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翌日。
「すっっっっみませんでしたぁぁぁぁ!!」
珍しく早くに登校した俺のこの日の学校生活は、華麗なる土下座から始まった。
相手は、俺の土下座にオドオドしている女の子。
同じクラスの雨宮 栞だ。
あまり目立たず、緩く縛ったおさげが特徴的な女の子だ。
そういえば、あの購買のイカれた男子生徒の奴らがこの娘の名前も挙げてたな。まぁ今はそんな事どうでもいい。
そもそも何故俺が彼女に土下座をしているのかと言うと、実は昨日、放課後に月1の美化委員の仕事があったのだ。美化委員の仕事と言ってもある一つを除いてその殆どが簡単で、トイレは綺麗かとか掃除用具は壊れてないかとか、できてなければ注意書きしたりモノを補充したりなど、いくつかの仕事を他のクラスの美化委員とローテーションでやっている。
その中で花壇や草木の手入れが1番大変で、一つ一つはさほど広くはないのだが校舎全体に点々とあるのだ。なのでいつも数日に分けてやっている。
何故そんな仕事があるのかというと、昔この学校には華道部というのがあったらしい。その華道部が大会などに出るわけでもなく、部員も卒業間近の3年だけとなり卒業と同時に廃部を言い渡された華道部の部員達が何をトチ狂ったのか校内中に色とりどりの花を植えやがったらしい。最初は教師陣もどうしたものかと困ったみたいなのだが、幸か不幸か花咲学園という名前と相まって花で彩られた綺麗な学校として話題となり、生徒数が爆上がりしたようなのだ。味を占め、こちらも何をトチ狂ったのか教師陣が逆にもっともっとと増やした結果、今の状態になったらしい。だが、後先考えず増やしたせいでそれの維持をどうしようかとなった。学校側は無駄な金は使いたくないらしく、だったら生徒にやらせようという教師陣の横暴により今の体制ができたのだ。
ふざけてやがる。
そして何故俺がそんな面倒臭い美化委員になったかというと、殆どの人がやりたがらない美化委員には推薦枠というものがあり、クラスメイト達の横暴により有無を言わさず俺に抜擢された。
ふざけてやがる。
でも雨宮は自ら立候補していたな。なんでも花が好きらしく、園芸が趣味なんだとか。
そして、このクラスの2人の美化委員の1人である俺はその手入れ仕事があった事をすっかり忘れて普通に帰ってしまい、雨宮1人に任せてしまったのだ。
しかし、それだけならまだクラスの女子連中や先生に責められはしなかっただろう。
聞いた話というより、花好きな雨宮1人に任せてしまった時点でだいたい予想がつく。1年の時から雨宮のストッパーだった俺だからな。
どうやら雨宮は夢中になった挙句、深夜の1時頃までやり続けていたようなのだ。ちゃんとヘッドライトを点けて。スマホもバッグの中にしまってたようで、いくら電話しても出ない娘に心配した親御さんが担任へ連絡、家族、先生、警察総出で捜索し、雨宮の友達に連絡が回った折、美化委員の仕事があった事を知って無事学校で発見されたらしい。
そしてそうなる事を予知出来たであろう俺が仕事を忘れ、帰ってしまった事に皆さんお怒りのご様子なのである。
まぁ俺自身悪かったと思っているので、誹りも罵りも甘んじて受けている。
「あの・・・だ、大丈夫だから。夢中になった私が悪いわけで・・・だから頭を上げて?ね?」
雨宮はとっくに許してくれているのだが、雨宮と仲の良い友達が許してくれない。何やら誠意を見せろと言ってくる。
周りは俺のこの状況を楽しんで見ていて、たまに野次が飛んでくる。
だが、当の雨宮は目立つのが恥ずかしいようで、顔を赤くしながら何とかこの状況を早く終わらせたいようだ。
俺もこんな状況さっさと終わらせたい。土下座は構わないのだが、さっきから姫見のニタニタ顔が腹立たしい。
でも何か条件を提示しないと雨宮の友達が納得しそうもない雰囲気だ。
「それじゃあ、ぶッ⁈」
手打ちの案を言おうしたら、後ろから後頭部を押され顔面を打ち付ける。
というか、これは踏んづけられている。
こんなことする奴は見なくてもだいたいわかる。姫見だ。
「ゴメンね?雨宮さん。昨日はこのバカが自分の仕事も忘れて帰って迷惑かけちゃって。今日はとことんコキ使っちゃっていいから」
「ンナァァァニしゃーがんだぁぁぁぁぁ!暴力オデコがぁぁぁ!」
叫びながら姫見の足を振り払い、勢いよく立ち上がる。
「こっちのセリフよ!!アンタ、昨日はよくもやってくれたわね!あの後超恥ずかしかったんだから!」
どうやら姫見は昨日の自習中、寝てる間に描いてやった肉が気に入らなかったようだ。
「なんだよ⁈あの絵になんの不満があるってんだ!自信作だったんだぞ?ステーキか?ステーキが駄目だったのか?ご希望があるなら先に言っといてくれよ」
「あるか!!バカ!!描くなっていうか、何も書くなっていってんのよ!アホ!!」
素人とは思えない流れる様な体捌きで首筋を掴まれ、最後のアホと言う言葉と同時に体が浮く程の強烈な膝蹴りをみぞおちにキメてくる姫見。
「————————!!?!!!?」
あまりの痛みに言葉も出ず、蹲るしかなかった。
そんな俺を尻目に、姫見は静観していた貴文と桜にも文句を言い出した。
「貴文と桜もよ!何でこのバカを止めなかったのよ⁈」
「いや、悪かったって。昨日もちゃんと謝っただろ?」
そう言う貴文の後ろで、申し訳無さそうに指をモジモジしている桜。
「まったく!2人共優月に甘すぎるのよ!」
アナタは俺に厳しすぎると思いますが⁈と思うが言わない。言ったら殺されそうだから。
誰か、俺に優しくしてくれる人はいないのか・・・。と、絶望しかけていたその時。
「あの、大丈夫?保健室、行く?」
天使のような優しい雨宮が、仕事をサボって彼女を1人ほっぽったこんな俺の身を案じてくれたのだ。
ヨロヨロと立ち上がる俺の体を支えてくれる雨宮。
「ありがとう雨宮。こんな俺に優しくしてくれるなんて、惚れちゃうかと思ったよ」
俺の何気ない冗談に、雨宮は急にピタリと固まる。
だんだんと顔が紅潮していき・・・。
「あわわわわわわわわわ・・・・!」
ワナワナと体が震え、奇妙な声を発し始めた。
「あ・・・雨宮?」
「・・・ご・・・・・」
「ご?」
「ごめんなさい!!!」
同時に思いっきり地面に叩きつけられる。
「おぶっ⁈」
「あっ!ごめんなさい!つい・・・」
咄嗟に地面に張り付いている俺に謝る雨宮。
俺は無言のまま掌を向け大丈夫とジェスチャーを送る。
この子にはあんまり冗談は言わない様にしよう。
地面と同時に恐怖心も叩きつけられた俺は心にそう誓った。
そんな事を思いつつ、とりあえず今はそっとしておいて欲しい俺だったが、そうは問屋が卸さない様で厳しい口調で唐突に言葉を投げかけられた。
「邪魔なんだけど」
声の聞こえた方を地面に張り付いたまま頭だけ動かして見ると、そこにいたのは普段あまり学校に来ない女子生徒、木立 璃夜が見下しながら立っていた。
彼女の第一印象は一言で言えば、不良だ。
暗い青色のショートヘアが綺麗で、見てくれは良いのだが、それを上回る厳しい目付きに口調、他人と一切関わろうとしないし話かけるなオーラプンプンで、前に登校時下駄箱でバッタリ居合わせた時、「おはよー」と挨拶をしたら、「うぜぇ」と返された時は流石の俺もショックを隠せなかった。
まぁでも、それも最初だけで、悪態もされ続けたら慣れてきた。それに、最近では悪態よりも無視の方が多くなった。木立の中で、俺への心証が良い方に傾いていたら嬉しい。
「お、おはよー木立。元気してた?」
そんな友好関係を構築中の相手に、こんなみっともない格好でバッタリ会ってしまい、俺はぎこちない笑顔と上ずった声で挨拶してしまう。
だが木立は俺の態度など気にせず、ただ淡々と冷たく返す。
「挨拶なんていいから、さっさとどけよ」
「はい!ただいま!」
ちょうど木立の席の後ろで地面に張り付いていた俺は、そそくさと犬の様に四つん這いでそこを退く。
木立は何事もなかった様に自分の席へと着く。が、ほっとけばいいものを余計な奴がしゃしゃり出て来やがった。
「ちょっとアンタ!何よさっきの態度は⁈優月が挨拶したのよ?アンタも返しなさいよ!!」
なんと姫見が木立の机をバンッと叩き、噛みついたのだ!
俺の為に怒ってくれるのはありがたいが、さっき俺に膝蹴りをかましてきた奴の言えたセリフじゃない。
けれどそんな姫見とは対照的に、木立は椅子にもたれかかり無視する。
「ねぇ!人が話しかけてんだから、ちゃんと聞きなさいよ!無視ってどーゆーこと⁈不良だかなんだか知らないけど、返事ぐらいしたらどうなのよ⁈」
声を荒げる姫見だが、木立は尚も無視を続ける。
「おい理那、もうそれくらいでいいだろ。やめとけよ」
貴文が言う。桜も後ろでソワソワしている様子だ。
それに先程まで賑やかだった教室が嘘みたいに静まり返っている。
「貴文は黙ってて!」
貴文の制止を一蹴し、姫見は続けて食ってかかる。
「ホントいい加減にしなさいよアンタ!さっきから何なのよその態度は⁈一匹狼でも気取ってるつもり⁈バッカみたい!自分がどれだけ恵まれた環境で生きてるか理解してるわけ⁈普通に学校に来れるのがどれだけ幸せな事かわかる⁈理由はどうあれ、世の中にはそれすら叶わなかった人だっているのよ!優月はバカでアホでどうしようもない奴だけど、それなら自分の周りだけでもイジメやつまらないって理由で来ない人を減らしたいって、そういう想いでみんなと仲良くしようとしてるのよ!別にアンタがどうなろうと知った事じゃないけどね、優月の優しさだけは無駄にしないで!」
姫見は仲良くなったばかりの頃に俺が言った過去の恥ずかしいセリフを激昂のあまり暴露しやがった。
「うるさいんだけど」
木立の冷淡な一言が、姫見の言葉を切り捨てる。
「はぁ」と溜息をひとつつき、木立はそのまま続けた。
「仲良くして欲しいなんて、誰が頼んだよ」
ようやく口を開いたかと思ったら、木立の変わらぬその態度に頭に血を昇らせた姫見が手を振り上げ———。
バチィィィン!!
「ブッ⁈」
咄嗟に割って入った俺の顔面に、姫見の強烈なビンタが炸裂した。
「いってぇぇぇぇ・・・・・!」
予想外の事に固まっていた姫見が動揺しながらも口を開く。
「ちょっ・・・優月、アンタ何で・・・」
ヒリヒリする顔面をさすりながら、俺は返す。
「何でって、俺にならまだしも、暴力はダメだろ。てか、どうしたんだよ急にそんなヒステリックになって、お前らしくもない」
普段いくら癇に障る事があっても、俺以外に手は出さない意外と冷静な奴だと思ってたんだけどな。
まぁ、俺だけ殴られるのもおかしな話なのだが。そこはもう慣れというヤツだ。
「別に、私はただ・・・・」
バツが悪そうにする姫見だったが、ちょうど良く朝の予鈴が鳴り響いた。
「ハイ!!終わり終わり〜、みんな早く席に着こうぜ!ほら、姫見も早く!先生来ちゃうぞ!」
まさかいつも苦しめられている予鈴に助けられるとは。
姫見をクルッと回し、背中を押して席に着く様に促す。というか木立から早めに遠ざけたかった。
他のクラスメイト達もゾロゾロと自分達の席に着く。
「木立もゴメンな、代わりに謝るからさ、許してくれな。雨宮も今日は絶対忘れないから、放課後よろしくな!」
木立は思った通り無視で、雨宮は痛めつけらた俺の体を心配しているのか少し戸惑ったような返事をした。
心配だった姫見と木立は、その後姫見が嫌厭する態度を見せるくらいで特に何事もなかったが、俺は雨宮の友人達から睨まれる度に謝り続け、それに加え姫見のせいでクラスメイト達からイジられながら今日の学校生活が終わった。
放課後、生徒達の別れの挨拶が飛び交う正門付近で、学校指定の体操着に着替えた俺はストレッチをしている。
傍らには一輪車に乗せたスコップに長めのホース、ゴミ袋や肥料などの園芸道具を置いている。
今は雨宮を待っている状態だ。
勝手が分からない俺はいつも聞きながら作業している。適当にやると園芸好きな雨宮に怒られるからだ。
あのいつもオドオドしている雨宮に、初めて怒られた時は正直ビビった。
怒鳴られたとかじゃ無いが、何と言うか背筋が凍る程のオーラを放っていた。
その時持ってた鎌で首を刈られるんじゃないかと思うくらい怖かった。
姫見とは違い、あの静かに怒る感じは苦手なんだよな。
屈伸運動をしながらそんな事を思い返していると、ふと昨日の事が脳裏をよぎる。
昨日の、俺を見つめていたあの化物の目を思い出して、胸が苦しくなってしまう。
今日の昼、いつものように健吾と竜司がやってきて、案の定、昨日の事件が話題に上がった。あれだけ近所で起きたんだ、話題にならない方がおかしい。
健吾が言っていた、“死者”はでていなかったって。“人間の死者”は、だ。
健吾が悪い訳じゃない、ニュースも、あの場にいた人たちも、全員知らないだけなんだ。
でも、良い気がするわけない・・・。
ギリッと歯を噛みしめ、高まる心臓の鼓動を抑えるように胸を押さえた。
すると、突然後ろから声がかかる。
「遅れてごめんなさい!待たせちゃったかな?」
振り向くと急いで来たのか、息を切らした雨宮がやってきた。俺と同じく体操着に着替えている。
「あ、いや、大丈夫。そんな待ってないよ。それに雨宮がいないと俺なんか何もわかんないしね。いくらでも待つよ!それでは師匠、今日は何をすればよろしいでしょうか!」
申し訳なさそうにしている雨宮に、和ませ様と俺は冗談ぽく敬礼をしながら言ってみた。
クスっと微笑を浮かべる雨宮。
「じゃあ先ずは庭木の剪定をしてみなさい!」
雨宮も冗談ぽく返す。
そして笑い合う俺達、こういういつもの日常を過ごしていると昨日の出来事がまるで夢でも見てたんじゃないかと思ってくる。
けれど、決して夢じゃない。あの目が俺の中で、今でもじっと見つめているんだ。
俺は精一杯の作り笑顔で、それを頭から振り払うように言う。
「よし!そんじゃ、いっちょ芸術でも作ってやりますか!」
何かに集中していれば思い返さずにすむから。
雨宮も一緒に、おー!と掛け声を言い合うが、雨宮は思い出したかの様に注意してきた。
「あっ、でもこの前の頭が2つあるエイリアンみたいな、ああいうのは駄目だよ?遅くまで残ってる先生や運動部の人達が、暗がりで観ると迫力があり過ぎて怖いって不評みたいだったから」
「・・・・・・・」
え、ウソ。初めて聞いたんですけど。誰だそんな事言いやがった奴は。
いや確かに俺もちょっと、ほんのちょっと細過ぎたかなとは思ったけれど。
師匠・・・アレ、一応ピカチュウのつもりだったんですよ・・・・。
「隣で見てて、楽しそうにしてたから言えなかったけど、その・・・私から観てもちょっと気持ち悪かったというか・・・怖かったというか・・・」
チラチラと視線を向けながら、言いづらそうにする雨宮。
「わかった、わかったから!もうやめて!」
なんだろう、別に変なプライドとか自信がある訳じゃないけど、こう真正面から俺の芸術的センスを否定されると、ちょっとショックだ。
「ま、まぁ気を取り直して始めようか」
「う、うん!そうだね」
なんかまた変な空気になってしまったが、取り敢えず俺達は作業を始めた。
そして今回は、剪定と言えば何かのキャラクターでしょ、と見よう見まねでやるのはやめて、普通に整えることにした。
「つっかれた〜!」
剪定を終え、次に着手する花壇の前で一休みしているところだ。
「お疲れ様!はい、これ」
雨宮は買って来てくれたスポーツドリンクを差し出す。
「ありがと、助かるよ!」
俺は手渡されたスポーツドリンクを一気に飲み干す。
「プハッあ〜、染み渡る〜!」
そんな俺を見て、隣に座った雨宮は微笑を浮かべる。
「段々慣れてきたね、最初にやった時よりも手際が良くなってるよ」
「そうかな?雨宮が凄すぎて自分じゃ全然わかんないよ。現に雨宮が剪定ほとんど終わらしちゃったし、それなのに全然疲れてないみたいだしな。俺なんてあんな長いハサミずっと持ってたら、腕パンパンになっちゃったよ。やっぱ雨宮はスゲーな!」
俺の言葉に雨宮は困ったような顔をしながら言う。
「えっと・・・私、一応女の子だから、そんなマッチョ女みたいに言われるとちょっとショック・・・かな?」
本心から褒めたつもりだったが、何も考えずに言ったせいでヘンな捉え方をされてしまった!
俺は焦って弁解する。
「いや、ゴメン!そういうつもりで言ったんじゃないよ!雨宮がスゴイって事を言いたかった訳で・・・あの・・・その・・・」
何の言い訳も思い付かず、言葉に詰まってしまう俺をよそにクスクスと笑い出す雨宮。
それを見て訳が分からず固まってしまう。
「フフフフッ!ごめんなさい、冗談のつもりで言ったんだけど、そんな真剣な表情で言い訳すると思わなくて・・・!アハハハハハッ!」
「なんだよもう、やめてくれよそういうの。ホントに焦ったんだからな」
「ホントにゴメンね?いつも姫見さんに叩かれて楽しそうにしてるから、ちょっと羨ましかったんだ。だから私も冗談ぐらい言ってみたくなっちゃって」
笑い涙を指で拭いながら、謝る雨宮。
なんてこった!雨宮が珍しく俺に冗談を言ったなと思ったら、あの暴力女に感化されていたとは!
「雨宮、あんな暴力おデコに影響されちゃダメだぞ?それにあれは楽しそうにしているんじゃない、俺がサンドバッグにされてるだけで全然楽しくなんてないぞ。てか、叩かれて楽しい奴なんていないだろ。ドMじゃあるまいし」
「えっ⁈あ・・・そう・・なんだ」
雨宮は驚いた後、徐々に視線を逸らしていく。
「ちょっ、何その反応?雨宮?えっ、ウソだろ?もしかして俺、ドMだと思われてんの⁈」
こんな憩いの時間に、そんな衝撃的な事実を知る事になるとは思わなかった。
「だ、大丈夫だよ!優月くんがMだって言ってたの同じクラスの人だったし、きっとクラスの中だけの話題だよ!それに私はどんな趣味趣向を持っててもその人の自由なんだから、いいと思うよ!」
雨宮、慰めようとしてくれるのは有り難いけど、それ全然フォローになってない・・・。ていうか俺のドM、確定になってないか⁈
「いや、俺ドMじゃないから!!クソッ!これも全部姫見のせいだ、この怨み全てアイツにぶつけてやる!」
そんな会話をしながら、雨宮との久々の談笑を楽しんでいる。その筈なのにどうしてだろう、雨宮だけじゃなく、今日は誰と話していても昨日の化物の事がずっと頭の片隅にある。あの時の光景がフラッシュバックしてしまうのだ。
すると突然、雨宮が顔を覗き込んで来る。
無防備だった俺は、不意に近づいた雨宮の顔にドキッとしてたじろいでしまう。
「優月くん、大丈夫?」
「えっ?な、何が?」
「えっと、急に黙り込んじゃうから・・・」
気付かぬ内に考え込んでしまっていたのか、雨宮を心配させてしまった様だ。
「あぁ、ゴメン!ちょと嫌な事思い出しちゃってさ、でも気にしなくて大丈夫だよ!大した事じゃないし」
そう笑顔を見せ答えたのだが、それでも雨宮はまだ俺の様子が気掛かりな様で、ソワソワとしながら言う。
「ねぇ優月くん、木立さんの事あんまり気にしなくても大丈夫だと思うよ?木立さんって誰に対してもあんな感じだし、無理に仲良くしようとしなくてもいいんじゃないかな?」
「へ?」
俺は何の事だか分からず呆気に取られる。
そんな俺を見て雨宮もキョトンとした表情を見せた。
「え?」
顔を見合わせ、まるで時間が止まったかの様な静寂が流れる。
「え、あれ⁈もしかしてなんか勘違いしてたかな⁈ゴメンね!!優月くん、なんだか今日一日考え込んでるみたいだったから、てっきり今朝の木立さんとの事だと思ってて!恥ずかしいな・・・」
慌てた様子で顔を真っ赤に染めると、その顔を隠す様に俯く雨宮。
そんな雨宮を見るのは忍びなく、俺も慌てて話を合わせる。
「そ、そうだよ!木立の事で悩んでたんだよ!」
本当は全然違うが、木立に対して悩みとまではいかないが、あそこまで人を寄せ付けないのは何故だろうか、という疑問があるのは事実だし、まぁそういう事にしておこう。
「・・・・本当?」
雨宮は赤らめた顔を俯いたまま、視線だけをこちらに向ける。
「うん!ホントホント!」
俺は何度も大きく頭を振って見せる。
すると雨宮は「よかった〜」、と気を取り直すと話を続けた。
「私の時もそうだったけど、優月くんってみんなと仲良くしようとしてくれるよね。でも今日の木立さんみたいに、いつか誰かに煙たがられて嫌な事されて傷付くんじゃないかって心配なんだ。あ、もちろん私は嬉しかったよ。優月くんも知ってると思うけど、私人見知りで初めて話す相手に緊張して上手く話せなくなっちゃうから、いつも無愛想だと思われて、それなのに優月くんは話しかけ続けてくれて、そのおかげでこの学校に来た時、初めはいなかった友達だって優月くんを通してできた。私の今の楽しい学校生活は全部優月くんのおかげだから、その優月くんが悲しい思いするのは私、嫌なの・・・」
そういえばそうだったな、雨宮も最初は中学の時の桜みたいに最初は1人ぼっちでいたんだっけか。
でも桜と違って雨宮は、初めて会った時からなんかテンパってたんだよな。なんでだったんだろ?やっぱり恥ずかしかったのかな?
まぁでも雨宮の気持ちは素直に嬉しく思う。
別に望んでた訳じゃないけど、そんな風に面と向かって感謝なんてされた事なかったし。
・・・なんだか俺まで顔が熱くなってきた。
「まさかそんな風に思っててくれてたなんてな。こっちこそ、こんな俺と仲良くしてくれて感謝の気持ちでいっぱいだよ!でも俺はホントに大丈夫だよ。雨宮がそんなに心配しても徒労になっちゃうぞ?だから気にしなくてもいいんだよ」
まだ雨宮は不安そうな表情でうん、と頷く。
そんな雨宮を見て、俺は少しでも和ませようと軽く冗談を言ってみる。
「それにしても、木立は何であんなに人を寄せ付けないんだろうな。もしかして照れ隠し・・・とか?」
「それは流石にないんじゃないかな・・・、あんな喧嘩腰の照れ隠し見た事ないよ」
苦笑いだが、雨宮の表情が少し和らいだ。
良かったと思ったのも束の間、打って変わって雨宮は真剣な表情で聞いてくる。
「優月くんは、なんで拒絶されてもそこまで人と関わろうとする事ができるの?怖い、とか思ったりしないの?傷付くのが嫌だと思わないの?・・・正直、私は怖い。拒絶されるのもそうだけど、なにより相手が自分の事をどう思ってるのか不安でたまらないの。もしかしたら陰で笑われてるんじゃないかって思っちゃうの。・・・最低だよね、自分でも分かってるんだ、こんなの自分が可愛いだけだって。それでも信じるしかないって。でも、それでも怖いの、どうしたって相手の本心はわからないから・・・」
雨宮は体育座りの姿勢で、膝に顔を埋めながら本音を吐露する。
だが、俺は嬉しくなって少し口元が緩んでしまう。
そんな俺を見て雨宮はムッとなる。
それに気付いた俺は慌てて弁解する。
「ゴメンゴメン!なんだか嬉しくてさ。それを俺に話すって事は、少なからず俺は信頼されてるのかなって思ってね」
それを聞いた雨宮は、まるで今その事に気付いたかの様に顔を真っ赤にに染め上げ、狼狽える。
「だだだだだって、優月くんは誰よりも優しいから、つい・・・!」
「誰よりも優しい・・・か。違うよ雨宮、俺は優しく在ろうとしてるだけだよ。俺だって傷付くのは怖いし、嫌だよ。他人が何を考えているのか分からなくて不安になる事だってある。それでも放っておく事なんて、もうしたくないから・・・」
雨宮は黙って俺の話を聞いていた。
俺は少し渋ったが、話す事にした。俺の昔の苦い思い出を。
「雨宮は知らないだろうけどさ、俺小学校の頃とある事情で結構浮いてたんだ」
そう、俺は小学校の頃浮いていた。
理由は喋る化物を見たと言い続けたからだ。嘘つきだの目立ちたがり屋だのと散々叩かれた。でも俺にはクラスは違ったが健吾と竜司が居てくれて、何かと庇ってくれたお陰で黒歴史に成らずにすんだんだ。まぁあの2人ですら信じてくれなくて、夢だったと言い聞かされたんだけど。
だけどそんな中、ただ1人信じてくれた子がいたんだ。
工藤って言う名前のおとなしい女の子だ。下の名前はもう今じゃ思いだせない。てかそもそも知らなかったかもしれない・・・。
それまで全然話した事なかったんだけど、化物の件がキッカケでよく会話するようになった。
「そんな頃に、仲良くなった女の子がいたんだ。その子は影が薄くてあんまり目立たない子でさ、いつも1人でいて、でも真面目でクラスで飼ってたメダカや、ベランダに置いてあった花の世話とか、誰もやりたがらない様な事も率先してやってくれる子だったんだ。そんな子が理由は分からないけど、ある時イジメっ子の男子達にいびられてたんだ」
「それって・・・」
雨宮がボソっと呟く。
「え?」
「ううん、何でもない!続けて」
「そう?じゃあ・・・」
雨宮の驚いた表情を訝しげに思ったが、とりあえず続けることにした。
「それで、その子がいびられてるのが許せなくて、その子を庇ったんだ。そしたらイジメっ子達が、そいつの事好きなのか?なんておちょくってきてさ、恥ずかしいってのもあって、俺・・・ついつい強めに否定しちゃったんだ。そのせいでその子泣いてどっか行っちゃって、謝りたかったんだけどなんか気まずくて、話しかける事も出来なくて、次の日も、そのまた次の日もってズルズル引きずって、その間にもその子、イジメっ子達にイビられてたんだけど、俺はまたおちょくられるのが嫌で見て見ぬフリしちゃったんだ。そしたらその数週間後にその子、突然転校しちゃってさ、結局最後まで謝れなかった。守れなかった。自分から何か言える子じゃないって分かってたのに、俺はその子のそういった所にきっと甘えたんだ。先生は親の都合だって言ってたんだけど、先生からそれを聞かされたその日の帰りに下駄箱にその子からの手紙が入ってて、なんだろうって見てみたら、俺の事が好きだったって、内容だったんだ。俺・・・なんて事しちまったんだって思って、もう後悔しかなくて、転校ももしかしたら俺のせいだったんじゃないか、なんて思って・・・きっとあの子は俺を恨んでる。だから俺、その時に決めたんだ。罪滅ぼしって訳じゃないけど、あの子に何もしてあげられなかったから、これからは俺の周りぐらいは、誰も傷つかないようにしようって。だからさ、雨宮が心配する事なんて何もないよ。もし俺が傷ついたとしても、それは俺が望んでしたことだから。・・・って、これじゃホントにドMみたいだな!」
真面目に話してる自分が段々恥ずかしくなってきて、最後の最後に照れ隠しで冗談をいって誤魔化してしまう。
だが、雨宮は何故だか嬉しそうな表情をして何かを呟く。
「・・・・てくれたんだ・・・」
何を言ったのか聞き取れなかったが、雨宮の満足そうな笑顔を見て俺も嬉しくなった。
「大丈夫、たぶんその子は優月くんを恨んでなんかないよ。転校だって元から決まってた事だったと思う。先生が言うんだからきっとそうだよ。それにその子は悲しくて泣いたんじゃない、庇ってくれた事が嬉しくて泣いたんだよ。でも優月くんと一緒で、恥ずかしくってその場から逃げちゃって、ずっとありがとうって言いたかったけど、言えなかった。だから最後に、自分の想いだけは伝えたくて、でも面と向かっては言えないから手紙を書いたんだよ」
「・・・何でそんな事わかるんだ?」
「わかるよ。その子、私に似てるもん。・・・だから、代わりに言わせて・・・」
雨宮は立ち上がり、歩きながらそう言うと、振り返り満面の笑みで俺に告げる。
「優月くん、ありがとう!」
俺は釘付けにされた。
夕暮れに照らされたその笑顔は、とても・・・とても綺麗だったから。
気づくと俺の目からは一粒の涙が伝う。
雨宮とあの時の少女が重なり、たとえ本人じゃなかったとしても、その言葉に少なからず救われた気がした。
けど、泣き虫だなんて思われたくない俺はその涙を咄嗟に拭う。
「ハハ・・・なんで雨宮が感謝するんだよ・・・・」
雨宮は俺の隣に戻って、こちらを見ずに遠くを眺めながら言う。
「優月くんの話を聴いてたら、そう言いたくなったの」
雨宮の笑顔、雨宮の言葉が頭の中を巡る。
本当にとても綺麗だった、夕日に照らされた雨宮の・・・夕日に・・・夕日・・・。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「きゃあっ⁈」
絶叫を上げ、感動的な場面を台無しにしてしまう。
突然の俺の叫びに、雨宮もビックリしている。
「全っっっ然進んでねぇぇぇぇぇぇ!!!」
雨宮と時間を忘れ話し込んでしまい、気付けばもう夕暮れになっていた。
昨日の事もあったから今日はなるべく早く切り上げ様とは思っていたが、木しか切ってねぇ!
まぁしょうがないか、今日はここまでにしよう。
俺と雨宮は今日はもう切り上げ、続きは明日にする事にしたのだった。
帰り道、俺は家とは逆方向へ足を運んでいる。
家が遠く、電車通学している雨宮を駅まで送っているのだ。
雨宮はいいと遠慮したが、俺が無理矢理付いて来た形だ。
最近じゃここら辺も物騒になってきたからな。
・・・また、昨日の事を思い出してしまった。いけないな、こんなんじゃまた雨宮に心配されてしまう。
そんな事を考えてしまっていたため、しばらくお互い無言のまま歩いていると、顔を赤くした雨宮が唐突に言う。
「やっぱり悪いよ。まだ駅まで遠いし、今ならまだ・・・」
「大丈夫大丈夫!気にしなくていいって。俺が勝手に付いて来てるだけだし。それに早く帰ったってどうせ家事やらされるだけだからな」
俺は遠慮する雨宮の言葉を遮り、明るく振る舞う。
まぁでも、今朝方帰ってきた母さんが起きて、もう既にほぼほぼ終わらせているとは思うんだけど。
雨宮はなんだか申し訳なさそうな顔をしながらうん、と頷く。
「でも優月くんって家事とかするんだ、意外だね。あっ、別に馬鹿にしてるとかじゃ無いよ⁈男の人ってそういうの苦手なイメージがあったから・・・」
「気にしなくていいよ。実際好きでやってる訳じゃ無いし」
ただ、やらないとかの姉による身体的ダメージを負う羽目になることは黙っておこう。
「母さんが居ればやってくれるんだけど、姉しかいない時は大体俺がやってるんだ。ウチ、俺以外みんな女だから、女尊男卑って訳じゃないんだけど、昔から母さんに女性には優しくしろって言い聞かされてきて、そのせいもあってか、やれって言われたらなんか逆らえないんだよね」
「そうなんだ、優月くん・・・家でも大変なんだね・・・」
なんだか雨宮が可哀想な人を見る目で俺を見ている気がする。
「そうなんだよ、特に次女がワガママお嬢様だからな・・・。雨宮はそういうの得意そうだよな!花の知識とかスゲーし!」
「花と家事は全然関係ないと思うけど・・・、でも家のお手伝いしてるからある程度の事なら出来るよ」
「やっぱな!雨宮家庭的そうだし、いいお嫁さんになりそうだもんな!」
「そ、そんな事ないよ!普通だよ、普通!・・・でも、優月くんにそう言われるとお世辞でも嬉しいな・・・」
雨宮はずっと赤かった顔を更に紅潮させて、それを隠す様に顔を伏せる。
なんだか恥ずかしそうにしている雨宮を見てると、改めてこの2人で帰ってるという恋人みたいな状況に俺も緊張してきた。
もし雨宮が彼女だったら、こんな風に毎日一緒に帰るのかな・・・。
いやいや、何考えてんだ俺!別に雨宮は、優しくて恥ずかしがり屋なだけで、俺の事なんて特別意識なんてしてるわけじゃなくて・・・。
「どうしたの?」
変な妄想を膨らませてしまい俺まで顔が熱くなる最中、突然の雨宮の声に驚き焦って誤魔化す。
「いや・・・そ、それにしても今日は全然進まなかったな〜と思ってさ!出来れば休日は挟みたくなかったんだけどな」
そんな俺を不思議そうに見つめている雨宮を直視する事ができず、顔を背けてしまう。けれど雨宮は何故だか、嬉しそうに笑顔を見せる。
「ごめんね、私が変な事聞いたばっかりに話が長引いちゃって」
「雨宮のせいじゃないよ。そんな事言ったら俺だって時間を忘れて話し込んじゃったし、それに昨日忘れてたし・・・あ!」
そういえば、姫見と木立のいざこざですっかり忘れてた件があった!
「そうだ、雨宮!昨日すっぽかしたお詫びにさ、何か欲しいものとか、して欲しい事とかないか?あんまり高いモンとかは買えないけど、俺が出来る事だったら何でもやるからさ!」
雨宮はもうとっくに許してくれているのだが、俺自身悪い事したなと思っているので何かしないと気が済まない。
「い、いいよ!お詫びなんて!昨日の事は私の注意不足が招いた結果だし、由佳と美咲が大騒ぎしてただけで、私は優月くんが悪いなんて思ってないから、だからお詫びなんていらないよ」
案の定、雨宮は遠慮する。
ちなみに由佳と美咲というのは雨宮と仲の良いクラスメイトの女子だ。
「昨日すっぽかした俺が言うのも何だけど、誰が悪いとかじゃなくてさ、俺がただ雨宮に何かしないと気が済まないんだ。このままだともう飯も喉を通らないかもしれないし、夜眠れなくなっちゃうかも。だから俺を助けると思って、何でも言いつけてくれ!何でもやるからさ!」
雨宮は困った表情で、でも・・・と躊躇っていたが、ホラホラホラホラ!と催促する俺に折れた雨宮がじゃあ、と言いながら頬を染め指をモジモジする。
「今週の土曜日って・・・空いてる?」
土曜日?土曜日か。
俺はアイツらの事を思い出す。
貴文達は———。
『悪い!俺達しばらくは付き合えないんだ、家の方で色々あってさ。だからまた今度な!』
『そっ!みんなアンタみたいに暇じゃないのよ。ん?えっ、ちょっ・・・桜?だ、駄目よ?そんな不満そうな顔したって駄目なモノは駄目なんだからね⁈』
健吾達は———。
『無理だな!!俺達には遂行なる使命がある!今度始まるブルジョワ第2期に向け、昨日手に入れた第1期のブルーレイボックスを全話一気見するという使命がな!!!貴様もどうだ?頭を地面に擦り付け、懇願し、どうしてもと言うなら誘ってやらんこともないぞ?』
『おい、ちょっと待て!達って何だ⁈それいつのまに俺まで入ってんだ!ん?おい、何だよ?何で腕を掴むんだよ?離せよ。優月もなんか・・・おい!優月!どこ行くんだ!ちょっ、助けろよ!!助けろって!!!助けてくれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』
竜司よ、どうか安らかに逝ってくれ。
俺は回想を終え雨宮との会話に戻る。
「う〜ん・・・特に予定は入れてないとおもったけど、なんかあんの?セールとか?あんまり高いのはやめてくれよ?」
そんな俺の物言いに雨宮は不満そうに否定する。
「ち、違うよ、そういうのじゃないよ。あの・・・そのぉ・・・えっとね、その日に街の文化会館で花の展覧会があるの。だから・・・その・・・い、一緒に行ってくれたら嬉しいなって・・・」
歩みを止めて不安気な表情で、けれど真剣な眼差しで見つめてくる雨宮。
「ど、どうかな?良ければでいいんだけど・・・」
雨宮は控えめな娘だな。
何でもするって言ってるのにそんなことでいいのだろうか。逆にこっちが心配になってくる。
「何で雨宮がそんな遠慮するんだよ、何でも言う事聞くって言ったのは俺なんだから、全然いいよ!」
俺のそんな言葉に不安そうにしていた雨宮の表情もパっと明るくなる。
「本当?本当にいいの?」
「全然OKだよ。ていうか寧ろそんなんでいいのか?何度も言うようだけど、本当に何でもいいんだぞ?何か欲しいものとかないの?」
「うん、特にないかな。私、流行とかに疎いしブランドとか良く分かんないから」
恥ずかしそうに苦笑いをする雨宮。
そうなのか、雨宮は物欲がないのかな。まぁ付いて行くだけなら財布的にも助かるんだけど、なんだか気が引けるな。
「そっか、わかったよ。でも一緒に行くの俺なんかでいいの?俺、花の事なんて全然分かんないけど・・・」
「うん・・・といより、今回のは・・・その・・・優月くんと・・・・あの・・・行きたいなって・・・」
また何かゴニョゴニョと喋り始めた雨宮。
そんな姿を見ていると、横目でチラッと俺を見た雨宮と目が合った。
雨宮は何かを誤魔化す様に言う。
「ゆ、優月くんにも花の魅力を知って貰いたいなって思っただけだよ!」
「そ、そっか。努力するよ」
突然声を張るもんだから、少したじろいでしまった。
しかし参ったな、ただ付いて行けばいいと思ってたんだが、まさか花の魅力まで知らなければならないとは。
よもや抜き打ちテストの様に、花の問題が出される事もあるのだろうか。
マズいな。美化委員の仕事で花の知識を一方的に聞かされていたが、全く憶えてねえ。
もしそれがバレたらお詫びどころじゃなくなってしまう。
よし、当日までに出来るだけ勉強しておこう。
そう誓った俺は、その後も雨宮と他愛もない世間話をしながら駅へと向かい、着いた頃にはもう空は暗くなり始めていた。
「今日は送ってくれてありがとう、こんなに楽しい帰り道は初めてだったよ」
駅舎の入り口の前で、俺に満面の笑みを向けながら言う雨宮。
こんな時間だと人はいるが、他の学校の人を合わせても、やっぱり学生は少なく見える。というか、ウチの生徒で俺らの学年に雨宮以外電車通学している人は雨宮以外知らない。
「いえいえ、なんなら送れる時はいつでも付いてくよ。迷惑じゃなければだけど。早く帰ったってたまに家事やるくらいだしさ」
学校から駅まで意外にも距離があった、あの距離を行きも帰りも1人は少し寂しい気がする。
だが、雨宮はいつもの優しい笑顔で頭を横に振る。
「ありがとう、でも大丈夫。そんな事してもらっちゃったら優月くんに悪いし、吉野さんに恨まれちゃいそうだから。それに———」
何故ここで桜がでてくるのか疑問に思ったが・・・。
「1人は慣れてるから・・・」
それ以上に、その寂しそうな笑顔で言う雨宮の表情が気がかりだった。
雨宮は相手を気遣って、言いたい事も心に留めてしまう優しい子だ。それは決して悪い事ではない。
でも俺の、友達の前では素直でいて欲しい。
雨宮はどう思っているか分からないが、俺は雨宮と友達だと思ってる。
だから、たとえ迷惑であったとしても俺は決めた。
「わかった。じゃあ、時々一緒に帰ることにするよ」
「え、いや——–—」
「異論は認めないぞ!もう決めた事だからな」
それが雨宮にとっていい事なのか悪い事なのかわからないけれど、雨宮のあんな表情はもう見たく無いと思った。
俺は雨宮の笑った顔が好きだから。
「1人は慣れてるとか、そんな悲しい事言うなよ。何があっても俺は雨宮とずっと友達でいるから。だからたまには、俺を頼ったりしたっていいんだからな?」
雨宮に喜んで貰いたくそう言ったつもりだったが、当の雨宮は顔を伏せてボソリと何かを呟いた。
「ずっと友達か・・・・。優月くんらしいね・・・」
やっぱり迷惑だったのかなと不安に思っていると、顔を上げた雨宮は満面の笑みを見せる。
「そこまで言うなら、お願いしちゃおうかな。でも・・・気をつけてね。私、結構ワガママだよ」
雨宮の笑顔を見て安心して、俺も釣られて顔がほころぶ。
「まかせろ!俺ん家の姉よりワガママな奴なんかこの世にいないよ!」
そんな冗談で笑い合っていると、雨宮は思い出した様におもむろにバッグからスマホを取り出す。
「もうこんな時間か・・・。そろそろ行かなくちゃ・・・」
どうやら時間を確認していたようで、乗らなければならない電車がもうすぐ来るみたいだ。
名残惜しい気もするが、時間ならしょうがない。
「そっか、それじゃ気を付けてな!」
しかし、雨宮は手提げカバンをギュッと握りしめたまま動こうとしない。
「どうしたんだ?・・・もしかして忘れ物でもした?」
「ち、違うの!そうじゃなくて、その・・・こんなに楽しかった下校は初めてだったから、ここでお別れだと思うとなんだかちょっと寂しくて・・・」
雨宮も俺と同じ気持ちだったのかと思うと、つい顔がニヤけてしまう。
雨宮は照れているのか、顔を紅潮させながらもそんな俺を見て頬を膨らませる。
「そ、そんなに可笑しいかな?」
「あっ、いや、ゴメンゴメン!そういうつもりじゃないんだ!」
けれど、また帰りが遅くなって雨宮の親御さんに心配かける訳にもいかない。
俺は誤魔化す様に一つ咳払いをすると、雨宮を諭す様に言う。
「だけどさ、そんな落ち込まなくても明日も明後日も学校で会えるし、それに土曜日は花の展覧会にも一緒に行くんだろ?別に今生の別れって訳じゃないんだから、笑顔でまた明日って言えばいいと思うよ」
「そ、そうだよね!私、久しぶりに優月くんとこんなに喋れたから、浮かれちゃってたのかな。恥ずかしい・・・。変な事言ってごめんね?」
恥ずかしさからか、雨宮は焦った様に口調が早くなる。けれど、その顔には笑顔が戻っていた。
「大丈夫だよ。俺も楽しかったし、雨宮の気持ちも分かるから」
すると、遠くの方でカンカンと、踏み切りの音が聞こえてくる。
「あっ、たぶんこの電車かも・・・」
「そっか、流石にもう行かないとだよな。じゃあ雨宮、また明日な!」
俺が笑顔でそう言うと、雨宮は恥じらいながらも慎ましい笑顔で返す。
「うん、また明日!」
そして雨宮は雨宮らしく、小さく手を振りながら駅の中へと入っていった。
俺は雨宮の姿が見えなくなるまで、大きく手を振って見送った後、帰路へと着いた。
家に着く頃には時刻は8時を回っていた。
先程帰りがけに時間を確認しようとスマホを見てみたら、かの姉から彼氏の浮気を疑う彼女の如く尋常じゃない鬼電がかかっていた。マナーモードにしていたから気付かなかった。
そして今、玄関の前でドアに手をかけたまま動悸を抑えようと深呼吸している。
昨日かの姉のせいで死にかけた経緯もあったため、俺は恐る恐るドアを開ける。
「ただいまぁ・・・」
「ゆうちゃぁぁぁぁぁん!!あんまり遅いから心配したよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
案の定、かの姉が玄関で待ち伏せしてやがった!猛烈な勢いで迫ってくる!!
が、かの姉の背後にいた人影が彼女の長い髪の毛を掴み、その奇行を止める。
「コラッ!!」
「キュッ⁈」
俺は思わず、胸を撫で下ろし安堵の息を吐いた。
「あやちゃん、ヒドォ〜イ!」
頭を抑えながら、目尻に涙を浮かべたかの姉がブーっと膨れる。
「何がヒドイよ、毎度殺人未遂犯してるアンタの方がよっぽどヒドイわよ。まったく、いい加減大人になって先の事を考えて行動しなさい」
この人はあや姉、ウチの姉弟の長女だ。
落ち着いた感じがまさに大人の女性って感じだが、ここだけの話昔は結構ヤンチャしていた元ヤンなのだ。
「そうだそうだ!言ってやれあや姉!」
ドアを盾の様に構え、かの姉を警戒しながら声を上げる俺。
昨日と違い、今日の俺は強気だ。なんてったってあや姉がいるからな。何かあればあや姉が止めてくれる!
そんなしょうもない俺に構う事なく、あや姉は続けた。
「家の中じゃ後始末が大変なんだから、殺るなら外で殺りなさい!」
バタンっ————。
脳が理解するよりも早く体が危険を察知し、気付けば俺はドアを閉めていた。
次の瞬間ドアを開けようと、かの姉がものすごい力で押してくる!
俺はその衝撃を背中で感じながら、全身の力で踏ん張り、反抗する!
なんてこった!あや姉がかの姉の味方に着くなんて。クソっ!憶えてやがれあの元ヤン!
とは言っても、ヤバい、押され気味になってきた。どうにかしなければ!
はっ!そうだ、忘れていたがかの姉だって人間だ、話し合えば分かってくれる筈だ!
俺はドアの磨りガラスを横目で見る。
・・・・・そこには最早、人とは思えない形相の、かの姉の顔があった。
「・・・・・・・・」
・・・俺の体により一層力が入る。
俺は何を馬鹿げた発想をしているんだろう。
かの姉に話が通じるのなら、そもそもこんな状況に陥っている訳がない。
もっとマトモな案を思いつかなくては。
だが、俺はもう限界に近い!
「葛音、もう少しよ!相手はもうダウン寸前!そのまま押し切れ!」
あや姉はまるでセコンドの様にかの姉にアドバイスを送ってやがる。
そしてそんな声だけは聞こえているのか、かの姉の勢いが増してくる。
あぁぁヤバい!もうムリぃぃぃぃ!!
俺の踏ん張りも限界になった時、救いの声が聞こえて来た!
「うるさい!いつまでやってるのアンタ達!近所迷惑でしょうが!」
俺達の騒ぎに痺れを切らした母さんが扉の向こうで怒鳴り声を上げた。
「綾音!葛音が暴れない様見とけって言ったでしょ!何一緒になってふざけてンの!葛音、アンタは・・・葛音!ちゃんと話を聞きなさい!!」
騒ぎを止めるため割って入った母さんだったが、それでも止まらないかの姉の頭を引っ叩いたのかスパーンっと軽快な音がドア越しからでも聞こえた。
「いた〜い・・・」
その直後、かの姉のそんな声と共に俺の背中に響いていた衝撃も止んだ。
恐る恐るドアを開けてみると、スリッパ片手に2人を正座させガミガミと怒っている母さんの姿があった。
俺はやっと終わったぁと一安心して漸く家に入ると、母さんの怒りは被害者である俺にまで飛び火してきた。
「優月!アナタもアナタよ!毎度毎度女の子に好き放題されて悔しくないの⁈少しは漢を見せたらどうなの!」
まさか俺まで怒られるとは思ってなかった為、たじろいでしまった。
「いやぁ〜・・・でもぉ・・・・」
「でも、何⁈」
言いたい事はいっぱいあったが、母さんの怒気に気圧されて言葉に詰まってしまう。
「いえ、何でも無いです!ごめんなさい!」
俺は取り敢えず謝っとく事にした。
ここで反論すれば、火に油を注ぐようなものだ。
「・・・・・・・・。全く、アナタって子は・・・。もういいから、さっさとご飯食べちゃいなさい」
なんだか呆れていた母さんだったが、まあ許してもらえたようで俺はそそくさとリビングへ直行する。
そして俺が夕飯を食べている間あや姉とかの姉の2人は、母さんの説教を長々と聞かされていた。
夕飯も食べ終わり、母さんの長い説教も終わって、俺と母さんは食卓に座り、姉2人はソファに、今はそれぞれリビングでまったりしている。
俺は母さんが寝てしまう前に、昨日委員会の仕事をサボってしまった話をした。
「全く、何してるのアナタは。その子にはちゃんと謝ったの?」
額に手をやり、またも呆れさせてしまった母さんが言った。
「そりゃあもちろん謝ったよ。今度の土曜日にお詫びする事にもなったし」
「そう。それじゃ相手の親御さんには私から謝っておくから・・・」
そう言いながら、雨宮の家に連絡を入れようと立ち上がった母さん。
「いや大丈夫だよ、そのお詫びで雨宮と花の展覧会に行く事になったから、その時に菓子折りでも持って行こうと思ってるから」
母さんは仕事で忙しい。今更遅いかもしれないが出来るだけ迷惑はかけたくない為、俺はそう言うと、携帯片手に母さんは深い溜息を吐き、言う。
「それでも母親の私が一言連絡を入れるのが礼儀ってモノなの。それにこういった事はなるべく早い方がいいのよ。———あっ、もしもし、夜分遅くにすみません。先程ウチの子から話を聞きまして————」
母さんは電話をしながらリビングを後にした。
やっぱり母さんに迷惑かけちゃったか、と落ち込んでいると、いつの間にか俺の横に立っていたかの姉が静かに口を開く。
「ねぇ、ゆうちゃん。雨宮って誰?男の子?男の子だよね?男の子とお花を見に行くの?でもそれだとなんだかおかしくない?・・・ゆうちゃん?まさか、女の子な訳ないよね?ねぇ、どうなの?」
かの姉の鋭い眼光が座っている俺を見下ろしながら凝視している。
俺はそんなかの姉から視線を逸らし、テーブルの木目だけを見て即答した。
「男です・・・・」
かの姉の視線が横顔にバチバチ当たる。
暫くの沈黙後、チラッと視線だけをかの姉に向けると、そこにはいつものニコやかなかの姉の笑顔があった。
「そうだよね!ゆうちゃんが浮気なんてする訳ないもんね!」
先程の冷めた表情とは打って変わり、俺に抱き付き明るい口調で言うかの姉。その豊満な胸に顔半分が埋まる。
だが、今の俺はそれに反応している余裕はない。
もし雨宮が女の子だとバレた日には何をされるか分かったもんじゃないからだ。
頼みの綱のあや姉は、さっき怒られたばかりだというのに助ける素振りすら見せず、テレビを見て笑っている。
俺は滝の様に汗が流れるのを感じながらも、怪しまれない様ポーカーフェイスを決め込む。
「でももし女の子だったら私、相手のこと許せないかも————」
明るい口調ながらも妙に威圧感を含んだその言葉に、俺の全身の汗腺は放流を開始した。
落ち着け俺!無だ・・・そう、無になるのだ!
俺が必死で心を落ち着かせ、最早菩薩になりかけた時、電話を終えた母さんがリビングに戻ってきた。
「優月、土曜日の件伝えておいたからね、ちゃんと行きなさいよ?それにしても雨宮さん家の子の栞ちゃん、良い子よね〜。あの子は良いお嫁さんになるわ。ウチの子達も見習って欲しいくらいね」
予想だにしていなかった所から、爆弾が投下された。
テレビから笑い声が響く中、リビングは妙な静けさに包まれていた。
「あ〜らら」
状況を理解しているあや姉の一言。
「え、何?どうしたの?私、なんかマズイ事言った?」
母さんは部屋の変な空気に戸惑っている。無理もないだろう、俺だってよくわかってないのだから。そもそも何故俺が責められなければならないのだ?
ていうか今更だけど、浮気ってどういうことだ?
色々と疑問が浮かび上がってきたが、当のかの姉は笑顔で固まったまま、しかし徐々に腕に力が入っていき、そして徐々に俺の頭がかの姉の胸に埋もれて行く。
俺は覚悟を決めながら、心の中で雨宮に謝った。
済まない雨宮、君の知らぬ間にもしかしたら君の身を危険にさらしてしまったかもしれない。そんな俺が言うのはなんだが雨宮、どうかお元気で・・・。
————–——グキッ!!
そんな音が耳の奥から響いた後、俺の意識は途切れ、目を覚ました頃には日が昇り始めていた。
そんなこんなあり、あっという間に土曜日になった。
昨日で委員会の仕事も無事に終わらせることができた。
まぁ、主に雨宮が頑張ってくれたお陰なんだけど。
そして俺は今、その雨宮を迎えに行く為、電車に揺られている。
ついで、と言うとなんだか言い方は悪いが、雨宮の親御さんに先日の件の謝罪の意を込めて、菓子折りを詰めた手提げ袋を抱いてちょこんと座席の隅に座り、上に貼られた線路図を眺めている。
今5つ目の駅を過ぎたところだから、まだあと3駅も残ってんのか。
あらがじめ雨宮から住所は聞いといたんだけど、まさかこんなに遠いとは思ってなかった。
雨宮はいつもこんな遠い所から学校に通ってたのか、俺には真似できないな。
なんたって俺なんか、なるべく長く寝たいがために必死になって勉強したくらいだからな。
まぁでも雨宮は花が好きだから、そんな雨宮からすれば、それでも行きたい学校なんだろう。
しばらくして車内にアナウンスが流れ、目的の駅に着く。
駅を出ると、俺は一つ伸びをしてスマホをポケットから取り出し、それを頼りに雨宮の家へと向かう。
地図上で見た感じ、それ程遠くはないと思ったのだが、実際歩いてみると意外と距離があって少し息を切らしてしまった。
地図にも歩いて15分程だと載っていたが、15分って結構遠いもんなんだな。普段ぐうたらしてる俺だからそう感じるのかもしれないけど・・・。
何はともあれ無事に雨宮ん家に着いた俺は驚いた、というか少し物足りない感じがした。
あれだけ花好きな雨宮だから家も草木で鬱蒼として、小さいジャングルでも出来てるのかと勝手に思ってたけど、周りの家より少し茂ってるくらいで、普通の一軒家だった。
気を取り直し、俺は外国で見るような格子状のオシャレな門を抜けて玄関のインターホンを押す。
「はーい」
扉の向こうから声がした後、ドアがガチャリと開く。
「あら、もしかして壱志さんのところの?」
出迎えてくれたのは俺の母と同年代の、30代後半くらいとおぼしき女性。恐らく、雨宮の母親だろう。
俺はその姿を確認して、挨拶をした。
「初めまして、俺・・・じゃなくて僕、壱志優月って言います。先日はどうもすみませんでした!それでコレ、つまらない物ですがどうぞ」
深々と頭を下げた後、持って来た菓子折りを雨宮のお母さんに手渡す。
「これはご丁寧にどうもぉ。でもよかったのに、あの件はウチの娘が悪いんだから。昔っからあの子、夢中になると周りが見えなくなる所があってね、こちらこそ迷惑かけてるんじゃないかしら?」
少しくらいは怒られたり、嫌味ぐらい言われるかと多少の覚悟はしていたのだが、そんな事は全然なく、寧ろ優しく接してくる雨宮のお母さんに戸惑ってしまう。
「いえ、迷惑なんて全然!雨み・・・じゃなくて、栞さんには、いつも助けてもらってばっかりで、というか頼りきってる自分が不甲斐ないぐらいです!」
本心からの言葉だ。色々思い返してみても雨宮に迷惑ばかりかけて、そのくせ何もしてやれてない自分を情けなく思う。
そんな俺を見て、雨宮ママはどこか懐かしそうな風に言う。
「まぁ!そんなお世辞まで言えるようになっちゃって、良い子に育ったわね〜。あっ!ごめんなさいね。いつまでも立ち話じゃなんだから、さぁ、どうぞ上がって」
「え?あっいえ、俺は・・・」
雨宮ママが俺を家の中へと促していると、二階の方からドタドタと騒がしく降りて来る音がする。
「ちょ、ちょっとお母さん!勝手に何してるの⁈」
どうやら雨宮が俺と雨宮ママの会話が聞こえて急いで降りて来たようだ。
「何って、お客さんが来たから通してるのよ」
「そうじゃなくって!」
「どうしたのよ急に。それにオシャレなんかしちゃって、どっか・・・・あっ、そう!そういう事ね!」
雨宮ママが何かを納得したように不敵に笑っているが、それに引き替え雨宮は顔を真っ赤にして黙り込む。
「もう、なんで教えてくれなかったの?このこの〜。それで?いつからなの?」
恥ずかしそうに俯く雨宮に、肘をチョンチョンと突く雨宮ママ。
「そんなんじゃないから!もう行こう、優月くん!」
今すぐその場を後にしたいのか、俺の手を取って引っ張る雨宮。
「え、あ、ちょ!そ、それじゃ失礼します」
雨宮に引っ張られながら、雨宮ママに別れの挨拶を済ませてそのまま門を抜ける直前、玄関扉から頭をヒョッコリ出した雨宮ママが手で口元を隠し、悪戯な笑みを浮かべて言う。
「デート、楽しんできてね」
その一言に、雨宮は硬直し、段々と顔を赤くしていく。
「ぜ、ぜぜぜぜ全然そんなのじゃないってば!」
ガチャガチャと門を押して開こうとするが「雨宮、それ、内開きだよ」
「え?あ、アハハハ・・・間違えちゃった。べ、別に動揺してるわけじゃないよ?」
そう言いながら俺を置いて門を閉めてしまう。
「そ、それに私なんかとデートとか、そんな事いったら優月くんに失礼だよぅっ⁈」
こちらを振り向きながらスタスタと歩いてくもんだから電柱にぶつかる雨宮。
もう完全に動揺してるじゃん。
俺は今来た道を戻り、雨宮と2人で駅に向かっているところだ。
雨宮もだいぶ落ち着きを取り戻し始めた。
あれから道中短い距離の中で、何度も電柱にぶつかったり、何もないところでコケたりと、今日一日どうなるか不安になったが、大丈夫そうだな。
「ゴメンね?ウチのお母さんが変な勘違いしちゃったみたいで。デートだなんて。優月くんは私のワガママに付き合ってくれてるだけなのにね。それなのに私なんかと勘違いされちゃ迷惑だよね」
そんな卑屈な事を言う雨宮。
「そんな事ないよ、お詫びなんて言ってたけどさ、俺、結構今日のこと楽しみにしてたんだよ。というか、雨宮は自分の事を過小評価し過ぎだと思うぞ」
「えっ、そう・・・かな?」
「うん、そうだよ。俺は雨宮、結構モテると思うけどなぁ。だって可愛いしさ、それに優しくて気遣い上手だし、よく笑ってくれるから話してて楽しいし。すくなくとも俺は・・・・」
途中、恥ずかしい事を口走っていることに気づき、言葉を詰まらせた。横を向いてみると、雨宮は顔を真っ赤に紅潮させ、下を向いている。
俺はその恥ずかしさを紛らわす様に言う。
「だ、だから雨宮も、もっと自分に自信を持った方がいいと思うよ!うん!」
「う、うん。ありがとう・・・」
顔を真っ赤にした雨宮は、ボソリと呟くように返した。
それにしてもデート、か。
俺は横目で雨宮を見る。
普段制服姿しか見てないから、私服の雨宮はかなり新鮮だ。
髪型もいつものおさげじゃなく、ストレートで大人っぽい印象を受ける。
そんな雨宮の姿も相まって、なんだか緊張してきた。
雨宮も同じ気持ちなのか、はたまた先程の会話を引きずっているのか、頬を赤く染めて俯いたまま黙ってしまっている。
このままではダメだと思い、話題を捻り出そうとするが何も思い浮かばない。
そして心の中で唸りながらも、やっとのことで絞り出した言葉は、「そ、そのぉ・・・雨宮の今日の格好、スゲー似合ってるな」
必死に捻り出したのが服装を褒めるとか、我ながら安直すぎる。
そもそも似合ってないと思ってたら着てこないだろ、普通。逆に失礼じゃなかったか?
そんなことを思案する俺をよそに、雨宮は、長いスカートを指でつまみ、フワッと揺らしながら、「そ、そうかな・・・?」と、自身の服装を確認する。
「うん、その長いスカートとか雨宮らしいっていうか、でもいつもと雰囲気が違ってて新鮮で、大人っぽく見えるよ」
「ホント?」
雨宮はどこか、驚きと喜びを混じえた表情を見せる。
「うん!ホントに」
「えへへ、ありがとう。私ファッションの事とか詳しくないから自信なくて、本当は今日、優月くんにダサい女だと思われたらどうしようって心配だったんだけど、でもそう言って貰えて嬉しい!」
「そんな事思うわけないよ、俺だって服の事なんてよくわかんないし。でも雨宮の格好が似合ってるのはわかる!違和感とか全然ないし」
そうだ、なんて事はない。いつもより可愛く見えるからって雨宮は雨宮なんだ、別人になったわけじゃない。普段どおりにすれば良いだけなのだ。
お互いに緊張も解け、学校での出来事やこれから行く展覧会の事など色々な話をしながら、あっという間に文化会館に着いていた。
時間は11時を過ぎたところ、ちょうど昼時だし先に何か食べた方がいいかと思い雨宮を見ると、当の雨宮は待ちきれないのかソワソワしだしている。
ここで先にお昼を食べようかなんてお預けをくらえば、ブチ切れられるかもしれない。
花の事になると雨宮は人が変わるからな。
「優月くん、早く行こ!」
はやる雨宮に手を引っ張られながら、俺たちは館内へと足を踏み入れた。
早めに来たつもりだったが、館内にはもう既に沢山の人で賑わっていた。
外から見たら大きな建物で、館内も広いだろうと思っていたが、花と人とであまり広さを感じない程だ。
それに俺たちの後からも続々と人が入ってくる。
確かに花は綺麗な物だと思うが、俺自身あまり花に興味は無いし、今日みたいに何かきっかけがない限りこういったイベントに来ようなんて思わなかった。
なので混雑って程でもないが、意外にも多い人だかりに俺は驚いている。
「へぇ、結構いっぱい人が来るもんなんだな」
その驚きを独り言の様に口に出すと、隣で一緒に歩いている雨宮が答えた。
「うん。でも今回は特別多いかな、たぶんテーマが愛でメインの花が薔薇だから、恋人とか夫婦の人たちがいっぱい来てるんだと思うよ」
雨宮の言う通り、周りをみると男女でいる人たちばっかりだ。
あれ?となると・・・。
「じゃあ今の俺たちもカップルみたいだな!」
冗談で言ったつもりだったのだが、俺の一言に固まる雨宮。
段々と俺の言った事を理解してったのか、見てわかる程、徐々に顔を赤くしていき奇妙な声を発し始める。
「あわわわわわわわ・・・!」
あっ、ヤバイ。デジャヴだ。
「い・・・い・・・い・・・」
「待て雨宮!まだ間に合う!感情に流されず自分を強く持つんだ!」
「イヤァァァァァァァァアアア!」
「雨宮ぁぁぁぁぁぁ⁈」
ネゴシエイターばりの説得も虚しく、叫びながら走り去ってしまう雨宮。
てっきり物理的ダメージを食らうかと思っていたのだが、そんなに拒絶されると、これはこれでかなりショックだぞ。
って、そんな事考えてる場合じゃなかった!
「雨宮!走ると危ないぞ!」
「ふぎゅっ⁈」
そう言った側から少し離れた所で誰かにぶつかる雨宮。
「雨宮、大丈夫か?」
すぐさま駆け寄り、手を差し伸べる。
「うん、ありがとう。取り乱しちゃってごめんなさい・・・」
「気にしなくていいよ。それよりも・・・」
俺は雨宮がぶつかった相手を見て、唖然としてしまう。
何故ならその女の人は、まるでどこぞの夫人の様に赤紫色の派手なドレスを着ているからだ。
なんだこの人、スゲー格好・・・。
俺が呆然とその女の人を見ていると、雨宮が深々と頭を下げながら、声を上げた。
「あ、あの!すみませんでした!」
その声に我に返った俺も、雨宮に倣う様に頭を下げる。
「私は大丈夫。貴方の方こそ怪我はなかった?」
「は、はい、大丈夫です!」
「そう、それなら良かった。これからは気を付て」
艶かしい声音でそう言い微笑む彼女。
女の人が立ち去る間際、一瞬だが視線を向けられた気がした。
ただ単に隣にいる俺を一瞥しただけなのかもしれないが、俺は何だかそれが妙に引っかかった。その目は何だか、冷たい印象を受ける、そんな視線に感じたからだ。
「優月くんも迷惑ばっかりかけてゴメンね?」
「え、ああ、気にしなくていいって、それじゃあ俺たちも行こっか」
「うん!」
気にしててもしょうがない、たぶん気のせいだろうしな。
俺は頭を切り替え、雨宮とのデートを楽しむ事にした。
そうして俺たちは色々と見て回ろうと足を運び始めたのだった。
メインの花が薔薇だといっても、他にも色んな花があった。フラワーデザイナーの人達が出展しているフラワーアレンジメントや生け花が色合いを邪魔しないようにその花に合った台に一つ一つ綺麗に立ち並んでいれば、床をカラフルに彩るように敷かれた花もある。
今日この目で見るまで、花を綺麗に纏めただけで所詮花は花だろうと正直ナメていたが、実際目の当たりにするとかなりの衝撃をうけた。
作り手によって使ってる花は同じでも全然印象が違くそれぞれに個性があって、派手でインパクトのある物や、なんだか儚さや寂しさを感じる物、一つの花の美しさを強調した物など、どれもこれも凄く見応えのあるものばかりだった。
全然興味なかった俺がこれだけ楽しめてるんだ、雨宮にどうかなんて聞くまでもない。というか、もう俺なんて忘れて夢中でじっくりと見入ってしまっている。
それにしても一つを観るのがすごい長いな、これが花を嗜む者にとって普通なのか?
かといって雨宮を残して先に行くわけにもいかず、何か目新しい物はないかと辺りをキョロキョロしていると、室内の端の方にこじんまりとした出店らしきものが目に入った。
今雨宮はここから動こうとしない。
喉も渇いたし、ちょっとだけなら大丈夫かなと思い、俺は少しだけと、その場を離れその出店を見に行くことにした。
覗いてみるとそこには花を模したり、あしらえたキーホルダーやアクセサリー、お茶菓子など、どれもこれも花にちなんだ土産物ばかりがあった。
まぁ花のイベントなんだから当たり前なんだけど。
お菓子も色々あるな、薔薇ばっかだけど。
・・・・薔薇ってうまいのか?てかジュースとか置いてないのかな?
色々と目移りしている中、ひとつ、目に留まったモノがあった。
「おっ、コレは・・・」
俺は手に取ったそれと、今朝家を出る時にリビングの出入り口から俺を睨み続けていたかの姉の為に適当なお菓子を買った。飲み物は仕方なく外の自販機で買い、雨宮の元へと急いで戻る。
館内に戻り雨宮がいた方に視線を向けると、離れたところに見える雨宮が何だか不安そうに周りをキョロキョロしている。
俺がいない事に気付いて探しているようだ。
俺は急ぐ気持ちから足速になる。
雨宮も俺に気付いてこちらに駆け寄る。
「ゴメン雨宮、心配させちゃったかな?喉が渇いたから飲み物買い行ってたんだ。はいコレ、雨宮の。お茶でよかったかな?」
「そうだったんだ、ありがとう。私もちょうど喉渇いてて、そしたら優月くんがいなくなってたから。もしかしたら優月くん、飽きてどこか行っちゃったのかと思って・・・」
「飽きたなんて全然!結構楽しめてるよ。ただ雨宮があまりに夢中で見てるもんだからさ、邪魔するのも悪いし少しくらい大丈夫かなと思ってさ。ゴメンな?」
「ううん、私の方こそゴメンね?来る時は1人かお母さんとだから、いつもの癖で自分勝手に見ちゃって・・・。そうだよね、2人で見に来てるんだから2人で楽しまないとだよね」
「だな!それじゃあさ、俺にも花の事いろいろ教えてくれよ。知らないより知ってる方が楽しいと思うし、会話もしながら回れるだろ?せっかく雨宮が誘ってくれたんだ、雨宮程までは難しいと思うけど、友達が好きなモンは俺も好きになりたいし、というかまだ少ししか見てないんだけど、もう結構興味惹かれてるんだよね。だから、いいかな?」
驚いた表情を見せる雨宮。だが、すぐに嬉しそうに満面の笑みで雨宮は答える。
「うん、まかせて!」
そんな雨宮に俺は手を差し出す。
「そんじゃ、早く行こうぜ!」
雨宮は驚きと恥ずかしさに、少し躊躇ながら俺の手を握った。
「ところで、その袋はどうしたの?」
先程売店で買ったお土産が雨宮は気になってる様子。
さっきまで手ぶらだったのが、急にこんな手荷物持ってればそりゃ気になる。
でも今はあんまりツッコまれたくないから適当に誤魔化しておこう。
「コレは、ちょっとね。最近何だか不機嫌な姉への貢ぎ物?みたいな?そんな事よりホラ、早く!モタモタしてたら終わっちゃうよ!」
握っている雨宮の手を引く。
「あっ、ちょっ優月くん⁈そんな急がなくてもまだまだ時間あるから大丈夫だよ⁈」
そして俺たちは気を取り直し、花を見て回る。
雨宮もまかせてと言った通り、俺が気になった花の情報を色々と教えてくれた。
そんな中今のこの状況に俺はふと気づいてしまった。
恋人みたいだと。
手を繋いだはいいがてっきりすぐに離すものだと思っていたため、途中からいつまで繋いだままなのだろうかと疑問に思った。
いや、別に繋ぐのが嫌なわけじゃない。寧ろ嬉しい限りだ。女の子と手を繋ぐのなんて初めてだし、てか女の子の手って小さくて柔らかいモンなんだな。俺の手に収まって、指先だけがチョコンと出ている。何だか守ってやらなくちゃって気になってくる。
だから嫌なわけじゃないんだけど、そうやって手を繋いでいるんだと意識すると今更ながらドキドキしてきて、手汗がヤバイ!
とは言え今更無理に離す訳にもいかないし、何より雨宮の手が小さいながらもギュっと握られている。それが愛らしく、だから余計に離せない。
大丈夫かな?手汗気づかれてないかな?てか、いずれ離す時にバレんじゃん!あぁ〜どうしよう、汚い奴とか思われないかな?などと、そんな不安が募り1人苦悩していると、雨宮がとある花の前で止まった。
「見て、この花。綺麗でしょ?」
そこにあったのは、一輪の薔薇だった。
「これはね、青い薔薇でアプローズって言うの」
「え?青?紫じゃない?」
確かによく見れば少し青みがかっているとは思うけど、ハッキリ言って紫だ。
そう言う俺に雨宮は困り顔をした。
「うん、まぁそうなんだけど・・・。薔薇はね、本来青色の色素を持たないの。だからこの花が出来るまでは交配で色を抜いて青く見せてるだけだったんだけど・・・勿論その花達も綺麗だよ?でもこの薔薇は遺伝子組み換えで青色の色素をもってるの、それも10年以上の年月をかけてようやくできたんだって。そして不可能の代名詞だった青い薔薇に、夢叶うって花言葉が付け加えられたんだよ。人の技術もそうだけど、何より作った人達の情熱がスゴイよね!」
子供が欲しいオモチャを見るように、雨宮は目をキラキラと輝かせその青い薔薇を見つめている。
そんな雨宮をよそに俺は得心した。
「なるほど、だから青い薔薇なのか・・・」
「え?」
思わず声に出しまっていたのか、雨宮はキョトンとした顔でこちらを向く。
「あ!いや、何でもないよ!その、何だっけ?パプローズだっけ?ばっかり見てないでさ、次行こ!次つぎ!」
俺はそう言い、雨宮の手を引っ張る。
「それパープルに引っ張られてない?アプローズだよ・・・って優月くん、ちょっと急ぎ過ぎじゃない?時間はホントに大丈夫だから、もうちょっとゆっくり見よ、ね?」
ちょっと誤魔化しが強引過ぎたか。けれど、今の俺は薔薇を見ると少しばかり動揺してしまいそうで、なるべくなら早くこの場を後にしたい。
そんな俺を、さすがに訝しく思ったのか、雨宮も怪しみ始めている。
「なんだか優月くん、手荷物持ち始めてから様子が変だよ?」
雨宮のそんな言葉に、つい肩をビクつかせ、刹那な中、脳内で慌ただしく言い訳を思索する。
「そ、そんなん事ないって!ただちょっと今は薔薇は見たくないっていうか、タイミングが悪かったっていうか、ドキってなっちゃうっていうか・・・えっと・・・そう!あれ!あの花は何てーの⁈」
だが結局、何の言い訳も思い付かない俺は、強引に誤魔化すしかなかった。
「うーん、何だかはぐらかされてる気がするけど・・・。えーとね、それは———」
もはや完全に不審がられてしまっているような気がするが、まぁ大丈夫。ここまで来てしまったのなら、もうバレさいしなければどうという事はない。残る不安は手汗だけだ。
そうして、度々不意打ち気味に出会う薔薇に動揺する俺の態度を、雨宮は不思議そうにしながらも、俺たちは楽しく笑い合いながら花を満足いくまで観て回ったのだった。