第2話 本当のお別れにしましょう
あの日から2週間が経った。
まだ春の訪れを感じる事の出来ない、乾いた風の吹くそんな日に、私は公爵領に足を向けていた。
「ここがゼンデンス家……」
王都でも随一と呼ばれる建築士が設計し、莫大な財を用い建設されたらしい豪邸は、我が家と比べるのも躊躇われる程だった。
これが侯爵家との違いか……。
私は迎えの馬車を走らせてくれた御者に一礼をし、ゼンデンス家の門の前に立つ二人の黒服の男達に声を掛けた。
「私、本日ゼンデンス公爵家当主であられるレイアン様との謁見を予定していた、アーリ・アースクルスと申します。よろしければ──」
家の方に私が来たと伝えて欲しい、そう伝える前に門番であろう二人は慌てた様子で「す、すぐにアレス様にお伝え致します!」と言い、屋敷へと走り去った。
「え、えっと私はどうすれば……?」
あれ、何で置き去りに?
普通なら私の名前を出したら話が通じて、そのまま客間にでも案内されるよね。
まぁここで考えても仕方ないか……このまま少しお屋敷の花でも見て時間を潰そう。
粉骨砕身で執務室に籠っていたあの頃の私はもう居ない。
ここ最近は穏やかな毎日を送っている。まともに学園にも通えるしね。
心を空っぽにする時間って思っていたよりも大事だったのね。
これから私の婚約者となるかもしれない方と会うのだもの。これは必要な事だわ。
あ、お花の下に蟻が行列を作ってる……わぁ……頑張れ~……。
私がそうやってしゃがみ込んで、無心になり掛けた時だった。
「ごめんよお待たせ!!ってあれ、何してるの……?」
「え?」
突如現れたのは艶やかな銀髪を目に掛かるくらいで流した、私よりも頭1つ程背の高い穏やかな雰囲気を持つ青年だった。
目を丸くして私を見下ろす彼の視線は、殿下とは違い優しさを感じさせる。
「あ、え……と……」
つい見惚れるくらいに美しいその方と視線が合ってから数秒、私は言葉に詰まったまま固まってしまった。
すると、そんな私を見て彼は吹き出すように笑い出した。
「ぷっ、もしかして退屈過ぎて蟻の行列でも見てた?周りにこんなに綺麗な花があるのに?」
「なっ!」
「あはは!君変わってるね!面白いよ!」
「~~っ……!!」
今にも頭から湯気が出そうな程に体温が高まっているのに気付く。
も、もう!何なのかしらいきなり現れて無礼……な……
「……え……アレ……ス様……?」
「は~~笑った。ん?何だい?アーリ侯爵令嬢殿」
「どどど、どうして……ここに……!?」
「どうしてって、ここは僕の家だし?」
当然でしょ?と言わんばかりに首を傾げるアレス様。
私が聞きたいのはそんな事じゃない!
どうしていきなりアレス様が出て来るの!?
私は顔を真っ赤にしながら、すくっと立ち上がり両手で隠した。
「い、いえ、使いの方が出てくるとばかり思っていたのですが……」
「一刻も早く君の姿を見たかったんだよ。何せ僕の婚約者になる方だからね」
「! まだ決まったわけでは……」
そう、私が公爵家へと来たのはアレス様との顔合わせという目的があっての事だ。
殿下との一件で心を痛めた国王陛下が、適齢を越えようとしていた私にアレス様を紹介して下さったのだ。
私だって侯爵家の娘だ。自由恋愛が出来るとは思っていない。
私の一存でせっかくの王家との繋がりを断ってしまったから……家の為に公爵家の方と結ばれる事が出来るのであれば、これ程ありがたい話はない。
だけどこれはあくまでもアレス様が私を気に入った場合だ。
……今の所かなり無様を晒している訳だけど、大丈夫かな……。
緊張感もなく放心していた私が悪いのだけれど……。
そんな私の不安を見透かしたようにアレス様は私に笑顔を向けた。
「僕はもう既に君を気に入ってしまったよ。公爵家に来て蟻を眺めて放心しているような令嬢は見たことがない」
「そ、それは気に入って頂けるような理由になるのでしょうか……」
「なるさ。もっと君の事が知りたい。そう思ってしまったからね」
「は、はぁ……」
……陛下曰く、変わり者だが堅実な男との事で。
どうやらその評価は間違ってはいないらしい。
アレス様は後ろの屋敷を指差し、私にそっと手を差し伸べた。
「さてと、いつまでもこんな所で時間を潰す訳にはいかない。客間まで案内するよ」
「あ、は、はい!」
アレス様の手に私の手を重ねると、優しく屋敷の中へと連れて行って下さった。
※
「どうだい?これから自分の家になるこの屋敷の感想は?」
「え、えっと……大変素晴らしく──え?自分の家ですか?」
「そりゃあそうでしょ?陛下からは嫁いで来てくれるって聞いてるけど」
「も、勿論そのつもりではありますが……!」
テーブルを挟んで差し向かいでニコニコとされるアレス様。
この言い種ではもう私を婚約者としてお認めになられたようで、さっきから動揺が治まらない……。
「? 何か問題があったかい?」
私の混乱しきった様子を見てそう尋ねるアレス様に、私は少しだけ俯いて答えた。
「……わ、私は……つい先日まで殿下の婚約者でありました……。それも私の方から婚約を破棄するような女です……こんな私を、アレス様はもう婚約者としてお認めになられるのですか……?」
それは私の純粋な疑問だった。
私達が言葉を交わし始めてまだ僅かな時間しか過ぎていない。
いくら陛下からの紹介とは言え、あのお方は民の声を聞く耳を持っていらっしゃる。正直に合わなかったと言えば今回の話は無かった事に出来る。
……こんな私をアレス様が選ぶ理由は、はっきり言って一つもない。
私の言葉を聞いたアレス様は少しだけ間を空けた後、真剣な表情で言った。
「君がそんな風に悩んでいるなら隠さない方が良いか。僕はね、君の身に何があったか知っているし、ずっとしてあげたい事があったんだ」
「え……?」
私とオウグス殿下との事は現在、箝口令が敷かれている。
まだ世間的には私達は婚約中。アレス様が事情を知っているのは当然だけど、してあげたい事って何だろう……。
私の疑問に答えるようにアレス様は立ち上がり、真横へとテーブルを回って来た。
そして、ポンと頭の上に手を乗せて優しく言った。
「今まで大変だったね。もう我慢しなくて良いから」
「……!」
今まで……そう、ずっと今まで家族の誰も言ってくれなかった言葉を、アレス様は呟いたのだ。
「聞いたよ。君は文字通り身を粉にして殿下に尽くしてきたんだよね。なのに労いの言葉は無く、返ってくるのはいつも君を否定する言葉ばかりだったと。陛下は言ってたよ……君はずっと我慢してきたってね」
「私……は……」
「それに、婚約の解消は陛下から持ち掛けた話でしょ?殿下の君に対する態度を知ったからさ」
そこまで知って……!?
そう、オウグス殿下との婚約破棄は陛下からのお言葉だったのだ。
一年程前、突如王室に呼ばれてその話を持ち掛けられた時は驚いたものだ。
オウグス殿下は決して他人の前では私への態度を出さなかったから。
家族には相談しなかった。
せっかくの王家との繋がりを持てる機会、簡単に手放せる訳がないもの。
だから初めて婚約を破棄する事を伝えた時、父は激怒したし母は卒倒した。妹にもバカにされる始末だ。
……私はあくまでも王家との繋がりを持つ為の道具だから。
それでも陛下の手厚い謝礼や今後の助けを聞いて、家族の頭はすぐにアレス様との縁談へと傾いた。
「さて、ここまで言えばもう分かるよね」
「え……?」
私の頭に手を乗せたまま、アレス様はご自身のしたかった──私にしてあげたかった事の答えを告げた。
「もう泣いて良いんだよ」
「……っ!」
全身が微かに震えた。
「君はずっと耐えてきたんだ。ずっとね。辛かったろう、誰にも相談出来なかったろう。そう、涙なんて流せない環境だった筈だ」
「そんな……事は……」
「そうだね、自室で一人泣いていたのかもね。だけど誰かの胸の中で泣くのとでは、たぶん少し違うよ。相手が僕で良ければだけど」
そう言って困ったように笑うアレス様。
私の心に去来する気持ちは一つだ。
どうして……どうしてあなたはそれ程私を──。
「……もし嫌だったら、君の得意な魔法で僕を吹き飛ばして」
「!」
アレス様は私に思考する暇を与えなかった。
ただ優しく、強く、私の頭をご自身の胸の中へと誘った。
彼の両腕が私の背中へと周った時、耳元にそっと吐息を感じた。
「今までよく頑張ったね」
「っ……あっ……うぅっ……!」
ずっと刺さっていた棘が抜けていくような、心地好い感覚で満ちる。
気が付くと私の両目には溢れんばかりの涙が溜まっていた。
アレス様は自室で涙を流したかもと言ってたけど、それは間違いだ。
私は今まで一度も殿下との事で涙は流していない。心が屈してしまいそうで、それだけはしなかった。
……だけど、もう……良いのかしら……。
もう殿下は私の人生には関わって来ないだろう。
アレス様も私をお認めになって下さっているらしい。
なら、最後に今まで頑張ってきた私を目一杯泣かせてあげよう。
これが最初で最後の涙だ。
これからはアレス様の傍らで生きるんだもの。
本当のお別れにしましょう。殿下──。
「……私っ……今までずっと殿下の心無いお言葉に耐えてきましたっ……!でもっ……誰にも相談出来なくてっ……私……私……!!」
今まで口に出来なかった言葉が、滅裂ではあるが溢れた。
そもそも言葉になんて出来ないんだ。
形容し難い苦痛が数年間続いたんだもの。
「全部吐き出すと良い。僕は全てを受け止める」
「アレス様っ……!!あぁぁっっ……!!」
その後の事はよく憶えていない。
朧気に記憶にあるのは、ただ子供のように泣きわめく私を、蕩けるような愛情で受け止めるアレス様の体温だけだった。
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