ミスリード役のワガママ小物王女は、ひねくれた不憫系ラスボスを懐柔したい
私ことガーネット・ブルーレースは、常にこの世界の中心だった。
父は広大で豊かな国を統べる王アレキサンドライト・ブルーレース。母は流行病により早逝したが『傾国の美姫』として他国にも轟くほどの美しさで、幸運にも私と弟であるデマントイドはその美貌を受け継ぎ、なんの不自由もなく愛情を注がれて育った。
目一杯に甘やかされて育った私は常に自分のことだけで頭がいっぱいで、気の弱い弟の存在はいないも同然であり、大して関わることもなく過ごしてきた。
私が十一才の時に王家とも縁の深いジルコニア公爵家であるアダマス・ジルコニアが成人し、私の婚約者として両家が国をあげて正式に発表された。
その時に祝福として打ち上がった大きな花火は、これまで見てきたどんな宝石よりもとても綺麗で、人生で一番誇らしい気持ちになれた瞬間だった。
それから五年の歳月が流れ、私は十六歳となり自他共に認める程に美しく成長した。
ただ、私の身長が平均よりも少し低いのが唯一のコンプレックスで、この事が原因で舐められるのは耐えられなかった。
少しでも大人ぽく見えるように高いヒールの靴を履いたり、魅惑的な匂いのする高級な香水を振りかけたり、わざと胸元の空いた服を着たりして、愚かな事に見た目にばかり注視してしまっていたのだ。
成人を迎えデビューも果たし、いよいよ結婚式の話が出てきたちょうどその年に、アダマスが騎士団長として就任が決まってしまい、正式な結婚が二年先に伸ばされて行われることになってしまった。
この国で騎士職と言えば昔から魔獣や他国からの侵略にも勇敢に立ち向かう姿が英雄視されていて、王族にも引けを取らない栄誉ある職業として認知されてるので、私も渋々だったが承諾したのだ。
(私の夫となる男だもの。私と同じ位の地位がないと嫌だと思っていたの)
彼が団長として着任して更に二年の月日が経って"来年には盛大な結婚式が催されるだろう"と、周囲も、もちろん私も期待していた。
そろそろデザイナーに結婚式のドレスの依頼しようかという矢先に、私は十年前にお母様の命を奪った憎き病に罹患してしまったのだ。
高熱に魘され、激しい頭痛に苦しみ、三日三晩生死の境を彷徨って、ようやく目を覚ました私は、この世の理を知るという天啓を授かった。
──そう。ここは、前世の私がやりこんでいたBLゲーム【エンゲージリング★ジュエル】の世界なんだという、前世の記憶を呼び覚ましたのだ。
♦︎♦︎♦︎
「姫様、本日もいつも通りの髪型でよろしいでしょうか?」
病み上がりの私の髪を整えてくれているのは、平民上がりの侍女だ。
一昔前まで王宮勤めといえば、貴族階級の子女のみの行儀見習いの定番であり人気の職だったそうだが、十年前の流行病で人手不足に陥った事で平民も王宮内の仕事に従事できるようになったという経緯がある。
特に身勝手で我儘放題な私の世話役は、もっても三ヶ月と言われており専属侍女などいないに等しい状態だった。
ちなみに侍女の言う"いつも通りの髪型"というのは、私の豊かな金髪を細かく小分けにして縦に大きいロッドをキツくキツく巻いていき、それをさらに熱々のコテで仕上げていく、見事な金髪縦ロールの事である。
「今日は、確かジルコニア卿がいらっしゃる日でしょう?」
「えっ……、あっ、はい。そうですね」
ジルコニア卿とは言っても婚約者のアダマスの方ではなく、彼の双子の弟コークス・ジルコニアのことである。
幼少期に訳あって教会に預けられていたらしく、二年前にアダマスが騎士団長として就任したと同時に、彼の身の回りの世話をするために還俗し、ジルコニア家の次期公爵夫人となる予定の私の教育係としても働いてくれている。
聖職服に身を包み眼鏡をかけているが騎士の家系出身のせいか、下手な騎士よりも体格は大きい。
そして、何を隠そうこのゲームの闇堕ちラスボスでもある。
私の役回りは闇堕ちしたコークスが"受け"であるオパールに数々の嫌がらせや試練を仕組んでいくのだが、プレイヤーの疑いの目をコークスから逸らしミスリードを誘う、言わば小物王女なのである。
アダマスへの盲目的な愛をコークスにつけこまれ、全ての罪をなすりつけられる哀れなピエロなのだ。
全体的なシナリオやゲームシステムの出来がイマイチだった事もあり、レビューサイトが凄まじく荒れていたことを覚えている。
……とはいっても、今のところコークスは闇堕ちする様子もなく、その実直で堅実な性格とアダマスの弟というアドバンテージも加わり、王室からも騎士団からも信頼が厚い。
普段は排他的である高位な教会関係者との人脈も多数あるようで、考えてみれば数いる王族の末端の私よりも、よっぽど影響力の強い人物として君臨しているのだ。
コークスは攻略可能なキャラではないので、オパールの魅力に惑わされていつ寝返るかわからない人を頼るよりも信頼できる……かもしれない。
「今日は、毛先をゆるく巻く程度にしてちょうだい。香水もなるべく抑えめにして。じゃないと、卿がいらした瞬間にまた鼻をつままれてしまうわ」
本気とも冗談ともつかない私の言葉に、侍女は一瞬言葉を詰まらせた後、まるで何も聞こえていなかったかのようにスルーして私の髪型を整えてくれた。
「ところで、アダマス様は私の病気の事はご存知だったのかしら?」
「は、はい。姫様が昏睡状態になっている旨も、併せて伝えている……はずですが」
死にかけている婚約者に対して面会しろとまでは言わないまでも、見舞いの品も手紙も無しとか、シンプルに人としてどうなのか。
私はため息をひとつ吐いて、状況を頭の中で整理する。
前世の記憶が戻っただけなので、今までの自分がしてきた所業はすべて覚えている。思い返せば震える出来事も多いが、後悔してももう遅い。過去は変える事ができない。
──だが、未来はまだ変えられる。
「そこの貴女……コーラル、だったかしら。執事長に伝えて欲しい事があるの」
「──は、はいっ!!」
ついに叱責が来たとばかりに、コーラルの肩がびくりと跳ねた。
「クローゼットの中にあるドレスと靴、戴き物の大事な宝石以外を、貴女とこれまで私に仕えてくれてた者達に下賜するわ。売って報奨の代わりにでもなさい」
「はっ?! で、ですが……」
「代わりに、クローゼットの奥に眠っている詰襟のドレス数着と、踵の低い動きやすい靴を数点用意してくださる?」
そう言った私の顔をしばらくポカンと見つめたコーラルは、慌てて私の熱を測り直して執事長どころか王宮侍医まで呼んできて私の容態を確認させたのだった。
♦︎♦︎♦︎
「姫様、どうやらまだ体調がよろしくないようですね。他国に“なんとかは風邪をひかない”と言う諺があるようですが……はて、なんだったか」
コークスとの勉強会は王室の一室で行われている。
彼は長い足を汲みながら、サーブされたお茶を優雅に飲んでいる。その姿だけ見れば、まるで一枚の絵画のように様になっているが、その形のいい薄い唇から出てくる言葉は非常に刺々しく、私に対する敵意に満ちている。
「まぁ、ジルコニア卿。さすが博識でいらっしゃるのですね。その“なんとか”と言うのが気になりますわ。調べたらぜひ教示下さいませ」
いつもの私は、コークスの礼を欠いた物言いをされても不機嫌そうにただただダンマリを決め込むだけで、後々使用人達に当たり散らすというのが流れだった。
いつもと反応が違う私の返しに、コークスはお茶を飲む手を止めてゆっくりと私に目線を合わせるように顔を上げる。
「……使用人達が噂するように、先日の病が脳にまで影響を及ぼしているのでは? いつもの姫様と態度が違いすぎて、正直気持ちが悪いですね」
怪訝な顔を隠しもせずに胡乱な視線を向けてくる。冷たい氷河のような瞳に一瞬寒気が走るものの、なんとか口角を上げて微笑みをキープした。
「卿とはこれから家族になるのですから、ぜひ気楽にガーネットと呼んでくださいませ」
「ふん……なるほど、そういう事ですか。私に擦り寄り、兄であるアダマスと心を通わせようと目論んでいるのですね。なんとも浅ましい考えをお持ちで」
コークスは心底呆れたように私をみて嘲笑する。
彼はあのゲームのキャラ設定通り、一見物腰は穏やかで優しく頼り甲斐があるように見えるが、その本性は公爵家期待の跡取りで若くして栄誉ある騎士団長のアダマスに対するコンプレックスの塊であり、狭量で極度のブラコンで、嫌みったらしい奴である。
こんな奴の手を借りないといけないだなんて……とも思うけど、ここはR18のBLゲームの世界。モブならまだしも、私のような悪役令嬢に残された道は多くないので、たとえ媚びてでも、生き残るためならばなんでもやるつもりだ。
「これまでの私の所業を鑑みれば浅ましいと言われればその通りで、返す言葉もございません。ただ、今後は私もこれまでの態度を改めて、歴史あるジルコニア家にとって血筋以上に有益な人材になれるよう一層勉学や貴族らしい所作に励む所存ですので、ぜひ卿にも協力していただきたいのです」
「……」
私が感情込めてそう訴えれば、調子が狂ったとばかりにコークスは渋々教科書を開き、数日間の病欠により遅れていたカリキュラムをこなしていった。
初めは私が急に態度を変えたことに対して警戒していたコークスだったが、まさかこの調子で三ヶ月間も真面目に勉強に取り組むとは思っていなかったらしく、そのうちに若干警戒はしながらも自分の任されている公務も私の授業時間中に並行して消化していくようになった。
気がつけば、季節も私が前世の記憶を取り戻した冬の終わりから春へと移り変わろうとしている。
何人かの使用人の懐柔に成功し情報を精査したところ、オパールはすでにハーレムを築きつつあるようだ。
騎士の同僚では頭脳派の青髪ラリマー、寡黙な黒髪のグラニット、直情的な赤髪ロードクロス。王族では私の弟デマントイドに加えて、なんと攻略が激ムズとされていた父王アレキサンドライトまでもすでに奴の手におさまった聞く。
(BL世界あるあるのご都合主義か知らないけど、いくらなんでも節操がなさすぎじゃない?)
この世界では同性愛自体は罪ではないものの、婚約者がいたりすでに結婚した後に発覚した場合は、その家門に大きく傷が付くスキャンダルとなる。
そんな事を考えつつ、私はコークスに教えを仰ぎつつジルコニア家と縁の深い貴族名簿の暗記に勤しんでいた。
コークスは私の勉強とは別に、何冊もファイリングされた書類を持ち込んでおり、そのすべてに目を通している。膨大な量の文字が書かれている書類をひとつひとつ確認し、絶え間なくサインを走らせ、物凄いスピードで重要書類を完成させてゆく。
彼の骨張った長い指が忙しなく分厚い本をめくり、計算や文章で悩む時の癖なのかトントンと机を軽く指で叩き、もう片方の親指を唇に這わせているのを見ると、場違いにも改めて美しい男だなと感じた。
本来の私の正式な婚約者であるアダマスは、騎士団長に就任してから何かと理由をつけて二年間も私に会いに来ることはなかったし、異性とこんな至近距離で何かをするなんて経験が今までなかったから妙に意識してしまっているのかもしれない。
「私の手ばかり見ていないで、自分の手も動かしたらどうです? それとも、ようやく音を上げましたか。今回は随分と長期的でしたね。ご苦労な事です」
(……本当、性格以外は完璧ね)
いくら美形とはいえ、一瞬見惚れてしまった自分のチョロさが忌々しい。
お互いムキになって言い合いになっても仕方がないので、私は内心苛立ちながらも口角を上にキープしつつなんとか気を取り直して、また教科書に視線を戻し黙々と紙に筆を走らせていった。
そうして、一体何時間が経っただろうか。
ようやくひと段落つき背筋を伸ばすと、向かいに座って書類を片付けていたコークスは、腕を組みながら寝入ってしまっているようだ。
私は興味本位からすっかり冷めてしまったお茶を入れ直すフリをして、コークスの整った顔を改めて窺い見た。
サイドを短めに切り揃えた髪はアダマスと同じく見事なプラチナブロンドだが、毛先を遊ばせているアダマスに対して神経質なコークスは乱れひとつなく後ろに丁寧に撫でつけてある。瞳の色は、氷をイメージさせる程透き通ったグレイシャーブルーで、メガネの奥に烟るように生える長いまつ毛、通った鼻筋と薄い唇はまるで精巧な彫刻のようだ。
そもそも私がアダマスに夢中になっていたのは、騎士団長というわかりやすい地位もあったけれど、圧倒的に顔。顔の造形が、大大大好きだったから。
むしろ、前世の記憶が戻ってからは眼鏡属性も大好物だ。貴族の世界では視力が悪いと言うのはデメリットしかなく、敬遠されがちだ。
私が先日罹患した病は、大抵が子供のうちにかかり症状も軽い病なのだが、大人がかかると重症化する。そして妊娠中に罹患した場合、生まれてくる子供の視力に影響が出る場合があるという恐ろしい病なのである。
アダマスルートで少しだけコークスについて語られるシーンがあったが、彼の母親であるジルコニア公爵夫人が妊娠中に罹患してしまいアダマスは無事だったがコークスの視力に影響が出てしまったと記憶している。
母体の病が原因であれば遺伝性の弱視と言うわけでもないはずなのだが、視力の低さが子孫に影響するのではという事で貴族間の婚姻に少なからず影響が出ることもあるらしい。
コークスのゲーム内での凶行も、この辺にも理由がありそうだ。
顔はアダマスと瓜二つの超絶美形で、しかも細マッチョ風の眼鏡青年であるコークスは、図らずも私の好みど真ん中という事に……。
またうっかり邪な考えに傾倒しそうになった頭をブンブンと横に振り、再びコークスを観察することにした。
(それにしても、ものすごい量の帳簿の数ね……)
帳簿名を覗けば王宮の経理はもちろん、ジルコニア領の税収と農作物の収穫量が記載されたもの、各騎士団の出兵記録や経費などの帳簿が山ほど積んであり、中には平民から寄せられた嘆願書の類まである。
(まさか、ここ数年でお父様が"平民の声を取り入れてくれる賢王"として知られるようになってきたのってコークスのおかげ……? いや、そんなバカな)
それにしても、とてもではないが一人で抱え切れる書類の量ではない。そう思い至った時に、ふとコークスの目の周りに酷いクマがあることに気がついた。
眼鏡で気付かない……というか、レンズ越しで見る顔色と覗き込んでようやく見える距離でレンズの向こうの顔色が全く違う事に気付いた。これではコークスがどんなに体調不良だろうといくら寝不足だろうと、誰も気づくことは無いだろう。
(は……? まさか、わざわざ認識阻害の眼鏡を掛けているの? それに、この匂い……)
爽やかなフレグランスの匂いに混じって、コークスの口元からどこか甘ったるい匂いがしている。病弱だったお母様からよくこの匂いがしていたので、私はこの匂いを知っている。これは、強力な気付薬だ。
「間の抜けた顔をして私を見て、一体何を企んでいるんです?」
形のいい眉根を寄せ心底不快そうに私を見るコークスの瞳には、蔑みすら滲んでいる。
「まぁ、企むだなんて。卿の素晴らしい御尊顔を至近距離から拝んでいたんですの。大変に眼福ですわ」
「──ッ、! なっ、そ、そんなはしたない事を、よくも……」
私の予想外の返しに珍しく動揺しているのか、コークスの口は開いたり閉じたりを繰り返している。
「まぁ、それは冗談として……卿のその目の周りのクマと薬品の匂いの方が気がかりです」
「ああ……市井に私が贔屓にしてる道具屋がありましてね。体に影響が出ない程度に使っているだけです」
「少し仕事量が多過ぎなのでは? 騎士専属の文官もいるでしょうし、ジルコニア家の領地帳簿の確認や最終的な見直しなどは当主であるアダマス様の公務なのでは」
「余計な口を挟まないでいただきたい」
コークスはまだ話の途中だった私の言葉を遮り、バッサリとぶった斬った。
「まったく……兄に相手にされないからと言って、今度は私に粉をかけてくるとは、貴女の厚顔無恥さもここまでくれば表彰ものですね。兄が貴女を冷たくあしらうのも、全てはこれまでの貴女の所業にあります。ここ三ヶ月で多少マトモになった演技をしているようですが、私は騙されませんよ」
「今はそんな話はしていないのですが……」
コークスのひねくれ具合も相当なものだ。
例えそうだったとしても、婚約者が同伴すべき夜会のエスコートもせずにオパールとの逢瀬を優先したり、王宮で真の婚約者である私とすれ違っても軽く礼を取るのみでそそくさと恋人のいる訓練場へ行くのは違うと思うけど。
そして何より。
真性の同性愛に目覚めてしまった婚約者に対して、いくら私一人が努力して完璧になったとしても振り向かせる事など出来はしないのだ。
自分が変わるならまだしも、他人も自分の都合よく変える事は出来ない。もしそんな事をすれば、必ず違う所に歪みが生まれてしまう。
それなのに、アダマスが私に興味がないのは“全て私の努力不足のせい”と言われ続けるのはどうにも我慢ならない。
「卿は、あくまで私に100%の過失があると思われているようですね」
「はっ?! 当然です。兄に落ち度は一切ありません。貴女様が一点の隙もない淑女であれば、兄は貴女に尽くし本妻として敬うでしょうが。残念ながら貴女にその器はないようです」
どこか恍惚とした様子で、いかに自分の兄が素晴らしいのかと説いてくるコークスは、まるでそれに縋ることで無理やり自己を確立させているようにも見えてなんだかとても息苦しそうだ。
もはや、ここまでくると怒りよりも哀れみが湧いてくる。
「本当にそうでしょうか。アダマス様は確かに高潔なお方ですが、卿は彼を神格化し過ぎているのでは?」
逆上されるのは恐ろしいが、流石に王族に直接手をあげるほど愚かではないだろう。
しかし、射殺さんばかりにこちらを睨め付けてくるコークスの氷河の瞳は燃えるような怒りを宿し、その様子は死を感じさせる程度には恐ろしい。
「いくら王族とはいえ、兄を……由緒あるジルコニア公爵家を貶めるような発言は看過できません。王族が高位貴族に明確な根拠もなく干渉する事が、どれほど危険で恐ろしい事か貴女はわかっていない」
「アダマス様が私に興味を持てないのは、決して私だけのせいではありません。──卿が望むのであれば、証明もできます」
私のこの発言を聞いたコークスは怒りよりも好奇心が勝ったような、一瞬にして興味を惹かれた顔をした。
「ほう……それは大変興味深い。ぜひ、私にもガーネット姫がおっしゃる意味を理解させて頂けると助かります」
(ついに来るべき時がきた!)
私は心の中で快哉を叫ぶ。
「わかりました。三日後の晩に、私の叔母様の降嫁先であるオブシディアン公爵家が主催するダンスパーティがあるのをご存知かしら」
「ええ……騎士のパレードの後に催されている夜会ですね。高位貴族のみ呼ばれる夜会であり、本来私などは招待されない高貴な催しですが」
その日は王宮開放日であり、昼間は市井の街を騎士が練り歩き盛大なパレードが開催され、夜は高位貴族のみが集まる夜会が催される。
一度でも教会送りとなった子息は、例え公爵家の正当な血筋であろうと高位貴族の当主のみが集う“裏の社交界”からは締め出されてしまう。
「アダマスも、弟であるデマントイドも公務で来られないということで、私のエスコート役がいつもおらず出席を見送っていましたが、将来の義弟として卿がエスコート役を務めて下さるのであれば問題ありません。夜に私達が二人でいても誰も咎めませんし、婚約者がいる身でありながら殿方と二人きりで歩いているという醜聞もつく事なく、卿の名誉にも傷はつかないでしょう。そのダンスパーティの後に、私の変化の理由をご覧いただきます」
「……いいでしょう、わかりました。では、三日後にお迎えにあがります」
私のあまりの真剣な様子に、いつもであれば嫌みの二、三個返してくるコークスはと歯切れ悪くそう言い、その日は解散となったのだった。
♦︎♦︎♦︎
以前の私の夢は、アダマスにエスコートされて夜会に行く事だった。
夢の中のアダマスは豪奢で逞しい騎士の正装に身を包み、私は彼の瞳と髪色に合わせた少し大胆なドレスをその身に纏う。
他の男の視線から私を守るようにどこへ行くにもぴたりと横に寄り添ってくれて、私が目線を向ければ彼の透き通ったブルーの瞳に愛情が灯り、そのままダンスへと誘ってくれる。そんなロマンティックな夢を見ていた時もあったのだが、現実はどうもうまくいかないものだ。
結局、一年前に作ったこのドレスはエスコートがいなければ着ていけるものではなかったのでクローゼットの中でずっと眠り続けていたが、今日ようやく日の目をみた。
試着の時以外で初めて袖を通したが、去年とサイズに大きな変わりはないようで、すべてがちょうど良く仕上がっており大変着心地がいい。
婚約者のアダマスの髪色に合わせたシルバーとブルーを基調とした生地に映えるように金糸と朱糸で見事な刺繍が施されており、匠の技を感じさせる逸品だ。下品にならない程度に胸元も大きくあいており、ふくらはぎにかけてスリットが入ることで持ち前の脚線美もいかんなく発揮できているはずだ。
自慢の長い金髪は高い位置で結い、なるべく動いても崩れないように固定してもらった。
コークスは私が指定した時間ピッタリに来たようで、使用人が呼びに来てくれた。
今まで公務だ当番だと言われ続けて蔑ろにされ続けていたため、時間通りに来てくれるというだけでありがたいという気持ちが沸いてしまう。我ながら驚きのチョロさだ。
王族専用通路を通り、控室にたどり着き中で待っているとノックがされてコークスが部屋の中へと入室した。
彼は濃紺の厚手で高級感のあるロングコートを纏い、飾鎖など精巧に付けられたピッタリとしたベスト、すらりとした足元は磨かれたオートクチュールの革靴が光っている。一応私の瞳に合わせて選んでくれたのであろうガーネット色のループタイも着けてくれているのを見ると、不思議と気分が上向くのを感じた。
「ジルコニア鄕。素晴らしい装いですね。一瞬見惚れてしまいました。それにタイの色も私の瞳の色に合わせて下さったのですね。気を使っていただきありがとうございます」
「……いえ、最低限の礼儀ですので」
最大限の笑顔と褒め言葉で出迎えたはずなのに何が気に食わないのか、コークスはいつもの嫌味を言うでもなく、すぐに私から視線を外してしまった。だが、ここで引くわけにいかない。彼がこんなに気遣ってくれたのに、肝心の私の装いに不作法があっては非常に困る。
「あの……、私のドレスや靴、小物に至るまで何か気にかかるところはございませんか? 何せここ二年ほど大規模な夜会に出ておりませんし、このドレスも去年購入したっきりで今回初めて袖を通すので、どうにも不安で」
「はっ? 貴女のその姿を、兄は一度も見たことがないのですか?」
「え……? はぁ、まぁ……そうなりますね」
俯き加減に骨張った大きな手で口元を隠していたが深いため息をついてこちらを見直す。
「……大変失礼しました。とてもよく似合っています。ガーネット姫の美しさを、ドレスがより引き立てていますね」
コークスからこんな素直な褒め言葉が出てくるとは思ってもいなかったので、一瞬口を開けてポカンとしてしまった。
「……兄と私は顔の作りも、全体的な色合いも似ているのでちょうど良かったです」
「あ、ありがとうございます」
ふとコークスの顔を見上げていると、認識阻害の眼鏡で顔に変化は見られないが、コークスの耳は明らかに赤くなっていた。
(──え? まさか、照れてる……?)
本人はそれに気づいていないのか、慣れている風にサッと腕を差し出してくれる。
着慣れないドレスで転ばないように、コークスの腕をありがたく借りる事にした。
先ほどの彼の思わぬギャップに対する困惑と、すぐそばにコークスの体温を感じて不覚にも私の心拍数が跳ね上がっていくのを感じる。
(……バカね。ときめいている場合じゃないっていうのに)
しかし、夢見がちな幼少期の自分の夢が叶ったような気がして、心が少し軽くなった気がした。
♦︎♦︎♦︎
今宵のダンスパーティは、父は会場を貸し出すのみで関与していないという。
ブルーレースは"宝石の国"と呼ばれるだけあり、ホール全体を照らすシャンデリアや調度品は見事なものだ。
巨大なシャンデリアの乱反射した光が熱気を帯びたホール内をさらに煌びやかに照らす。
通常のダンスパーティとは異なり、デビューしたての若い人達は少ない。
ここにいるほとんどが、すでに当主として爵位を叙爵しているか、王族と少なからず血縁関係がある高位貴族のどちらかで、比較的年齢層が高い。
ゆったりと音楽に乗りながらダンスに興じたり、商談を交わしていたり、時には道ならざる恋に身を投じたりしている。
私とコークスが会場に到着すると出席を管理している文官からホールに響くように高らかに名前が呼ばれた。その瞬間に、会場からの視線が一気に私達に降り注ぐ。
不躾に上から下まで値踏みするような視線は、決して気分のいいものではない。
しかし、私以上にこの視線に緊迫してる人がいた。
「……ジルコニア卿、大丈夫ですか?」
「な、何がですか? 特に問題ありません」
二人にしかわからない程度に声を落として、明らかに緊張してガチガチになっているコークスを見やった。
皆は認識阻害の眼鏡やコークスの堂々とした振る舞いに騙されてしまうのだろうが、至近距離で腕を借りている私からはコークスの動揺が痛いほど伝わってくる。
「少し震えているようですが」
「──、ッッ! そ、そんな事……」
「嘘です」
「……っ、貴女という人は……っ!」
きっと本当は顔を真っ赤にして怒っているところだろう。ここ三ヶ月でコークスの事を少しは理解してきている。
「必要以上に緊張する事はありませんよ。皆、“ワガママな私に付き合わされた哀れな婚約者の弟”として、貴方を見ているはずですので」
「……」
悪意を持たれていても、まぁ仕方ない。前世を思い出す前までは、確かに良い王女ではなかったから。
手始めに、このパーティの主催であるオブディシアン公爵夫妻の元へと挨拶に向かう。叔母はコークスと私を順番に下から上に舐め回すように見て、扇で口元を隠しながら「ごゆっくり」と声をかけてくれた。
最低限の挨拶を交わしていると、音楽がゆったりとしたダンスソングへと切り替わった。
「あら、曲調が変わりましたね。身分が高い者から踊らなければいけないので、最初の一曲だけは踊りましょう」
「……ダンスは、二年前に還俗した際に無理やり覚えさせられた初心者向けのステップしか知らず、姫様に恥をかかせるかもしれません」
(あら、意外とそういう事を気にするのね)
私は少しおかしくなって吹き出して笑うと、不快そうにコークスの眉根が寄った。
「ふふ……っ、笑ってごめんなさい。でも、きっと問題ありませんわ。私と卿が踊れば、ただそれだけでホールは華やぎますもの。誰もステップの事なんか見ていません」
私は渋るコークスの手を軽く引っ張っていき、無理やりホールの真ん中を陣取った。
曲が本格的に始まったと同時に皆も一斉に踊りだす。高位貴族のみが集うとあって、デザインも最先端で惜しげもなく宝石が散りばめられているドレスが四方八方にクルクルと回り、ホール中に華麗な花を咲かせる。
初めはぎこちない動きだったコークスも、慣れてくるとリードをきちんととってくれて格段に踊りやすくなった。
「ジルコニア卿、とってもお上手ですわ」
私は踊っているうちに本当に楽しくなっていた。そんな私を眩しそうな目でコークスは見つめている。
「貴女は、本当に変わったのかもしれませんね」
「……何かおっしゃいまして?」
思わず言ってしまったという言葉をわざわざ拾うのも野暮だと思い、わざと聞こえないふりをした。
「いえ……僭越ながら姫様にお願いがございます。ぜひ、今夜だけは、私を名前で呼んでいただければ嬉しいです」
想定外のコークスの提案に私は瞠目して彼を見上げた。私の事を揶揄っているのかとも思ったが、コークスは優しい瞳を私に向けていてなんだか気恥ずかしい。
「はい、もちろんです。コークス、と呼んでも?」
「──ッ! ……はい。では、私もガーネットと」
コークスの耳を興味本位でチラリと確認すれば、やはりほんのり赤付いていて、彼も照れながらも歩み寄ってきてくれていると感じた。
頑ななコークスの信頼を少しは勝ち取れたようで、私は嬉しくなって思わず微笑むと珍しくコークスも微笑み返してくれる。一方的なモノではなく、他人と心を通わせるというものは、私の思っていた以上に素晴らしいものだった。
このダンスが終われば、いよいよあそこへ向かう。
♦︎♦︎♦︎
ダンスを無事にやり終えて、会場はまだまだ盛り上がりをみせる中、私はコークスを連れ出して王族のみが通ることの許されている専用通路に辿り着いた。
「普段からこんなすんなりこの通路を通る事ができるのですか? セキュリティに問題があるのでは……本日は、王も王子もここにいるのでしょう?」
コークスがセキュリティ面に疑問を感じているのも無理はない。通路は父によりすでに人払いがされているようで、がらんとしている。普通ならあり得ない事だ。本来であれば、護衛騎士が各部屋の扉の前に立っており、こんなにすんなり入れるような場所ではない。
この通路を一番奥に進むと見えてくる一際豪奢な部屋が、この国のすべてを統べる王アレキサンドライト・ブルーレースの寝室兼執務室である。
私達は父の部屋よりひとつ手前の部屋、元々は私のお母様の部屋へとそっと忍び込んだ。
「暗いでしょうが、灯りはつけないでください。足元に気をつけて、こっちにいらっしゃって」
「ひ、姫様……ここは、寝室では? いくらなんでも未婚同士の私達がいるべき場では」
「シー……ッ!」
ごちゃごちゃとうるさいコークスの唇に、私は人差し指を当てて制した。
「ここは元々はお母様の寝室なのです。この部屋からお父様の寝室の様子が垣間見える一角がありますのよ」
お母様の使っていたベッドから真正面。
今は布が掛けられているが、それを退かせるとマジックミラーになっているらしく、明るい側からは丸見えだが暗いこちら側は一切見えないという不思議な仕様だ。
なぜこんなものが夫婦の寝室にあるのかは……生前のお母様とお父様との間にも複雑な大人の事情があったのだろう。
お母様亡き今は誰も使う人がいなかったので、普段は布で覆われている。
そして、ミラーに映し出されたお父様の寝室はとてつもない狂宴を映し出していた。
「な、なんですか……これは」
室内では屈強な男が交互に華奢な一人の身体を貪るように犯しており、果てても果てても獣のように腰を振り続けている様子が映し出されていた。よく見れば奥に数人座っているのが確認でき、ハーレム全員で致している真っ最中のようだ。
貫かれている受け……ことオパールの腕には『真ハーレムエンド』を迎えた者のみに与えられる【七石の腕輪】が光っている。
オパールは快楽に悶えて、はしたない喘ぎ声をあげ続けており、順番待ちをしている攻め達は、嫉妬の炎を燃やして互いを牽制しつつ、今にも涎を垂らしそうな勢いでオパールとその他の行為を見守っている。
目を凝らしてよく見れば、奥に座り瞳を輝かせているのが私の弟のデマントイド。可愛い顔をして『NTR(寝取られ)好き』要素もあるのか。率直に言ってちょっとキモい。
恍惚の表情でオパールに奉仕され、悦の表情に浸っているのが我が父アレキサンドライト王。
そして、オパールの後ろ側で獣のように動いているのが……王宮騎士団を若くして束ねており、そして王女である私ガーネット・ブルーレースの婚約者でもあるアダマス・ジルコニアだった。
「……これで、信じていただけまして?」
「──、そんな、そんな馬鹿な……っ!」
目の前で起こっている事がまるで信じられないとでも言うような様子のコークスは、目を逸らすことも出来ずにただただ目の前で起こっている異常な光景に目を奪われ続けているようだ。
ご丁寧に小さな音まで拾う仕様らしく、下品な音が鮮明に聞こえてきて臨場感が溢れる。
目よりも耳からの情報が脳をより侵略し、この地獄のような状況を叩き込んでくるのだ。
それにしても、間近で見ると迫力がすごい。
(……お父様も攻略対象だけあって年齢の割に見た目はいいし、これはこれで絵になるわね)
冷静に状況を見定めている私とは対照的に、追い詰められているコークスの様子を見て私は口の端を上げた。
「残念ですが、これが真実です。理解出来たのであればどうか私に協力し」
「……ゥ、ッッ! す、すみません、ちょっ、……吐き気が……っ、……うェぷっ」
(えっ、ええええええーーーっ!!!)
片手で口を押さえて今にも吐き出しそうなコークスを見て、私は驚愕し狼狽える。
(コークスにはちょっと刺激が強過ぎたかしら……)
私はその辺にあった大きめのカップをひっ掴みコークスへと手渡した。足早にその場を去り、果実水のある私の部屋へと向かう。緊急事態にも関わらず、遠慮をしてなかなか入ろうとしないコークスを無理やり押し込み扉を閉めた。
「お口の中、気持ち悪いでしょう? これでうがいをしてくださいね。すみません、何も告げずにあんなものを見せてしまって……配慮が足りていませんでした」
コークスをベッドに座らせて常備している果実水を渡し、彼の背中をゆっくりとさすると、だんだんと緊張がほぐれてきたようだ。
「いえ、幼少の時より教会で俗世を離れて生活していたので、恥ずかしながら耐性がなく、とんだ失態を……。それにしても、まさか兄が婚約者がいながら同性愛に目覚めていたとは」
いつもの勢いもなくすっかり打ちひしがれてしまっているコークスを見て、私は真剣に聞いてもらえるチャンスだと思った。
「アダマス様に過失はないと、そうハッキリ断言されていましたものね」
「私は、私は……貴女になんとお詫びをすればいいのか」
ここがゲームの世界というのは伏せて、これから起こりうる未来の事をコークスに話して伝えた。
「──……というわけで、ぜひ有能なコークスに協力をしていただきたくて」
意外にも口を挟む事をなく静かに私の話を聞いていたコークスは、すべて話し終わった後にゆっくりと口を開いた。
「……世界有数の宝石産出国であるこの国では、古くから"我が子に宝石の名を授けると神からの祝福が得られる"という言い伝えがあるのを、ガーネットはご存知ですか」
突然投げかけられたコークスの疑問に、一瞬何のことかわからず言葉を詰まらせた。
「え……? あ、はい、存じ上げておりますが」
「私は、実家である公爵家から"双子の兄であるアダマス《ダイヤモンド》の影として生きよ"と言われ続けて育ちました。そのため、私の名前はコークス《石炭》という名前なのです。ジルコニア家に少しでも認められたくて、自分の有用性を示すためならばなんでもやってきました」
だから、コークスは仕事の範囲をかなり超えた仕事量をこなしていたのか……と、腑に落ちた。自らの健康を捨ててまで認められたいと願うコークスの真摯な思いに、私は胸が打たれた。
「ガーネットが私にどんな働きを期待しているか知りませんが、買い被り過ぎていると思います」
そう言ったコークスは、少しずつ過去の事を私に話してくれた。
ジルコニア公爵家の次期当主として大事にされてきたアダマスとは異なり、視力のせいで騎士として身を立てられないコークスに対して"欠陥品"と呼び、誰も味方になってくれる人がいなかった事。
幼い自分を教会へ置いて行こうとする母親の手に縋ると、力強く振り解かれた事。
コークスがひっそりと孤独に成人を迎えたのに対して、アダマスの成人はジルコニア公爵家と王家合同で盛大に執り行われ、その時に打ち上がった花火を教会の窓から一人で眺めていた事。
そして、ようやく俗世を捨てて教会での出世の道を司祭から提案され前向きに人生を歩もうと決めた矢先に、実家に無理やり呼び戻され、アダマスの身の回りの世話から領地経営、兄が所属している騎士団の経理にいたる雑用の全てを押し付けられた事などを訥々と話した。
「私は自分でも呆れるほど狭量で浅ましく、なんの価値もない人間です」
コークスの拳は、白くなるほどに強く握られている。私は美しいコークスの手に爪が食い込み痛めてしまうと思い、彼の手の上にそっと自分の手を重ねた。
「価値がないなど……そんな事はまったくありません。石炭は非常に役にたつ化石燃料ですし」
私は口に出してから「はっ、伝えたい事はコレじゃない」と思い、もっと気の利いた言葉を慌てて探す。
「あのっ、石炭とダイヤモンドは元素が同じというのはご存知?」
「……は?」
「石炭というのが気になるのなら、私という圧力をかけてコークスをアダマスよりも輝く一級品のダイヤモンドにして差し上げます。だから、この手を取って。私と共により良い未来を模索しましょう」
私の一世一代の殺し文句はコークスには覿面に効いたようで、彼は涙を流しながら声を殺して咽び泣き、その後、私に忠誠を誓ってくれたのだった。
♦︎♦︎♦︎
この出来事の後の、コークスの働きは凄まじかった。
まずは民意を動かし、父王アレキサンドライトを年齢を理由に王座から引き摺り下ろし、弟であるデマントイドを隣国へ留学させた。賢王としての市井からの支持は、やはり元々はコークスが煽動していたものらしく、父は教会からの圧力もあり退位を表明せざるを得なくなった。
騎士団を率いていたアダマスは、父の隠居先へ護衛騎士として付き添う事が王命として正式に下ったことで私との婚約も穏便に解消となり、オパールとその他のハーレム要員を引き連れて田舎の領地へ引っ込む事になったという。
いったい何をどう説得をしたらそうなるのか。
(コークスに聞いても、にこやかにはぐらかされるし……こわっ)
結局、この国に残った正統な王族は私一人となった。
教会主催の慈善事業などに積極的に関わった事で、私に関する醜聞はここ一年で完全に消え去っており、私が戴冠することに反対する者はほとんどいなくなっていた。
唯一、反対していた叔母であるオブシディアン公爵夫人も"コークスを養子にして、王配をオブシディアン公爵家から輩出する"という政治的な背景を条件に、私の強力な支持母体として後ろ盾になってくれる事になった。
対して、ジルコニア公爵家はアダマスが事実上の左遷となったことで筆頭から外れ、しばらくは表舞台から去る事になったのだ。
「いくらなんでもトントン拍子が過ぎるような……」
「物事がうまく進む時はその道が合っている証拠だ、と貴女もそう言っていたではありませんか」
「そ、それは……そうですけど。何もデマントイドを追い出して私を即位させなくても、弟に王位を譲って私は穏便に国外へ逃していただいても良かったのに……」
なんだか腑に落ちずモヤモヤと考えている私の首筋を、コークスがわざと音を立てて口付けをし、所有の印を落としていく。
ここ一年の間、一番変わったのは私とコークスの関係だ。夜会の時は必ずエスコート役として私にピッタリと寄り添い、私にすり寄ろうとする他の男を牽制し、必要とあらば矢面にも立って蹴散らしてくれた。
私が視線を向ければ愛情のこもった眼差しを返してくれて、どんな美しい貴族令嬢が寄ってきても私への好意を隠しもしなかった。
コークスが抱え込んでいた仕事量を他の者へと分散して減らさせ、時にコークスに叱責されながらも私も日中に彼と共に国務をこなしている。
そして、何より。
私達は夜も共に過ごすようになっていた。その間、ギリギリ純潔は守っていたものの、本日めでたく初夜を迎える事になったのだ。
「私を置いて、他国へ渡るつもりですか? ひどい人だ。そんな冷たい事を言わないでください。あの日、私のすべてを貴女に捧げると決めたのですから」
首筋を喰むようなキスをした後、コークスは大きな掌で私の頬を包み深い口付けをしていく。
「キスだけで、そんなはしたない顔をして……他の男に決してその姿を見せないでくださいね。もし貴女のそんな姿を見た者がいたとしたら、私はそいつに何をするかわからないので」
深いキスに息も絶え絶えな私は肩で息をしつつ、嫉妬を滲ませたコークスを見上げた。
月明かりに照らされ唇をペロリ舐め取っているコークスは、私を見下ろして妖しく微笑む。
そのあまりの色香にあてられクラクラとしてしまうが、私も彼に伝えておかなければならない事があり、コークスの澄み切った青い瞳をまっすぐ見つめた。
「コークスも、私以外とこういう事をしたらダメですよ? この一年で貴方に身体をいじくりまわされて熱を持て余してるんですから、ちゃんと責任をとって貰わないと……ンンッッ?!」
少しむくれながら愚痴を溢したのに、急にコークスが再び深い口付けをしてきた。
「ガーネットからそんな事を言ってもらえるなんて……貴女の火照った身体を持て余させるような事は、決してさせませんから安心してください」
「あっ、え……? そ、そんなつもりで言ったわけでは……」
「あー、すみません。もう我慢できません。早く、貴女を私のものにしたい」
熱に浮かされたような顔をしたコークスに押し倒され、行為を終えた頃にはもう明け方になっていた。
♦︎♦︎♦︎
深い眠りに落ちたガーネットのウェーブがかった豊かな髪を梳きながら、コークスは自分の人生を振り返っていた。
幼い時は見た目のほとんど変わらないアダマスと自分に、どうしてこんなに差があるのかわからなかった。自分には無いものがアダマスには備わっていると信じる事で精神を支えていた時もある。
成人してもお祝いの電報ひとつなく、その頃は完全に実家から見放されていた。このまま聖職者の道を歩むのも悪くないと考えた矢先に、幼少期からお世話になってきた司祭に「そろそろ上を目指す気はないか」と声をかけてもらえたのだ。
育ての親同然である司祭はコークスの扱いに常に心を痛めており、コークスはこれでようやく恩返しができると胸が軽くなったのを覚えている。
自分で自分の道を初めて決めた次の日。コークスはずっと疎遠だったジルコニア家に呼び出され、無理やり還俗させられたのだ。
今思えば、親と離れ教会にいた時の方が心の平穏は保たれていたように思う。そもそも、親も比べられる対象であるアダマスもそばにいないのだから当然だった。
いざ、アダマスのそばにつくようになると扱いの違いをより顕著に感じるようになりその事実はコークスの精神を確実に蝕んでいった。
兄の補佐として初めはジルコニア公爵家の領地管理や公務をこなし、さらに騎士団の経理も兼任する事になっていった。果ては王族の雑用まで務めることになり、兄の婚約者であるガーネットの教育係まで押し付けられたのがおよそ半年ほど前の話しだ。
コークスはガーネットが苦手だった。
彼女の事を嫌っていたわけではない。嫌いと思えるほどにコークスは彼女の事を知らなかった。
ただ、遠巻きに見てもわかるほど一途にアダマスに対してその愛情が注がれている事だけはわかった。
ガーネットの空回りしている行為ひとつひとつが、まるで"家族に愛されたい"と願い、許容範囲を超えた仕事を受け入れる事で誰かに必要とされたがっている浅ましい自分を投影して、共感性羞恥により見ていられなかった。
"お前は、我が家の宝であるアダマスの事だけを常に考えろ。出来損ないの貴様が余計な野心を持った瞬間にこの剣で貫いてやる"
還俗してから父や母から毎日のようにこう言われ続け、早朝から深夜まで兄の補佐役となるべくすべてを叩き込まれた。
出来なければ平気で鞭が飛んできて、脳みそが揺れるほどに殴られた事も何度もあった。
元々双子は忌み子で不吉とされていた歴史もあり、母親の妊娠中に罹患した病の影響で視力が落ちた事がコークスとアダマスの明暗の差と知った時は、絶望を通り越して声を出して笑ってしまった。
それでもコークスは、アダマスを兄として同じ男として尊敬していた。
アダマスは、高位貴族ゆえか他人が自分のために動く事が当たり前という環境で生まれ育った人間であり、どんなに尽くしても別に感謝をしてもらえるわけでもなかったが、そんな事は関係なかった。
コークスは段々と自分の存在意義は、アダマスの役に立っているかどうかで判断するようになっていた。
ガーネットの態度が急に変わったのは、ちょうどそんな時だった。
いつもアダマスに対して燃えていた愛の炎はすっかり消え、冷静に判断する為政者の片鱗を見せるようになった。ガーネットの突然の変化についていけず、彼女にひどい言葉を投げてしまった事は、今後コークスの生涯をかけて償っていくつもりである。
あのダンスパーティの後にアレキサンドライト王の寝室で見た悍ましい光景は、幼いコークスが昔、教会裏の森で見た蛇の交尾を思い出させた。
何人もの男達の太い腕や足を絡め合うその様子は、まるで互いを絞め殺そうとばかりに絡み合いうねうねと脈動し蠢く、あの時見た蛇の交接を彷彿させ、一気に吐き気を催したのだ。
コークスは一年前の恥ずかしい場面を思い出してしまい、こんこんと眠り続けるガーネットへと再び視線を落とした。
彼女の金髪をわけると華奢な肩が現れ、あまりの愛おしさにそっと指で撫ぜた。首筋に再び唇を這わせれば、ガーネットから可愛らしい吐息が漏れる。
今、この瞬間を手に入れたとあれば、家族から蔑ろにされてきた過去も、教会に身を捧げる事が叶わなかった事も、唯一の兄に認められる事がなかった事も、全てがもうどうでもよかった。
「……愛しています、ガーネット。私は、永遠に貴女の側に」
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