私の一族がこんなにも生活力皆無でなければ
私はアルレット。アルレット・ドミニク=ヴェルネ。
クレージュ侯爵令息、アリスティド・バルナベ・エドガール・クレージュ・デュクロの……。
なんなんでしょうね。
私にもわかりません。
アリスティド坊っちゃま───アリス様の髪をローズオイルと柘植櫛で梳かしているこの時間が至福だということくらいしか、私にはわかりません。
ハァーこの手触り、駄々をこねて伸ばしていただいた甲斐があるというもの。ときどき編み込みを入れてはアリス様に呆れられております。
一応ではありますが、アリス様の専属侍女をさせていただいておりますので、お世話を任された立場上、許される振る舞いとして、甘えさせていただいております。
私はアリス様の専属侍女ですが、私の家族のように、仕事が特定されておりません。私の役割が何なのかは、私にもわかりません。
ドミニク=ヴェルネとしては、かなりの変わり種です。
私の生家、ドミニク=ヴェルネ家は代々クレージュ領の領主を務めるデュクロ家に仕えています。
ただ、代々執事ですとか、料理人ですとか、侍女ですとか、そういった仕事が一切決まっていないというのが我が家の特徴。
なぜなら、できない分野は本当に使い物にならない家系だから。
それゆえに、デュクロ家の皆様方のご温情で、私たちは成長するにつれ、適正とともに役職や仕事が割り振られるようになっています。
まず、私の母、フランセットは、奥様や大奥様のマッサージ係。役職としてはレディーズメイドになります。
お話を聞いたりしながら、より美しく、また健康になるためのマッサージをするのが母のお仕事です。たまに旦那様や、好意で執事や執政官のところにも貸し出されていますね。
なにせどんな不眠も肩凝りも、悩みすらも彼方へ飛ばして、人を寝かせてふにゃふにゃのとろとろにするのがあまりにも上手すぎるのですから……。
明日は茶会という奥様と、お仕事で肩が凝った旦那様が母を取り合って、順番にということで決着する瞬間を見たこともあります。母、大人気。
マッサージ以外の時間には屋敷中に祖父と選んだ花を活けています。これもとても上手ですね。
ちなみに、幼少期は私も眠れなくなるたびに母に揉まれ、30秒で眠らされていました。ほかにも、プロなのだから侍女なんかに負けるはずが! などと意気込んできた、道場破り的売り込みをしてきたマッサージ師たちも全員弟子にしています。あれはやばいです。
それから私の父。リュックといいます。こちらは計算と人当たりを買われて執事のお役目を負っていますが、入り婿で、ドミニク=ヴェルネの血は継いでいません。
ですが母のマッサージに鷲掴みにされて以来惚れ込んで、口説きに口説いてドミニク=ヴェルネ家に婿入りを果たしました。もちろん、母が良しを出す程度には有能です。
とくに交渉ごとが上手く、他家との交渉などに駆り出されていますね。なお、遠方への出張などのときに家族全員に頬擦りをする癖がありますが、ちょっとやめて欲しいなと思っています。髭が痛いから。
そして私の兄。この兄、ギュスターヴは、厨房を預かる料理長です。
兄は私の三つ上なので二十歳なのですが───十八の時にデュクロ家の料理長になりました。間違いなく、母と同じドミニク=ヴェルネの血を継ぐ天才です。
兄は十六のとき、当時の料理長に「もう我慢できない」と食ってかかったのです。それはハーブとガーリック、ジンジャーの使い方についてでした。
兄がアレンジした料理を食べた当時の料理長、現副料理長は膝をついて咽び泣きました。そして「あまりにも美しいこの味になぜ辿り着けるのか。お願いです、どうか弟子にしてください」と兄に頭を下げました。私はそれをポカンと見ていました。
以来、二年で料理長と料理を教え合い、あっというまに兄は厨房の主になりました。副料理長は兄を立派な料理長にできて満足げです。たしかに兄の料理はほかの誰も作れない絶品なので、わからなくもありません。
なお、祖父のマルクはお屋敷の庭を整える庭師で、天才とも名高く、先代のご当主様の時代には王宮にも〈貸し出し〉されるほど。今でもお屋敷で庭を整え、デュクロ家の方々や訪れる方を楽しませています。
祖母のドゥニーズは掃除の達人で、お屋敷のハウスメイドとして働いています。ただ、なにせ「なんでも」「誰よりも綺麗に」掃除できるのであまりにも重宝されており、ハウスメイドとしては破格の扱いを受けています。
祖父と祖母は、はとこにあたる、どちらもドミニク=ヴェルネの人です。
そして私は……実はなんの特技もありません。
はっきり言って、ドミニク=ヴェルネとしては失格なのです。
ドミニク=ヴェルネという家は、エティエンヌ・ヴェルネという芸術家が始まりです。
このご先祖さまは、楽士としても画家としても天才だったものの、どちらかしかさせてもらえない環境を良しとできず、あてどなく放浪していたそうです。
またこの人、我が家の伝承によれば「音楽と絵以外に興味がなさすぎて、生活力も金も皆無だった」とか。
このご先祖さま、エティエンヌを拾い、クレージュ領主屋敷の敷地内に家を建てて与え、お前の好きに生きよと仰ったのが、デュクロ家の昔のご当主様です。
ご本人のミドルネームからドミニクという名をすらお与えになり、エティエンヌ・ヴェルネからエティエンヌ・ドミニク=ヴェルネと名を変えたご先祖さまを非常に重用なさったそうです。
いまでも、クレージュのお屋敷にはエティエンヌが描いた絵が数多く残されていますし、エティエンヌが愛した楽器もデュクロ家で保管されています、と言えば、エティエンヌへの寵愛のほどが伝わるでしょうか。
そして、画家としては才を持たなかったものの、詩吟と音楽に才を発揮したその子もまた、デュクロ家は同じように扱ってくださいました。
その人───エロワ・ドミニク=ヴェルネといえば、この国でも有名な作曲家であり、作詞家としても名高い人です。
ここまではいいでしょう。
ドミニク=ヴェルネ家は皆このように、なにかひとつふたつ、とんでもない特技があり───
そしてそれ以外は、本当になにもできないのが特徴です。
使い物にならなさすぎて、私たち一族の間での一族の呼び方が『生活力皆無家』であるほどに。
エティエンヌのために建てられた家は、家族が増えるごとなどに増改築していただいて、私たち一族が今でも暮らしております。ここからも分かる通り、ドミニク=ヴェルネ家は代え難い恩義のあるデュクロ家に真摯に仕え、デュクロ家からは「本人の好みや特技に合わせて好きに仕えてよい」という特別扱いをいただいております。
これは、エティエンヌ以来、できることはものすごくできるものの、それ以外があまりにもできないというのが理由なのです。
たとえば、祖母は掃除はできますが、実は皿などは掃除や片付け以外の目的で触れるとすぐ落としてしまうのです。
配膳ですら皿を落とすため、念のため、祖母は皿を運んではならないというルールがあるほか、我が家の皿はほとんどが木製です。
母は花を活けるのは上手いですし、マッサージの手腕からも決して不器用なはずはありません。
けれど、花瓶から古い花を回収するのにすら、異様なほどに手間取るなど、得意なもの以外の分野だととても不器用になってしまうので、いつも別のハウスメイドに手伝ってもらっています。
祖父は苗木に目がないくせに金銭感覚が曖昧で、めずらしい植物の種や苗と聞けば、どうするのか後先も考えず、すぐに取り寄せようとしては祖母に諌められています。祖母がいなければ我が家は絶対に草木であふれかえっていたでしょう。
もちろん、有用そうなものであれば父の方から旦那様に上奏し、経費でお屋敷のお庭に植えられることもあります。
兄も兄で、料理は本当に絶品なのですが、他所では修行すら許されないだろうレベルの口下手、そして致命的に下戸です。ワインのテイスティングに四苦八苦する料理人など他で聞いたことがありません。
神は兄に料理のハーモニーは与えても、対人と酒のハーモニーはお与えになりませんでした。副料理長がいなければ絶対に仕事になっていません。
これらの人間を普通に、メイドとして、侍女として、はたまた普通の庭師や料理人・執事として雇ってもなにひとつ、うまくいかないでしょう。
むしろ全員が失敗を連発して解雇処分になるに違いありません。
ですが、本人のできることをさせておけば常人の比にならぬ成果を出す人々でもあります。
ただ────それを除いても、デュクロ家に見捨てられたら我が家は終わりです。
私たち全員の共通項は「金儲けに興味が持てない」こと。保身とかそういう感覚もありません。
そして、先述の通り、できないことは本当にできないのです。
それはつまり、最低限の家事すらままならないということ。
なにせ、『生活力皆無家』ですから。
祖父母と父母と私たち兄妹で、分担すれば多少はなんとかなるでしょう。
けれど全員が全員、特技から漏れた瞬間に大したことができなくなります。
真っ先に途絶えるのは「特技」としている人が誰もいない洗濯です。賭けても構いません。
デュクロ家という大きな家に雇っていただき、十分な給金をいただいているからこそ、私たちは生活が成り立っています。
足りない生活力を、デュクロ家に賄っていただいたり、いただくお給金で回しているわけですから。
つまり、デュクロ家に見捨てられたら終わり。
我が一族の全員が理解していることです。
なので我が一族は、みんなできることを精一杯して、精一杯、デュクロ家に仕えます。
しかし─────そのなかで、感覚こそドミニク=ヴェルネそのものでありながら、なんの特技もないのが私、アルレットです。
ドミニク=ヴェルネらしくない、ドミニク=ヴェルネの子。出来損ないと言い換えてもいいでしょう。
けれども、仮でアリス様についていた兄が厨房におさまったことで、嫡男であり一人息子の、当時十五歳のアリス様のお世話をしていた者がいなくなりました。
ドミニク=ヴェルネの三人のいとこたちは皆、世代が少しずつズレたり、すでに役目が決まっておりましたし、兄の配置換えは急すぎて、新たに雇うこともできませんでした。
消去法でアリス様のお世話を仰せつかったのは、当時十三歳の私でした。
なので私は努力しました。なんの特技もない私が、アリス様のお世話をするに足るように。
わからないなりに、できることを目指しました。
いまでは、衣装選びからちょっとした宝石の目利き、アリス様の顔色から体調を読み取ることまでできます。
─────アリス様の髪を梳かし、ほんのり編み込みを入れて綺麗に整えると、私は鏡越しにアリス様に微笑みかけました。
「アリス様、出来上がりました。上着をお持ちいたしますね」
「よろしく」
微笑み返してくださる幸福を噛み締めながら、最後に残った上着を持っていき、椅子から立ち上がったアリス様に着せました。次は最後のお仕事です。
「アリス様、こちらを」
「今日の花はなにかな、 アルレット」
笑ったアリス様は可愛い。そんなアリス様の胸に、一輪の花を添えます。このために小さなポケットを縫い取ったのですから。
落ち着いたベージュの上着に、赤い山茶花の映えること。
「今日は年頃の方の多い夜会とお聞きしましたので、赤の山茶花を」
「そのこころは?」
「『あなたがもっとも美しい』。ご存知でしょう、アリス様でしたら」
「アルレットがたくさん教えてくれたんだろうに」
くす、と結んだばかりの淡い金の髪を揺らして、アリス様が笑います。やっぱりうちのアリス様がいちばん綺麗。
「アリス様がいちばんお綺麗ですよ。でも、意中の方に差し上げてもきっと素敵です」
「アルレットは面白いことを言う」
「本気ですよ、アリス様」
そんな軽口を叩きつつ、夜会に向かわれるアリス様をお見送りして、私はほっとひと息をつきました。
今日も最高にうるわしい若君をコーディネートできて、私は幸せです。
光栄なことに、アリス様のことにおいては私はすべてのお世話をお任せいただいています。
それは衣装合わせから家紋の刺繍を添えること、花を選び、お着替えを手伝い、多少の仕立て直しをすることまでも、なにもかもが私の仕事。
時期に合わせた内装のセンスも私任せです。
旦那様にもアリス様にもご許可をいただき、十三のころからアリス様の身の回りはすべて私を軸に回っています。それでいいのか、何度もお伺いはしているのですが。
アリス様をお見送りしたら、先週来たばかりの新しいクラヴァットが何とも言えない、良い色でしたので、追加で注文しておいた同じ色の糸で刺繍を追加いたします。縁取りと、最近祖父が庭に植えた、来月満開になるだろう新種の花をすこしだけ縫いました。さりげない色使いですから、可愛らしすぎるようなこともありません。
クラヴァットの刺繍が終わったら、祖母が磨いてくれた留め具のチェックを。
新しいクラヴァットは、どれとどれを組み合わせたら良いか、増やすのであればどんなものが良いか。ひとつひとつ、吟味いたします。
もちろん、ご衣装も照らし合わせることは忘れておりません。
そのあたりで、アリス様がお帰りになられる時間が近づきましたので、ミント水と珈琲、それにお風呂の支度をお願いいたしました。
夜会は香りの多い場所です。
デュクロ家では、だいぶ前にうちのご先祖の一人が、香りを色々と嗅いだ後に珈琲の香りを嗅ぐとすっきりすると気づいて以来、夜会帰りにはミント水と珈琲をご用意することになっています。
お風呂は───今日はそうですね、苦味が強いと兄がマーマレードにしなかった柑橘の皮がありますから、それを浮かべておきましょう。
あとはどれも注ぐだけ、となったあたりで、アリス様がお帰りになられました。
玄関広間の近くまでお迎えに上がると、すこしお酒を召されたのでしょう、アリス様の頰がすこし赤くなっております。
「お帰りなさいませ、アリス様」
「ただいま、アルレット」
「ミント水と珈琲、ご入浴の支度ができております」
「ありがとう。ああ、でもすこし待って」
「はい、構いませんが」
そう答えると、アリス様は胸元に置いたままの赤い山茶花を、革手袋をしたままの手で私に差し出されました。
「お気に召しませんでしたか?」
問いかけると、アリス様の薄い青の瞳が瞬きました。
「そんなことはない。アルレットが選んでくれたものに間違いがあったことなど、一度もない。わたしだけでなく、父上も母上もそうおっしゃるだろう」
「でしたら、お部屋に活けておきましょうか。枕辺などいかがでしょう」
名案だと思って微笑んで言うと、アリス様は困ったように笑います。
私はなにかを間違えているようですね。
「では、意中の方のお気には召しませんでしたか。よろしければ、アリス様の意中の方について教えていただきたく」
「アルレット」
アリス様が私の名前をお呼びになったので、私はただ、はい、とお答えいたしました。
「違うんだ、アルレット。動かないで」
そう言われて、私はまた一つ、はい、と答えました。
アリス様は、動かない私の髪に、山茶花を挿されました。
待ってください、いまの笑顔めちゃくちゃいいです。さすがアリス様、その笑顔は意中の方にぜひぶつけていただきたい、絶対に落とせます。
「ね、アルレット」
「はい、アリス様」
「アルレットは、わたしに贈るならどんな花がいい?」
ぱち、と私は瞬きました。
祖父が天才庭師なだけあって、私は僭越ながら、アリス様よりも花に詳しい自信があります。もちろん、花言葉やその特性についても。
「すべての花です」
どんな花にも必ずいいところがあるというのが、祖父の口癖です。
どんな花にもいいところがある。美しさがある。
そう信じる祖父は、この国で見た目が美しくないからと遠ざけられていた木を、ひっそりと植えることで、そのたぐいまれな香りで人を魅了しました。そうして、見向きもされなかった木を、誰もが庭に植えて楽しむものにしてしまった人です。
だからこそ、天才庭師と呼ばれております。
その祖父の情熱と愛を見て育った私です。断言しましょう。
「すべての花です。すべての花に、必ず良いところがあり、美しさがあります。
それを見つけるのが、デュクロ家の方々はお上手でいらっしゃる。アリス様もまたそうであられるように。
その点を見つけてくださる方であり、美しく、お優しく、理想の貴公子としてお育ちになったアリス様に似合わぬ花などありません。そして、どんな花もアリス様の側にあれば美しく咲けるでしょう。それはその花にとっても幸福に違いありません」
ゆえに、すべての花です。
私はそう断言いたしました。
ところでアリス様、なぜ耳が真っ赤なのですか。
「……………アルレット」
「はい」
「アルレット。アルレットのセンスが良すぎることは知っていたけれど、口説き言葉のセンスまで良すぎるとは……。
お願いだ。頼むから、これからだれのことも口説かないでほしい」
「生まれてより、どなたかを口説いたことはございませんし、これからもその予定はございませんが」
「そうかい……」
ねえアルレット、とアリス様が赤くなった頬を押さえました。
「なんでしょうか」
「アルレット、アルレット。赤い山茶花の花言葉は、なに?」
「『あなたがもっとも美しい』です。ご存知でしょう」
「わたしはまず、その花をアルレットに贈る」
「………はい」
はい? でも、はい。でもない、中途半端な返事をしてしまいました。
「……むり」とこぼしたアリス様が歩き出されます。私はそれについて歩きながら考えました。
お部屋についてからは、作法通りにミント水と珈琲をお出しし、お風呂の支度を整えます。
お風呂は女の私は入れていただけませんので、私の仕事はどんなものを使うかの差配まで。あとは別の方に任せています。
私はお風呂上がりのアリス様の髪を丹念に梳かしながら、アリス様に問いかけました。
もちろん、いただいた山茶花はそのままです。
「アリス様。申し訳ございません、山茶花の意図されるところが分かりません。教えていただけますでしょうか」
「…………アルレット」
「はい」
「アルレットが、わたしに言ったのだろう。意中の人に渡しても良い、と」
うん? と私は首をかしげました。
……。
……………。
……………………えっ、そういうこと?
フリーズした私は、頬を染めて、拗ねたような顔をする、鏡の中のアリス様で我に帰りました。アリス様が今日も美しい。
「……………お気持ちだけ、頂戴します」
「え……」
「アリス様。アルレットが不要になりましたら、いつでも仰せになってくださいね」
「待ってほしいアルレット、どうしてそうなるんだ?!」
慌てるアリス様が立ち上がり、私は慌てて櫛をアリス様の髪から離しました。あぶない。
「奥方を迎えるのに、私の顔が見たくなくなった、とか、あるやもしれません」
「あるわけがないだろう、そんなこと!」
アリス様が目の前で崩れ落ちました。
慌てて私も膝をつきます。座ってもない主を見下ろすなどあってはなりません。
アリス様、と呼ぶと、小さな呻き声が聞こえました。
「アルレット……」
「はい。ここに」
「わたしでは、だめか」
「アリス様に駄目なところなどひとつもございません」
十三のころ、兄から慌てて引き継いでから、いままで四年間。ずっとおそばでアリス様を見てきました。
ダメなところなどひとつもありません。
このお屋敷での夜会のご様子からしても、ほんとうに、理想の貴公子としてお育ちになりました。クレージュ侯爵の跡取りとしても、そうでない意味でも、ご令嬢がたの憧れです。
だけでなく、私のような侍女にもやさしくていらっしゃいます。
けれど、そんなアリス様はつらそうな声でおっしゃいます。
「では、ギュスターヴのような料理の腕か」
「兄の料理は神の与えた才能です。代わりに、神は兄からお喋りという才能を奪っております。アリス様が話されなくなったら私も淋しゅうございます」
「では、マルクのような博学か」
「アリス様が祖父の如く苗木と種を集めはじめたら、私は全霊でお止めしなくてはなりません」
「では……わたしにはなにが足りない? アルレット、わたしの可愛いアルレット……」
アリス様がこちらをじっと見る姿に、胸がきゅんと音を立てた気がしました。
私の肉体、ついに不具合が出たのでしょうか。
「なにも。アリス様はアリス様でいらっしゃるだけで良いのです。私はいつでも、アリス様がご不要とおっしゃるまで、アリス様のおそばに。
ドミニク=ヴェルネの才を持たぬ私でも、アリス様のお役に立てるよう、努力いたしますから」
私がそう言うと、アリス様はきょとんとした顔をなさいました。
「才がない? だれの冗談だ」
「冗談などと……私は、親兄弟のような特技がございませんから」
「なにを言っているんだ、アルレット」
アリス様が不思議そうな顔で私の手を握ります。
私の───アリス様のお世話のためだけに、水仕事の一切を免除され、爪も短く、ささくれひとつないように整えた手を。
髪も服も、ささやかに触れる肌にも、傷つけることのないように。私の手は、母の手すら借りて、ほかのどこよりも整えてあります。
主に手を握られるなど、尋常ではないことです。整えていてよかった、と、そう思いました。
「アルレット。アルレットは、センスがいい」
「せんすが、いい」
思わず鸚鵡返しになってしまいました。
センスがいい、とはなんでしょうか。私は私の感覚でしか物事を回せていないというのに、時折、私にその言葉を投げる方がいらっしゃいます。
「私がまだ十五のころ……私についたばかりのアルレットが、初めて選んだ私の服を見て、母上の侍女が打ちのめされたことを知っているか?」
「いえ……そのお話は、まったく」
「アルレットの選んだ服は、洗練されていて、私によく似合っていて……ひと言であらわすならセンスが良かった。打ちのめされた母上の侍女が、是非とも母上の周囲を固めてほしいと、母上付きの侍女頭にするために引き抜こうとしたくらいだ」
なにか、どこかで聞きましたね、そんな話。
具体的には、兄のくだりで。
「わたしのところに人手がなかったことと、アルレットが楽しそうにわたしの世話をしているからと、その話は流れたけれど」
「そう、だったのですか……」
兄の前に、かつての料理長が膝をついたとき、私は知りました。
天才というのは実在するのだと。
修行を重ね、侯爵家の厨房を任された五十代の男が、弱冠十六の男の子の前に膝をつき、感涙したのです。四年経ったいまも、副料理長となった彼は、兄の料理を再現するには近づいても、兄と同じような新たなアレンジはできないと聞きます。
道場破りにきたマッサージ師が、ひとり残らず母の前で「あなたには勝てません、師匠と呼ばせてください」と叫んでいたのと同じように。
それが、天才というものです。
それと同じ現象を、私が起こしていたなんて。
にわかに受け入れ難いですが、アリス様がこんなことで嘘をつかれるわけもなく。
「父上と母上が、本来女主人の仕事である部屋の内装の差配までも、アルレットに任せているのはなぜだと思う?
アルレットのセンスが良すぎたからだ。選んだ服すら二度目にはさらに洗練されていた。
これはと見た母上が、一度部屋の差配を任せたのは、覚えているだろう。あれで出来上がったアルレットの作る部屋が、わたしにとっていちばん居心地が良い部屋で、わたしをいちばん満足させると、誰もが認めざるを得なかったから、アルレットが差配を許されている。
アルレット、その自覚はある?」
「いえ……自由に、させていただいているなと……」
たらり、と背筋に嫌な汗が流れるのを感じます。
お任せいただいているのと、楽しさのあまりにやってしまっておりましたが、たしかに部屋の差配は女主人のお仕事。奥様の、お仕事のはずです。
それを、センスひとつで、許されていた、と。
「奥様に、お返しするべきでは……」
「返さないで、アルレット。アルレットの作る部屋がいい。アルレットがカーテンを決めて、アルレットがクッションを選んで刺繍をしてくれて、アルレットが描いた風景画を飾る部屋がいい」
そう言われてしまうと、アリス様のお言葉です。私にはなにも言えません。
その風景画は、私が手慰みに描いて差し上げたものです。部屋に飾ってほしいと言われ、枕辺に置かせていただいた、ささやかな、お屋敷のお庭の景色を描いたもの。それをずっと、アリス様は飾っていてくださいます。
私が飽きず、なんども、いくつも描いては差し上げても、嬉しそうに、全部を枕辺に飾ってほしいと無茶をおっしゃるくらい。
代わりに、アリス様のお部屋の一つには、私の絵がずらりと並ぶスペースがあるほどです。
「ねえ、アルレット。決して手放したりしないから、わたしのそばにいて」
「……はい。アリス様の思うままに」
そばにいて、とアリス様がおっしゃって、部屋をはじめとしたなにもかもの差配を私にしてほしいとおっしゃるなら、私はそうしましょう。
アリス様の幸せそうなお顔は、私も嬉しくなるのですから。
私は、ずっとドミニク=ヴェルネとしては出来損ないだと思っておりました。
けれどどうやら、センスがいい、らしいです。
私は初めて、自分がこの『生活力皆無家』に生まれたことに、これまでと違う感謝をしました。
デュクロ家に仕えることは、私の幸せです。
私の一族がこんなにも生活力皆無でなければ、ご先祖さま、エティエンヌはデュクロ家に拾われることもなかったでしょう。デュクロ家と、代々にわたる強い結びつきを得ることも。
私の一族がこんなにも生活力皆無でなければ、私はデュクロ家に仕えられませんでした。
ひいては、アリス様というお方に仕えることもできませんでした。だからそのことは、ずっと感謝してきました。
けれど、『生活力皆無家』特有の才能が自分にあって、それがアリス様のお役に立っていた。
『生活力皆無家』──ドミニク=ヴェルネの生まれでよかった。私ははじめて、心からそう思うことができたのです。
後日、お部屋などの差配について奥様に相談に行った私は、ついに言われてしまったのでした。
「ねえ、アルレット。ずっとあなたのセンスに囲まれて生きてきたアリスティドが、どこかのご令嬢を奥方に据えて、満足できると思う?」
反論できず、どころかアリス様の奥方に、ご当主様と奥様の間で内定していることを知ってしまった私は、奥様にそれとなく身分差を提示してみました。けれど、あのエティエンヌの子、エロワの娘がデュクロ家のご当主の妻となっていたことも教えられ、───つまりは前例という盾を出されてしまったのです。
ぐうの音も出ないとはこのことです。
そうして、アリス様が私にべたぼれだったことを知ったり、アリス様に時間をかけて恋を教えられていく、なんてお話は、またいつかの機会に。
ただひとつ、言えることがあるとすれば─────
私の一族がこんなにも生活力皆無でなければ、私はこんなにも幸せな人生を送ることはなかったでしょう。
アルレット・ドミニク=ヴェルネ(17)
十三歳の時からアリスティドに仕えている。実はセンスの良さと、付随する要領の良さがあるため万能だが、水仕事は一切しないため、いまもまるきりできない。
アリスティドのお世話が大好き。アリスティドの顔も自覚はないがかなり好き。アリスティドを美しく仕上げることに心血を注いでおり、彼女のセンスに従ってアリスティドは髪を伸ばしている。
なお、ドミニク=ヴェルネ一族の隠しステータスである「鈍感」を引き当ててしまっている。本人は自覚がない。
アリスティド・バルナベ・エドガール・クレージュ・デュクロ(19)
十五歳のときからアルレットに仕えられてお世話された結果、アルレットのもたらす環境でしか生活できなくなった。それ以前からアルレットのことは知っていたし、幼少期は一緒に遊んでおり、ちょっと気になる女の子だったものの、現在ではもう、アルレットのもたらす洗練された環境にずぶずぶになり手放せなくなってしまった。
実はこれまでも何度もアプローチはしていたが、ぜんぶさらりとスルーされてしまっている。
アルレット以外と結婚しても不満しか覚えられないことを自覚している。
周囲の人々
「アリスティド様がアルレットにべたぼれなのは見れば分かるじゃん」
「アルレットの鈍感は一周回ってひどい」
「まあでもドゥニーズもひどかった」「ギュスターヴも実はやばい」
Thank you for reading!