プロローグ
プロローグ
12月24日、クリスマス。
冬の凍えそうな寒さの中、それとは対照的に街は活気に満ちていた。
街道に並ぶ店はどこも煌びやかに飾り付き、多くの人々が行き交う。
その雑踏の中を歩く家族が一つ。
一人娘を挟む様に両親が並び、3人仲良く手を繋いでいる。
父親である男の名は大倉 重雄。30代ほどの壮年で、風格のある男だ。
「美沙希、今日はどうだった?楽しかったか?」
父親は顔に似合わず、優しげな口調で手を繋いでいる娘に聞いた。
娘の方は父親を見上げると、ショートボブと相まってまん丸とした顔をくしゃりと歪ませ、屈託のない満面の笑みを見せる。
「うん!たのしかった!子供のライオンがね、すごく可愛かったの!ね、お母さん!」
「ねぇ。まだちっちゃくて本当に可愛かったねぇ」
「うん!あとねあとね———」
母親は娘に合わせた様な口調で喋り、お互い動物談義に花をさかせる。その様子を父親は微笑ましく見ていた。
「そうか。それは良かったな」
家族は今、家からさほど遠くない動物園の帰りに、予約していたクリスマスケーキやチキンを受け取るのとついでのショッピングを楽しむ為に街に赴いた次第である。
季節がら日が落ちるのが早く、まだ5時だというのに空は暗くなり始めていた。けれど、街道は街灯やそこら中の店のイルミネーションが点灯していて、暗いとは誰も感じてはいないだろう。
まるで行列の様な雑踏を練り歩く中、父親は建ち並んだ店の一角に構える小洒落たカフェテラスに目が止まった。
「そろそろ歩き疲れたろう。少しあそこのカフェで休んでいこうか」
と言うものの、本当のところは自身がしんどいところが大きい。顔には出さないが、動物園から今まで、疲れを見せない娘の底無しの体力と、それにボディーガードの様に付き添い続けた妻の我慢強さには驚いている。
しかし、愛する娘の前ゆえ、弱さなど見せられない。カッコいい父でいたいのだ。
娘は知らないが、妻はそんな旦那の心中など手にとる様にわかっているため、すんなりと聞き入れる。
「そうね。まだ時間もあるし、そうしましょうか」
「じゃあミサ、パフェたべたい!」
「ダーメッ。帰ったらケーキもあるんだから、今は我慢しなさい」
「ええー!ヤダヤダ、たべたいー!」
娘は大好物の甘味が目の前にあると言うのに、母親からの許可が下りず食べられないとなると、すかさず地団駄を踏んだ。
普段はもっと聞き分けのいい子なのだが、今日一日楽しかった事が起因しているのかもしれない。
そんな娘を見て父親は言った。
「まぁいいじゃないか、。今日はクリスマスだし、特別だ」
「いいの⁈」
「あぁ」
その言葉に、娘はたちまちぱっと明るい表情になり、カエルの様にぴょんぴょんと跳ね、嬉しさが動きにまで出てしまう。
「ヤッター!お父さん大好き!!」
その言葉が聞きたかった、とばかりに父親の顔が綻ぶ。反面母親は困った表情で溜め息を吐く。
「もう、しょうがないんだから」
しかし、彼女のその表情は不都合などといったものではなく、むしろ承知の上であったかの様に微笑を含ませていた。
寒いためか誰一人座っていないテラス席を過ぎ、店内へと入る家族。
入るなり「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」と言う店員の言葉を横顔に受け、父親は店内をキョロキョロと見回す。しかし、それは空いている席を探している訳ではなく、彼の癖とも言える行動だ。
普段なら開放しているであろう、テラス席と店内を繋げる筈の、出入り口と並び立つ大きなガラス窓は閉め切られていて、それもあいまってか店内はさほど広くは感じられない。
入り口と向かい合うようにレジがあり、それを中心に左右均等に席を設け、綺麗な並びをしている。
外の人通りを考えると客も多くはなく、重雄たちと同じ子連れの家族、恋人同士と思われる男女、楽し気に談笑する若い男たちのグループ、黙々とノートパソコンを打つ男に、こちらもまた黙々と本を読む女性。そして彼、重雄の目に留まったのは、暖房の効いた店内にもかかわらず、コートも脱がずにニット帽とマフラーで顔を隠した男とおぼしき人物。だが、重雄もそれだけではそこまで怪しんだりはしない。ただの寒がりと言う可能性だってある。ただ重雄が気になったのは、その男がソワソワと落ち着かない態度を見せているところであった。
しかし、その男を鋭い目つきで注視する夫に、母親は呆れた様子だ。
確かに誰が観ても怪しい人物ではあるが、関わらなければいいだけの話で、かえって店に入って早々に見ず知らずの人を睨み付ける方にも問題はあるというものだ。
「あなた」
「あ、ああ、すまない・・・」
母親が促すように声をかけると、重雄はハッと我に返るも、横目で男を捉えながら後に続く。
娘はというと、いつもの事と言わんばかりにそんな父親を置いてそそくさと、まるで指定席にでも向かうかのように、入ってすぐ左側の空いていた、窓際の席へと腰をかける。
入り口側を背に並んで座った娘と妻の、テーブルを挟んだ向かいに父親も座った。この位置からなら男を常に視界に入れておく事ができる。
すると、水とおしぼりと一緒にメニューを持ってきた店員の「御決まりになりましたら——」という声を遮り、娘は待ち切れないと言わんばかりにメニューも見ず「チョコレートパフェ!!」と、手を挙げ大きな声で注文した。
「すいません・・・」と申し訳なさそうな母親に、店内は「いえいえ、御決まりでしたらどうぞ」と笑顔で応えながら、後ろポケットからオーダー受注の端末を取り出す。母親もお言葉に甘えるように「それじゃあ・・・」と続けた。
「コーヒーを2つ、ブラックで」
「かしこまりました」
店員は一礼し、はけていく。
それと同時に、黒いコートにハンチング帽を被った男が店に入って来て早々に、ぶしつけな態度でその店員に「コーヒーをひとつ」と一言。
戸惑う店員をよそに、黒いコートの男はプレゼントと見えるブランドのロゴの入った紙袋を手にスタスタと歩いていくと、何の迷いもなく、先程の不審な男の後ろの席へとつくと、ぐでっと背もたれに体を預け、コートのポケットから取り出した本を読み始めた。
彼もあの人混みの中、誰かの為にプレゼントを選んでいたのか、と思うと重雄は同情めいたものを感じていた。
「フンフンフーン、フンフンフーン———」
と、どこか聴き覚えのある鼻唄が聞こえてきた。視線を向けると、ご機嫌な娘が鼻唄を歌いながら、椅子の背に掛けたリュックサックからトラの縫いぐるみを取り出すと、愛でるように抱きしめた。
その縫いぐるみは、動物園で父親が娘の為にプレゼントした物だ。そんな娘の姿を見て、父親も満足そうに喜んでいる。
ひとしきり縫いぐるみで遊んだ娘は、その縫いぐるみをテーブルに残し、ヒョイと椅子から飛び下りた。
「トイレっ!」
そう言い駆け出そうとする娘に、母親は心配気に呼び止める。
「ちょっとミサ、待ちなさい」
「ひとりでダイジョウブ!!」
馬鹿にしないでと言うように頬を膨らませ、プイッと向き直ると、そのままひとりでトイレへと向かってしまう。
その娘の背中を見送りながら、母親は肩を落として嘆息する。
「もう、まったく・・・」
「ハハハ、ひとりで何でもやりたい年頃なんだろうさ」
母親とは対照的に落ち着いた態度でいる父親は、気を揉む母親に大丈夫と、周囲の状況を説明する。
「この店はそんなに広くないし、ここからならトイレの入り口も確認できる。不審な奴が入ればすぐに分かるさ」
「それでも親としては普通心配よ!」
カッとなった母親のその言葉に父親は視線を落とした。
「親として・・・か。確かに俺は、アイツに親らしい事は何一つしてやれていないからな。親としては、失格だな・・・」
「あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃないの・・・ごめんなさい、つい・・・」
滑らしてしまった口を押さえ、母親は申し訳なさそうにする。
「いや、いいんだ。仕事にかまけて、家の事は全てお前に任せてしまっているのは事実だしな。朱美、お前にはいつも感謝してるんだ。だから・・・その・・・」
重雄は照れているのか、恥ずかしそうに口籠もりながら、背もたれに掛けたコートを手に取り、そのポケットから長方形の細長い箱を取り出すと、さっと母親の前に置いた。
突然の事に、朱美と呼ばれた母親は目をパチクリとさせている。
「ええと・・・なんだ、いつも家を留守にして世話をかけてしまってるお詫びと、こんな俺に愛想を尽かさず支えてくれているお礼に、といったところなんだが・・・」
綺麗にラッピングされていたであろうその箱は、ずっとポケットに入れていたためか、巻かれた長い布はグチャグチャで不細工になってしまっていた。
「すまん・・・。本当はもっと綺麗に包装されていたんだが、渡すタイミングが分からなくてな、こんなんになってしまった」
決まりが悪そうに頭を掻く重雄。すると、朱美は堪え切れず口元を押さえ、プッと吹き出してしまう。
「いま?」
「娘の前ではどうにも。照れ臭くてな」
みすぼらしくなってしまったプレゼントに嫌な顔をする事はなく、それどころかその笑顔には嬉しさも入り混じっているようにも思える。そんな妻の表情を見て、重雄は胸を撫で下ろした。
「開けてもいい?」
「ああ」
重雄の返答に、朱美はしわくちゃになっている不恰好なリボンを丁寧に解き、箱を開けると、そこに入っていたのはトップがコインの形状をしたペンダントであった。
そのコイン状の表面には、浮き彫りにした天秤の両の秤に、2粒のダイヤが埋め込まれたデザインが施されている。
朱美はそのペンダントを手に下げ、よく見ようと真っ直ぐにした視線に合わせて持ち上げた。
見つめたまま、うんともすんとも言わない朱美に不安になったのか、重雄はソワソワとしだす。
「どういうのがいいのか分からなくてな。お前、誕生日が10月10日で天秤座だろ。だから天秤が描かれたのにしてみたんだが・・・。気に入らなかったか?」
痺れを切らした重雄は、たまらず言葉を投げかけた。
その声に、自分が釘付けになっていた事に気づくと、彼女は微笑んで見せた。
「ううん、そんなことない。とっても嬉しいわ。ただ、プレゼントなんて珍しいと思って戸惑ってただけよ」
「言っただろ。日頃の感謝だって」
顔を逸らし、照れくさそうに言う重雄である。
「フフ、そうだったわね。ありがとう、大切にするわ」
朱美はさっそくそのペンダントをかけて見せた。
「どうかしら、似合ってる?」
「ああ、よく似合っているよ」
すると、甘い雰囲気を漂わせる二人の間に、「お待たせしました」と店員が割って入った。
瞬間、重雄は咄嗟にまるで何事もなかったと言うように、窓の方にそっぽ向く。
店員は銀色の丸いおぼんに乗せた3つのコーヒーの内、2つを夫婦の前に配る。それに対して、重雄とは対照的に平然とした態度の朱美が「ありがとう」と一言。
一礼した後、先程のハンチング帽の男の方へと向かう店員を確認すると、重雄はコーヒーを一口喉に流し込み、ふう、と溜め息を吐いた。
そんな忙しそうな重雄に微笑すると、朱美も両手でコーヒーカップを持ち上げ、ふうふうと息を吹きかけ冷ましてから啜っていく。
少しの間の後、コーヒーカップを置いて朱美は口を開いた。
「それにしても、今日は本当に大丈夫だったの?少し前まであんなに忙しそうにしてたのに」
「ああ、問題ない。時間はかかってしまったが、追っていた事件の犯人は捕まえる事が出来たし、書類云々は全部竹原に任せて来たからな」
「もう、可哀想に」
そう、彼の仕事は刑事であり、店に入ってからの彼の行動も職業病みたいなものなのだ。ちなみに竹原とは彼の後輩であり、捜査の際行動を共にする相棒である人物で、朱美や美沙希とも面識がある。
「というより、アイツが送り出してくれたんだ。美沙希の誕生日もお前の誕生日も、祝ってやれなかったのをアイツは知っていたからな。だから、せめてクリスマスは一緒にいてやれってな。まったく、普段世話ばかり焼かす奴が一丁前に気なんて遣いやがって、生意気な奴だよ」
憎まれ口を叩きながらも、彼の表情はどこか柔和であり、そんな事を言いながらも仕事を任せてくる辺り、その相棒を信頼しているのがわかる。
「そうだったの。なら今度、ちゃんとお礼を言わないとね。そうだ———」
朱美は閃いたというように、掌をパンと合わせる。
「お正月は竹原くんも呼んで4人で祝いましょ。ミサも彼には懐いてるから、きっと喜ぶわ。もちろん彼が良ければだけど」
「それはいいな。アイツも実家にはずいぶんと帰れていないだろうし、交際してる相手も居なそうだしな。今度聞いておくよ」
「ええ、お願いね」
重雄はもう一度コーヒーを飲む。今度はちゃんと味わいながら。
仕事がら、家を空けてしまう事も多く、そのせいで妻や娘を怒らせてしまう事もあるが、それでもやり甲斐のある仕事に誇りを持っているし、こうしてたまの休日には家族と過ごし、彼女らの笑顔が見られる日々に、彼は幸せを感じていた。
「お父さーん!お母さーん!」
その幸せが、たったの一瞬で奪われるとも知らずに。
ほんの一時の油断だった。
トイレから帰った娘が駆け足で両親のところへと向かうその刹那、入り口で見た怪しく落ち着かない様子でいたコートの男が身を乗り出し、娘に飛びかかったのだ。
重雄の目には、その光景がスローモーションのように映っていた。男の手が娘に届く直前、男の体が膨張したように見えたのと同時に、突如として凄まじい爆風と衝撃波が店内を飲み込み、全てを吹き飛ばした。
なすすべなく重雄は凄まじい圧力に弾き飛ばされ、窓ガラスを突き破り、店外へと押し出されたのだった。
「うっ・・・・ぐっ・・・・・!」
どれくらい意識を失っていたのだろうか。おそらくはそれ程時間は経っていないだろう。
何故なら、気がついた重雄は路上で未だ止まぬ大勢の悲鳴や絶叫や怒号からなる喧騒の中で目を覚ましたからだ。
立ちあがろうにも、全身の激しい痛みに襲われた。
あまりに突然の出来事と、ガンガンと響く頭痛に、頭が回らず理解が追いついていない状況だが、一緒にいた筈の妻と娘の姿が無い事に気づく。体の痛みなど気にもせず、彼は朦朧とする意識の中、辺りを見渡し妻と娘を探す。
混濁した意識の中でそんな行動を取れたのは、彼にとって二人は守らなくてはいけない存在、という意識が強かったからかもしれない。無意識下の条件反射のようなものだろうか。
「あ・・けみ・・・・・、み・・・・さ・・き・・・・」
周りは、先程の賑やかで笑顔に満ちていた風景が嘘のように、倒れて動かない人や呻いている人に助けを求める人、誰かの名前を叫ぶ者や爆発の衝撃により飛び散った破片で傷を負ったのか、血だらけで泣き喚く者たちで溢れかえっていた。当の重雄も、頭から血を垂れ流し、体中にガラス片が刺さっている。けれど、爆発地点の近くにいたにも関わらず、これだけで済んだというのは運が良かった、と言うべきであろう。
「朱美・・・!美沙希・・・!どこだ・・・・!」
意識も徐々にだが回復しはじめていて、何とか立ち上がると、左足を引きずりながらおぼつかない足取りで、もう見る影も無くなった程に全壊してしまったカフェに向かって歩き出す。
「そんな・・・まさか・・・」
カフェテラスのテラス席であったであろう場所まで足を引きずった。
その場に立ち、あまりにも無残な姿となった店を目の当たりにして、重雄の脳裏には嫌な想像がよぎる。
ようやっと、正常に頭が回り始めたのだろう。事の深刻さを理解し、重雄は二人の名前を叫んだ。
「あけみぃー!みさきぃー!どこだっ!!返事をしてくれぇ!!」
何度か名前を叫び続けていると、街道とテラスを区別する少しばかりの高さがある段差の所に、見覚えのある物が落ちていた。
重雄は歩き辛そうながらも急いでそれに向かい、崩れ落ちる様にそれの前にへたり込んだ。
「コレは・・・」
所々が焼け、薄汚れてしまっているが間違いない。それは彼が娘に買ってやったトラの縫いぐるみだった。
「・・・うっ・・・・・」
すると、すぐ近くの瓦礫の山から人の声が漏れ聞こえた。
視線を向けると、その瓦礫の山から人の手がはみ出している。どうやら埋まってしまっている様だ。
重雄はその手を、というよりも、その手の薬指にはめてある指輪を見るなり、血相を変え、みっともなく四つん這いで這いながらも急いで駆け寄った。
「朱美!!」
重い瓦礫を懸命に退かしていくと、彼の言う通りそこには妻である朱美の姿があった。
幸いな事に、ひしゃげた丸テーブルが盾のように瓦礫を防いでくれていた様で、一見して大きな外傷は見受けられない。
「朱美!しっかりしろ、朱美!!」
抱きかかえ、精一杯呼びかける。
「・・・うっ・・つっ・・・・あ・・なた・・・・」
「朱美!ああ、良かった・・・」
妻の意識があることに重雄は安堵し、目には涙を溜める。
そんな重雄の袖を、震えながら、力なく上がった手が弱々しく掴み、引っ張る。
「み・・・さき・・は・・・・」
今にも消え入りそうな声で、彼女もまた自身の事などかえりみず、娘の安否を心配する。
「まだわからない、けどきっと無事だ!俺もお前も生きてるんだ、美沙希だってきっと———」
重雄の言葉を聞き終える前に、朱美の掴む手に力が入った。
「お・・・・ねが・・い・・・・おねが・・・・い・・・」
そう言い、涙を流しながら、朱美は意識を失った。
「おい、朱美?おい!」
取り乱す重雄だったが、手慣れた様にすぐさま呼吸と、首筋から脈を確認すると、ホッと安堵の息を漏らした。気を失っただけの様子だ。
「待ってろ朱美。美沙希もすぐに———」
手に持ったぬいぐるみをぎゅっと握りしめ、妻を安全な場所まで運ぼうとしたところだった。
崩れたカフェの残骸の山が、ガラガラと音を立てた。すると、耳をつんざくほどに騒がしかった周囲から次第に人の声が消えていき、しばらくの間、遠くの方で聞こえるサイレンの音と、どこかの店から漏れるBGMの音だけが辺りに流れる。
その場にいる誰もが、一時痛みも恐怖も忘れ、その瞳に映る異常な光景に目を奪われ、言葉を失っていたのだ。それは、重雄も同じである。
そして、静寂に包まれた周囲の中、誰かが唖然呆然とした声でつぶやいた。
「なんだよ・・・アレ・・・」
彼らの見つめる先には、瓦礫の山から産まれたかの様に、それを押し除け姿を現した巨大な異形の怪物が、炎の中立ちつくしていたのだ。
怪物の体長3、4メートルはあるだろうか、二足で立ってはいるものの、その姿は見るからに化け物で、顔つきはキツネを彷彿とさせるシュッとした獣顔で、黒く硬質的な手足以外はサビ色の体毛で覆われて、首から胸元にかけては、さながらライオンのたてがみのようである。一番特徴的なのは、背中から自動車のマフラーのようにも見える手足同様硬質的な殻が連なったような管が、脇から肩を越え、オウムガイの殻がぐるりと巻き付いたように、幅広な先端はぱっくりと口を開け後ろを向いている。
ポタ、ポタ、と赤い液体が瓦礫に滴り落ちる。右半身の硬質化していない部分に怪我を負っているみたいだ。体毛も焼け焦げていて、顔や腹部に至っては肉が露出し、瞑った右目からは血の涙が流れている。
「アァ・・ヴゥゥ、グァワ・・・・」
けれど、痛みを感じているのかいないのか、その化け物の生きているもう片方の目は、自らの足元に向いている。下を向きながらブツブツと喉を鳴らしたような声を発して。
しばらくそうした後、化け物は歯を食いしばり、バッと天を仰ぐと———。
「ゥグァァァァァァァァァァァァァア!!」
荒々しい咆哮を上げたのだった。
その声に、固まっていた周囲の人たちも我に返り、いたるところで立て続けに悲鳴を上げ、我先にとその場から逃げようとする人たちでパニックに陥る。
怪我人を連れ一緒に逃げようとする者もいれば、そんな事などお構いなしに倒れている人を踏みつけ逃げようとする者、その人々の流れで親とはぐれてしまった子供の泣き声、状況を理解しているのか出来ないのか、携帯片手に写真を撮り続ける者、悲鳴、絶叫、怒号が入り混じり、現場は混沌を極めていた。
しかし、重雄の耳に怪物の雄叫びも人々の喧騒も届いていなかった。というよりも、彼の心中はそれどころではなかったのだ。
重雄は、怪物の足元に視線を向けたまま、固まってしまっていた。
「・・嘘だ・・・そんな・・・み・・さき・・・・」
怪物の足元には、ピクリとも動かず倒れている娘の姿があったのだ。
「美沙希!!」
重雄は身を乗り出し、娘の名前を叫んだ。
その瞬間、キッと化け物の睨め付ける視線が重雄の方に向けられる。
その視線に重雄は体をビクつかせ、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。先程の突然の化け物の姿に驚き、心を奪われたのとは違い、死、というものを直感的に感じとり、恐怖で体が固まってしまっていたのだ。
しかし、その視線は重雄というよりも、彼の背後に向けられているようであった。
重雄がそれに気付くと同時に、5人の黒づくめの集団が彼の真横を通り過ぎ、目の前の怪物に対峙する。
その者達の出立ちは、こと現代社会においては異様で、黒いコートに黒いフードを被り、口元が伸びたガスマスクをつけ、腰には見るからに剣の柄のようなものがコートから覗き見えていて、背中には何やら布に包まれた大きな荷物を背負っている。
「グァアァァイアァァァァァァァァァァァァァア!!!」
今にも喰らいつかんばかりに、化け物は彼らに向かって大声で咆哮した。
まるでそれは、自分の獲物を奪われないように威嚇する獣のようであった。
しかし、彼らは全く動じていない。
すると、真ん中に立つ者が腰に携えた剣を抜く。
「戦闘態勢」
男の呟き声に、他の4人も一斉に剣を抜いた。
「狩りを、開始する」
重雄は、ただ呆然とその光景を眺めることしか出来なかった。
冷たい風が、瓦礫に引っかかったコートの切れ端をたなびかせる。
これは、“始まりのクリスマス”。
この日を境に、全世界で異様な怪物たちが確認される様になったのだった———。