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ルメアの脳樹  作者: lucky
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助けられると思ってた。

みんな救えると思ってた。

テレビで観ていた、カッコいいヒーローの様に。

俺のこの力はその為の物なんだって、思い上がっていた。

結局は失って、足掻いて、また失って。その繰り返し。気付いた頃には、もう後戻りできない程、失い過ぎてた。

あの頃の俺は、馬鹿で、傲慢で、無知で、無力なただのガキだったんだ。

・・・なぁ、君は俺と出会えて、本当に幸せだったのか?





この世界には人と、そうでない者の2種類の人間がいる。今の俺は一体、どちらなのだろうか・・・・。

 俺、壱志優月(いちし ゆづき)は今、ポケットティッシュを握りしめ、屈めば身を隠せそうな程草が生い茂った川辺を眺めながら、そんな事を考えていた。

 暫く悩んだが、俺は踵を返しその場を後にする事にした。

 季節は春から夏に差し掛かる5月中旬。ゴールデンウィークも終わり、今日もいつも通り学校へ向かう。正直遅刻ギリギリだが、そんな事気にしてられない。俺が校門をくぐる前にヤツが肛門をくぐり抜けそうだ。

 俺はお尻を締め、ぎこちないよちよち歩きで歩き続け、ようやく学校へと辿り着いた。

 俺の通う学校、私立花咲高等学園。ちなみに俺は、今年で2年生だ。

 偏差値は周りの他の学校と比べると高い方で、アホな俺が入れたのは奇跡に等しい。一緒に同じ高校を受験した友達に勉強を見てもらったし、俺自身、受験期に机にかじりついていたかいがあったってもんだ。

 何故そんな無理してでもこの高校を選んだかと言うと、仲の良い友達がこの学校を選んだし、偏差値が高ければ高い程将来的に損はないって、中学の時の担任に言われ、将来の事なんて全く考えていないけれど、当たって砕けろで頑張ってみた。

 まぁ、何よりも大きな理由は他のトコよりも家に近かったって事なんだが。時間ギリギリまで寝ていられるという事に魅力を感じた。

 学校に着いて早々、1階で念願のトイレで用を済まして、猛ダッシュで階段を駆け上り、教室へと向かった。

「おっはよー!」

 教室に入るなり、俺はクラス全体に挨拶をすると、皆バラバラに多種多様な挨拶が返ってくる。

返事を受けながら、入り口側の壁際にある自分の席へと着く。

俺が教室に向かっている間に予鈴がなっていたが、教室に先生の姿はなく、それどころかまだ殆どのクラスメートが席に着いておらず、談笑している様子だった。いつもの事だが、俺は安堵の息を吐く。

「フゥ、間に合ったぁ・・・」

「イヤ、予鈴がなってる時点で間に合ってねーよ」

いつの間に近づいたのか、俺に即ツッコミしてきたこの顔のイカツイ男は、中学からの親友で、名前を野路(のじ) 貴文(たかふみ)。まぁ、ワイルドなイケメンって感じだ。

こいつ黙ってると眉間にシワ寄せる癖があるから、初めて話しかけられた時、不良に絡まれたかと思ってビビった覚えがある。

そしてその貴文の隣には、見目麗しい女性が2人。1人は紫がかった黒髪が肩にかからないぐらいの長さで、前髪を上げて見せたオデコがチャームポイントの姫見(ひめみ) 理那(りな)

もう1人が透き通る様な白い肌と薄ピンク色のロングヘアー、その佇まいは神々しささえ感じさせる物静かな女の子、吉野(よしの) (さくら)だ。

貴文に続き、姫見が悪戯顔で言ってきた。

「アンタ、普段から彼女欲しいって言うんなら、もっと余裕を持った方がカッコよく見えるもんよ?ねぇ?桜?」

「私は・・・別に・・」

頬を赤らめゴニョゴニョと口籠る桜に、悪戯顔を増長させ「えー?聞こえないよー?」とイジる姫見。

「お前は少しでも桜を見習った方がいいぞ。お淑やかな方が、女性として魅力的に見えるもんだぞ」

 お返しとばかりに言い返してやる。が、あまり効いていないようだった。

「私はいいのよ。別にモテたいわけじゃないし」

 ならばと、次のカードを切る。

「へぇ。まぁ確かに、服は脱ぎっぱなし、部屋は汚しっぱなし、部屋着なんて何日も洗ってないガサツ女がモテる気なんてそりゃないですよねぇ」

 俺はニタニタと、いやらしい笑みを浮かべて言ってやる。

「なっ———⁈」

口籠もった後、キッと貴文を睨む姫見。貴文は頬を掻きながら目を逸らす。

「おいおい、貴文に八つ当たりすんなよ。もともとの原因はお前にあるんだし、むしろ貴文は被害者だろ?まぁ俺が言うのもなんだが、下着くらいは自分で洗った方がいいぞ、マジで。つっても、お前みたいなズボラで凶暴な女には、繊細な男心っつーモンは分からないか」

やれやれだぜ、とシュラグポーズをとる俺に

頭に来たのか、姫見が摑みかかってきやがった。

「調子に乗んな!この万年ドーテイが!お前はまず女心を知れ!!」

「おい!やめろ!俺のベビーフェイスに何しやがんだ!」

両手で頬を引っ張ってくる姫見のチャームポイントを押しこくり、必死で抵抗する俺。

毎度思うがコイツ、力がツエェ・・・!

俺たちのこんな揉み合いもいつもの事で、周りの奴らも気にしていない。貴文と桜も暖かい目で見守っていやがる。

見てないで助けてください!お願いします!

俺の必死のアイコンタクトも虚しく、担任の先生が来るまで、俺の頬っぺはこの怪力オデコに蹂躙された。


3時限目が終わり、4時限目の前の小休憩。次は英語か。俺、英語は苦手なんだよなぁ。

俺を合わせ朝の4人は、姫見と桜の席がある教室の後方で談笑していた。小休憩もそろそろ終わりかけ席へ戻ろうという時、貴文が止める。

「あ、そうだ。なぁ、優月」

「んぁ?」

「この間の英語の小テスト、多分今日返って来るだろうからさ、いつもの勝負しないか?」

貴文の言ういつもの勝負とは、まぁよくあるテストの点数の優劣で低い方が罰ゲームをするというやつだ。

罰ゲームの内容は都度変わるが、大体何か奢ったり、パシらされたり、何回か掃除当番を代わった事もあったな。

何でこんな事始めたかと言うと、いつもテストの結果が悪いくせに全然勉強しないし、始めたとしても長続きしない俺に、どうにか勉強させようと1年の時に皆が考えてくれてやり始めたんだ。

これが意外と効果があって、俺のテストの点数は段々と上がっていった。

いつも負けてばっかだから悔しくて、見返してやるって気になるんだ。

最近じゃ1度だけ運が良かっただけかもしれないけど、姫見に国語で勝った事もあった。あの時は跳ぶ程嬉しかったな。

アイツは顔面蒼白だったけど。

だから今回も貴文の提案を俺は二つ返事でOKした。

 貴文に内緒だが、実はこの間の小テストは結構自信があるんだよな。

 俺は見られぬ様、陰でニタニタと笑いながらその時を待った。



キーンコーンカーンコーン———。

バンッ!

「クソったれぇぇぇぇえええ!!!!」

4時限目が終わったと同時に俺は、勢い良くドアを開け放ち、廊下を全速力で駆け抜ける。何故って?聞かないでくれ!クソッ!何が結構自信がある、だ!50分前の自分を殴ってやりたい!

自責しながらダッシュする俺の後ろを・・・うし・・・ろ・・・・ちょっ桜、速ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

1人じゃ可哀想だからと、着いてきてくれた優しい桜さん、なのだが・・・・後ろにいたはずの桜は、あっという間に俺を追い抜き、そのまま風の様に走り去って行ってしまった・・・。

桜、着いて来てくれるのは有り難いけど、置いて行ってしまうのはどうかと思うぞ。

それはそうと、問題はあのオデコだ!朝の一件を根に持ってんのか、バカだの、アホだの、ドーテイだのと散々好き放題言いやがって!ドーテイ関係ねぇし!てか好きでドーテイな訳じゃねぇし!!

 クソッ!でも全部事実だから何も言い返せないのが悔しい!

 今に見てろよ!今度アイツのデコをデコってやる!

姫見への仕返しに額に何の落書きをするか考えている内に、購買部の前に着いた。

先に着いていた桜の額には汗ひとつなく、息も切らしていない。いつもの凛とした姿で俺を待っていた。それに比べ俺はゼェ、ゼェと息を切らしている。人としてのスペックの違いに悲しくなってくるな。

まぁいい、今に始まったことじゃないしな。それよりもさっさと用を済ませよう。

この学校は学食と購買部があり、学食では麺類や定食類、丼類などなどガッツリとした御飯が食べられ、購買部では学校から少し離れたところにある商店街から文房具やパン、おにぎりなどが売られている。

ここのは特にパンが旨い。なんでも結構有名なパン屋なんだとか。だから、多少時間のかかる学食よりもこっちの購買部の方が人が集まりやすい。なので、早く行かないとこの場所は戦場になってしまうのだが・・・。

・・・・・どうやら、遅かったようだ。

「寄越せや!ゴラァァァア!!!」

「死に去らせぇぇぇ!!ワレェェェアァァァ!!!」

「んだらぁぁ!!ォラァァァァァアァァ!!!」

眼前ではもう既に、タマの殺り合い・・・じゃなかった、パンの取り合いが始まってしまっている!

「うわぁ、今日は一段とヤバイな・・・」

ここのパンは確かに旨い。旨いのだけれど、あそこまで人格変わる程か?

なんかヤバイモノでも入ってるんじゃないかと疑ってしまう。

パン如きで争い合う目の前の虚しい光景を半眼で眺めながら、俺は人の愚かさを垣間見た気がした。

 しかし、毎度の事ながら今からアレの中に飛び込むのかと思うと足がすくんでしまう。

 正直、パンは諦めてもらって今から戻って学食にご同行願いたい。

 寧ろ学食の定食を教室に持って行くでもいい。

 兎に角、アレに飛び込まなくて良ければ何でもいい!

「な、なぁ桜?アレ、行かなくちゃダメ?」

「ダメ」

「ですよね!」

 物は試しと、あのバトルロワイヤルの真っ只中に入らなくてもいいと言う道筋を作ろうとするも、桜の即答によって一縷の望みは呆気なく潰えた。

 ハァ、と溜息を一つ。

 まぁ、迷ってても仕方ない。

 グズグズしてたらパンがなくなってしまうしな。

俺はその場でクラウチングスタートの体勢にはいる。

「優月、突貫しマァァァァス!」

そう叫びながら、両手を前に腰を屈めた体勢で群衆の群れに突っ込む。

アイツらにパシらされ、パンを買わされ続けた日々の中で分かった事がある。

それは、上体を上げていると進み辛いという事だ!そう!上がダメなら下からだ!コレが俺の今さっき適当に思いついた必殺技!一本の槍!!

予想以上に効果を発揮した俺の必殺技のお陰で、結構群れの中にまで入り込めた!

途中「キャーーー!」「ヘンタイーー!」と女子が騒ぎだし、暴行と罵声を浴びせられ、心と体に傷を負ったが、そこは俺の鋼の精神で乗り切った。

だが、前列に近づくにつれ、やはり密集度がヤバい!あまりの多さに上体も上げられない。それどころか四方八方から、エルボーなり膝蹴りをかまされている始末だ。

頭を抑えながら人を掻き分け、遂にパンの並んだ台を視界に捉える。

俺は最後の力を振り絞り、頭が人の腰につっかえ視界を遮られるも、限界まで手を伸ばす!この際パンの種類なんてなんでもいい!取り敢えず手に取って金も後で払えばいい!

 そして指先に何かが触れた感触に、俺はそれを勢いよく掴む。

よしっ!掴んだ!なんかデカイけど、兎に角掴んだ!

その瞬間、耳を劈く程騒がしかった喧騒が一気にシーン・・・と静まり返った。

そして次第に俺の周りから人が離れて行く・・・。

なんだか、イヤな予感がする・・・。

額に汗を流し、恐る恐る自分が握った物に視線をやると・・・俺が掴んでいたのは・・・・・・女性の乳房だった・・・・。

乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、哺乳類のメスが持つ外性器の一つ。構造上は外皮と密接な関係があり、女性では乳腺から乳汁を分泌し哺乳器としての機能を内包する。その形状や大きさには個人差、年齢差、人種差があり、乳腺の分泌期とそうでない時期によっても異なる。女性では10歳前後から発達し始め、成人では前胸壁の大胸筋上に半球状(お椀状)に隆起し、底面の直径は平均で10-12㎝ほどである。俗語ではちちあるいはお乳とも言い、俗におっぱいとも呼ばれる。(wikipediaより)

・・・・・・・・・・お・・・・お・・・・・・オパーーーーーーーーーイぃぃぃい⁈

俺は冷や汗を大量に吹き出し、オッパイを鷲掴みにしながら固まってしまった。それと同時に、やはり男の性なのか俺の全神経は掌に集中し、神が与えたもうた至宝の感触を、その柔らかさを感じていた。

暫く、実際にはとても短い間だっただろうが、静寂の間が流れた。

それを断ち切ったのは、凛々しさの中に優しさのある様な声音だった。

「あの、そろそろ離して貰えると助かるのだけれど」

その声の主は、今現在オッパイを鷲掴みにしてしまっている女性で、驚きで固まってしまっていた俺は、今更ながらその女性の顔に視線をやる。

真っ黒なサラサラのストレートヘアで、大人の女性感が溢れ出している。ザ・ヤマトナデシコって感じの女性だ。可愛いよりも美人って方が合っている。

 ってそんな感想を言ってる場合じゃない!

「ゴ、ゴメンナサイ!!」

彼女の声に一拍空け慌てて手を離すが、俺は彼女が、と言うよりも彼女の顔が気にかかり、もう一度その顔を見る。

 あれ?このヒトどっかで見た事あるような?

 よく見ると、やはりどこか既視感を感じる。

 彼女も同様に俺の顔をジッと見つめていた。その表情はどこか驚いている様にも見える。

「あの・・・・」

 何処かで会った事があるか問いかけ様とした瞬間、それを遮る様に俺の肩を誰かが掴む。

 ・・・またしても嫌な予感が脳裏をよぎる。

「おいテメー、ウチの学園のアイドルに何してやがる・・・・」

 怒りを滲ませた震えた声のするの方を見ると、そこに居たのは先程までパンを奪い合っていた男子生徒の方々だった。

 先程まで乗機を逸した争いを見せていた男子生徒達が、まるで共通の敵を見つけたかの様に俺を睨み付けている。

そしてこの人達を皮切りに、先程まで静寂だった周囲から激しい怒号が響き渡ると、どこかで訓練でも受けて来たかの様な流れる動きで、女子生徒達は胸を鷲掴みにしてしまった彼女を俺から遠ざけ、男子生徒達は隙間無く俺を取り囲む。

「え?ちょ・・・あの・・・・」

 あれよあれよと言う間に逃げ場を失った俺は、彼らの素早い動きに困惑するしかなかった。

 言葉を詰まらせる俺に、男子生徒達が詰め寄る。

「ウチの学園のアイドルの1人、白鶴(しらつ) (ゆい)様のむ、む、胸を揉みやがって・・・、ウッ、グスッ」

急に泣き出す男達。

「俺達なんて、恐れ多くて話かける事すら叶わないって言うのに・・・!」

「テメェ、覚悟は出来てんだろうなぁ⁈」

泣き出したと思ったら、次は凄い剣幕で怒り出した。忙しい奴らだ。なんて言ってる場合じゃない!取り敢えず弁解をしなくては!

「ち、違う!わざとじゃないんです!ただの事故なんです!」

「あぁ⁈だからどうした!!事故なら許されるってか⁈そうは問屋が卸すかボケがぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ヤバい!まともに会話出来る状況じゃない!確かに悪いのは俺だけど、今はどうにかして逃げなければ、と思案していると集団の中の誰かがとんでもない情報をタレコミ始めた。

「あっ!コイツ学園のアイドルの吉野 桜様と姫見 理那様といつも一緒にいる奴だぞ!!」

 その言葉に一時の静寂が流れると、次の瞬間男達は発狂した様に叫び出した。

「なんだとコラァァァァァァア!!!」

「っざけんなぁぁぁぁぁあ!」

「殺してやるぅぅぁぁぁぁぁあ!!」

「1人でいいから紹介しろぉぉぉぉぉぉお!」

胸ぐらを掴まれ、持ち上げられる俺。

嘘だろ⁈まさかアイツらが学園のアイドルなんて呼ばれてるなんて知らなかった!そんな事誰からも聞いた事なかったぞ!てか、この状況でそれはマズすぎる!

 だが、1人の眼鏡をかけた知的そうな男子生徒が、怒り狂った他の者達を制止する。

「ちょっと待て君達!ここは一つ穏便に行こうじゃないか」

 何が何だか分からないが、話しの通じそうな人がいてよかったと、胸を撫で下ろした矢先の事だった。

「ところで君は、他のアイドルの娘とも仲良くしているのかな?」

 安心したのも束の間、その知的な男子生徒は眼鏡を光らせ問いかけてきた。

 その質問に、周りの他の男子生徒達は更に詰め寄ってきた。

「し、してない!してないです!たぶん!そもそも姫見と桜がアイドルとか言われてる事自体初耳でしたし、誰がアイドルかも知りませんから!」

「そうか・・・。知らないって事は可能性はあるという事か・・・」

「呼び捨てかよ!舐めんな!」

「できれば桜様紹介しろ!!」

誰だか分かんないが、さっきからうるさい奴がいるな!

「それじゃあ今からアイドル達の名前を言ってく。その中に親交のあるお方がいれば正直に言ってくれ。なに、素直に白状すれば手荒なマネはしないさ。きっとね」

・・・・何で⁈アンタら俺があの人の胸揉んでしまった事に怒ってたんじゃないのかよ⁈いつの間に学園のアイドルとやらと仲良くしてただけで怒られなきゃいけない事になってんだ⁈てか、きっとってなんだよ⁈

「結様と理那様と桜様はもう知っているな。他には———」

そうして、アイドルと呼ばれている女子生徒の名前を次々と上げていく男子生徒達。中には知っている名前もあって危うく反応しそうになったが、忙しない朝の中で見たニュースの、朧げなお天気情報を思い返しながら何とか乗り切れた。

 そう言えば、梅雨はいつからって言ってたっけか。まぁいいや。

 しかし、何故俺はただパンを買いに来ただけなのに、殆ど知らない女子生徒の名前を永遠と聞かされているのだろうか・・・。

 それに俺はこの狂った学園アイドルオタク達に言いたい事がある。いや、言わなければならない!

「多いよ!!!!」

思わず今日一で声を張り上げてしまった。だって余りにも多いんだもの!憶えてるだけでも50はいたぞ!

「まぁ落ち着け、次で最後だ。それは数学の田部井先生!」

「はぁ⁈いや、あの人40超えた子持ちだぞ⁈いいのか⁈アイドルって呼んで!」

「アイドルに歳も実情も関係ねぇんだよ!!」

「ゴメンなさい⁈」

 先程まで冷静な態度だった知的な男子生徒が、一転して凄い剣幕で激怒して来た為、思わず謝ってしまった。

 恐らくこの人の推しは田部井先生なのだろう。

「けど、学園のアイドルってその学園内で1番可愛いからアイドルと呼ばれるんであって、そんなにいたらもうただの一般生徒では?ましてや先生って・・・」

「うるせぇぇぇぇ!!」

「俺達はな!『学園のアイドル』と付き合いてぇんだよ!」

「『俺の彼女、学園のアイドルなんだ』っていいてぇんだよ!」

「アイドルが増えれば付き合える確率上がんだろうが!」

ダメだ!コイツら!もうどうにもならねぇ!

そんなクソみたいな理由で女子生徒にアイドルという肩書きを付けて大量生産してるとは・・・。いいのか⁈そんな百均アイドルで⁈この学校、偏差値高いはずだったよな?こんなアホな連中しかいないのかこの学校は⁈

「もういい!こいつは黒だ!」

「野郎ども!やっちまおうぜぇ!」

激昂した男達が今にも俺に襲いかかろうとしている。

致し方ない。俺も本気にならなければいけない時がきたようだな。

俺を掴もうと伸びた相手の手を振り払い、ゆっくりと体を動かし、男子生徒達を威嚇する様に構える。

「グッ・・・。なんだ、コイツ・・・」

「さっきまでと、雰囲気が・・・」

先程までと打って変わった俺の本気に圧されたのか、男子生徒達は後ずさる。

俺は静かに、だが威圧感を含ませ言う。

「お前達は、俺を本気にさせた。覚悟はいいか?行くぞ!」

瞬間、俺は書物(漫画)で培った知識と度重なるイメージトレーニング(妄想)で養った経験で1人の男子生徒の秘孔を突く!

・・・・一瞬の出来事。相手はまだ分かっていないだろう、自分が死んでいる事に・・・・。

俺は秘孔を突いた男子生徒に背を向け、一言伝える。

「お前はもう、しん———」

「ンな訳ねぇだろぉぉぉぉぉ!」

決め台詞を言い終わる前に、後ろから蹴りを入れられた!

「んぶっ⁈」

顔面から勢いよく倒れた俺に男子生徒達が一斉に踏みつけてきやがる!

「脅かしやがって!雰囲気だけじゃねぇか!」

「やっちまえ!やっちまえ!」

「さっさと桜様紹介しろや!」

「ちょっ、待っ!痛い!あた!あいたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた!」


その後、散々俺をリンチした奴らは気が済んだのか何処かへと散って行った。

俺はというと、桜と一緒に教室へ戻っているところだ。

まったく、俺の知ってるラブコメでは乳揉んだりや裸見たぐらいで、こんな目には会わない筈なのに。

現実のトラブルには痛みが付き物って事なのか。

 あっ、ちなみにお目当てのパンは、俺がリンチを受けている間に桜が買っておいてくれたようだ。

  俺の受けたキズも無駄ではなかった。今はそう思いたい。

「そうだ、飲み物も買っとくか」

購買部から教室への道中にある自動販売機の前で立ち止まり、ジュースを買う事にした。

「俺はコーヒー牛乳っと。桜は?」

「苺ミルク」

 即答する桜。まぁわかってたんだけどね。いつも飲んでるし。もしかしたらもあるから、一応聞いてみた。

 買ったジュースを、桜に手渡す。毎日の様に苺ミルクばかり飲む桜に呆れながら言う。

「ホント好きだよな、苺ミルク」

「うん。思い出の、味だから・・・」

  恥ずかしそうに小声で言う桜。

どうやら、苺ミルクに深い思い入れがあるようだ。

「思い出の味か。なんかカッコいいな、そういうの!」

俺のその言葉に、桜はなんだか少し残念そうな表情をした気がした。

だが、すぐに顔を上げ「うん」と笑顔で答える。どうやら気のせいのようだ。

「あの2人のは何にするか」

あいつらの好みなんて、気にした事ないからなぁ。飲んでるモノもその時々だったし。

俺が貴文と理那に、何を買おうか迷っていると、桜が自動販売機の商品に指を指す。

「貴文はお茶、理那は紅茶がいいと思う」

「おっ、流石!小さい頃から一緒なだけあって好みもバッチリ把握してるな!」

桜に言われた通りの飲み物を買い、俺達は教室へと向かった。

ここだけの話、貴文と理那と桜は孤児院の出身らしく、小さい頃からずっと一緒で兄妹の様に育ったみたいだ。

でも今は里親が見つかり、しかも3人一緒に引き取ってくれたんだとか。

なんでも、どっかの有力者らしく、今は用意してくれたマンションで3人で暮らしてるみたいだ。

詳しい事情は聞きにくいし、聞いた所で俺なんかが何かできるわけじゃないから聞いてないんだけど、何で一緒に住んでやらないんだろか?苗字だってバラバラだし。

そもそも、子供が欲しくて引き取ったんだろうから一緒に住んで当然だと思うんだけど・・・。

そこはやっぱり、金持ちや権力者の事情ってやつなのかな?

う〜ん・・・俺にはわかんねーや。

実はそう言う俺の親も本当の親じゃない。俺が中学に上がったと同時に告げられた。

どうやら母さんの兄の子、つまり甥にあたるらしい。その事以外は全く教えてくれなかった、というより母さんもよく知らないんだと思う。

それを俺に告げて、このまま一緒に暮らすか、それとも離れて暮らしていくかを決めて貰いたいと言われた。どちらにしても、生活費は保障するとも。

俺は、母さんが大好きだ。別にマザコンって意味じゃない。

正直、顔も分からない生みの親よりも、シングルマザーで、姉が2人もいる中、何不自由無くここまで育ててくれた義母さんが俺にとっての母さんだ。

だから即決だった。一緒に暮らす事に。

俺の性格が楽天的って言うのもあるんだろうけど、それを聞かされても鼻クソほじりながら「へぇ〜、主人公じゃん」と、動揺もクソもなかったな。あったのは、ビックリする程デカい鼻クソだけだった。

そんな事を思い返している内に、俺と桜は教室に着いた。

「あっ、やっと来た。遅かったな、2人とも」

開けっ放しの入り口を通ってすぐ、貴文が言った。

その声に、入り口側に背を向けてた姫見が勢いよく振り向き、桜に駆け寄る。

「桜!大丈夫だった⁈聞いたよ、バカな奴がバカな奴らにバカな事して絡まれたって。桜は巻き込まれなかった?怪我とかしてない?」

くっ!コイツ・・・!バカバカと・・・。少しは俺の心配もしろってんだ!

桜が怪我してないか、キョロキョロと体の至る所をチェックする姫見に、桜が困った様に言う。

「うん。私は大丈夫だよ」

俺はそんな2人を後にし、貴文の元へ行く。

「ほら。買って来てやったぞ。ついでに飲み物も」

「おっ、ありがとな。ていうかなんか、大変だったみたいだな。あの2人から聞いたぞ」

そう言い貴文が指差す方を見やると、少し離れた所に妙なポーズを決めている2人の男子生徒がいた。

眼鏡をかけた(はやし) 健吾(けんご)と金髪の原口(はらぐち) 竜司(りゅうじ)だ。以上。

「おい!なんだその適当な紹介は!」

「小学校からの付き合いだろ⁈クラスが違けりゃそんな扱いか!この薄情モンが!」

「忘れたとは言わせんぞ!小学生の頃、まるで通り魔の様に女子のスカートをめくり回ったことや、中学では駅のホームでエスカレーターに乗るでも無く下で待機し、大学生のスカートを覗き見たあの日々を!」

激昂した健吾と竜司が、身に覚えの無い思い出を、クラス中に聞き渡る様に大声で言いやがった。

「嘘つけ!バカヤローが!!そんな事した覚えねーわ!」

すぐさま否定する俺だが、背中に冷たい視線を感じる。

振り向くと、姫見と桜が半眼でこちらを見ていた。いや、2人だけじゃない。クラス中の女子が、汚物を見る様な目で俺を見ている。

「ちっ、ちが・・・・」

弁解しようと体を向けると、クラス中の女子達が一斉に後ずさる。

「いや、違うから!さっきのはコイツらの嘘であって・・・」

言いながら一歩踏み出すと、女子達は更に後ずさった。

・・・・・・・・・。

ショックのあまり言葉も出ず、固まる俺に姫見と桜が一言。

「「サイテー」」

「がはっ⁈」

その一言に崩折れてしまう。姫見は兎も角、あの桜まで・・・。

俺は思った。俺に彼女が出来ないのは、コイツらのせいなんじゃないかと。

「失敬な。貴様に彼女が出来ないのは自身の落ち度であろう。人のせいにするものではないぞ。それも!俺達!!『親友』に!!!」

眼鏡をクイっと上げ、悪魔の様な笑みを浮かべた健吾が俺を見下す。

「何が親友だ!事実なら兎も角、嘘までついて俺を貶めやがって!てか何でさっきから俺の心を読めてんだよ!メガネか⁉︎そのメガネに秘密があんのかコラ!!」

悪怯れる様子も無いどころか、親友と言う肩書きを強調する事によって、さっきのがさも事実かのように、追い討ちをかけてきた健吾に腹を立てた俺は、奴のメガネを強引に奪い取ろうと襲いかかる。

だが、健吾も必死の抵抗を見せて来た。

「フンッ!何年の付き合いだと思っている!貴様の考えなど表情でわかるわ!それよりも貴様!このメガネを奪ると言う事は俺の存在の証明、即ち魂を・・・あっ、ダメ!ヤメテ!!」

「っしゃぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

健吾から見事にメガネを奪った俺は、高らかに雄叫びを上げる!

勝った!何の争いだったのかよくわからないが、兎に角勝った!

「オーイ。早く飯食った方がいいぞー」

そんな俺達を置いて、気付けば皆ランチタイムに入っていた・・・。

そんなこんなあり、俺の誤解も解けないままだが、取り敢えず昼飯を食べる事にした。

席の近い姫見と桜の机をくっつけて、それを囲む様に椅子に座る。健吾と竜司の分の椅子は、適当に借りてきた。

俺はバッグから弁当を取り出す。貴文、姫見、桜の3人は言わずもがな、健吾と竜司は・・・・パンを食ってやがる。そういえば、俺が大変な目に遭ってたの、貴文はコイツらから聞いたって言ってたな。

「・・・お前らそれ、どこで買った?」

「もちろん購買部だが?」

2人は、は?何言ってんのコイツ、といった顔で堂々と言いやがった。

「つーことはお前ら!俺が襲われてた時、現場に居たってことか⁉︎」

「あぁ、居た。むしろ、ザマァと思って見ていた」

健吾の言葉に、竜司がうんうんと頷いている。

「おまえら———ゔっ⁈」

コイツらの親友らしからぬ言い草に頭に来た俺は、机をバンッ!と叩き、立ち上がって掴みかかろうとしたが、隣に座って居た姫見が脇腹にエルボーをかましてきた。

「いい加減うるさい!飯くらい静かに食え!」

クソッ!何で俺だけこんな痛い思いしなきゃいけないんだ!

不満は残るが、言わない事にする。言ったらまた叩かれそうだから。

俺は脇腹をさすりながら、弁当を食べ始めた。

しばらく雑談を交えながらお昼を食べていると、今朝のニュースの話題になった。

「そういえば、今朝のニュースみたか?」

 竜司が珍しく真面目な顔で聞いてきた。

 すると、続けて健吾がメガネをクイッと上げ、聞き返す。こちらも珍しく真面目な表情だ

「もしかして昨日、隣町で起きた『化物(けもの)』の事件か?」

「!!」

俺は突然の『化物』と言う言葉にドキッとした。

『化物』とは、近年世界中で騒がれ始めた人間の突然変異体だ。確か本来は、突発性人体変異症とか何とかって呼ばれているんだったっけかな?だけど、初めて発見された個体が、獣の様な姿の化け物だった為に、殆どの人がこう呼ぶ様になったんだ。まぁ、その後から虫や爬虫類、色んなタイプのが出てきたんだけど。その姿は見るからに化け物で、何でそんなモノが出てきたのか、原因は何なのか、全く分かっていないらしい。

ただ、人間が化物になると理性を失い破壊衝動に駆られると言われている。実際に被害も出ていて、ニュースでもよくやっている。

だが、国も化物の暴走を指を咥えて見ている訳が無く、対化物用の特殊部隊って言うのがあり、そのお陰で平穏を保っていられる。でも、この特殊部隊ってのも一時期問題になったことがあって、よくわかんないけど、簡単に言うと改造人間らしい。人権がどうのこうのとか、倫理感がどうのとか騒がれていたっけ。まぁ、化物の被害が増えるにつれて、批判の声も次第に少なくなってきたんだけど。

それよりもだ、俺は1人だけ化物を知っている。そして一つだけ疑問がある。

それは—————。

「優月?どうした?急に黙っちまって」

「えっ⁈いや、こ、ここら辺も被害に遭ったらどうしようかな〜ってさ!」

突然の竜司の声に、たじろいでしまった。無意識に考え込んでしまっていたようだ。

「そうだよなぁ」

「ふむ。被害もこの町に段々と近づいている事だしな」

焦って誤魔化したけど、変に思われてないみたいだ。良かった。

と、その時昼休みの終わりを報せるチャイムが鳴り響いた。

「もうそんな時間かぁ。はぁ、次の授業面倒だなぁ」

「では、俺達はお暇するとしよう」

ボヤキながらも、竜司と健吾は自分達の教室へと帰って行った。

俺達も机と椅子を戻して、それぞれの席へ戻る。

「ねぇ、優月・・・」

俺が席へ戻ろうとした時、不意に後ろから姫見が声をかけてきた。

「ん?どした?」

振り返り尋ねる俺だったが、姫見は口籠ったままはっきりしない。

「・・・ううん。やっぱりいいや。それより、ちゃんと授業聞きなさいよ!」

そう笑顔で言い席に戻る姫見。だが、その笑顔はいつもの悪戯な笑顔と違い、なんだか不安そうで、ぎこちない笑顔だった。少しだけそれが気になった。

そして、そのせいでそれからの授業の内容は全く頭に入ってこなかった・・・。



「6時限は、自習で楽だったなー」

学校も終わり、1人帰路に就く中ボソリと呟く。

いつもは貴文達、時々健吾達と帰るのだが、貴文達3人は用があるとかで先に帰っていった。

健吾は、『2人はブルジョワ』と言う女児向けアニメのブルーレイボックスを求めて街まで行って、竜司も新しいエロ本を買いにそれについて行った。

はぁ、今日はバイトもないし暇なんだよなぁ。俺も付いてきゃよかったなぁ。

誘いは受けたんだが、ブルジョワに興味も無いし、エロ本は・・・少し興味ある。

でも、今日はドッと疲れたから街まで行く元気は無い。バスが通っているから、それに乗るだけでいいんだけど、学校帰りは遊びに行く生徒が多いから結構混むんだ。電車なんかでもそうだけど、混雑してる所って疲れるんだよなぁ。

住宅街の中にあるガレージ付きの二階建ての一軒家。ここら辺じゃ普通の家、それが俺ん家だ。

その家に着いた俺は、庭にある小さな花壇がふと目に入った。何の花なのか知らないが、そこには母さんが少し前に植えていた苗が綺麗に並んでいる。

あれ?なんか忘れているような?

玄関の前で少し考えた後、忘れる事なら大した事じゃないだろうと思い、家の中に入った。

「ただいまー」

母も姉もまだ帰ってないだろうと思い、誰に向けた訳でもない気の抜けた声で言うと、2階からドタドタと走って来る音が聞こえてくる。

「まさか⁈ヤ、ヤベェ!」

俺は片足立ちで、急いで靴を脱ごうとするが・・・左足が抜けない!

次の瞬間、腹部に強烈な衝撃と共に倒れ込み、玄関ドアに後頭部を強打する。

俺の下姉である、かの姉こと葛音(かのん)にラグビー選手が如くタックルを食らわされたのだ。

「おかえり〜!!お姉ちゃん寂しかったよ〜!」

かの姉はそのまま、豊満な胸を押し付けて抱き付くのだが、それは抱擁と言うにはあまりにも締め付けが強く、もうベアハッグの域だ。

「イッ・・・!ちょっ・・かの姉!痛い痛い!!」

「ちょっと聞いて!あのね、今日お仕事で嫌な事があってね————」

「わかった!わかったから!まず離して!!」

「それでね、お母さんがキャーキャーうるさくて—————」

「ミシミシいってる!アバラ!ミシミシいってるからぁ!!」

全く話を聞かないかの姉の鬱憤と圧迫は、留まるどころか徐々にエスカレートしていく。

終いには小学生の頃の不満まで吐き散らしている。

 かの姉の手を引き離そうとするもビクともしねぇ!

 ヤ、ヤバい!く、苦しイィィィィ!死ぬぅぅぅぅ!

 もう意識がなくなりかけた、その時!

 ピーンポーン、という甲高い電子音が家中に響く。

「お届け物でーす!」

 インターホンと共に救世主が現れた!

 助けを求めようと、焦った俺は無謀にもドアに手を伸ばした際に体を仰け反ってしまい、そのせいでより一層かの姉の締め付けが深みへと侵入する。けれどその甲斐あって何とかドアを開ける事はできた。

「うわっ⁈ちょっ、えぇっ⁈」

目の前の状況に驚いている配達員。

ドアが開いた瞬間、女性に抱きつかれて死にかけている男が出てきたら、そりゃ驚くだろう。

 鬱血した状態で冷や汗を垂れ流しながら、声を出そうと口をパクパクさせるが、思う様に声が出せない。

「えっ⁈あの、大丈夫ですか⁈」

 俺は最後の力で、精一杯の声を振り絞る。

「サ、サインの前に・・・レスキューを・・・」

 だが、限界を迎えた俺の体からパキュッと言う音が聞こえたと同時に、そのまま意識を失ってしまった。



パッと目を覚ます俺。目の前には大きな2つのお山が見える。もう夜になったのか、部屋のライトもついていて、寝覚めには眩しい。

瞬時に理解した。あの行事の後は、決まってこの光景だからだ。

俺は今、リビングのソファーでかの姉に膝枕をされながら、頭を撫でられている状態だ。

「あっ、優ちゃん起きた?おはよう!」

よかった。気分が晴れたのか、いつものかの姉な戻ってる。

不思議と体の痛みはなく、俺は普通に起き上がる。

「やっぱり痛かったよね、ゴメンね?お姉ちゃん嫌な事があって頭がカーってなると優ちゃんに甘えたくなちゃって、いつも嫌な思いさせちゃってるよね。ホントにゴメンね?」

今にも泣き出しそうな表情をするかの姉。

この顔されると怒るに怒れず、いつも許してしまう。それに1度も大怪我になったことはないし、それどころか何故か体が軽くなった気もするから、まぁいいかって思ってしまう。

「大丈夫だよ、かの姉。抱き着かれてる時は確かに痛いけど、もう慣れちゃってるから。それにホラ!今はこんなに元気だし!」

そう言って俺は、適当なインベーダーダンスらしきものをその場で踊って見せる。

「うわぁぁぁぁん!優ちゃぁぁぁぁん!!大好きィィィ!!!」

突然泣き叫びながら、かの姉は飛び付いてきた。

だが俺もバカじゃない、予想はついていた。今まで、てかついさっきもだけど、何度も死線を越えたのだ、来ることが分かっていれば対処はできる。

迫り来るその顔面を鷲掴みにし、死神の抱擁を阻止する。

「1日でそう何度も抱きつかれてたまるか!本気で死ぬわ!」

「えへへ、ゴメンゴメン。つい」

かの姉は可愛らしく、舌をペロッと出す。

はぁ、と溜息を吐く俺。これじゃあ、離れて暮らした方が良かったんじゃないかと思ってしまう。でも、かの姉なら押し掛けてきそうだ。

手の平に付いた涙やら鼻水を、ティッシュで拭きながら掛け時計を見ると、もう6時半。2時間ぐらい気絶してたのか⁈

「そういえば、今日お母さんとお姉ちゃん、遅くなるって言ってたよ」

パーティ開けしたポテチをつまみながら、唐突にかの姉が言う。

「え⁈マジで⁈」

 急いでスマホを確認すると、メールが入っていた。気絶している間に届いていたみたいだ。

 幼い子供の様な満面の笑みを浮かべるかの姉。

全身の血が引いていく感覚がした。かの姉に悪意が無い事は分かっているが、俺はその笑顔に恐怖すら覚えた。この後の悲劇は容易に想像できる。

今日は厄日だな。

肩を落としトボトボと台所へ向かう。

母さんがいない時やバイトがない時は大抵家事は俺の仕事だ。

かの姉は料理が出来ない(本人は出来ると豪語してるのだが)、それでも1度だけ作ってもらった事がある。

出されたのは、ドクドクと脈打つステーキにピチピチと生きのいいサラダ、そして無精卵かつ茹でた筈の卵から恐らく雛であろう奇怪な生物が孵った。

何であんなモンが作れるのか不思議でならない。もう恐怖でしかなかった。

百歩、いや千歩譲って肉と卵はしょうがないとしよう。恐らく狩りたての産みたてだったのだろう。でも!なんだ生きのいいサラダって⁈何で野菜がピチピチ跳ねてんだよ!気持ち悪いわ!!

そういった経緯があり、かの姉にはもう2度と料理はするなと母さんが言いつけたのだ。

「さて、夕飯何するか」

台所に立ち、今日の献立に悩む。とは言っても別に凝った料理が作れる訳じゃない。腕は人並み程度だし、面倒臭い料理は市販の調味料や冷凍食品頼りだ。あれはいいもの・・・なのだが、冷蔵庫の中に大した材料がない。

自転車で20分程の距離にスーパーがあるのだが、いかんせん今日は厄日のため行きたくない。居慣れた学校と家で、連続してあんな珍事に巻き込まれたんだ、外出なんてした日には何が起こるかわからない。ロードローラーに引かれるなんて事もあるかもしれない。

家にいても、どうせ散々な目に遭うのは目に見えているが、ロードローラーに引かれるか、かの姉に玩具にさるかなら、まだギリギリかの姉の玩具の方がマシだ。

それに、いざとなれば部屋に逃げ込んで鍵をかけてしまえばいい。まぁそんな事したら次の日が大変なんだけど・・・。

う〜ん・・・どうしたもんか。

かの姉への対応策を考えながら棚を物色していると、茹でるパスタを見つけた。

「かの姉、夕飯パスタでいいかな?」

かの姉は食にこだわりは無い。とりあえず大盛りにしとけば文句は言わない筈だけど、一応聞いてみる。

「えー?お姉ちゃんセイチョウキだから、イッパイ栄養摂らないといけないんだけどなぁ」

2袋目のポテチを開けながら、嫌味気に言ってきやがった。

「20歳超えた奴の何が成長すんだよ?」

「してるもん!今でもオッパイがセイチョウキですー!」

その豊満な胸を張り、プンスカと怒るかの姉。

少しイラッとした。

頭に必要な栄養素が胸に吸われてるんじゃないかと思ってしまう。

しかし、ここで怒るものなら意地でも食わなくなり、そして腹が減ったら暴れ出す。だから俺はこんな面倒臭い姉にも下手に出なければならない。ベアハッグどころの話じゃなくなるからな。

「ちゃんと大盛りにするからさ!今晩はこれで勘弁して!」

「もぉ、しょうがないな〜。優ちゃんの頼みだし、お姉ちゃん我慢してあげる!」

くっ・・・!

かの姉は素直過ぎる。故にわがままで面倒臭い。だから悪気があって言っているわけじゃないのだ。

解ってる、解ってるけども!

胸中にモヤモヤが残りつつも、俺は大量のパスタを茹で、冷蔵庫にあった残り少ない材料もいれて、ミートソースにナポリタン、たらこスパゲッティにペペロンチーノを作りあげた。

そして、それらが盛られた皿は全てかの姉の前にある。

俺の分は・・・塩パスタ・・・・。

予想外だった。

まさかパスタソースが途中でなくなるなんて・・・。

「優ちゃん、流石にお姉ちゃんも気が引けるよ・・・」

食卓テーブルの向かいに座っているかの姉が言ってきた。

今なら少し分けてくれるかもしれないが、自分の都合でこうなったんだ、これくらい我慢しよう。

「最近の俺はコレが好きなんだよ。このぉ・・えー・・素材の味?って言うのを味わうんだ」

何言ってんだ俺。ただの茹でたパスタに素材の味も何もないだろ。

「そうなんだ!優ちゃんオトナだね!それじゃ遠慮なく、いただきま〜す!」

 ただの強がりを間に受けて、かの姉は並べられたパスタに手をつける。

流石かの姉だ、大量のパスタは見る見るその量を減らしていく。

なんか、見てるだけで腹一杯になりそうだな。

その食いっぷりを見ながら、俺もパスタを食べ始める。

うん、やっぱり想像通りの味だな・・・。


夕食も終えて、俺とかの姉はリビングのソファーでマッタリしながらバラエティ番組を観ている。

と言ってもかの姉はスマホを弄っているが。

何をそんなに真剣に見ているのだろうか、まぁ俺的には何かに集中してもらってる方が助かるんだけど。

俺は勿論、かの姉から少し距離を取って警戒を怠らずにソファーにもたれかかっている。

毎週楽しみにしているバラエティ番組も終わり、夜のニュースが始まった。

ニュースは普段からあんまり観ない、高校生にもなったらニュースぐらい観た方がいいんだろうけど、やっぱりつまんないから観ないんだよなぁ。

 俺もソシャゲでもするかぁ。

そう思い、テーブルに置いていたスマホを手に取ってアプリを開いた矢先の事。

『今日夕方、又しても変異体による被害が発生致しました』

ニュースで化物による事件が耳に入った。

そのニュースによると今日の夕方に、死者6名、負傷者13名にも及ぶ化物の事件が起きた様だ。

化物は無事に『駆除』されたとニュースキャスターが言う。

 そして出演者達全員が、化物が死んだ事に安堵している。俺はその光景を気持ち悪く感じた。

 ・・・聴きたくない。

俺は無言で立ち上がり、足早にリビングを後にしようとする俺を変に思ったのか、かの姉が声をかけてくる。

「優ちゃん?そんな怖い顔してどうしたの?」

「え⁈いや、何でもないよ!もう10時半だし、そろそろ風呂入って寝ようかなって!」

 いけない、表情に出てしまっていたみたいだ。

「そっか、ならいいんだけど・・・。なんか、いつもと雰囲気が違うと思ったから。でも勘違いだったみたい、ゴメンね!」

「大丈夫だよ。じゃあ俺風呂入ってくるから。・・・・絶対入ってくるなよ?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

・・・・・・・・・・これは来る、きっと来る!

そう確信した俺は洗面所に着くなり、スライドドアを閉めて、部屋干しする時に使う突っ張り棒を、ドアにつっかえさせる。ウチの洗面所は鍵がついてないから、殆ど使わないこの棒がこういう時に役に立つ。

「よしっ!」

ドアが開かないことを確認した俺は全く汗などかいていないが、まるで一仕事終えた様に額を拭う。

 まったく、あんな凶暴な姉を持つと大変だ。

確かにかの姉は美人でスタイルもいいと弟の俺が見てもそう思う。健吾達も血の涙を流しながら、とんでもない形相で羨ましいがっていた。

だけど、アレと暮らすということは飢えた猛獣と暮らしていると言っても過言じゃない。今をどう生き抜くかばかり考えてしまう。もう私生活がサバイバルだ!麻酔銃の5つや6つ常備したいくらいだ!

かの姉が入れない空間を作って安心した俺は、ブツブツと愚痴を吐きながら服を脱いで風呂場に入る。

まぁ、強く言えない俺も俺なんだけど・・・。

何度愚痴を吐いても、結局最後にはコレに行き着く。泣かれたくない、嫌われたくないと思っていつも許してしまう、優しいと言えば聞こえはいいが、要はヘタレなのだ。

「はぁ・・・」

そんな情け無い自分に溜息が出る。

もうさっさと洗ってさっさと寝よう。

そう思い頭を洗っていると、洗面所の方から物音が聞こえてきた。

ガタッ、ガタガタッ、ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。

やっぱり来やがった!というか、メッチャ怖っ!!!

確認してないから分からないが、恐らくかの姉が開かない扉を力任せに開けようと揺らしている音だろう。ていうか確認したくない。怖い。ただただ怖い。

暫くして音が止んだ。開かないと分かって諦めてくれたようだ。

少し罪悪感で胸が痛むが、感情にかられ扉を開ければ多大なる物理的な痛みを伴う可能性があるからな。致し方ないと自分に言い聞かせ、次は体を洗おうと、掛かっている垢すりを取ろうとした時、急な寒気を感じた。

「あれ?なんか寒いな・・・・」

不思議に思い窓の方を見ると、そこには長い髪で顔が隠れた、どこぞの井戸からクライムして来たかの様な姿のかの姉がいた・・・。

俺は咄嗟に股間と乳首を隠し、悲鳴を上げた!

「キャァァァァァァァァァアァ⁈」

その悲鳴は、かの姉自体とその見た目による恐怖、大事な所を見られた恥ずかしさと何故俺は乳首まで隠しているんだという戸惑いを含んだ叫びだった。

「ゆぅぅぅうぅぅちゃぁんんんんんん・・・」

やけに迫力のある低い声で、窓から這い出てくるかの姉。

って、実況してる場合じゃねぇ!早く逃げねば!!

俺は慌てて風呂場を飛び出し、乱暴に突っ張り棒を外して扉に手をかける。が、開かない⁈力いっぱい引いても、体重をかけても、やっぱり開かない!

クソッ!あの貞子、細工しやがったな!

「助けてぇ!誰かぁぁ助けてぇぇぇ!!」

もしかしたら母さんとあや姉、どちらかが帰ってきているかもしれない、そんな一縷の願いを込めて必死でドアを叩く!

だが、そんな願いも虚しく、いくら叫んでも助けは来ない。

「助け・・・」

助けを呼ぶ中、ガッと足を掴まれる感覚がし、恐る恐る見ると、何故か四つん這いのかの姉が俺の足を掴んでいる。

そして足を引っ張られた勢いでうつ伏せに倒れ込み、そのまま風呂場へと引きずり込まれる。

「イヤァァァァァァァァ!!!」

うつ伏せの俺に、馬乗りになったかの姉が言う。

「もう!優ちゃんのイジわる!お姉ちゃんすごいショックだったんだけど!でも、やっぱり窓の鍵までは気が回らなかったみたいだね!」

まさか、食後の風呂掃除の時に開けてやがったのか!普段閉めっぱなしだから全く気付かなかった!

「疲れてそうだったからホントは背中だけで許してあげようと思ってたんだけど・・・、これはお仕置きが必要みたいだね?」

アカスリをニギニギと泡を立てながら、不敵に笑うかの姉。

「ちょっ、かの姉?イヤ・・・ダメ!!キャァァァァァァァァ!!!」


ボフッ!

かの姉からやっと解放された俺は部屋に戻るなり、早々にベッドに倒れ込む。

いつまで続くのかと思うくらい全身を隈無く洗われた・・・。指先から爪先まで、そりゃもう満遍なく・・・。

 なんとか大事な所は守り抜いたが、海老反り状態で顔にアカスリを押し付けられ、強引に洗われた時は死ぬかと思った。

 そして終いには、自分が風呂に入るからと言って俺を窓から追い出しやがって。

 自分で言うのも何だが、スッポンポンで玄関までコソコソと回って行った姿は変質者その者だった。

 あんな姿、近所の人に見られてたら警察沙汰だったぞ!

まぁいいや、もう考えるのはやめよ。

そんな事よりも今考えるべきは化物の事だ。

 俺は仰向けに寝転がり、天井のライトを見上げ昔の事を思い返した。

あれは小学校の低学年の頃、いつかは忘れてしまったが、その時の光景は今でも覚えている。その日はとにかく暑かった。

幼かった俺はある時、森で迷った事があった。カブトムシを捕まえようと入ったんだけど、どこから来て、どうやって帰ればいいのか分からなくなった。段々日も落ちて来て、暗くなった森は昼間とは様相が一変した。

怖くなった俺は、帰る方向も分からないまま彷徨い続けた。でも、そんな運良く出られる訳もなく、歩き疲れた俺はその場で泣きながら蹲るしかなかった。

だけどそんな時、暗い森の中に熱風と共に、眼を細めんばかりの眩い光が現れた。

幼いながらも不思議に思ったが、暗くて怖くて不安だった俺は、その光に向かって走り出したんだ。

光の出所は思った以上に遠く、まるで近づくのを阻むかの様に周囲の温度も上がっていく。息もし辛くなって、歩も段々と弱まっていった。

それでも、誰か居るんじゃないかと思って一歩一歩、足を前に運ぶ。

 近づくにつれ辺りは全身が火傷しそうなぐらいの熱気に包まれていて、漸く辿り着いた先では周りの木々や草は燃え盛っていた。

 そして俺は、そこで初めて化物を見たんだ。

その化物は、宙に浮いた巨大な金魚を形作った、ユラユラと揺らめく炎・・・いや、あの輝きはまるで太陽だった。

この頃にはもう、親や学校の先生に化物には近づくなと言い付けられていて、危険な存在だという認知はしていた。

だけど、俺は釘付けになった。

子供ながらその姿を、とても美しいと感じたんだ。

熱気も忘れて、魅入っていた俺に気付いた化物は、その巨大な体躯ごと動かし、こちらを向く。

その際、一際強い熱風が吹き荒れ、押された俺は尻餅をつく。

・・・問題はここからだった。

『僕にそれ以上近づかない方がいい、危険だよ?』

 その化物は喋ったんだ。

耳鳴りみたいに耳の奥で響く様な声で。

この時の俺は全く気にもしなかったが、その後ニュースやみんなの話を聞く度にいつも疑問に思っていた。

化物は理性を無くした生き物、破壊衝動に駆られ目に映る物すべてを壊す、と言われているからだ。

確かに声の感触はおかしかった、だけど俺が見た化物は喋った、尚且つ俺の身を心配した。

でも、その時の話をしても誰にも信じてもらえず、夢でも見てたんだろって言われて終わり。強く反論出来なかった。何故なら、気付いたら家の玄関で眼を覚ましていたからだ。

俺自身も夢だったんだと思い始めた頃、それが現実だったと確信する出来事が起きた。

俺はベッドに寝転がったまま、煌々と照らすライトに右腕をかざす。

その右腕に意識を集中すると・・・・。

ゾバババッ。

一瞬にして、二の腕まで灰色の毛に覆われた猿の様な腕に変化する。

そう、俺自身が化物になってしまったのだ・・・。

だけど俺には破壊衝動なんてないし、誰かに殺意なんて抱いた事もない。俺の歳じゃよく聞く反抗期すら思い当たらないくらいだ。

つまり、人の心を持った化物がいるということなんじゃ無いか?

もしかしたら個人差があるのかもしれないけど・・・。

まぁ、頭の良い学者さん達が分からないんだから、俺に分かるわけがない。

とにかく今は、誰にも気付かれずに生活しなくてはならない。想像したく無いけど、殺されちゃうかもしれないからな。

それが俺の思案しなくてはならないことだ。もう毎日の様に考えている。

コレが結構難しくて、化物と言う言葉にどうしても反応してしまう。

今日だって少し危なかった、俺の完璧なポーカーフェイスがなければバレていただろうな。

正直なところ、家族や友達に相談しようかとも思った事はある。

だけどやっぱり怖くてできなかったんだ。

信用していない訳じゃないけど、もしもの事を考えると・・・・いや、もしもを考えてる時点で信用しきれていないのかな。

さっき見ていたニュースを思い出す。

出演者達全員が犠牲者達を偲んでいたが、化物に関してはスルーだった。

「・・・化物は殺されて当然、ってか」

胸に嫌な感情が湧き上がる。

ああ言うのを見ると、余計誰にも言えなくなるんだ。

「はぁ・・・この先どうすりゃいんだよ」

腕を元に戻して、俺はこれからの事を考える。

「自首とかって・・・・・ないか。なんか、速攻で首飛びそうだな」

 そもそも悪い事なんてしてないんだ、自首も何もないだろう。

 天井のライトをボーッと見ていると、だんだん瞼が重くなってきた。

 なんだかその睡魔が心地良く抗わずにいると、ふと学校から帰って来た時に見た家の花壇を思い出す。

あれ?やっぱり、何か・・・忘れて・・・・る・・・・ような・・・・———–———。



 重い瞼を開け、ボヤけた視界に入ったのは倒れた女性。辺りは明るいが、それは陽の光ではなく、周囲が炎で包まれているからだ。

 俺は知っている。これは夢だ。昔からよく見る夢。

 そして朧げな視界の中、女性がこちらに手を伸ばす。

 その手が俺の頬に触れると、女性は微笑み、何かを言う。

『———て』

 けれど、その声はよく聞こえない。

 ただ、とても悲しい。そんな感情が湧き上がってくる。

 

『———て』

『———けて』

『——れか!』

『助けて!!』

 っ—————⁈

 ベットから飛び起き、部屋中をキョロキョロと見回す。

 ・・・夢、か?そうか、俺寝ちゃってたのか・・・って、マズイ!鍵かけるの忘れてた!!

かの姉が———ガッ。

ベッドから飛び起き、焦ってドアの方に駆けたら、テーブルに足の小指をぶつけた。

「ッテェ!」

あまりの痛みでヒィヒィと床に転げ回る。

痛みで少し冷静になった俺は、部屋が暗くなっている事に気付く。それに外は雨が降っている様で、雨粒が窓をコツコツ叩いている。  

 てか、今何時だ?部屋の電気も消えてるし・・・。

時計を確認すると、深夜の1時になる頃だった。

この時間なら、流石のかの姉も寝ているか。でも鍵をかけ忘れたのに襲撃がないのはおかしいな。普段なら鍵をかけても入って来るのに。

 それとも、母さん達が帰ってきて止めてくれたのかな?

怪訝に思った俺は、少し喉も渇いていたこともあり一階へ降りる。

リビングは真っ暗でシンと静まり返り、雨の音が響き渡っている。

家の中に人がいる気配がない。

水を飲みながら、訝しげに思っていたその時だった。

『だれ・・!・・・けて!』

 どこからともなく声が響いて来る。

 またこの声⁈夢じゃなかったのか⁈

一瞬幽霊か何かかと思い、驚いた俺はキョロキョロと周りを見渡す。

だが、誰も何もいない。

その間にも聞こえてくる声に俺はハッと思い出した。

その声は雨音に掻き消されそうな程小さく、けれど耳の奥に響く様な声。

俺は知ってる・・・この感覚を知っている!

あの時の化物と一緒だ!

気付けば俺は何の躊躇もなく、家を飛び出していた。

 ずっと疑問に思ってた。人の心を、理性を持った化物がいるのなら、それはきっと人間なんじゃないのか?

 もし、本当にそんな化物がいてくれてるのなら、俺の苦悩も少しは和らぐ様な気がしたんだ。

 それに何より、放っておける訳がない!この声は助けを求めているんだから!

 俺は傘も持たずに、玄関のとびらを勢いよく開け、外へ駆け出した。

 雨に打たれながら、響き続ける声を頼りにひた走る。

結構な距離を走った気がする。俺は荒い呼吸を整える為、一度立ち止まった。声も先程より大きく鮮明に聞こえてくる、多分近づいている証拠なのだろう。

もう既に俺の住んでる住宅街を抜けて、ビルなどが建ち並ぶ大通りに出ていた。

 ここまで来ると、助けを求める声だけじゃなく、小さすぎて聞き取れなかった声や、恐らく鉄砲などによる破裂音に地響きまで届いてくる。

 俺の体は少し震えていた。それは雨で冷えたせいでは無く、この心臓をグッと掴まれる様な感覚、恐怖心だ。

「クソッ!」

 俺はその恐怖心を抑え込もうと自分の胸を叩き、また声の方へと急ぐ。

 しばらく走り続けていると、こんな時間だと言うのに多くの人集りが大通りの車道を埋めていた。

 その人集りに警官隊が柵で道路を塞ぎ、危険だと注意喚起している。

 この先に化物がいる事は明白だが、どうやって化物の所まで行くか。

 封鎖されている事は予想していたが、まさかこんなに人がいるとは思わなかった。

 俺は取り敢えず人混みをすり抜けて、最前列にまで行く。

『イヤ!死にたくない!誰か・・・!』

 だが最前列に着くも、声や戦闘音は聞こえるが姿が見えない。

クソッ!もうすぐそこなのに!

どうする⁈この柵を飛び越えるか?

でもそんな事すれば、確実に取り押さえられる。

『来ないで!イヤァァァァァァァア!!』

 クソッ!このままじゃ・・・!!

化物の叫び声に俺は咄嗟に柵を越えようと乗り出すも、案の定と言うべきか警官達に引き戻され、取り押さえられてしまう。

大人3人に、しかも鍛えてるであろう警官だ、力尽くで抜けようとしても抜けられない!

「キミッ!何やってんだ!この先は危険なんだぞ!」

「クッソォ!離せ!離してくれ!アンタ達だって聞こえてんだろ⁈助けを求めてるんだぞ⁈何で助けてやらないんだよ!!」

俺のその言葉に警官達はポカンとした顔で互いに見合った後、疑問を浮かべた表情で言った。

「何を言ってるんだ君は。誰も助けなんて呼んでないだろ」

・・・・・は?何を言ってるんだ・・・この人は・・・。

いや・・・この人だけじゃない、他の警官達も周りの野次馬達も、皆が奇妙な表情を浮かべている?

まさか・・・・まさか・・・⁈

「聞こえて・・・」

ドォォォンッ!!!!

俺の言葉を遮る様に、突如強烈な轟音と衝撃が周囲を襲う。

音の方に顔を向けると、そこには巨大かつ異様なリスの姿形に似た化物が、まるで叩き落とされた虫の様に腹から落ち、アスファルトに大きなヒビを入れ倒れこんでいた。

「うわぁぁぁぁあ!」

「化物だぁぁぁ!」

化物の姿に周りの人達がたじろぐ。警官達も慄いて後退った。警官達が離れ体は自由になったが、俺自身も初めて間近で見るその姿に見入ってしまっていた。

けれど、直ぐ様上から3つの黒い影が降ってきた。と同時に、内の2人が化物の大きな掌に深々と剣を突き刺した。

『ぃがぁぁっ!!』

全身黒ずくめでフードを被り、そいつらの象徴とも言える黒い犬のマスクを付けた者達。

画像や動画では見た事があったが、生で見るのは初めてだ。

化物を倒すためだけに造られた、特殊討伐部隊。

通称『ハウンド』。

化物を追い立てるその姿から、そう呼ばれ始めたらしい。

 その風貌のせいか、それとも雰囲気からか、身震いがする程の威圧感を放っている。

そのハウンドの1人が、倒れた化物の背中をスタスタと歩き頭部で止まる。

「手間取らせやがって」

 そう呟きながら、ハウンドは持っていた刀を逆手に持ち、振り上げる。

『イヤ!死にたくない!!助けて!!』

 ジタバタと抵抗する化物は、目をキョロキョロと動かしただその光景を見ている者達に助けを求めるも、彼等にその声は化物の鳴き声にしか聞こえない。

 クリっとした大きな瞳から大粒の涙を流し、その瞳が俺を捉えた。

『誰か!誰か!!お願い、助け・・・』

その瞬間、俺は化物と目が合った。

『助けて!!』

俺は咄嗟に、その化物に手を伸ばした。

「やめ・・・・」

言いかけた俺の口を誰かが塞ぎ、勢いよく後ろに引っ張られる。

「これで、終わりだ」

『イヤぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!』

ズンッ!!

・・・・一瞬・・・・それは本当に一瞬だった。

先程まで動いて、叫んでいた化物はたったの一瞬でピクリとも動かなくなった。

生命とは、こんな簡単に奪われてしまうものなのか。

俺はそれを後ろに引かれる最中、まるでスローモーションの様に・・・ただただ、観ているだけだった・・・。右腕を伸ばしているのに・・・どんどん、離れていく・・・。

ハウンドは、突き刺した刀を引き抜く。その傷口から大量の血が噴き出した。

そして少しの静寂の後、周囲から歓声が沸き起こる。

誰だか知らないが、人混みの最後尾まで引き戻された俺は、尻餅をついたままその光景を見上げていた。

 多分あの様子から、本当にこの人達には化物の声が聞こえてなかったんだと思う。それでも!たとえ、ただの化物だったとしても、一つの生命が無くなったんだぞ⁈なんで・・・なんで!なんでそんなに喜べるんだ!!!

 酷く、憤りを感じた。今まで感じた事がない程、胸が締め付けられる。

 でも情けない事に、それ以上に俺は怖気づいてしまっていたのだ・・・。

足元に、雨に混じって化物の真っ赤な血が流れてくる。

っ—————!!

俺は恐怖から、無我夢中で走った。

あの場所から、あの光景から、あの現実から逃げ出したかった。

大通り、街灯の下で俺は後悔の念に駆られる。

助けられなかった・・・。

あの化物は最後の瞬間、俺に助けを求めていた・・・。

 きっと気付いたんだ。俺には声が聞こえている事に。

でも怖くて、何もできなかった・・・。

あぁ、今日はやっぱり家から出なければよかった・・・。

こんなの・・・知らなければよかった。

この世界には人と、そうでない者の2種類の人間がいる。じゃあ俺は・・・俺達は、いったい—————。

「Hey you!ソコドクデス!!」

雨音の中、突然の声に後ろを振り向くと、すぐ目の前までバイクが迫って来ていた!

「うわっ⁈」

なんとか間一髪のところで避けれた!

あっっっぶねぇ・・・。

少し先で止まったバイクが、ヒョコヒョコと後ろ向きで戻ってくる。

驚き過ぎて口をポカンと開けたまま、その何とも言えない動きを見ていると、俺の前まで戻ってきたバイクの運転手は、先程は急過ぎてわからなかったが、ピチッとしたライダースーツが形作るボディラインは女性のようだ。

その運転手がバイクを降り被っていたヘルメットをとると、街灯に照らされ鮮やかに煌めく金色の長髪が現れた。

その鮮やかさは雨に濡れても失われず、寧ろ艶っぽく感じる。

「少年!そんなトコロいたら、危ないデスヨ!」

そんな魅惑的な女性が一転、テレビで見たことある外国人の典型の様な話し方で注意してきた。

「え、いや・・・」

「No!!イイワケは、聞かないデス!ソモソモ、ナンジだとオモテルデスカ!アナタBad boyデスネ⁈それはヨクナイデス!PapaモMommyモ、泣いてシマイマス。親にシンパイかけてはダメデス!いいデスカ———」

そのまま反論する隙もなく捲し立てられた。

あれ?ちょっと待って・・・俺・・・怒られてるの?

今のこの状況を疑問に思っていると、ズイッと女性の端正な顔が目先にまで近づく。

「———ワカリマシタカ!?」

「!!あ、はい⁈」

急に近づくもんだからドキッとした。

「ヨロシイ!それデハ、ワタシはカエリマスネ。See you〜〜」

女性は再びバイクに乗って、颯爽と夜の闇に消えていった。

・・・・嘘でしょ?何で俺、怒られてたの?ここ・・・・歩道ナンデスケド・・・。

モヤモヤした気持ちのまま、俺は家へと帰ったのだった。


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