、これ以上動けば本当に死んでしまうかもしれない。
化物の安否を確かめる為、そして助力に感謝しようと、視線を向ける。
「ありがとう、助かっ・・・たッ⁈」
視線を向けた先にあったものに、俺は驚愕した。
なんと、そこには傷だらけの裸の女性が、うつ伏せで倒れていたのだ。
「ちょっ、え、何で⁈」
咄嗟に見ないように、左手で目を隠す動作はするものの、やはり俺も健全な男子高校生、欲望には抗いきれずに指の隙間からチラチラと見てしまう!
恐らく、この女性はさっきの化物だった人だろう。現に、あれだけ大きかった化物の姿はなく、化物が倒れていた場所に、その女性が倒れているのだ。
しかし、何故今になって変身を解いたのか、考えられる理由は二つ。一つは、完全に意識を失ったか。もう一つは———。
「嘘だろ⁈もしかして、死んじま———」
まさかと思い、化物の元へ駆け寄ろうとした時だった。
ジリッ、という砂利を踏みしめる音と共に黒い影が視界の端に入る。
その瞬間、俺の目と鼻の先には陽の光に照らされ、輝く刀の刃が迫っていた。
「———たっ⁈」
間一髪のところで後ろに身をのけ反り、ハウンドの一閃を躱す事が出来た。
そして、そのまま後ろに倒れてしまうが、横に転がり、ハウンドと距離をとる。
「ッブネえ・・・」
思わず呟いた。さっきのは本当に危なかった。少しでも遅れていたら、首が飛んでたところだ。
突然の命の危機に、全身の毛穴が開く感覚が分かる。心臓が高鳴り、呼吸も荒い。
「余所見とは、随分と余裕だな。1人倒したくらいでいい気になるなよ」
ハウンドは追撃するでもなく、慣れた手付きで刀をクルクルと回しながら言う。まるで、避けさせてやった、と言わんばかりに。
「どうした?いつまでそのままでいる。待ってやるから早く完全体になれ」
恐らく完全体とは、先程の化物のように、全身を化物化することを言っているのだろうが、そもそも俺は右腕しか変えらんない。
荒い呼吸を抑え、俺も冷静を装い答える。
「期待してもらってるとこ悪いけど、俺は右腕しか変えられないなんだよ」
クルクルと回していた刀をピタリと止め、あからさまにガッカリとした口調で、ハウンドは呟いた。
「なんだ、ただの出来損ないか」
「できっ・・・⁈」
嘲る様に呟くハウンドに、怒りを覚える。
「何なんだアンタ!人を物みたいに言いやがって!それに、なんでそう簡単に人を殺そうとできるんだよ!ハウンドってのは、皆んなアンタみたいな奴らばかりなのか!」
しかし、俺の話を聞いているのか、いないのか、またボソリと呟いた。
「なら、もう用はない」
そう言うと、ハウンドはユラリと体を揺らすと、瞬間、高速で距離を詰められ、反応しきれなかった俺は、強烈な蹴りを腹に食らう。
「ぅぐっ⁈」
振り抜かれた蹴りで吹き飛ばされた俺は、あまりの威力にうずくまる。
「それに戦い方もなってない。お前みたいな出来損ないが、何しにここへ来た?」
痛む腹を堪え、俺は怒りに任せ反撃に出る。
「コノ・・・ヤロォ!」
右腕を振りかぶり、その体勢のまま走り出し、狗の仮面めがけ拳を放つ。
しかし、俺の拳がその仮面を捉えることはなかった。
当たる寸前、ハウンドは体を横に向けるだけで俺のパンチを軽く避け、そのまま通過した俺は、背中に何か硬いものを打ちつけられる。
「うっ⁈」
痛みと共に、俺はまた地面に這いずる。ハウンドが手に持っているのは刀だけ。どうやら、峰打ちをされたようだ。
「そういえばさっき、あの化物に守り抜くなんて言っていたな、弱いクセにヒーローの真似事なんてするから、そんな無様な醜態を晒すハメになるんだ」
ハウンドはこちらを一瞥することなく、刀を眺めながら言った。
「だから・・・何だってんだよ」
もう完全に遊ばれている。けれど、俺の頭に逃げるという選択肢は1ミリもなかった。許せなかったんだ。まるで、化物を殺すのが当たり前だと言うような、この人の態度が。
「どんなに無様でも、引けないモンがあるんだよ!」
俺はヤケクソになり、何度も、何度も殴りかかるが、その度に躱され、反撃を貰い、ついには、立つ事もままならない程に倒れ込んでしまう。
そんな俺を見て、ハウンドは軽く笑った後、口を開いた。
「お前には残念だが、あれだけの出血量だ。どの道あの化物は、もう助からない。つまり、お前の行動全てが無駄だったと言う訳だ。見て見ぬ振りで、大人しく臆病者として生きていれば、こんな目に合う事もなかったのにな」
それは、トドメと言わんばかりに、俺の心を折ろうとするハウンドの悪質な言葉だった。
「・・・声が・・・聞こえんだよ・・・・助けてって・・・。ほっとける訳・・ねぇだろうが・・・!」
しかし、俺の心は、俺の覚悟は、そんな事で揺れる事はない。
「うっ・・・・ぐっ・・・・」
けれども、心とは裏腹に、体は言う事を聞いてはくれなかった。
拳を地面に突き立て、立とうとするが全身の痛みがそれを阻む。
ダメだ・・・。身体中が痛くて、動けない・・・。
クソっ・・たれえ・・・!
俺はまた、眺めてるだけなのか?また、助けられないのか・・・・?
それどころか、助けるはずの化物に、あんな無茶までさせてしまって、そのせいで・・・・。
情けねぇ・・・。これじゃ本当に、ただの無様奴じゃないか。
唐突に、頭に重い衝撃が走る。
倒れている俺の頭を、ハウンドが踏み付けてきたのだ。
「何故俺が、ここまでお前を痛めつけるか、理解できるか?気に食わないんだよ、お前の様な化物ごときが命を語り、ヒーローを気取る事に反吐がでる!お前達化物が、今までどれだけの人々を傷付けて来たと思ってる!俺達からッ・・・!」
ハウンドは言葉を詰まらせると、一拍おいた後、大きな怒号を上げた。
「・・・・俺達から、どれだけ大切な物を奪っていったと思ってる!!!!」
「お前らは害虫と一緒だ!生きてるだけで不快感を与える、存在自体が害悪なんだよ!!」
それと同時に、俺を踏みつける力も強まっていく。
すると、それを見かねてか制止する女性の声が一つ。
「落ち着いて『シュナウザー』!流石にやりすぎよ!」
シュナウザーと呼ばれたハウンドは、ハッとして我に返ると、俺の頭から足を退け後ずさる。
その声は、先程の女性のハウンドだった。
シュナウザーは、興奮気味に荒げた呼吸を整え、次第に落ち着いていく。
「・・・済まない『テリア』。俺はまた、感情的になってしまった」
テリア。そう呼ばれる女性のハウンドは、落ち着かせるように、シュナウザーに寄り添い言った。
「大丈夫よ、私達も気持ちは同じ・・・。でも、今はハウンドとして冷静に事を為しましょう」
「あぁ、そうだな」
体を動かせない俺は、そんな彼らの会話を途切れそうな意識の中、黙って聞いていた。
そうか、そうだよな。少し考えればわかる事だったんだ。彼らにとって大切な人達が、化物によって命を奪われたかもしれないなんて。
化物を助ける事ばかり考えていて、彼らが戦う理由なんて、化物を殺す理由なんて考えもしなかった。
正直、こんなにボコボコにされて、踏みつけられて、罵られて、怒りや悔しさを覚えない訳がない。それにどんな理由があろうと、やはり簡単に命を奪っていい訳がないんだ。
だけど、何故だろう。それ以上に彼らの、大切な何かを失くしてしまった悲しみを、理解してしまう自分がいる・・・。
俺は・・・。
「『パピヨン』、上の指示は?」
シュナウザーは瓦礫の上から動こうとしない2人のハウンドに向かって尋ねた。
「右腕のは、いらないってさ」
つまりは、殺すと言う事だろうか。パピヨンも女性の声だが、慣れているかの様に、平然とした態度で言い放つ。
すると、もう1人のハウンドが体を丸め、体育座りで座り込む。
「疲れた・・・」
どうやら動きたくない、というアピールのようだ。
「私も『プードル』も、“カマイタチ”との追いかけっこで疲れてるから、少し休ませて貰うわね。後は2人に任せるわ」
そう言い、パピヨンもプードルの隣にペタンと腰を下ろす。
それを見たシュナウザーが呆れて溜め息を吐く。
「まったく、アイツらはハウンドとしての自覚があるのか?・・・まぁいい、さっさと終わらせよう。俺はコイツを処理する。テリアはあっちの化物を頼む」
「わかったわ」
シュナウザーとテリアは、互いの標的へと向かい、離れる。
そして、シュナウザーは刃を内側にして持っていた刀を、外側に持ち直しながら、こちらに歩み始めた。
「これで、終わりだ」
言いながら、徐々に近づいてくるシュナウザー。
しかし、そのシュナウザーの脚が止まった。
それは、俺が立ち上がったからだ。
ゆっくりと、震える膝で体を持ち上げる。
肩で息をし、チョンとつつかれただけで倒れそうなくらいフラフラで、立っているのがやっとの状態というのが、相手にも見て取れているだろうが、それでも立ち上がった俺を警戒しているのかもしれない。
「———させねぇ・・・殺させねえよ。俺もその人も・・・・」
呟くような、そんなか細い声しか出せない。
そんな俺を見て、シュナウザーはフンっと、鼻で笑う。
「まだ立ち上がるか、その根性だけは認めてやる。だが、そんな満身創痍な状態で、一体何が出来ると言うんだ?」
「俺には・・お前等の気持ちを、全て・・理解するなんて・・できない・・・。だから・・・復讐するな、なんて言えない・・・・・。俺も・・・もし大切な人が、って考えたら・・嫌な気持ちになるよ・・・」
「・・・何が言いたい」
シュナウザーの声には、少し怒りの色が混じっている。
俺は、息を大きく吸い込み、シュナウザーを真っ直ぐに見つめ吠える。
「・・・でも!化物だから殺すなんて間違ってる!!」
無理に大声を出した為、その反動で体に激痛が走るが、俺はそんなことなど気にせずに続けた。言ってやらなくちゃ気がすまなかった。
「・・・お前のやってる事は、お前の・・・大切な人を殺した化物と一緒だぞ・・・。お前らハウンドは、人々を守る・・・・ヒーローじゃねぇのかよ?それが・・・お前の正義かよ⁈」
シュナウザーは小さく震え、手にした刀を強く握り込む。
「一緒?一緒だと⁈フザけた事を吐かすなァ!!言った筈だ!お前等化物はどいつもこいつも害虫なんだよ!見つければ殺す!!ただそれだけだ!それに周りを見てみろ!」
シュナウザーの言う周囲には、倒壊したビルや家屋に電柱、ひしゃげた車や砕かれたアスファルトなど、街としてはかなり壊滅的な状態だ。
「この悲惨な現状も、お前等化物がいなければ起き得なかった!だから駆除するのさ!自らの力に溺れ、奪う事しか出来ないお前等害悪を!そうさ、俺達はヒーローだ。“人々”のな!」
「奪われたから奪って・・・憎しみあって、殺し合って・・・そんなんで、本当にいいのかよ・・・。命は、一つしかないんだぞ。失う悲しみを知ってるなら、どうして奪う側に回っちまったんだよ!大切な人を失ったお前らなら分かるだろ⁈お前らはもっと化物と、命と向き合えよ!!」
「もういい!黙れ!!化物との会話など時間の無駄だった!さっさと、殺してやる!!」
怒りの臨界点に達したシュナウザーは、一際強い怒声で会話を無理矢理に打ち切ると、刀を構え、瞬時に距離を詰めて来た。
「くたばれ・・・!」
呟く声と共に、俺の体を真っ二つにしようと、刀を振り下ろすシュナウザー。
迫り来る刃を俺は咄嗟に防ごうと、化物化した右腕を上げた。
その瞬間、———ガキィィン・・・。
そんな、カン高い金属音が鳴り響くと、シュナウザーの後方に、折れて弾け飛んだ刀の刃が地面に突き刺さる。
「なっ⁈馬鹿なっ・・・・!」
折れた刀を見て、驚きの声を上げるシュナウザー。
「超振動刃だぞ・・・⁈」
もちろん狙ってやった訳じゃない。反射的に防ごうとしただけだ。正直、俺自身無事なことに驚いている。
しかし、相手が狼狽えている、この隙だけは見逃せない。
シュナウザーが折れた刀に意識を向けている間に、俺は震えた左手を力無く伸ばし、しかし、死んでも離さない思いで、ギュッと相手の奥襟を強く掴む。
ずっと、考えてた。殺意を向けられ、実際に殺されそうにもなった。
けれど、何故だろう。俺は・・・彼らも救ってやりたいと思ってしまう。その、しがらみから。憎しみの連鎖から。
だって彼らも、心置きなく、純粋な気持ちで、誰かと笑い合っていた日々があった筈だ。それを失ったからこそ、こんなにも化物に憎しみを抱いているんだと思う。
でも、俺はバカだから、どうしていいか分からないし、かける言葉も見つからない。
だから今は、
「目ェ、覚まさせてやる・・・」
全力で阻止する!ぶん殴ってでも!!
「しまっ———!!」
気付いた時にはもう遅く、俺は既に右腕を振りかぶり、
「安心しろ、手加減してやる・・・歯ァ食いしばれェ!!!」
唸りを上げながら、右拳をシュナウザーの顔面めがけ、打ち突く。
ドゴッ———!!
「グッ⁈」
重く鈍い感触と共に、仮面の割れる乾いた音を鳴らして、シュナウザーは激しく吹き飛んだ。
やっと、一発入った。しかし、入ったはいいものの、俺自身も足の踏ん張りが利かず、振り抜いた勢いでその場に転げてしまう。
「シュナウザー!!」
化物の方へと向かっていた途中のテリアが、吹き飛んだシュナウザーの元に急いで駆け寄った。
「うッ・・グッ・・・クッソ・・!」
気絶させるつもりで殴ったのだが、手加減し過ぎたのか意識はあるようだ。
こんな大事な時に、経験の浅さが出てしまった。
「シュナウザー、大丈夫⁈」
シュナウザーの仮面の口元が割れて、何か複雑な機能でもあるのか、砕けた部分から基板やら細かな機械部品が露出し、口から大量の血がタラタラと流れ落ちている。
「・・あの・・・ヤロぅ・・・」
折れた刀を杖がわりに立とうとするが、ダメージは相当なようで、上手く立てないようだ。
「無理してはダメ、貴方は休んでて。後は、私達が処理するわ」
俺の方へと体を向けるテリア。その手には刀ではなく、銃が握られている。
それはそうか、化物という怪物と戦っているんだ、銃を持っていたってなんら不思議はない。むしろ、戦いに不慣れな、ほとんど人の姿の俺を相手にするなら、刀よりも銃の方が断然効果的だ。
すると、テリアに続き、瓦礫の山に座っていた2人も、愚痴をこぼしながらもその重い腰を上げ始めた。
「まったく、ウチの男共は・・・。ホントどうしようもないんだから」
「早く、終わらそ」
そして2人は、背中に背負っている、機械的な黒い箱の端の方に手を伸ばすと、カシャッと音を立て拳銃を取り出した。
マズイ、早く立たなければ・・・。
立てればどうにかなる、という訳ではないが、ただ地面に寝そべっているよりかはマシだ。
しかし・・・気持ちとは裏腹に、体はまたしても言う事を聞いてくれない。
しかも、さっきとは感じが違う。痛みで動かせないというよりか、もはや体の感覚がない。体は小刻みに震え、ピクリとも動かせない。右腕以外が、岩のように重い。
悲鳴を上げていた体を、無理に動かしたせいで限界を超えてしまったのか、もう気合いでどうにかなるレベルではない。
「クッ・・・ソォォ・・・・・」
せめて、あの人だけでも・・・!
そんな思いで、動かせる右腕だけで地面を這いずり、化物の方へジリジリと向かう。
「貴方、優しいのね。そんな姿になっても、その人を守ろうとするなんて・・・。けれど、御免なさい。これが、私の仕事だから・・・」
そう呟きながら、テリアは銃を構えると、その銃口が俺を捉える。
クソ・・・。ゴメン。母さん、姉さん。・・・雨宮。
テリアの指先が微かに動いた瞬間、俺はグッと目を閉じた。
そして、
パァン———!!
容赦なく、乾いた銃声が鳴り響いく———が・・・。
・・・・・・・あれ?
死を覚悟し、目を瞑ってしまったのだが・・・・不思議と強い痛みはない。死とは、こんなものなのか?しかし、息苦しさや体の怠さはそのままで、右手も動く。
怪訝に思い、恐る恐る目を開くと、そこには俺とハウンドの間に割って入る様に、3人の、別の黒ずくめの者達が俺の眼前に立っていた。
俺は、その人達を見て驚愕した。
ハウンドと同様、皆仮面を着けてはいるが統一性がない。いや、あると言えばある。
お祭りの的屋で売っていそうなキャラクターのお面や、仮面舞踏会で着けていそうな煌びやかな仮面というおかしな点が。
「・・・・・・・」
あまりにもふざけている格好に、開いた口が塞がらなかった。
愕然と、その人達を見ていると、その内の1人が持っている拳銃から、硝煙が上がっている。さっき撃ったのはこの人達のようだ。
「ローグ・・・・!」
右腕を抑えながら、険しい口調でテリアは呟く。
ローグと言ったか?それは、このお祭り集団のことなのだろうか。というか、この人達は一体何なんだ?
テリアの声音、そのテリアに銃を向けるローグの1人。
見るからにハウンドとは敵対関係なのだろうとは思うが、しかし、俺や化物の味方とも限らない。
それに、ふざけた仮面を着けてはいるが、彼等の纏う空気というか気配は本物で、辺りに緊張感が漂う。
不安に思い様子を窺っていると、テリアの後ろから声が飛んでくる。
「野良犬共が・・・何しに来た・・・!」
それは、もう起き上がって来たシュナウザーのものだ。
しかし、まだダメージが残っている様で、頭を押さえフラフラとした足取りだ。
そんなシュナウザーに、沈黙していたローグの内の1人が口を開く。
「お前ら、“ヘルハウンド ”だろ?噂には聞いてたが、案外大した事ねえんだな。こんな雑魚にやられるなんてよ」
背を向けながら、顎をクイッとさせ俺を指す。
女性の声だが、随分と口も態度も荒々しい。
「舐め———!」
彼女の言葉に激昂したシュナウザーが銃を向けた瞬間、足元で何かが弾け、遅れて遠くの方で銃声がこだまする。
「狙撃⁈」
「あっちの方。結構遠い。でも・・・」
プードルが指を差す。彼女が言いかけた言葉の続きを、俺は理解した。
何故なら、その方向は俺が先程ハウンドの1人を飛ばした方向だからだ。
「言っとくが外したんじゃねえ、ウチの鷹の目は優秀だからな。ただの牽制だ」
顎を上げ、自身満々に言うローグの女性に続き、別のローグの人が言う。
「今日は貴方達と遊びに来た訳じゃないの。素直に引いてくれないかしら。貴方達も着任早々、死にたくはないでしょ?」
その人は、口調は女なのに声がいかにも男の裏声という、不思議なローグの人だった。
・・・この人の事は深く考えない様にしよう。
「つー訳だ。大人しくご主人様のトコにハウスしな。コイツらはウチらが貰っといてやるからよ」
そう言いながら、ローグの女性は銃で追い払う仕草をする。
「クソ共が・・・・ん?」
歯噛みするシュナウザーだったが、何かに反応し耳元を押さえた。
「ジジッ———・・・ちら、ハス・・・ゲキ手・・・っ見!攻げ・・・・いしする」
そして、口元にニヤけた笑みを見せる。
「そうか、なるほど。つまり裏を返せば、お前らも戦闘は避けたいと・・・」
その笑みに訝しむローグ達だったが、すぐにローグ達も耳元に反応を示した。
「Hey!!奇襲に遭いましたヨ!サポートは出来そうにないデス!!」
「はぁ⁈クっソ!他にもいたのかよ!」
誰かと会話しているのか、ローグの女性がボヤいた。
「フン、お前達の“優秀”な鷹の目は潰れたみたいだな。さぁ、次はどうする?まさかとは思うが、見逃して貰えるなんて事は思ってないよな?裏切り者には死を、それがルールだ。お前達も知っているだろ」
そう言うと、シュナウザーもプードルとパピヨン同様、背負った箱から銃を取り出す。
どうやら狙撃手に何かあったようで、状況は一転、人数的には4対3と不利になってしまったようだ。
そんな形勢逆転した状況に、3人目のローグが焦りの色を見せる。
「おいおいマジか!どうすんだよ、『ラピス』!」
「・・・上等だよ、クソが!!」
「あらあら・・・やっぱりそうなっちゃうわよねぇ」
「マジかよ⁈俺、本来は戦闘員じゃないんだけど⁈ただの人数合わせなんだけど⁈」
「うるせえ!やるしかねーだろ!」
「くっそぉ!話とちげぇ!」
言い合いながらも、戦闘体勢を取るローグ達。
気になる事は色々あるが、今はそれよりも、この人たちが睨み合っている内に、あの人のところへ向かおうと、這いずり始めた時だった。
「あらあら、動かないの!貴方はコッチね」
それに気付いた、目元だけを覆った煌びやかなハーフマスクを着けたローグの人が、俺の首根っこを掴み軽々と持ち上げる。しかし、それに反応したシュナウザーが銃を向ける。
「させるか!」
が、ローグの女性———ラピスがそれを阻止しようと発砲し、シュナウザーはたまらず身を引く。そのシュナウザーをカバーする為、3人のハウンドが銃の引き金を引き、ローグの2人も反撃とばかりに乱射する。
そうして、彼らの銃撃戦は始まった。
その隙に、ローグの人は俺を担いだまま跳び上がり、少し離れた瓦礫の物陰へと移動する。
連れて来られるなり、俺はローグの人に言った。
「ちょっ、俺よりも先にあの人を助けないと!」
あんな銃撃戦が始まってしまったんだ。いつ流れ弾が当たってしまうか、わかったもんじゃない。
右腕で地面を掻きながら、体を引きずって向かおうとすると、ローグの人に抑えられる。
「大丈夫よ、あの2人もバカじゃないわ。彼女を背にして戦う事はしないはず。それに幸い彼女は気絶しているし、狙われる可能性は低いわ。だから、まずはアナタから———」
そう言いながら、ローグの人は俺のズボンの腰部分に手をかけ、下げようとしてくる。
「は、ちょっ⁈何⁈何する気だよ⁈」
突然の奇行に、身の危険を感じた俺は咄嗟に右手でベルトを掴み、激しく抵抗した。
「コラ!暴れないの!別にとって食う訳じゃないんだから、大人しくなさい」
「じゃあ何でズボン下ろそうとするんだよ!こんな時に何考えてんだアンタ!冗談が過ぎるぞ!」
「何勘違いしてるの!というか、アナタ動けなかったんじゃないの⁈全然元気じゃない!」
体の危機に、思わぬところで底力が発揮されるも、ブチッという音と共に、その頑張りは徒労に終わる。
必死に掴んでいたベルトが千切れてしまったのだ。
「イヤァァァァァア!!!」
抵抗虚しく、ズボンは勢いよく下ろされ、俺の穢れを知らないプリティな桃尻が露わになった。
「あら、カワイイお尻してるじゃない!なかなか好みよ。それじゃ・・・」
身の毛がよだつ台詞を吐きながら、ローグの人は腰のポーチから何やら先端に無数の小さな穴が空いた筒状の物を取り出した。
すると、それを振り上げ、突き刺すかの様に勢いよく右ケツに叩きつけられる。
「あふんっ」
一瞬の痛みに、思わず変な声が出てしまった。
プシュっという空気音の後、中の液体が瞬く間に無くなっていく。
どうやら注射器の様で、何か変な液体をケツに流し込まれた。
「はい、終わったわ。気分はどう?」
終了の合図かのように、お尻を軽くペチンと叩かれる。
「最悪だわ!!俺のケツに何しやがった⁈何のクスリ打ち込みやがったんだ⁈もしかしてアレか⁈エッチな気分になるとかっていう、いかがわしいクスリか⁈言っとくけど俺には、そういう趣味はないからな!」
お尻を仕舞う事も忘れ、丸出しで激昂する俺に、オッさ・・・ではなく、オネェさんは呆れた様に言う。
「そんなもの打つ訳ないでしょ。まったく、時と場所を考えなさい。今貴方に打ったのは細胞薬、まぁゲームで言う所の回復薬みたいなものよ。どう?体、楽になったでしょ?」
言われてみれば、いつの間にか体の怠さや痛みがなくなっている。シュナウザーに殴られた際に出来た、所々の傷も消えていた。
その即効性に、何だかヤバいクスリのような気もするが、状況が状況だ、今は助かる。
しかし、どうしても気になる点が一つある。
「でも、何でケツに刺したんだ?」
「私の趣味よ」
「時と場所を考えろ!」
軽くフッと笑い、即答する変態に少しイラッとしていると、俺達のいる物陰にローグの女性が飛び込んできた。
同時にそれを追いかけるように、銃声と瓦礫が弾ける音もする。
「クソっ!あのヤロー共・・・!おい、終わったか⁈『キャロル』!」
手慣れたようにカシャッとマガジンを弾き出し、装填しながらローグの人に問いかける。
その間にも銃声が聞こえているという事は、もう1人のローグも無事という事だろう。
「えぇ、今終わった所よ。そっちの状況は?」
「なんとか押し返したってトコだ。相手が万全だったらヤバかった。クソったれ、生まれたばっかの子犬かと思ってたが、アイツらなかなかやりやがる!」
「貴方が素直に相手を認めるなんて珍しいわね、『ラピス』」
「うるせぇ!」
こんな状況でも、そんな冗談を言う余裕を見せるキャロルと呼ばれるオネェさん。
ラピスもキャロルと話しながらも、しっかりと瓦礫の脇から顔を覗かせ応戦する。
2人とも、随分と戦闘に慣れているみたいだ。
しかし、戦闘を避けたかったのなら、何故この人たちはこの場に介入してきたのだろう。そもそも目的は?やはり、彼女たちも化物を狙っているのだろうか。
そういえば、さっきシュナウザーが彼女たちに向かって、裏切り者とかなんとかって言っていたな。
ならば、ハウンド達とは反対に化物を助けに来たのだろうか。
たしかに、実際に俺の事を助けてはくれたし・・・。信用してもいいのだろうか。けど・・・・・。
俺がそんな事を思案していると、キャロルが顎に手を当て神妙な面持ちで言った。
「さすが新型って所かしら。でも、そうなると『ゴールド』の方が心配ねぇ・・・」
「アイツなら大丈夫だ、今『雷』が向かってる」
「あらそう、それなら安心ね」
「ウチらはさっさとアイツら片付けんぞ。これ以上長引くと面倒だ」
「そうね、援軍呼ばれちゃ敵わないものね」
腰に携えた刀をカチャリと掴むと、キャロルの優しく穏やかな雰囲気が一変。恐怖を感じさせるオーラが肌にピリピリと突き刺さる。
「それじゃ、サクッと終わらせましょうか」
その言葉を実行に移すかの様に、掴んだ刀をスラリと抜く。
「ちょ、ちょっと待って!アンタら一体何なんだ⁈」
今にも飛び出して行きそうな2人に、ずっと気がかりだった疑問を投げかける。
「味方なのか?それとも、敵・・・なのか?」
真剣な顔で問いかける俺に、2人は顔を見合わせ静まり返る・・・。
何か、マズい事を聞いてしまったのか。
そんな空気に、緊張で生唾を飲み込む俺。
「お前・・・」
そしてラピスが静かに口を開いた。
「まずはズボンくらい履けよ、変態」
ハッとし、俺は慌ててズボンを履く。
お尻が丸出しだった事をすっかり忘れていた。
「違う!これには理由があって!」
あたふたとズボンを履く俺の姿を見て、顔を背け肩を揺らしながら堪えるように笑うキャロル。
「てか、アンタが笑うな!」
「ゴメンなさい、謝るからそう怒らないで」
ひとしきり笑っていたキャロルは落ち着いた後、息を整え話を戻す。
「それで?何だったかしら。私達が何者かって話し?」
「そうだよ!アンタらは敵なのか味方なのか、どっちなんだよ⁈」
「本当は落ち着いてから話したかったんだけど。うーん、そうねぇ・・・」
キャロルは頬に手を当て考え込んだ後、俺を見てあやしげな笑みを見せながら言った。
「どちらでもない、ってトコかしら」
「はぁ?」
キャロルの答えになっていない答えに、唖然としていると、ハウンドに応戦していたラピスが声を荒げる。
「おい、キャロル!今はそんな事してる場合じゃねえだろ!」
そんなラピスを無視し、キャロルは続けた。
「もし敵だと言えば、貴方はどうする?戦う?逆にもし味方と言っても、目的も分からない相手を貴方はすぐに信用するの?」
「それは・・・」
俺は言葉に詰まった。
確かに、キャロルの言う通りだ。助けて貰ったのは事実だが、実際先程まで目的が分からないこの人達を、信用できるかどうかで迷っていたし、正直今でも怪しんでる。かといって、戦う事になっても、ハウンドとローグ双方を相手に人数的不利な、勝ち目のない戦闘を強いられる。
つまり、これは無意味な質問だったのだ。
「敵か味方か、確かにそれを確認するのも重要な事かも知れない。けれど、今はもっと大事なことがあるんじゃない?私達も貴方も今、共通の敵がいる。なら、貴方の取るべき行動は一つでしょ」
結局、何が言いたいのか分からず、俺は訝しく思っていると、応戦するラピスの顔近くで瓦礫が弾け、その破片が顔を強く打ち付けた。仮面にはヘコみと亀裂が入り、首元に血が垂れるのが見える。
「チッ!あんまりモタモタしてらんねーからな!」
傷を負ったイラつきからか、ラピスは怒声にも似た声を放った。
「分かってるわよ。そんなカリカリしないで」
キャロルは、そんなラピスをなだめると、俺の方へ視線を戻す
「そうね、時間もないし単刀直入に聞くわ。貴方は、何の為に此処にいるの?」
マスクの奥にある目が、俺を一点に見つめる。その眼差しは何かを期待しているかの様な、試しているかの様な、けれど、とても真剣な眼差しだった。
俺がココにいる理由、そんなの最初から決まってる。
俺はグッと、右手の拳を強く握り込む。
「俺はあの化物を助けたい。そして、あのハウンド達も救いたい!でも、俺1人じゃ無理だ・・・。だからお願いだ、協力してくれ!」
俺は地面に膝と手をつき、土下座の姿勢でキャロルとラピスの2人に頼み込んだ。
すると、応戦しながらも会話を聞いていたラピスが呆れながら、強い口調で言う。
「はぁ?馬鹿かお前!化物ならともかく、ハウンドを救うって、何訳分かんねぇ事ほざいてんだよ!」
「アイツらだって、本当は普通に生きたい筈なんだ!でも過去にいろいろ合って、自分の感情に折り合いが付けられずに、ハウンドとして生きる道を選んでしまったんだと思うんだ!そんなの、辛すぎるだろ」
「その考えが馬鹿だって言ってんだよ」
「あんた達だって、元々はハウンドなんだろ⁈さっきあのハウンドが言ってた、裏切り者って。つまりは、そういう事なんだろ?なら、あんた達ならアイツらの気持ちが分かるんじゃないのか⁈」
「アイツらとウチらじゃ、理由も状況もちげぇんだよ」
俺とラピスが言い合う中、それをよそにキャロルがボソリと呟いた。
「望んでた応えは得られなかったけれど、まぁ時間も無いし仕方ないわね」
そう言った後、キャロルは気を取り直したように口元に笑み見せる。
「フフっ。にしても、想像以上のお人好しね、貴方」
「ただアマちゃんなだけだろ」
面白そうに言うキャロルに対し、ラピスは吐き捨てるように言う。
「まぁでも、理想を持つことは大事よ。叶うかどうかは別としてね。けれど今優先すべきは、あの瀕死の化物を助ける事でしょ?彼らの事は一旦置いといて、今はそれに集中しましょ」
「え、って事は・・・協力してくれるのか⁈」
キャロルは肯定の意として、ウィンクをして見せた。
「ええ。といより、私達も元はそれが目的だったわけだし」
よかった。この人たちの協力が得られるのなら、とても心強い。
1人じゃないという安心からか、マスクの下で笑みが溢れる。と、同時に、妙な自身が湧いてきた。
「それじゃあ、俺も———いっ⁈」
一緒に戦おうと、立ち上がったろうとした瞬間、キャロルに頭を抑えられ、地面に押し戻された。その際に、オデコを地面に強く打ちつける。
「待ちなさい。貴方が出たところで、何の戦力にもらならないでしょ」
「うっ・・・」
味方がついたからといって、俺が強くなった訳ではない。それはそうなのだが、こう真正面から言われると流石に傷つく。
「それよりも———」
と、続けたキャロルは、俺の右腕に視線を向ける。
「恐らく貴方、右腕しか化物化できないでしょ?他に何か能力はないの?」
「能力って言っていいのか分からないけど、怪力くらいなら・・・」
陽さんの炎や、気を失ってしまっている女性の化物の全身刃を見た後では、ただの怪力では自信を無くしてしまう。
「そう。なら、そこの瓦礫は持ち上げられる?」
キャロルの指差す方には、人を一、ニ人隠せられる程の瓦礫が横たわっていた。
「えっと、たぶん・・・」
その瓦礫を見ながら、先程ハウンドの一人に向けて投げ飛ばした瓦礫を思い出す。
たしか、あっちの方が大きかったはずだ。
「分かったわ。じゃあこうしましょ。私とラピスが敵の注意を引く間、貴方があの瓦礫を持ち上げて、あの化物の元まで行ってちょうだい。恐らく、彼らも阻止しようと貴方を狙うと思うから、瓦礫でしっかり防ぐのよ」
「その後はどうするんだ?あの人が、起きるとも思えないし」
「私達がなるべく時間を稼ぐから、彼女を担いで出来るだけ遠くに逃げなさい」
「おい、キャロル!いいのかよ!」
と、横からラピスが言う。
「いいのよ。私達の目的、というよりも、私の目的はもう済んだみたいなものだし」
「チッ!タダ働きかよ」
「たまには、こういうのも悪くないでしょ」
キャロルは楽しそうに、ラピスにウィンクをして見せる。
「アタシはいいけどよ、後でゴールドにギャーギャー言われても知らねえからな」
「アハハ、それはちょっと面倒臭そうね」
キャロルの言う目的も、二人の会話の内容も全然分からないけれど、あの人を救えるならと俺はキャロルに従う事にした。
「それじゃ、用意はいい?1、2の3で行くわよ」
キャロルの声に、俺とラピスはコクリと頷く。
「1・・・」
キャロルのカウントダウンが始まると、キャロル自身は瓦礫の脇からハウンド達の様子を窺いながら、携えた刀をカチャリと鳴らした。ラピスも同様に、瓦礫の反対側の脇を覗きながら、顔の近くに構えた銃のグリップを小指から順にギュッと握り直す。
「2の・・・」
俺はそんな2人を見て、高まる緊張感の中、唾を飲み込み、キャロルの声に意識を集中した。
そして———
「3!」
瞬間、キャロルとラピスはザッと、別々の方向から瓦礫を飛び出し、ハウンド達めがけ前進する。
3人目のローグの人も、無線で話しを聞いていたのか、それに合わせてハウンド達に銃弾をばら撒いていた。
俺はというと、キャロルの声に意識を向けていたにもかかわらず、2人の勢いに驚き動き出すのに少し遅れてしまっていた。
何をやってんだ、俺は。あの人たちが、危険を顧みずに注意を引いてくれてるんだ、瓦礫を盾にして移動するだけの俺が失敗なんてできない。
頭を振り、気持ちを切り替える。
「まかされたんだ、絶対にやってやる!」
そして俺は、急いで後ろの瓦礫へと向かう。
銃声が鳴り響いている中、それに背を向ける形で瓦礫の元へと着いた俺は、化物化した右手でその大きな瓦礫を掴む。
持ち上げた瓦礫を、ハウンドたちの方へと突き出すように持ち、倒れた化物の人を見据えた。化物との距離はそこまでない。パッと見て2、30メートルくらいだろうか。けれど問題は、瓦礫が重過ぎてうまく走れるかどうかだ。
それに、盾として使う反面、その瓦礫のせいでハウンドたちの姿を視認出来ないのは少し怖い。が、ローグの人たちを信じて、俺はとにかく瓦礫を引きずりながら駆け出した。
「クソっ!あの出来損ないがっ!!」
そんな声と共に、瓦礫から強い衝撃音が聞こえ、反射的に目を瞑ってしまう。
恐らく、俺に向けてシュナウザーが発砲したのだろう。
こんな大きな瓦礫が動いているんだ、気付かれて当然だ。
キャロルが言っていたように、ハウンドの攻撃は俺へと集中し始める。
大丈夫、瓦礫が防いでくれる
そう心の中で呟くことで、銃を発砲されている、という恐怖心をやわらげた。
しかし、銃がダメだと判断するや否や、ハウンドの一人であるプードルが軽やかな身のこなしで、俺の持つ瓦礫を飛び越え、ザッと真横に降って来た。
「ダメ、行かせない・・・!」
やはり、ローグの人たちでも人数的不利は覆せなかったのか、ハウンドの接近を許して懐に入られてしまった。
どうする、瓦礫を離して右腕で防ぐか。でも、今瓦礫を離したら、確実に撃たれる。
しかし、その一瞬の判断の遅れが命取りとなる。
有無を言わさずプードルの握る刀が、俺を切り払おうと迫り来る。
「くっ・・・!」
焦った俺は、咄嗟に何の変哲もない、ただの左腕で防御体制をとってしまった。
だが、その斬撃が俺に届くことはなかった。
すんでの所で、キャロルが駆けつけ斬撃を弾いてくれたのだった。
「オイタは駄目よ、子犬ちゃん」
刀を弾かれ、隙のできたプードルの腹を、キャロルが蹴飛ばし遠ざける。
吹っ飛んだプードルだったが、空中で一回転すると、地面を滑りながら着地した。
「・・・邪魔ぁ!」
しかし、ダメージは効いていたのか、激昂したプードルは、自身と俺との間に立ち塞がったキャロルに向け猛進し、キィィンと甲高い音を立てた刀を振り下ろす。
キャロルはその斬撃に対し、受け止め、打ち合うのではなく、その刀の側面を叩くようにして打ち払う。
プードルも、流石に二度目は分かっていたようで、弾かれた瞬間その方向に身をよじり、流れるようにして二撃目の斬り払いを放つ。
けれど、キャロルにはそれもお見通しで、滑らかな軌道を描いたキャロルの刀が、その攻撃も下から弾き上げる。が、跳ね上がった刀の勢いを利用し、それと同時にプードルは
その場で空中で回転し、今度は下から刀を滑らした。
とてつもない身のこなしであったが、それとは正反対に、キャロルは左足を引き、身を横にするといった小さな動きだけで斬撃を避けると、そのまま空中に浮くプードルを後ろ回し蹴りで吹き飛ばした。
「うっ⁈」
無防備な体勢だったためか、流石のプードルも今度は地面に打ちつけられる。
一瞬の攻防だった。2人の戦いに、俺は目を奪われてしまっていた。プードルの身体能力もスゴイが、キャロルの、まるで相手の次の動作が分かっているかのような戦いぶりには、驚きを禁じ得ない。実力的には、明らかにキャロルの方が上だ。
しかし———。
「プードル!!」
吹き飛ばされ、地面に膝をつくプードルの側へ、パピヨンが駆けつけた。
「大丈夫?」
「うん、平気。でも・・・」
パピヨンが伸ばした手を取り、立ち上がるプードル。
「一人で無茶ないで。二人でやるの」
「うん」
そして、立ち並んだ二人の視線はキャロルへと向けられる。
さすがのキャロルも、2対1じゃマズいかもしれない。けれど・・・。
キャロルに加勢した方がいいのか、それとも化物の元へ急いだ方がいいのか、自分が取るべき行動に迷っていると、キャロルは背を向けたまま声を上げた。
「行きなさい!」
「で、でも・・・」
「私の事なら心配ないわ。こう見えてかなり強いのよ、ワタシ。だから、貴方は貴方の役目を果たしなさい」
そう言い、振り向いたキャロルは、心配させまいとウィンクをして見せる。
俺は、分かってる。俺が加勢した所で、戦力にならない。むしろ邪魔になるだけだって。キャロルは言わないが、きっとそういう事なんだと思う。
俺はグッと歯噛みした。悔しかった。あんな凄い戦いを見せられて、自分の弱さを痛感させられた。
けど、今はそんな泣き言を言っている場合じゃない。
「・・・・お願いします!」
自分の弱さを受け入れ、相手の強さを知ったのなら、今度はそれ以上に強くなればいいだけだ。生きてる限り、いくらだってチャンスはある。
だから今は、この場をキャロルに任せ、俺はもう一度、化物の元へと走り出した。
そんな俺を行かせまいと、プードルが、今度はパピヨンと二人で動き出した瞬間、キャロルが一気に間合いを詰めると、パピヨンの構えた銃を左手で抑え、銃口をズラすと同時に、俺を追おうと少し前に出ていたプードルの襟元を刀の柄で引っ掛け、足を掛けながら引っ張り、地面に叩きつける。
キャロルの言った通り、人数差などものともしない強さだ。
そんなキャロルの姿を視界の端で捉えつつ、うまく走れないながらも、化物の元へと急ぐ。
もう少し、あと少しで・・・。
化物との距離はもう目前だった。
しかし———
「・・・・・仕方ない」
瓦礫の向こうで、何か、ガシャリと響く機械音が聞こえた。
「はぁ⁈んなモンまで持ってんのかよ!」
ラピスの声だ。
「動かないで!」
しかし、すぐさまテリアの声と連続した銃声が鳴り響く。
「おい!アイツを止めろ!」
「んな事言われたって・・・」
3人目のローグの声の後、銃声が鳴った。
「うっ・・・無理だろ!」
そんなローグの弱々しい声の後、シュナウザーが叫ぶ。
「もろとも吹き飛べえ!」
「右手の!避けろ!」
ほぼ同時に、シュナウザーとラピスのそんな声が聞こえた瞬間だった。
耳をつんざく凄まじい爆音と共に、激しい衝撃に飲まれ、盾にしていた瓦礫は砕け、それでも抑えきれない衝撃波によって俺の身体は、まるで叩きつけたボールのように弾き飛ばされ、強く地面に叩きつけられる。
漂う爆煙と砂埃の中、ギリギリ意識は持ち堪えたが、激しい耳鳴りと頭痛、そして身体の痛みに襲われる。
「うっ・・・・ぐっ・・・」
何が・・・・起きたんだ・・・。
立ち上がり、朦朧とした意識のまま一歩、また一歩と進む。
そして、一歩進むにつれ徐々に意識が鮮明になっていき、化物の事を思い出していく。
「そうだ、あの人・・・あの人は?」
近場であんな爆発が起きて、あの人は無事なのだろうか。いや、どうか無事であってくれ。
祈りながら、煙で視界の悪い中を目を凝らしていると、次第に煙が晴れていく。
すると、化物のいた場所に何か、大きな陰が見え始めた。
「なんだ、あれ・・・」
煙が晴れ、その陰が姿を現すと、俺は自分の目を疑った。
そこにあったのは、天高々と化物を守る様に絡み合った木の根の様な物が、何本もアスファルトを突き破りそびえ立っていたのだ。
そして、倒れた化物のすぐそばには、2人の人影が見える。
1人は全身を覆うマントに、深々とフードを被っていて顔は分からないが、もう1人は顔を隠す事なく堂々と素顔を曝け出している。しかもその顔、と言うより姿に見憶えがあった。
その人は、展覧会で雨宮がぶつかった派手なドレスに身に包んだ女性だった。
耳鳴りも治った頃に、シュナウザーの驚きの声が聞こえた。
「『ドライアド』⁈『ブレーメン』の連中が何故ここに?」
すると、シュナウザーの元にパピヨンとプードルも集まる。
「退いた方がいい・・・」
プードルが言う。
「退くだと⁈ふざけるな!」
プードルの言葉に、怒りをあらわにするシュナウザーだったが、パピヨンもプードルに続く。
「どう考えても、今アレと戦うのは無理でしょ!ハスキーだってまだ戻って来ないし、今は退くべきよ!」
「クッ・・・・」
それに、気付けばローグの3人も戦闘を止め、ドライアドと呼ばれていた彼女から距離を取っていた。
そんなローグの1人、ラピスが大声を上げた。
「おい、お前!早くそこから離れろ!」
それは俺に向けて上げていた声であったが、何故ラピスがそこまで焦っているのか、俺には分からなかった。
だってドライアドは、あの爆発から化物を守った。なら、彼女だって俺たちの味方のはずだ。
訳が分からず、俺はドライアドに視線を向けた。
そして、ドライアドと目が合い、俺はゾッとした。
そのドライアドの目は、おおよそ味方に向けるようなものではなく、軽蔑や侮蔑、憎悪といった感情が折り込まれた、そんな冷たい視線であったのだ。
とてつもないプレッシャーを感じる。それはどこか、陽さんに脅された時の感じに似ていた。
しかし、しばらく睨め付けていたドライアドは、目を閉じ、ため息を吐いた後、もう一度こちらを見直し、見下しながら言った。
「彼女を庇ってくれた事には感謝するわ。代わりに、今回は生かしてあげる。けれど、これからはよく考えて行動しなさい。おまえの無闇な行いで、どれだけの者が迷惑を被るのかを。もし、次にその姿を見た時、容赦はしない」
それだけを言うと、ドライアドはもう俺に興味はないといったように、顔を背け、フードを被った仲間に一瞥を送る。
それが合図というように、フードの人は倒れた化物の女性に布を被せて裸体を隠し、抱き抱えると、ナイフを取り出して自らの指先を切った。
その指先から滴る血が、化物の唇にポタポタと垂れる。
ゴクリ・・・と、その血を呑んだのか、化物の喉が微かに動いた。
すると、痛々しい化物の身体の傷が、みるみる治っていく。
フードの人も化物で、その治癒能力があの人の化物としての特性なのだろうか。
それは、まるでさっき俺がケツに打たれた怪しいクスリみたいだった。
「うっ・・・ゴホッ!・・・ゴホッゴホッ!
・・・・なんで・・わたし・・・」
体の傷だけじゃなく、気力や体力も回復したのか、気絶していた化物が目を覚ました。
「私よ、わかる?」
ドライアドがその化物に向ける目は、先程俺に向けられた視線とは全く違く、慈愛に満ちた、優しい目をしていた。
「・・・ライラ・・さん?どう・・して・・・」
ライラ、それがドライアドの人としての名前なのだろうか。
今にも途切れてしまいそうな意識の化物だが、ドライアドを認識した途端、化物は驚いた様子を見せていた。
「ごめ・・なさい・・・わたし・・・・」
ドライアドは、その化物の傍らに座り、安心させようとしてか、化物の女性の右手を握る。
「いいのよ、こうして助ける事が出来たのだから。今は、ゆっくり眠りなさい」
そう言い化物の顔に左手をかざすと、途端に化物は意識を失い、パタリと眠りについた。
それを見届けると、立ち上がったドライアドは、とても冷やかな表情でハウンド達を睨め付ける。
空気がピリつく。彼女の殺気は、それを向けられていない俺まで感じる程だ。
「死ぬ覚悟は十分かしら?猟犬共」
その言葉に、ハウンド達は身構えた。
ドライアドの左手がゆっくりと上がっていく。
だがその瞬間、黒い影が素早く頭上を通り過ぎると同時に、俺とドライアドのいる場所に丸い物体がゴトゴト、と音を鳴らして転がってきた。
足元に転がったそれを、俺は一瞬で理解した。映画やテレビで見た事がある。
手榴弾だ。
「いっ⁈」
咄嗟のあまり、隠れたり、それを蹴飛ばしたりするよりも、防御態勢を取ってしまった。
盾代わりにしていた瓦礫も、先程の爆発で半壊し、残った部分も吹き飛んだ拍子に手放していまっていた。
何の防御手段もないまま、手榴弾は容赦なく破裂した。
ドンッ、と激しい音と衝撃。その後に、舞い上がった塵がポトポトと体に降りかかる。
「・・・・・・・・・アレ?」
目の前で破裂したにも関わらず、耳鳴りがするだけで、不思議と体に痛みはない。というか、生きている。
ゆっくりと目を開けると、目の前には、俺を守る様に、先程のドライアドが生やしたと思われる木の根と同じ物が、壁となって手榴弾を防いでくれていたのだ。
ドライアドの方を見ると、変わらずこちらを見向きもしていない。
あんな事を言われた後だったために、そのドライアドの行動に驚いていると、遠くでハウンド達の声が聞こえた。
「ハスキー!無事だったのね!」
どうやら先程の手榴弾は、戻ってきたハスキーによるものだった様だ。
「あぁ、俺は大丈夫。何とか逃げて来た。それよりシュナウザー、撤退しよう!」
「ふざけるな!任務は終わってない。撤退など出来るか!」
「今の装備と人数じゃドライアドには敵わない!お前だって分かってるだろ⁈」
「俺達は化物を狩る為に作られたんだ!それが1匹も殺せずにおめおめと逃げ帰れと⁈目の前に瀕死の化物が2匹もいるのに⁈今俺達で時間を稼げば、じきに応援が来る!そうすればヤツだって始末出来るんだぞ!」
「無理だ!瞬殺されるのがオチだ!よく考えろ!今選択を誤れば全てが無駄になる!アイツらの復讐だって出来なくなるんだぞ!仮にお前の案が成功したとしても、必ず死者は出る。俺はもう、家族の死顔は見たくないんだよ!だから頼む、今は撤退してくれ!生きてさえいれば必ずチャンスは来る!だろ⁈」
「だが・・・・」
「シュナウザー、お願い。撤退しましょう?」
「くっ・・・・・・わかった・・・」
最後の、テリアの懇願するような声にシュナウザーは折れ、渋々撤退を承諾すると、すぐさまハスキーはこちらへ体を向けると、肩にかけ、斜めに傾いている長方形の黒い箱の角に付いている取っ手に手をかけると、ガシャリと下半分がズレ、そしてそのまま前に引っ張るとズララララァ、と収まっていた内部の、小さな箱が連なったような構造体がスライドして出てきた。
よく見ると、その小さな箱一つ一つに先程の手榴弾が収納されている。
しかし、ハスキーが手にしたのは、それとは別の円筒状の物であった。
その円筒状の物を、俺やドライアド、ローグ、自身達の近場へと放り投げる。
すると、その筒状の物は大量の煙を上げ、瞬く間に辺り一面を真っ白に染め上げた。
「うわっ、ゴホッ、ゴホッ・・・何だコレ⁈」
大量の煙に咽せていると、シュナウザーの張り上げた声が響く。
「聞こえているか、出来損ない!今日の借りは必ず返す!今度会う時は必ずお前を駆除してやる!覚えていろ!」
煙で姿は見えないが、俺にそれだけを伝えると、ハウンド達は去って行った様だ。
「それじゃ、アタシ達も今の内に帰りましょうか」
「チッ!本当に無駄骨じゃねえか」
「まぁ、命があっただけマシっしょ」
「じゃあね、ボク〜。機会があったらまた会いましょう〜!」
続いて、ローグ達もこの場を去って行き、先程まで戦争の様に騒がしかったこの場所が、まるで嘘みたいな静けさになった。
その静けさに張り詰めていた緊張が解け、まるで糸の切れた人形のように、その場にくずおれた。
「終わった・・・のか?」
地べたに座り込んだまま、呆然としていると、次第に辺りを覆っていた煙も晴れてきた。
すると、眠る化物を抱きかかえるフードの人とドライアド・・・いや、ライラと呼ぶべきか。が、今まさにこの場を離れようとしている所であった。
「あ、あの・・・・」
俺は少し怖かったが、その2人を呼び止めた。手榴弾の爆発から助けてもらったお礼を言いたかったのだ。
俺の呼び止めに足を止め、こちらを振り向く2人。
「さっきは、助けてくれてありがとうございました」
俺がそう言うと、ライラは少し、鬱陶しそうな表情で答えた。
「気にしなくていいわ。“生かす”と言ったでしょ」
そのつっけんどんな態度に戸惑いを感じながらも、一番肝心な化物の安否を確認しようと続けた。
「それと、あの・・・その人は無事なんですか?」
「ええ、彼女は大丈夫。出血は酷かったけれど、外傷は治癒したわ。今はただ眠っているだけ」
「ハァ、良かったあ!」
化物が無事だった事に心の底から安堵し、喜んでいると、今度はライラから質問を投げかけられた。
「お前は、どうして彼女を助けようとしたの?力もなく、戦闘にも不慣れ。勝てる見込みのない戦いに、どうして身を投じたの?」
まさか、彼女から何かを聞かれるとは思っても見なかったため驚いたが、少しの間の後、俺は正直に話そうと思った。
「この間、俺は初めてハウンドと化物が戦ってる現場を見たんです」
「この間・・・・雨の日の?」
「はい。あの時、化物が殺される瞬間、目が合ったんです。たぶん向こうも、俺に声が届いてる事に気づいてた。必死で俺に助けを求めてた。でも、俺はビビってしまって、何もできなかった、それどころか逃げ出したんです」
話しながら、あの時の光景が脳裏に浮かび、悔しさが溢れてくる。
「もし、あの時手を伸ばしていたら、俺みたいな小さな力でも何か、キッカケになったんじゃないか。だから、俺は戦います!もう、あんな悲しい思いは嫌だから!」
そう、ライラに言い放った。
次に俺の姿を見たら容赦しないと、そう言ったドライアドへ、俺はもう逃げないといった意味を込めて。
内心ドキドキしながら、また何か脅しめいた事を言われるのかと思いきや、彼女の反応は予想外のものだった。
ライラは口元を緩ませ、ほんの少しだが、笑顔を見せていたのだ。
「そう。なら、彼女の死も無駄ではなかったということね」
そう呟くライラ。あの時の化物も、この人達の仲間だったのだろうか。
もし仲間だったのなら、せめてあの人の名前だけでも知っておきたくて、俺は尋ねた。
「もしかして、あの時殺された化物も、2人の仲間だったんですか?」
その質問に、ライラは怪訝そうにした後、ひとり得心したように言う。
「ああ、そう。気づいてなかったのね。彼女は———」
「ドライアド。もう時間がない」
しかし、その言葉をもう一人のフードを被った人が割って入り、遮った。
その仲間の行動に、ライラは目を見開いて驚いた表情を見せたが、何かを理解したように目を瞑り、軽く笑った。
「ええ、そうね」
「ちょ、ちょっと待っ・・・」
話を中断したままで立ち去ろうと、背中を向ける二人に手を伸ばし、言葉を投げかけ、引き留めようとするが、フードの人がピタリと歩みを止め、背中を向けたまま、またしても言葉を遮る。
「君も、こんな所でグズグズしてる暇はないよ。もうすぐ、ハウンド達の事後処理部隊が来る。彼らに見つかる前に、逃げた方がいい。今度は、誰も助けてくれないよ」
フードの人がそう言い終えると同時に、ライラは幅広い両袖から木を出し、眠ったままの化物を抱えたフードの人を、包むように掴むと、もう片方でビルの壁を突き刺し、そのままひとっ飛びで屋上まで飛んでいってしまった。
俺は、既に姿の見えない二人が飛んで行った方向を、しばらく見つめた後、周りを見渡した。
俺が知っている街の様相は、もうここにはない。
辺りは完全な静けさに包まれ、時折瓦礫の崩れる音がする。周りの風景も相まって、荒廃した世界に、ただ一人取り残されたような気分になり、少し寂しい気持ちになった。
すると、遠くの方で微かにサイレンの音が聞こえ出した。それになんだか、段々と近づいて来ている気がする。
フードの人が言っていた言葉を思い返した。
「ヤバっ、早く逃げなきゃ!」
俺は、急いでその場を後にした。
「・・・ここまで来れば、もう大丈夫だろ」
どれくらいの距離を走ったか分からないが、取り敢えず被害の少ない場所まで走ってきた。
事後処理部隊ってのがいつ来るか分からない。けれど名前の通りなら、被害のない場所には来ないだろう。
念の為人目を避け、路地裏で荒げた息を整える。
日は既に落ちていて、辺りは真っ暗になっていた。
微かにサイレンの音が聞こえる静かな街の中、普段なら街の明かりで霞む星空が今は綺麗にハッキリと見える。
俺は壁に背を持たれ、深い溜め息を吐く。
「はあぁ、マジで怖かったなぁ」
緊張が抜けた所為か、先程の戦闘を思い出すと今更になって体が震えだす。
その震える右手を見つめ、握りしめた拳を抱く様に抑える。
「やったんだよな・・・俺。あの人を助けられたんだよな」
正直、自分でも馬鹿だと思う。自分1人で戦える力なんて無いのに後先考えず飛び出して、結局死にかけて、助けられて。実際俺は殆ど何もやってない。
服もボロボロで、今だって身体中が痛い。
自ら飛び込んでおいて言うのもなんだが、よく生き残れたものだ。
それでも・・・思い描いたヒーロー像とはかけ離れていたけれど、あの人を助ける事ができたんだ!
なんだか胸のつかえが取れた気がする。
あの時、見殺しにしてしまった化物への罪滅ぼしって訳じゃないけど、今は名前も知らないあの人の死も、ライラが言っていたように無駄じゃなかったと思いたい。
俺はもう一度自分の右手に視線をやる。
シュナウザーを殴り飛ばした時の事を思い出していた。
そういえば、誰かを殴ったのなんて子供の時以来か。
けどそれも、泣いたら終わりの子供の喧嘩だ。今日みたいな、いくら泣き叫んだって止まる事のない殺し合いじゃない。
だからなのか、シュナウザーに入れた一撃がとても印象的で、この拳に殴った時の感触がまだ残っている。
そんな事を思っていた時だった。
「・・あ・・れ?」
俺は自分の口元が緩んでいる事に気がついた。
「あれ?何で俺、笑って・・・」
それになんだか自分でも不思議に思う程、妙な高揚感が沸き上がってきている。
隠す様に口元を手で覆う。
まさか・・・?まさか・・⁈まさか⁈まさか!まさか!!
俺は・・・・楽しんでいるのか?
「いや、違う・・・!俺はただ———!」
自分自身でも制御出来ない感情に、言葉だけでもと否定をしていると、不意に誰かの視線を感じ空を見上げる。すると丸々と空に輝く月と目が合った気がした。
あまりに煌々と光るその存在感に、まるで何かを見透かされている様な感覚がして恐ろしくなってくる。
けれど、そのおかげで我に返った時、俺の頭に思い浮かんだのは、雨宮の笑顔だった。
「あぁ・・・・・・雨宮、無事に帰れたかなぁ・・・・」
先程の戦闘現場では投光器を付け、多くの人が現場処理を行なっている。
それを一望出来る高いビルに2人の影。
ドライアドと彼女の仲間のフードを被った人だ。
「あの右腕の子は貴方の知り合い?」
ドライアドが唐突に聞く。
フードの人は首を振るでもなく、黙ったまま現場処理の様子をしゃがみながら見つめている。
「わかっているのよ。貴方が本当に助けたかったのは彼女ではなく、あの子だったって事。今まで貴方が仲間を助けて欲しいなんて言ったこと無かったもの。しかも、あの子が来た途端に」
それでも無言を貫くが、ドライアドは構うことなく続ける。
「言いたくないのなら言わなくていいわ。でも、“妹”のことは教えてあげても良かったんじゃない?彼、妹の方を見殺しにした事を思い悩んでいたみたいだし、その復讐のために自らハウンドを呼び寄せたとはいえ、姉は助ける事ができたんだから。それを知れば、彼も喜んだんじゃない?」
少しの間が空き、フードの人は首を横に振ると、ドライアドには聞こえない程小さな声で呟く。
「・・・逆だよ」
そして、フードの人は夜空に浮かぶ月を見上げた。
「あの子はヒーローなの。私の、ヒーロー。ね、優ちゃん」
彼女はそれ以上、何かを言う事はなかった。
あれから暫く体の痛みに慣れるまで休んでいたが、いつ迄も居たら危険な為、重い腰を上げ数時間かけて家へと帰ってきた。
幸か不幸か、事件の影響で電車が運行停止してしまっていたから歩く事にはなったが、建物を伝った後、人混みに紛れ込んであの場を去るのは容易だった。
時間はもう深夜の1時を回っていて、案の定家は真っ暗だ。
恐らく母さんは仕事でいないだろうが、別の意味で厄介な姉に気づかれない様、静かに戸を開け真っ直ぐに部屋へと向かう。
部屋に着くなりベッドに倒れ込む。ジャージに包まれたマスクをギュッと抱きしめて。
暗闇の中、1人じっとしていると色々考えてしまう。
何故だろう、今まで鬱陶しく感じていた日常(かの姉)が、酷く恋しく感じる。
頭の中で今日の出来事がぐるぐるリピートされ、全く寝付けないと思っていたが、やっぱり体は疲れていたのか、気付かぬうちに意識を落としていた。
優月が眠りについてから暫くして静かに部屋の戸が開き、誰かが入ってくる。
月明かりに照らされたその人物は葛音だ。
「優ちゃん・・・私、分かってたよ。いつか、こんな日が来るって・・・」
葛音は高イビキをかきながら爆睡する優月を、今にも泣き出しそうな悲しげな表情で見つめると、そっとベッドの横に腰をかける。
「言える訳、無いよね。あの場にいた優ちゃんに・・・。だって優ちゃん、責任・・感じちゃうもんね・・・」
葛音は優月の頬に手を当て、顔を近づける。
そして、唇を重ね合わせた—————。