第1章 王国国防軍に異常なし 1
雲一つない、朱の美しい夕景の空。激戦で廃墟と化した白妙の街の中で、濃紺の軍服を着た少女は一方的な防戦を強いられていた。
「っ──【炎の弾丸】! ──【ドゥーレ】! 【トレース】!」
風の魔術でなんとか後退しつつ、矢継ぎ早に少女が炎熱魔術を連続詠唱。彼女の周囲に現れた赤色の弾丸が、追ってくる敵へ目掛けて飛翔する。
「っ──! なんで──!?」
だが、その弾丸は敵の──相手の滅紫の長髪を掠めるばかりで。一つとして敵には直撃しない。
「面白くないなぁ。【審判】は【魔術師】の妹だっていうから、もう少し期待してたのに」
「なっ──!?」
どこからともなく飛翔してきた魔力弾が左脚に直撃。そちらに意識を取られ、風魔術が解除される。滑るように地面へと墜落し、残った慣性が少女の身体を建物へと激突させた。
「がっ……! はっ…………!」
衝突の反動で身体が思うように動かない。少し動くだけで、至る所から出血しているのを肌で感じた。
「ま、暇潰しにはなったよ」
ゆっくりと近づいて来た紫髪の人影は笑う。……傷一つついていなかった。
それに対し、少女はあちこち被弾だらけで。ワンサイドアップに結んだ真紅の髪は煤け、羽織る朱殷色のケープマントはところどころ黒い血赤に染まっている。
もう──これまでか。少女が目を瞑った、その時だった。
「【雷帝の驟雨】──!」
突如、魔術を詠唱する女性の声が聞こえた。──と同時に、金色の弾丸が驟雨のように相手の下へと殺到。そのまま金色の弾丸が敵の身体中を貫通して、その場に頽れた。
「…………よかった。間に合った」
眼前に現れたのは、同じ濃紺の軍服を着た女性。少女と同色のケープマントを羽織り、同じ真紅の髪をこちらは腰まで伸ばした長髪は酷く見覚えがあった。
「姉…………さん……!?」
驚嘆に、少女は消え入るような声で呟く。
姉さんは今作戦の──〈ティルヴィング作戦〉の総司令官だ。戦闘に参加はしないはず。
「……この出血量は危ないわね。今すぐ撤退して治療を受けなさい。場所は分かるわね?」
少女の顔を見て、姉は優しく微笑みながら言う。姉の表情に安堵しかけた、その時だった。
「やっぱり来たね、【魔術師】」
少女の目線の奥で、紫髪の人影は立っていた。
「な……、んで…………!?」
「……分かってはいたのだけれど。貴様、やっぱり人間じゃないな?」
取り乱すこともなく姉は言い捨てる。聞いたこともないほどの、凍りついた声だった。
「ね、姉さん……? ま、待って……! いかないで…………!」
感情の読めない顔で振り返ると、姉はそのまま相手の下へと向かっていく。少女の声は、懇願はまるで届いていないようだった。
「……!? なん……、で! 動いてよ…………!」
半ば悲鳴のような呻き声を上げて、少女は指示を聞かない身体を必死に動かそうとする。
だが、鉛のように重い身体は、立ち上がることすら出来なかった。
「貴様がロキ、だな」
真紅の双眸に烈火の黒炎を宿して、姉は言い捨てる。静かに、腰に提げた剣を引き抜いた。
「その剣は……、ティルヴィングか。王家がそんなものを持ち出す許可を与えたとは思えないけど……。あ、もしかして脅迫でもしたの?」
口元にねっとりとした笑みを浮かべて、紫髪の人影──ロキは虚空から漆黒の剣を引き抜きながら言う。
「黙れ外道。貴様に話す事などない。己の悪虐と非道を後悔して死ね」
「……はぁ。これだから特務室の連中は嫌なんだ」
姉が一歩一歩間合いを詰めていく様子を、少女はただ、見ているだけしか出来なかった。
最初、少女は何が起こったのか理解出来なかった。今さっき見た光景を、少女はもう一度思い返す。
剣の間合いに立ったあと、まずは姉の方から斬りかかった。ロキもそれに応じて剣を振るって──直後、姉が剣を放り捨てたのだ。
そして、二人がそちらに気を取られいる間に。姉はロキへと抱き着いていた。
「…………え?」
「……君、なんのつもりなんだい?」
返す姉は──無言。少女も、ロキすらも。姉の行動が理解できず、呆気に取られていた、その時だった。
「──点火ッ!」
突如姉が叫んだ、その刹那。
姉を中心とした青い炎が、ロキを覆い尽くした。
「っ──────!?」
少女は声にならない悲鳴を上げる。蒼い炎の中に、姉の姿はもう既に見えなかった。
蒼炎は瞬く間にロキを焼き尽くした。──【唯一魔術】。セルヴァース家に代々伝わる、術者の全てを炎に変換する自爆魔術だ。融解も昇華も、塵の一つすらも残さない焼滅の炎で。魂すらも燃やし尽くす、煉獄の炎の。
蒼炎は一瞬にして消え失せ、その痕跡は全く残らなかった。姉とロキの二人は元から居なかったかのように、綺麗さっぱり消えていた。
「あっ────」
身体中から力が抜けていく。辛うじて膝立ちしていた身体が、重力のままにその場に倒れ込んだ。
「──……ナ!」
消えゆく意識の中で、後方から、私の名前を呼ぶ少年の声が聞こえた。
「シ…………、ヴ……」
応えようとするも、声が出なかった。もう、そこまでの体力がない。
視界が徐々に暗転していく。意識がだんだん遠ざかっていく。
……あぁ、私も、死ぬのか。
でも、不思議と恐怖は感じなかった。……これでまた、姉さんに会えるから。
そう思うと、心が安らいだ。
「……ナ! し…………り……ろ……!」
もう、うるさいな。
それを最後に、少女の意識は暗転した。