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24/7/365  作者: 団子
3/4

夕方六時はまだキス未満

 夏休みになって間もないある日。


 塾を出たのは午後六時すぎだった。

 寒いくらいの空調で冷やされている建物から出た瞬間、生ぬるい空気にむわりと体を包まれる。温度差で変な感じ。そして、目に突き刺さる夕日の光。


「わ、まぶし」

「うわー、やられた」

「いつもそれ言ってんな」

「いつもやられてる」


 私は手で目元をガードしつつ、トートバッグを肩にかけ直した。

 受験対策として、駅前にある塾の夏季特別講習に通い始めた。朝から夕方まで塾に缶詰にされる生活は、ある種の学校みたいで数日ほどで慣れてしまった。勉強ばかりの日々は疲れる、けど。


「帰り、海寄らね?」

「いいね。あ、でも何か食べたい。お腹減った」

「んじゃコンビニも寄るかー」


 勉強も息抜きも、好きな人と一緒だから。



 夏といえば暑い。暑いときといえば冷たいもの。冷たいものといえばアイス。さあて、何にしようかな。駅近くのコンビニに入って、私はまっすぐアイスコーナーに進んだ。

 夏の定番スイカ、年中最強のチョコ、甘くて癒やされるイチゴ、アイス界の王様バニラ、ダークホースのチョコミント。みんながみんな私に食べてもらいたがっている。うーん、人気者は困りますなぁ。

 だが、ひときわ私を釘付けにしたものがあった。それは、みかんアイス。シャーベットみたいなシャリシャリみかんが棒付きアイスになっているのだ。


「これにしよっと」


 私はみかんシャーベットを手に、彼のもとへ向かった。ドリンクコーナーでサイダーを取っているところに直撃。


「ねえねえ、何選んだ?」

「ん?」

「あ、みかんサイダーだ」

「お。お気付きになりましたか」

「もちろん気付きましたよ」


 彼がドヤ顔でサイダーのペットボトルをゆらっと揺らす。私もしたり顔でみかんシャーベットを見せつけた。


「以心伝心ってやつだ」

「だなー」


 みかん尽くし、完全優勝。


 コンビニを出ると、早速ぷしゅっという小気味良い音でサイダーの蓋が開けられた。彼がごくごくと勢いよく飲む様を見上げる。よほど喉が乾いていたようで。

 サイダーを飲み込むときに動く喉元とか、汗ばんだ首筋とか、少し浮き出た腕の血管とか、ついつい見てしまう。お家で筋トレしているらしいから、きっと今着ているオーバーサイズTシャツの下もすごいことになっているんだと思う。

 好きだからか、ただ飲み物を飲んでいる姿ですら格好良く見える。


「アイス、食わねえの」

「あ、食べる」


 声をかけられてハッとした。そうだ、アイス、アイス。溶ける前に食べないと。

 封を切るとき、横からにやにやした声色が飛んできた。


「何ー? 俺に見惚れてた?」

「うん」

「……なるほどね」


 すうっとそっぽを向く頬はほんのり紅色。自分から聞いてきたくせに照れる。

 この人は案外恥ずかしがりや屋さんだ。この前『腹筋見せて』とおねだりしたときなんて、びっくりするくらいの速度で断られた。触ってみたいけど、それはいつになるのやら。

 みかんアイスを袋から出して口に入れる。ゴミはくしゃっと丸めてゴミ箱へ。


 照れ屋な彼氏さんと付き合い始めて半年が経過。

 キスの気配は未だゼロ。




 アイス片手に歩くのは、砂浜と大海原を見下ろせる海岸沿い。じわーっと温かい風と夕焼けがかった黄色みが強い西空とともに。

 日が傾いてきたからか、ランニングしている人やわんこのお散歩をしている人と稀にすれ違う。部活帰りらしき中学生や高校生の自転車に追い抜かれ、横の車道では自動車の数が次第に増えてきた。

 皆々が帰途に着く午後六時半前。


「一口ちょうだい」

「交換しよ、交換」


 夏の一日は長いように思えて、とても短い。

 蒸せる夕暮れ、揺れるサイダー、溶けゆくアイス。どれもあっという間に終わってしまうからこそ、私たちはゆっくりゆっくり味わっていた。

 終わってしまったら、それぞれのお家に帰らなきゃいけない雰囲気になってしまうから。


「ん、みかんうま」

「サイダー、もう一口ちょうだい」

「好きなだけ飲め飲め」

「やったー」


 口に含んだサイダーはしゅわしゅわっと口の中で弾けて、こくんと飲み込むとほのかな甘味が舌に残った。ひんやりした感覚が喉を通っていく。んー、美味しい。

 ふと隣に視線を移せば、残り少ないアイスの棒を持ってぺろりと口の端を舐める黒目もこっちを見ていた。


「残り一口、食う?」

「食べる食べる」

「はい」


 あーん、と言いながらアイスが近付いてくるので、ぱくっと捕獲してやった。しゃくしゃくの冷凍みかんが口の中で溶けていく。勉強疲れに効く涼やかな甘みは、思わずにやける味だ。


「美味い?」

「美味しい!」


 にこーっと笑いかけたら、「良かったな」と優しい微笑みが返ってきた。

 みかんは甘酸っぱくて好き。でも、これが美味しいのは、多分みかんだからって理由だけじゃなくて。なんとなく目を合わせられなくなって、私は目線をスニーカーの先っぽに落とした。

 照れ屋なのは彼氏だけじゃないらしい。



 夕日と水平線が近付いていく景色を眺める。

 自動車たちが素早く横切る音と、さざ波が遠のき近寄る音と、半分くらい残ったサイダーがちゃぽんちゃぽんと揺れる音と、二人がアスファルトを踏む足音と、


「手、繋ご」


 彼の小さな小さな声と。


「はい」

「ん」


 さっき見つめていた手が私の手を握る。力は全然入っていなくて、握るというより指同士が引っかかっているというほうが正しいかもしれない。


「手繋ぐとき、毎回脱力してない?」

「俺がしっかり握ったら骨折っちゃいそうだから」

「握っただけでそんなことなるわけ」

「細いし軽いもん。ポキッと折れそう」

「ぜーったいそんなことない。私強いもん」

「えぇ?」


 彼がわざとらしく目を丸くさせる。なんだ、その反応は。私の力を甘く見ているのか。よかろう、後悔させてやる。

 私は繋いでいる手に思いっきり力を込めた。彼が痛い痛いって騒ぎ出すかもしれないけど、そんなのお構いなしだ。彼はどこか驚いた声を出した。


「お、力比べ?」

「握手スタイルね。マジでガチのやつだからね。負けて泣いても知らないからね」

「本気? その自信はどこから来んの」

「私、お兄ちゃんが筋肉ムキムキだから。ムキムキ遺伝子あるから」

「ムキムキ遺伝子かぁ」


 夕焼けが彩り海風の吹き抜ける景観の良い道で、海なぞ見ずに二人で向かい合う。私たち、何をしているんだか。

 私は繋ぐ手に被せるようにもう片手を重ねて、ぎゅううっと強く力を込めた。平然とすましている彼の顔を苦悶の色で染めるため、両手でしっかり握りしめてやるのだ。私は両手にあらん限りの力を入れた。やるからには、骨もろとも粉砕する勢いで。


「どう?」

「やべえ、一生できるけど、これ」


 けらけら嬉しそうに笑われた。なんで?


「痛くないの?」

「んー、痛気持ちいい的な」

「な、なんだと……」

「毎日やってほしいわ、このマッサージ」

「そ、そんなの私の手が死んじゃう……!」


 力を入れすぎて腕ごとぴくぴく震えてきた。これ以上はダメだ。バッと離れて膝に手をつく。手が痛い。明日筋肉痛になってしまうかもしれない。な、なぜ。ムキムキ遺伝子はいずこに。

 一方、彼は平気そうに手をぷらぷら動かし、口笛まで吹く有様だった。


「もう終わんの?」

「ま、参りました」


 見ておれ、いつかリベンジしてやる。



 再び歩き出し、遠いようで近い我が家を目指す。それは今にも太陽と水平線が触れ合いそうな頃だった。橙と赤が入り混じった強烈な日光、それを反射して色付く広大な水面。歩道に並ぶガードレールの影は一層黒くなっている。

 力比べをしたせいで、二人の影法師も離れ離れな午後六時半すぎ。


 私はこつんと地面を蹴った。口を尖らせてぶつぶつ呟く。


「手加減ばっか。そういうのよくないよ。マジでガチのバトルだったのに」

「えー。骨折したかった?」

「そういうわけじゃないけど、でも」

「どした?」


 私は本気で、相手は手抜きって。


「私で遊んでたってことでしょ」

「怪我させたくねえもん」

「や、そうじゃなくて、私に本気になってほしいというか」

「というか?」


 彼が私の顔を覗き込む。夕日を浴びて、彼の黒いはずの髪の毛の先やまつ毛の先は透き通って見えた。この人はよく私の目を惹きつける。私ばっかり見惚れてて、私ばっかり好きなのかな。

 じっと大きな黒目を見返す。本気なら、もっと積極的になってくれてもよくないですか。わ、私、一応リップのケアとかしてるんですけどー……?


「き、キスとか、しない、し……」


 自分の口から出たのは、弱々しい尻すぼみの声だった。ついに、ついに言ってしまった。こんなこと言ったら、まるで私がしたいみたいだから、言わないようにしていたのに。

 すすっと一歩距離を置く。ものすごく恥ずかしい。さっき私が喋ったこと全部、横から聞こえるひっきりなしの車の走行音でかき消されてたりしないかな。


 肝心の彼はきょとんとしたお顔でまばたきしていて、私の頭の中は自分の心臓音だけが響いていた。どんな返答をするのか。無言の一瞬が永遠みたいに長い。暑いような寒いような感覚がして、ぶわっと汗が出てくる。

 私が浅い息を吸い込んだとき、彼がようやく唇を薄く開いた。


「して大丈夫だった?」


 それは、わりと真面目な面持ちで問いかけられた。突然のことに緊張している雰囲気はあるものの戸惑いや焦りはなく、若干期待が混じる照れ模様で。

 まるで、俺はとっくに覚悟できてましたよ、みたいな。


 な、なにそれ。私だって覚悟くらいできてるから。足が震えているのは無視だ、無視。


「余裕。超余裕で大丈夫」

「本当に?」


 彼が私に向かって一歩、また一歩と間合いを詰める。見上げれば、自分の背中をつーっと汗が伝う。困った。私から言い出したことだけど、私のほうが慌てちゃってる。

 私は目を合わせたままおずおずと頷いた。今さら後戻りなんてできないから。


「いいの?」


 低いささやき声と一緒に私のほっぺたに彼の指が触れる。定期的に寄せ返す波音も、道路の止まない車の駆動音も、ゆるりとした風の音も、全部全部遠くなっていく感覚がした。

 顔どころか体ごと熱い。ああもう、早くなんとかして!


「か、かかってこい」


 ぎゅっと目をつぶる。頭、くらくらする。呼吸のやり方は忘れた。自分が立ってるのかどうかもわからない。わかるのは、唇に触れる指の感触だけ。

 あ、指が離れた。まつ毛にふっと息がかかる。来るのか、来るのか、いよいよこのときが。ようやく、日々のケアが報われ――。



「参りました……」

「…………え?」


 ゆっくり目を開けると同時に、ぽすんと肩に重さが乗った。肩に頭突されている。


「えぇ?」


 拍子抜けさせられた。キスは?


「ど、どうしたの」

「えーと」


 彼がのっそり頭を起こして、私と見つめ合う至近距離。口の端が上がって目が細められた。ふにゃっと笑っているその様子は、喜怒哀楽でいえば明らかに喜一色。

 さらに顔を隠すようにまたまた頭突きしてきた。かけられる体重はどこか心地良い重さだ。


 え、えー? なんでこんなに照れてるの。

 ああでも、嬉しい。冗談を言っちゃうくらいには舞い上がっちゃうほどに。


「ねえねえ、私に見惚れちゃった?」

「うん」


 即答、まさかの即答だった。


「毎秒これ。どうしよ、俺」


 私の背中に腕を回して「はぁ」とため息までつかれた。密着する腕からも胴体からも、自分のじゃない脈が伝わってくる。わ、すごく速い。この人、見かけ以上に心臓に負担かけてる。

 どうしよと言われましても。私はちょこっと背伸びして彼の首に腕を回した。ハグの仕返しだ。私も毎秒あなたに見惚れてるんだよ。


「私もどうしよっかなぁ」

「どうすんの?」

「慣れるしかないかなぁ」

「そっか。慣れるの頑張るかぁ」


 二人とも脱力気味に腕をほどいた。ドキドキ疲れってやつだ。

 果たして、慣れるときは来るのか。塾は数日で慣れたけど、あなたにドキドキするのは半年以上慣れてないままなのに。



 太陽がお休みするのを見届けた帰り道。空は薄明るいけれど、外灯はつき始め、頭上では青と紺が溶け合う中で月が白く輝いている。住宅街に入れば、ひとけはないけれど通り過ぎる家々からかすかな笑い声が聞こえ、晩ご飯の美味しそうな匂いが漂ってきた。

 とうにぬるくなってちょっぴり炭酸の抜けた甘いみかんサイダーを飲み干す。そんな頃合いに私のお家が見えてきた午後七時前。

 そろそろお別れ。私は彼にぺこりとお辞儀した。


「今日も送ってくれてありがとう」

「どういたしまして」

「暗くなってきたから気を付けて帰ってね」

「帰ったら連絡する。夜、暇だったら勉強通話しよ」

「しようしよう」


 一人きりならやらないかもしれない予習復習も、通話しながらならやってもいい。わからないところがあったらすぐに聞けるし、長時間勉強できる。なるべく話していたいから。

 では、夜に会いましょう。私たちは私の家の前で足を止めた。


「ばいばーい」

「ばいばい」


 帰る背中に手を振る。彼が数十歩進み、おや、動かなくなった。しばし石化した直後、くるりと振り返って私のほうに戻ってくる。あれ。


「何かあった?」

「そんな感じ」

「え、忘れ物したとか?」

「そうそう」


 はて、忘れ物とな。私、物を借りたりしたっけ。いや借りてない。なら、この前私の家に来たときに何か忘れたのかな。でもそんなのあったかな。

 私が不思議に思った、そのとき彼がふらっと距離を詰めてきた。ちょっとためらったように私の頭を撫でる。そして、やや首を傾けて、


 あ。



 私の理解が追い付いたのは、満足気に笑う彼を見たあとだった。


「じゃあ、また夜に。ばいばい」


 再度ぽんぽんと頭を撫でて、彼が走って帰っていく。


 嬉しそうな声が耳から離れない。あと、唇の感触も。忘れ物ってそういうことか。

 その場にしゃがみ込み、両手で顔を覆う。目をくらませる夕日はもうどこにもいないのに。


 うわー、やられた。夏の夕暮れ、日没後もなおあつい。

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