番外編 溺愛の日々
「ん~……!」
暖かい陽光が差す、ゼンデンス家の自室。
この場所に暮らし始めて早1週間。
実家とは違い、広すぎる公爵家の一室にはまだ慣れない。
それでも居心地は良い。
私が軽く伸びをしてベッドから降りると、タイミング良く部屋のドアにノックがされる。
「アーリ様、朝食のご準備が出来ております。アレス様もお待ちですのでぜひご一緒にいかがですか?」
「ありがとう。今行くわ」
本来であれば身支度を整えてから部屋を出るものだけど、アレス様のご意向でそういった事は本当に最低限しかしない。
何やら"抜けている所が見たい"らしい。
手ぐしで寝癖を直し、家着に着替えてから、化粧の類いはせずに部屋を出た。
長い廊下を歩き、アレス様の元へと向かう。
「おはようございます。アレス様」
「おはよ、アーリ」
紅茶を飲みながら、銀髪の前髪の奥から私を覗くアレス様。
「髪、伸びましたわねアレス様」
「そうなんだよね。そうだ、アーリが切ってよ」
「構いませんけど上手くは無いですよ?」
「髪型なんて何でも良いさ。アーリが好きな髪型ならね」
「! 朝からあんまり体温を熱くさせないで下さい……」
「はは、ごめんごめん。それより──」
「?」
アレス様はこと、と紅茶をテーブルに置いた後、意地悪な笑みを浮かべて言う。
「"様"は要らないってもう一週間は言ってるよね?」
「うっ」
「敬語も要らないけど、それは時間が掛かるだろうから今は諦めてあげるけどさ」
「……うー」
「睨んでもダメ」
アレス様は何故か私を対等に扱おうとする。
そもそも身分が違うのに。
……本当に変わった人だ。
私が口をへの字にしながらテーブルに着くと、アレス様が「そうだ」と続けた。
「今日はお昼から姉さんと会う約束だったの、覚えてる?」
「あ、そう言えば」
アレス様の姉君──イリス・ゼンデンス様。
現在、田舎の方で療養中であるらしい。
二日前にイリス様と会う為、準備をするように言われてたんだった。
「父上にはもう挨拶を済ませたし、これで僕の家族は制覇だね」
「制覇って……私、ご家族を攻略してる訳じゃ無いですからね?」
「父上は君にべた惚れだったけどね」
「そ、そうなんですか?」
「あんなに楽しそうな父上は久々に見たよ。そう……母上が生きてた頃以来かな」
「……」
アレス様の母君は既に他界されていた。
元々お体が弱かったらしく、ご病気でとの事だ。
今ではお父上も病床の身だ。
アレス様は現在、実質ゼンデンス家の当主となっている。
1つしか年齢が違わないのに、本当に凄い方だ。
少しだけしんみりとした空気になった後、アレス様は私に優しく微笑んだ。
「僕の所に来てくれて本当にありがとう、アーリ」
「いえ……私は何も出来てませんよ……」
「そんな事無いさ。例えば──君の実務能力は目を見張るものがある。セバスが言ってたよ、絶対君を手離すなって」
セバスとはアレス様専属の古い執事だ。
「はは、ある意味殿下のおかげかも」
「全くだ」
こんな冗談が言えるくらいには、私は心穏やかで居られている。
本当にここに来て良かった。
実家との事、殿下との事、全てを棄てて。
今頃あの人達はどうしているだろうか。
少しだけ感傷的になった時、食堂にセバスさんが現れた。
「坊っちゃん、アーリ様、ご歓談中申し訳ありません。少々よろしいですか?」
「ん?どうしたの?」
……どこか見覚えのある光景に嫌な予感が走る。
そしてやはりこの手の予感は当たってしまう。
「お嬢様が──イリス様がお戻りになられました」
「え、今!?」
※
──ゼンデンス家の門先。
「あなたがアーリちゃん!?キャー可愛いー!!妹って憧れがあったから嬉しい~~~!!」
テンション高く、開口一番に私に抱き付いて来たのがイリス様である。
く、苦しい……。
「姉さん……来るなら来るって連絡してよ」
「いや~待ちきれなくってつい!」
「それと──」
アレス様はイリス様の襟元を摘まむと、私からひょい、と引き離した。
「……アーリにあんまり引っ付かないでよ」
「おっと」
ようやく解放された私は、僅かに頬を赤らめているアレス様の後ろに隠れた。
「ほら、姉さんがいきなり抱き付くからアーリが怖がってるじゃないか」
「ははは、ごめんねアーリちゃん」
「い、いえ……」
どうやら嫌われてはいないらしい。
うん、だけど私この人苦手かも。
※
嵐のように現れたイリス様は、今何故か私の自室を訪れていた。
当然アレス様もご一緒だ。
イリス様はソファに座り、部屋を眺めて言う。
「物の少ない部屋ねぇ。アレス、あなたちゃんとアーリちゃんの欲しい物買ってあげてるの?」
「あ、あのそれは──」
私が遠慮して必要最低限の物しか告げてないだけ──そう言おうとしたら、アレス様が私の言葉を遮った。
「ごめんね、アーリ。僕の手際が悪いせいで君には不便を掛ける」
「──へぇ」
何やら興味深そうにアレス様をニヤニヤと見るイリス様。
「アレス、少し変わった?前ならムキになって言い返した場面じゃない?」
「そりゃ変わるさ、立場も、守るべき人も居るからね」
「……そうね」
イリス様は少しだけ俯いて微笑んだ後、アレス様に真剣な眼差しを向けた。
「アレス」
「なに?」
「王国と敵対するって本気なの?」
「あぁ」
アレス様も顔付きを真剣なものへと変えて答えた。
王国と敵対する、これは少し前にアレス様から聞いた事だ。
「王国は公爵家を敵に回しすぎた。アーリの妹、シュランの婚約をも無理矢理に破棄させているしね。時機は今だと考えてる」
「ま、アーリちゃんとの婚約を破棄させたのはあなただけどね」
「アーリの為だ。戦争をしたかったから破棄させたんじゃない。絶対に」
「違うでしょ、あなたの為でしょ」
「!」
イリス様は頬に手をついて、先ほどまでのからかうような雰囲気へ戻る。
「あなたがアーリちゃんに心底惚れちゃったから色々手を尽くしただけで、王国とかへのあれやこれやは後から付いて来たんでしょ~?」
「……僕をからかってそんなに楽しいかい?」
「楽しいよ。最愛の弟をからかうのはね」
「……そうかい。ならもう僕への用は済んだろ、少し席を外すよ。またセバスに呼ばれてるから」
「ん、了解」
「アーリ、少し姉さんと話しててくれ。姉さんもそれを望んでるみたいだし」
「わ、分かりました」
アレス様が立ち上がりドアの方へと近付いた時だ。
イリス様がアレス様の背中に小さく呟いた。
「ありがとね、アレス」
「……」
アレス様はその言葉に返事はしなかった。
私にはそのありがとうの意味も、重さも分からない。
いつか聞けるだろうか。
いや、聞けるようになるんだ。
家族になるんだから。
「さて、と!」
アレス様が部屋から出た直後、イリス様は反対側のソファに座る私の隣に来た。
そして満面の笑みで告げる。
「邪魔者も消えたし、義妹とた~くさんお話しなくっちゃ!」
「お、お手柔らかにお願いします……」
※
あれから小一時間。
「殿下ってほんと無茶苦茶だったでしょ!?」
「いやもうほんとそうなんです!これは学園の昼休みの事なんですけど──」
「うんうん!!」
──何故か私はイリス姉様と仲良くなっていた。
私とイリス姉様には共通点がある。
それがオウグス殿下だ。
お互いに殿下に心を磨り減らされた被害者であり、その話がきっかけで大盛り上がりしてしまった。
姉様とお呼びするくらいには……。
「いやぁ~アーリちゃんはよく頑張ったよ!何かごめんね?押し付けたようなものだよね」
「そんな事無いです!それに、イリス姉様は大丈夫なんですか?確か……」
「……うん、結構病んじゃってさ。でも今は大丈夫。まだ婚約はしてないけど殿下より良い男も見付けたしね!」
「それなら良かったです……」
私達はお互いに手を取り合い、笑い合う。
ゼンデンス家の方達は本当に良い人ばかりだ。
これ程幸せで良いのかと思ってしまうくらいに。
さっきまで苦手かもとか思ってたのが申し訳ない。
イリス姉様は私の手を握ってすぐに、ある事に気付く。
「あれ、アーリちゃん婚約指輪はしてないの?」
「そ、それが、アレス様が最高のものをプレゼントしたいから少し待って欲しいと……」
「はぁ!?」
イリス様は唐突に立ち上がり、足をトントンとさせ音を鳴らし始めた。
「あのバカ、婚約指輪もなくプロポーズしたの!?」
「い、いえ、あれは仕方なかったと思いますよ……?殿下から私を助ける為に時間も無かった筈ですし……」
「関係ないわ。ゼンデンス公爵家の次期当主として考えられない失態だわ。それに全然ロマンチックじゃない!アーリちゃんはそれで良いの!?」
「えっと……割と満足してると言うか……」
「本当に!?」
私がこれ以上を望むのは贅沢というものだ。
物語の騎士のように助けて貰い、考えられないような幸せな日々を送っている。
何も文句の付けようがない。
……だけど……それでも……もし、そう、もしも一つだけ我が儘を言っても良いならば──。
「……二人きりで愛の言葉を受けたい……くらいは思います……かね……」
「尊っ」
「イリス姉様!?」
眩さに当てられたかのように目元を覆い、ソファに倒れ込むイリス姉様。
そんな反応をされると、ちょっと、いやかなり恥ずかしい……。
「アーリちゃん、任せて」
「え?」
イリス姉様はすぐに起き上がると、私の両手を握った。
「今晩、アレスを屋敷のバルコニーに呼び出しておくから!!」
「えぇ!?」
私が動揺して固まっていると、イリス姉様はぶつぶつと何やら呟き出した。
「……指輪はもうあるのかしら……まぁ無いなら今日中に買いに行かせるか……後は……」
「あ、あの、イリス姉様……?私は今で十分幸──」
「アーリちゃん!今晩、楽しみにしておいてね!!」
……もう何を言っても無駄みたいだった。
※
夕食を終え、イリス姉様の暗躍?によって、私はバルコニーへと誘われた。
屋敷から領地が一望出来る所で、月明かりの下にアレス様の姿を見付けた。
「アーリかい?」
「はい、アレス様」
私を見付けたアレス様は、すぐに駆け寄って来る。
夜風がアレス様の髪を揺らす。
「少し寒いね。上着は持ってるかい?」
「あ、忘れてました」
「良かった。これ、使ってよ」
アレス様はご自分が羽織っていたローブを手に取り、私の肩の方へと回した。
「ありがとうございます」
「ううん。それより、今日はすまなかったね。姉さんの相手をするのは大変だったろ?」
「そうでも無いですよ。本当に良いお姉様ですね」
「本気かい……?」
そんなに訝しむ事かしら?
「またそんな事言って、アレス様がイリス姉様を大事にされてるのは分かってますよ」
「ま、家族だしね。厄介な人だけど」
「厄介……それは確かに」
「だろ?今ここに居るのも姉さんのせい──いや、さすがに言い過ぎか」
「?」
アレス様はこほんと咳払いをした後、私を見つめた。
「アーリ、今日姉さんに言われたろ?全然ロマンチックなプロポーズじゃなかったって」
「い、言われましたけど、私は何も不満に思ってませんよ!?」
「分かってる。だけど、実は僕こういうの苦手なんだ」
「え?」
アレス様は頬を掻きながら照れくさそうに言う。
「僕の弱い所さ。女心って奴が全然理解できてない」
「それは……」
まぁ、確かに……?
女心とは違うけれど、ちょこちょこ人をからかうような発言もあるし。
「そんな僕でも良いかい?」
それは唐突な言葉だった。
聞き返す間も無く、アレス様は続ける。
「君には僕のダメな所も全て見せたいんだ。そしてそれを受け入れて貰えるように男を磨く」
「アレス様はもう十分素敵な方ですよ!?」
「そう言って貰えるのは嬉しいけど、まだ全然だ」
「そんな事を言ったら私なんて……」
「君はもう十分に頑張った。次は僕の番だ」
アレス様は私の両手を、自らの両手で覆った。
「アーリ、これは姉さんに言われたからじゃない。元々、今日言うつもりだった事なんだけど──」
「アレス様?」
私達を照らす月明かりが一際強く輝く──。
「強い所も弱い所も全て隠さず君に見せる。ずっと僕の傍に居て欲しい。アーリ、愛してる」
アレス様は懐から取り出した婚約指輪を手に取り、私へと差し出した。
「今日完成したんだ。受け取ってくれたら嬉しいな」
「……っ……!」
「結婚しよう、アーリ」
溢れる涙を止める事が出来なかった。
指輪を受け取らなくちゃいけない。
返事をしなくちゃいけない。
なのに、そのどちらも涙が邪魔で果たせない。
「……ア……レスっ、様……私……私……!」
アレス様はそんな私をただ優しく抱き締めた。
「幸せかい?アーリ」
「はいっ……!アレス様っ……!!」
「良かった──」
あぁ、本当に私は幸せだ。
こんなにも私を想って下さる方がいる。
ご家族も私を愛して下さって、本当にこれ以上はない。
きっと私の未来はこんな日々で溢れてる。
そんな風に予感させて下さるアレス様を、私も──。
「アレス様っ……!愛してます、心から……!!」
「あぁ、僕も愛してる。アーリ」
こんな幸せな毎日を送る事が出来たのは全てアレス様のおかげだ。
感謝してもしきれない。
だから今の私に出来るたった一つの事をしよう。たった一つの言葉を伝えよう。
「アレス様……私、ずっとアレス様と一緒に居たいです……!」
「なら、プロポーズのやり直しの答えは?」
悪戯な笑みでそうたずねたアレス様に、私は満面の笑みで答えた。
「──はい、喜んでお受けします!」
私達の幸せな日々はずっと続いていく──。
お読み下さりありがとうございます!
思った以上に多くの方に読んで頂いたお礼も兼ねて、番外編を投稿してみました!
ぜひ続きが気になる、面白い。
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