第二章 破滅の序曲 2
「……あ」
シルーヴが転移方陣の中に入るのを見送った後で。サラは、彼に伝える用事があることを思い出した。
「何やってんですか、ヴェルダンディ少佐」
苦笑しながら向かって来るのは、サラと同じ濃紺の軍服を着た中年の男性。この転移方陣所の副守衛長──ハワード・テイラー大尉だ。
「いやー、完全に忘れてたわね。ごめん!」
「ちゃんと誘ってくれねぇと困りますよほんと。あんなの、見てるこっちは全く面白くねぇんですから」
「……それについては私も同感だけど」
いつか見た光景を思い出して、苦笑しながらサラは彼の言葉に同調する。
ティナとシルーヴ──あの二人は、傍から見ても分かる程には互いに想いを寄せ合っている。所謂、両思いというやつだ。
しかし、五年もの年月を共に重ねた二人は、その気持ちをあろう事か自覚していない。そのせいで、サラを含むこの転移方陣所の隊員達は、事あるごとに二人の馬鹿ップルぶりを見せつけられているのだ。
だから、それを自覚させようというのが、この転移方陣所の中で最近出来た目標である。
「あと何年、俺達はあの二人の無自覚イチャラブを見せつけられるんですか」
「わ、私に言われてもねぇ……」
いつの間にか休憩に来ていた守衛達の一人が、不満げに声を漏らす。そして、その言葉を皮切りに。二人に対する不満があちこちで爆発した。
「俺はあの可愛い室長ちゃんの初心なところが見てぇんですよ! 今のままじゃ一生見れないじゃないですか!」
「あのぶっきらぼうなシルーヴのやつが赤面してるだけでも面白いんですよ!? ほんとに頼みますよ守衛長!」
「そうだそうだ!」
居合わせた隊員達の各々が、声を大にしてそんな不満を次々と爆発させていく。一気にその場が騒がしくなる。
「うるさーい! あんた達の気持ちはよーく分かってるから! 次帰って来た時にはちゃんと誘うから!」
「そう言って昨日の夜も失敗してたじゃないですか!」
「疲れきってる相手なんて誘える訳ないでしょ!?」
「いやでも、ほんとに頼みますよ? 副国防長官にも口を効いてもらって、何とか二人の休暇も合わせたんですから」
「……え? 副長官も?」
テイラーの言葉に、思わず目を瞬かせた。大騒ぎしていたその場が、一気に静まり返る。
「そうですよ。この作戦は、副国防長官のエクリプス卿にも協力を得てますので」
「え、えぇ……?」
サラは、空いた口が塞がらなかった。なにしてるんだ、あの人は。守衛隊の隊員達だけならまだしも、まさか副国防長官までもがこの二人くっつけ作戦に加担していたとは。
「そ、そろそろ休憩時間も終わるし、仕事に戻るかー!」
困惑の中、わざとらしく声を張って沈黙を破った一人の隊員が。逃げるようにして部屋を出ていった。そして、それを合図にして。他の隊員も、足早に部屋を出ていくのだった。
「なんでエクリプス卿まで……?」
隊員達が居なくなった後で。サラは一人小首を傾げて呟いた。
ただでさえ人手不足の特務室だ、休暇を取ることすら難しいのに。なのに、その時期を合わせるだなんて。今の保護者は彼とはいえ、そこまでする理由が分からない。
「少しでも幸せになって欲しいから、じゃないですか?」
いつの間にか隣に居たテイラーは、ティナへ目線を向けて言った。
「……? それはどういう……?」
「昔から苦労してきた子供に好きな人が出来たんです、応援しない親はいませんよ」
「…………なるほど、確かにそうかも」
幼少期に肉親を亡くして、唯一残った最愛の姉さえも目の前で失って。そんな子がようやく掴みかけた幸福だ。友人の自分ですら応援するのだから、親が応援しないはずがない。
たとえそれが血の繋がっていない、義理の親子だったとしてもだ。
「まぁ、その相手が同じ自分の引き取った子供ってのは複雑な気持ちでしょうが」
「あー……、」
そういえばそうだった。
苦笑するテイラーに、サラは副国防長官の気持ちが思いやられて苦笑いするのだった。
✝︎
転移方陣の中に入ると、シルーヴの視界は一気に暗くなる。そして、目が慣れてから見えて来るのは、いつも通り宇宙に酷似した絶景だ。
どこを見ても、視界に入るのは果てしなく続く漆黒の闇と、遠い彼方で煌めく無数の星辰。
“星の回廊”と呼ばれるこの中継空間が、何故このような光景なのかは全く分かっていない。一説によると、別次元の空間を経由しているからとも。
そんな絶景の中を、シルーヴは一直線に歩き進む。カツ、カツ、カツ……と、見えない床を歩く軍靴の音と、シルーヴの呼吸音だけが、無音の空間に鳴り響く。
数十メートルほど歩くと、突如、視界が白く染まった。
視界が回復するのを待って、反射的に閉じていた目をゆっくりと開ける。──最初に見えたのは、白い大理石の壁だった。
✝︎
「グラースヘルト南部の緊急調査任務……、ですか?」
電話をかけてきたオスカーからの突然の任務依頼に、ティナは戸惑っていた。
『今日十二時の定時連絡を最後に、第六二連隊との通信が途絶えていてね。連隊長のデュランダルとも連絡がつかんのだよ。だから、その原因を特務室に調査してきて欲しいんだ』
「……、それなら、わざわざ特務室に頼らずとも、第二七師団や近くの空軍基地に要請すれば良いのではないでしょうか? それこそ、南部の官公庁にでも問い合わせれば済む問題かと思われますが……」
首を傾げて、ティナは言う。特務室は巨人災害の討伐や、正規軍人では対処しきれない危険地域の探索など、非常に高度な魔術戦闘能力を必要とする任務を主としている。
しかし、今、オスカーから言い渡された緊急任務の範囲は、人が居住していて安全が確保されている地域だ。高度な魔術戦闘が起きるとは考えにくい。その上、調査範囲も広大であり、人手不足で苦しむ特務室がやるべき任務だとは到底思えなかった。
そんなティナの反応に、オスカーはやはりそういう反応になるかと苦笑する。
『まぁ、総本部としてもそうしたかったんだけどな。なにせ、南部全域との通信が一切通じなくなっていてね。事の大きさを鑑みて、ティ……【審判】、君達特務室にこの仕事を任せる事になったんだよ』
「……調査任務とは名ばかりの、巨人災害討伐任務という事ですか」
巨人災害──神性動物の一種、巨人が人間の居住地域に発生し、破壊の限りを尽くす──一連の行動を指す言葉だ。
一般軍人クラスの魔術や、銃火器等の近代兵器では、巨人に対しては全くの無力だ。その為、正規軍が対応に当たることは固く禁止されている。
『理解が早くて助かるよ。まぁ、いかんせん情報が無くてな。断定が出来ない以上、書類上は調査任務だ』
「そういう事ですか……。しかし、それはそうとして誰を行かせましょうか? 私は役職柄行けませんし、そもそも相性が悪すぎて行ったところで撃破ができません。かといって、現在手が空いている隊員は居ませんし……」
どうしたものか。顎に手を当てて思考を巡らせていると、ふと、あることが脳裏に浮かんだ。
「……ナンバー8の【力】──サラ・ヴェルダンディ特務少佐を向かわせるのはいかがでしょうか?」
『【力】を? 彼女はまだ任務馴致期間じゃなかったか?』
ティナの言葉に、オスカーは疑問を呈する。
特務室の隊員がいくら優秀とはいえ、新兵を単独で特務室向けの任務に赴かせるのはリスクが大きい。
その為、王国国防軍特別任務室規則では、着任してからの二年を任務馴致期間──転移方陣所の守衛長を務めながら、室長に指定された任務に同行して戦闘経験を積む──ということが定められている。
「馴致期間とはいえ、彼女は今月で満了です。それに、現在手が空いている隊員は彼女しか居ません。私が巨人とは相性が悪い以上、【力】に行って貰うのが最適かと」
『……、確かに、一理ある。……が、やはり、馴致期間を完了していない隊員を使うのは危険だ。私は賛成出来ないな』
「ですが、即座に行動出来て、尚且つ巨人災害の撃破を行えるのは彼女しかいません。……どうか、よろしくお願いします」
精一杯の真摯と誠実を込めて、ティナは言った。
返すオスカーは──、無言。そして、暫くの間逡巡してから、ようやく重い口を開いた。
『……わかった。お前の言う事を信用する。手続きはこちらで何とかしておくから、安心しろ』
「──! よ、よろしくお願いします……!」
思わず、その場で低頭した。被る制帽が滑り落ちそうになって、慌てて頭を上げる。
『それで、他に何か質問などは?』
「あ、あります。一つだけお聞きしたいことが」
話が一段落したところで、ティナは最初からずっと気になっていた事を訊ねてみることにした。
『ん? なんだ?』
「何故、副国防長官が電話を? 緊急任務の指令は、いつも国防長官から直々に電話がかかって来るのですが……」
そもそも、緊急任務の指令権限は国防長官しか有していないのだ。オスカーが指令したところで、何の強制力もないはず。
『あー、えーと……。それはだな…………』
「……オスカー小父さま?」
露骨に言葉を詰まらせるオスカーの声に、これは多分、碌な理由じゃないなとティナは予感した。
『……、これは内密にしていて欲しいんだが……。実は最近、国防長官の仕事は全て私が請け負っていてね。私が緊急任務の指令電話をかけたのもその為だ』
「え、ちょっと待ってください。それって、軍規違反ですよね……?」
まさか、国防軍の2トップが揃いも揃って軍規違反を……? 突然の暴露に、ティナは理解が追いつかずに戸惑う。
『いやまぁ、それはそうなんだが。何しろ、デューハーストは国務長官も兼任しているからな。この時期は国防軍の業務まで手が回らないんだよ』
「え、いや、ですが……!」
『軍規に縛られた結果、業務が滞ってしまっては本末転倒だ。……だから、他言はしないように頼むぞ?』
オスカーの言葉に、ティナは目眩のような感覚を覚える。はぁ、と思わず大きなため息をついた。
「……分かりました。他言は致しません。……では、お小言ついでにもう一つ、宜しいでしょうか」
『構わないが……なんだ?』
「私のTACネーム、いい加減覚えてくれませんか?」
少し怒気を込めて、言った。
シルーヴの【死神】やティナの【審判】など、特務室の隊員にはTACネームと呼ばれる戦略上の識別名が与えられている。これは、絶対王政時代の伝統を引き継いだものではあるが、防諜にも一定の効果があるとして、特務室の隊員は本名や階級名ではなく、このTACネームで呼ぶことが軍規で定められている。……のだが。
「私が特務室に入隊してから、もう三年近く経ってるんですよ? 前回の定例会議の時もそうでしたけど、いったいいつになったら覚えてくれるんですか?」
あくまでも冷静に、ティナは淡々と問い詰める。
『ぜ、善処するよ…………』
あ、上手く躱された。
副国防長官という高職の人とは思えない、何とも情けない様子に、ティナはため息をつく。
「はぁ……、私からはこれで以上です。小父さまからは何かありますか?」
『……では、私からも一言いいか?』
「構いませんよ。なんでしょうか?」
『ティナ、』
「え? はい」
先程までとは打って変わって、真剣な声色にティナは戸惑う。
『辛いのなら、ちゃんと“辛い”と言うんだぞ』
──また、これか。
ティナは目を細めて、いつもと変わらない口調で返した。
「……何度も言っていますが、そのような心配は必要ありません。私はあのような讒謗や嘲罵は気にしていませんし、そもそも、憐憫を受けるような立場でもありませんので」
無駄な心配をするオスカーに、ティナはきっぱりと言い切る。この職に就いてからもう二年、言われ続けて来た言葉だ。今更、気にもならない。
……それに、私が姉さんに劣っているのは紛れもない事実だ。それは、私自身が誰よりも分かっている。自覚している事を言われて心が折れるほど、ティナは弱くない。
『…………そうか。そうだよな、すまなかった。つい、杞憂が出てしまったようだ』
笑って、オスカーは言う。その声色は、どこか複雑な感情が入り交じっているように思えた。
『では、調査任務は頼んだぞ、【審判】』
「はい。任せて下さい」
『──はい、任せて下さい』
ティナの応答を確認してから、オスカーは静かに受話器を置く。
「はぁ…………」
座席に背をもたれさせて、オスカーは大きなため息をついた。
──本当に、この子はどうして。
彼女はまだ十六の子供だ。辛いなら泣いても良いし、大人に頼れば良いのだ。そんな重荷を一人で抱え込む必要などないのに。
──辛いなら、辞退してもいいんだぞ?
二年前、オスカーはティナに対してそう言った。
最愛の姉を目の前で失った直後の、それもたった十四の少女には、特務室室長なんて役職は重すぎると思ったから。
だが、彼女が選択したのは、姉の跡を継ぐことだった。
──心配は要りません。姉の跡を継がせて頂くことが出来て、とても光栄です。
と、泣き腫らした目とぎこちない笑顔で返されたのを、オスカーは今でも鮮明に覚えている。
心配は要らない、と。大丈夫だ、と。二年前のその日から、彼女はどんな罵言や嘲弄を受けても決まってそう言うのだ。いつもと変わらない、澄んで凛とした声で。
「……何が心配は要らない、だ」
自分以外は誰も居ない執務室で、オスカーはぽりつと呟く。
そんな嘘、私が見抜けない訳がないだろう。
「あんなにも声が震えていて、何が心配は必要ない、だ」