第二章 破滅の序曲 3
「え? 私に……ですか?」
蜂蜜色の漆喰で造られた、グラースヘルト転移方陣所。その部屋の壁に設置された電話で突然伝えられた、思いもよらない言葉にサラは困惑する。
『えぇ、そうです。貴女に──、特務室ナンバー8の【力】に、任せたい緊急任務があって連絡しました』
「えっと……、その。私、まだ任務馴致期間は終わっていませんよ……?」
何かの間違いじゃないのだろうか。そう思い、サラは戸惑いつつも己の現状をティナに伝える。
緊急任務──特務室に委任される任務のうち、国防長官命令に次いで二番目に優先される任務のことだ。
だが、そういった任務を馴致期間中の隊員に与えることは軍規で禁止されている。ティナがそのことを知らない筈がないだろうし、かといって、軍規違反を犯してまでサラに任務を振るというのも考えにくい。……要するに、サラはこの指令の意図がさっぱり分からなかった。
『それは重々承知の上です。総本部からの許可は頂いていますので、問題はありません』
きっぱりと、いつもの澄んで凛とした声でティナは言い切る。
どうやら、サラに任務を与えるというのは何かの間違いではなかったらしい。
「……任務内容はどのようなものなのでしょうか?」
『グラースヘルト南部の調査──です。すぐに行動出来るのが、今は私と貴女しか居なくて』
「…………えっと、それは特務室がやるべき案件なのでしょうか……?」
告げられた任務の内容に、サラは首を傾げた。
グラースヘルト南部は人の居住地域だ。調査など、するまでもなく安全は確保されている。
それに、その程度の司令ならばわざわざ特務室に頼らずとも、駐屯している陸軍や近隣の空軍基地に──というか、地域の官公庁にでも要請すれば済む案件なのではないだろうか。
『私も当初はそう思ったのですが、そうもいかない訳がありまして』
「まぁ、それはそうなんでしょうけど……。どのような事情が?」
目を瞬かせて、サラは訊ねる。
『当該地域は現在、官公庁等を含めて一切の通信が途絶していまして。それに、駐屯軍の第六二連隊とも、十二時の定時連絡を最後に通信が途絶した……と』
「え、それってまさか……」
『はい。貴女の想像通り、総本部は巨人災害の可能性があるとみています。……それと、これは私見ですが、被害範囲の広さから推測するに、巨人が複数体発生している可能性が否定出来ません』
いつもの報告や任務同行の通知の際の通話とは違う、緊迫感のある声でティナは言う。だが、その雰囲気にサラはいっそう困惑した。
「……それならば、私よりも室長が行った方が良いのではないでしょうか?」
相手が巨人──、それも、複数体も居ると考えているのならば。まだ、正規隊員になっていないサラが行くよりもティナが行った方が安全だろうし、効率がいい。
『そうですね。本当ならば貴女の言う通り私が行くべきなのでしょうが……、私は巨人との相性が悪くて。撃破するに至らないんです』
「……? それはどういう事ですか……?」
疑問に思うサラに、ティナは努めて明るい声で答えた。
『あれ、言ってませんでしたっけ? 私、戦闘魔術は炎熱しか使えないんですよ』
「──まぁ、炎熱魔術しか使ってるの見た事なかったけどさ」
調査対象の都市の一つ、エーレンガムへの道中──新緑の小麦畑と雲一つない碧空を、サラは【ラピドゥス・ヴェント】で駆け抜けながら呟く。
──私、戦闘魔術は炎熱しか使えないんですよ。
いつもより少し明るい声で。けれど、どこか自嘲を含んだ口調で。ティナは自分が巨人災害の討伐に行けない理由を、冗談めかして打ち明けた。
王国で出現する巨人──“ムスペル”は、その全身が超高熱の炎で出来ている。その為、炎熱魔術の攻撃は一切が通用しない。……つまり、炎熱魔術しか使えないティナでは、彼らを撃破する事はどう足掻いても不可能なのだ。
兵科学校生時代から、戦闘演習で使用する魔術攻撃は炎ばかりだなぁと思ってはいたのだが……。まさか、それ以外が使えなかっただけだったとは。今まで気づきもしなかった彼女の欠点に、こればかりは付き合いの長いサラも驚くしかない。
世の中分からないものだなぁ、とぼんやり思いながら空を疾走している時だった。
視界の先に、小さな村が見えて来た。
「……あそこがエーレンガムか」
エーレンガム──グラースヘルト南部にある農村都市で、今回の調査対象に指定された都市の一つだ。
一見した感じ異常は無さそうだが、油断はできない。見た目は魔術でいくらでも誤魔化せるし、いつ巨人が発生するのかも分からないのだ。警戒しつつ、とりあえず村の外れに降り立った。
「……やるぞ、私」
初めての単独任務に慄く己の心を叱咤して、サラは村の調査を始めるのだった。
✝︎
ヴァラースキャルヴに到着すると、シルーヴは閑静な大通りを通り抜けて王国国防軍の総本部へと到着する。
「……相変わらずでけぇな」
思わず、シルーヴは呟いた。
景観保護条例で高層建築が規制されているため、総本部も建物の高さ自体はさして高くない。だが、条例ギリギリまで高く建てられた、白い大理石の建築物が立ち並ぶ姿は荘厳だ。
門をくぐって正面──青白赤の三色旗と、陸・海・空の軍旗がはためく国防軍総本部のその本庁舎へと、シルーヴは歩みを進める。
静かなことも相まって、足を進める度に緊張は大きくなっていく。脈打つ鼓動が早くなって、冷静な思考は更に遠ざかる。
本庁舎の扉の前まで辿り着いてから、一度大きく息を吸って、吐いた。
──何もやましい事はしていないんだ。堂々としてればいい。
そう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。意を決して、シルーヴは扉を開けた。
✝︎
「──エーレンガムは異常無し、と」
手元のメモ帳にそう書き終えて、サラはふぅと一息をつく。
……案外、拍子抜けだった。
緊急任務ということもあって、多少身構えてはいたのだが……。結局、巨人の目撃情報どころか、近辺で何かが起きたという情報すら得られなかった。
慢心は駄目だと頭では理解しているのだが、ここまで何も無いと流石に少し気が緩む。
「……とりあえず次行くか」
調査対象都市はまだ他にも沢山ある。気を引き締め直して、村の外れへと足を進めた。
周りに人が居ないのを確認してから、【ラピドゥス・ヴェント】を起動。次の調査対象都市──第六二連隊の駐屯地があるエレンカスターへと、サラは発生させた強風に乗って空を疾走する。
──何かがおかしい。
エレンカスターの街を視認して最初に感じたのは、形容し難い強烈な違和感だった。
何がおかしいのか、何故そう感じるのか。強烈な違和感の正体はサラにも分からない。少なくとも、彼女の視界に不審なものは映っていない。
ただ、彼女の人間としての本能が、この街は危険だと。近付かない方が良いと、必死に訴え続けているのだ。
しかし、そんな事で任務を中断する訳にもいかない。身体の奥底から発せられる警告を全力で無視して、サラはエレンカスターへと疾走する。
そして、街の様子を視認した時に、サラはその違和感の正体と警告の意味を理解した。
──その街に、人は居なかった。
いや、確かに“人”は居た。だが、その人達は一人として生きては居なかった。大人も、子供も、老人も、犬猫の家畜でさえも、全て。街で生きていたであろう生物達は、何らかの魔術的な傷を遺して死んでいた。
「な………に……、これ…………?」
余りにも凄惨な大量殺人の現場に、サラは絶句する。どこに目線を向けても、あるのは死と魔術の残痕。動くものは屍骸を啄む黒いカラスと、それに群がる大量の蝿だけ。
「だ、誰か……! 生存者はッ──!?」
震えた声で、サラは呻く。いったい、この街で何が。
中央道路から人が入らなさそうな路地裏まで。動揺する心を理性で必死に抑えつけて、サラは生存者を探してエレンカスターの街を縦横無尽に駆け回る。
だが、いくら探しても生存者は一人として見つからない。それどころか、生きている生物すら見つからないのだ。
どれだけ捜索をしても、見つかるのは魔術によって殺害された人間の屍と家畜の死骸。そして、一方的に発動されたと思われる魔術の跡。
「…………ちっ!」
──いったい、どうなってるんだ。
余りにも手の込んだ大量殺人事件に、サラは舌打ちをして歯噛みする。
巨人災害ならば、街ごと燃やし尽くされて骨すら残らない。酷い場合は街そのものが消滅する事もあるぐらいなのだ。街の状態から見ても、エレンカスターが巨人災害に遭った可能性は低いだろう。
こんなにも丁寧に、家畜の一匹すら残さずに。一人一匹の生き残りすらいない事から推測するに、これは多分、人為的なものだ。
だが……、何故?
どれだけ考えを巡らせても、この大量殺戮の意図が全く分からない。ただ単に大量殺人をするのならば、街ごと消し飛ばす方が効率が良い。それなら、巨人災害に偽装する事も出来るだろうし。少なくとも、こんな手間のかかる方法で実行するメリットが見当たらないのだ。……それに。
「──駐屯軍はいったい何を?」
この街、エレンカスターの郊外には第六二連隊の駐屯基地が置かれている。近隣都市の大事件だ、第六二連隊が出動しないはずがない。……のだが。
発見される死体はどれも民間人や警官ばかりで。軍人の遺体は未だに一人として発見できていない。まさか、損害ゼロで撤退したという訳でもないだろうし……、謎は益々深まるばかりだ。
「………………はぁ」
途方に暮れて、サラは眉間に手を当てて大きなため息をついた。
犯人も不明、犯行動機も不明。かといって、他に情報も見つからない。その上、軍が出動した痕跡すらないときた。正直、サラにはお手上げだ。
鼻を劈く死臭と鉄錆に似た血の臭いも相まって、頭がくらくらしてくる。道路に転がっていた人の死体に、足を引っ掛けた。
足元に目を向けると、その死体に小さな徽章が着いているのが目についた。
一瞬王国軍人かと思ったが、その死体は軍服を着ていない。パッと見た感じ片翼と剣──王国軍の徽章でもないし、これはいったい何の徽章なんだろうか?
屈んでその徽章を確認して、サラは驚愕に目を剥いた。
「こ、これはッ……──!?」
漆黒の剣と炎の紅剣が交差する双剣の模様。それは、二年前の作戦を最後にパタリと見かけなくなった、ある組織のシンボルマーク。
忘れもしない。サラの父を殺し、ティナを絶望の淵に陥れ、シルーヴの記憶を奪った、あの忌まわしき最悪の組織。二年前に王国が総力を挙げて壊滅させたはずの──〈信仰委員会〉のものだ。
思わず、ぎりと歯ぎしりする。
「〈 信仰委員会〉。まだ存在してやがったのね」